ヨハネの黙示録12章

フィンランド語原版執筆者: 
ヤリ・ランキネン(フィンランドルーテル福音協会、牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

女と竜 12章1~6節

 ヨハネは子を宿している女の人を見ます。それは誰のことでしょうか。それは「神様の御民」、この世で生活している「神様に属する人々」を指しているものと思われます。これまでの箇所には「神殿」や「二人の証人」が出てきました。おそらくこれらも地上で信仰を守る戦いを続けているキリストの教会のイメージなのだろうと思われます。それでは、ヨハネに示された「竜」とは誰でしょうか。この竜は神様に属する人々と戦い続ける悪魔である、と9節では言われています。竜は緋色をしていて七つの頭と十個の角をもっています。前に述べたように、「ヨハネの黙示録」では「角」は力を象徴しています。つまり、悪魔には力がたくさんあるということです。竜の十個の角はそのことを想起させます。

 おそらくヨハネは2節と5節で神様の教会員となったイエス様の母親マリアを一瞬目撃しています。彼女は男の子を生みました。この子こそが王の王なるイエス様です。4節にはヘロデ大王が悪魔の使いとして描かれています。生まれたメシアを殺すために、ヘロデはベツレヘム近郊の2歳以下の男の子を皆殺しにしました(「マタイによる福音書」2章16~18節)。すでにその時点で悪魔は神様と神様に属する人々とに対して戦争を仕掛けていたのです。ヨセフを長とする聖家族は荒野を越えてエジプトへと逃げ、ヘロデが死ぬまでそこに滞留しました。6節はこの旅について語っているのでしょう。神様は御子とその母親とヨセフの面倒を見てくださり、悪魔に御子を殺させはしませんでした。ここでの「三年半」という期間は、悪魔が神様に属する人々を特に激しく攻撃する時期をあらわしています(「ヨハネの黙示録」11章2節とその説明を参照してください)。

天国での戦争 12章7~12節

 ヨハネはもうひとつの幻を見ます。神様の天使の長ミカエルと悪魔との間で戦いが天で起こりました。その戦いは悪魔の敗北に終わり、悪魔は手下の使いもろとも天から投げ落とされました。天ではミカエルの勝利を喜ぶ声が上がりましたが、天使の長の勝利は地上では不幸の訪れを意味していました。地上に投げ出され悪魔がそこで騒乱を巻き起こして悪を行い、神様に属する人々を迫害するからです。この悪行を悪魔は倦むことなく続けますが、それには単純な理由があります。地上で暴れることができる時間がもはや長くはないことを悪魔は知っているのです。

 悪魔が実際に地上に投げ落されていることは、たやすく理解されるはずです。悪魔の活動は様々な形で顕在化しています。世界にはおびただしい悪が存在し、自然は汚染され、戦争が起こり、人々は間違った道に迷い込み、神様の教会は苦境に立たされています。これらすべてのことに関して人はいろいろな説明を試みることができます。しかしその真の原因は天国から地上に投げ落とされ私たちの世界で暴れ狂っている悪魔にあることを「ヨハネの黙示録」は教えています。

 10節で悪魔は「告発者」と呼ばれていますが、実に適切です。まさしく悪魔はそのような存在だからです。悪魔は際限なく告発し続けます。告発の対象となるのはとりわけ神様に属する人々です。 「お前はあまりにも出来が悪いので、「神様のもの」などではありえない。お前はいともたやすく罪を重ねるくせに、神様の子どものグループに所属しているなどと、よくもまあ言えたものだね。」 このようなことを言う者は悪魔です。ただイエス様のゆえに私たちは神様の御民の一員として認められ受け入れていただける、と神様の御言葉は保証しています。私たちは罪深い存在ですが、イエス様のゆえに「神様のもの」なのです。悪魔が告発してくる時には特にこのことを思い起こすのが大切です。

教会を滅ぼそうとする悪魔 12章13~18節

 地上に投げ落された悪魔は神様に属する人々に対して集中攻撃を仕掛けてきます。おそらくヨハネに今示されたことは、この章の冒頭の内容と同じことをあらわしているのでしょう。ヘロデの怒りから逃れてエジプトへと旅するマリアをヨハネは目撃します。悪魔はヘロデを使って神様の御子とその母親を殺そうとしましたが、神様はそれを許しませんでした。イエス様が天に上りもう手が出せなくなると、悪魔は怒りをぶつける対象を変更しました。今その怒りは神様に属する人々に向けられています。教会が誕生してまもない頃のキリスト信仰者はとりわけこの怒りを極めて残酷なやりかたで経験することになりました。彼らは迫害され、投獄され、井戸に投げ込まれ、ライオンの前に引っ張り出されました。このようなことが起こったのは、キリスト信仰者が神様の御言葉を守ってイエス様への信仰を公に告白したからにほかなりません。17節の終わりで言われている通りです。

 この章の終わりにはおそろしいことを語られています。しかしそれを外側から包むようにして、神様に属する人々を励まし慰める内容も書かれています。悪魔の活動はそれを神様が許可されるかどうかによって左右されます。悪魔は自分勝手には活動できないのです。とりわけこのことは悪魔が神様に属する人々を襲う時に当てはまります。このことを覚えておけば、いかなる場合でも慌てる必要などないことがわかります。神様は私たちの面倒を見てくださるからです。そして私たちの上に起こることは神様が容認されたことだけだからです。