ヘブライの信徒への手紙

執筆者: 
パシ・フヤネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

イエス・キリストは旧約聖書の預言の成就である

「ヘブライの信徒への手紙」ガイドブック


  • フィンランド語版のテキストを適度に編集した上で日本語に翻訳しています。
  • 日本語版では聖書の原語(ギリシア語やヘブライ語)に関する記述について補足説明を加えてあります。
  • 聖書の引用は口語訳によっています。
  • 例えば「3章4節」のように書名のない引用箇所は「ヘブライの信徒への手紙」からのものです。


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導入部

「ヘブライの信徒への手紙」の文章は新約聖書の中で最も読みにくいという印象を受けるキリスト信仰者は多いようです。この手紙は旧約聖書のいけにえの捧げ物について何度も記述していますが、それがキリスト信仰者の生き方とどのような関わりがあるのか不思議に思う人もいることでしょう。

「ヘブライの信徒への手紙」は旧約聖書を深く研究した文書です。その内容を表面的な考察だけで理解することはできません。旧約聖書の神殿礼拝に関する知識がなければこの手紙を理解するのはほぼ不可能です。「ヘブライの信徒への手紙」は最初のキリスト信仰者たちが旧約聖書をどのように解釈していたのかを私たちに示しています。旧約聖書と新約聖書の間の密接な連関は今日でもこの礎の上に築くことができます。

知られざる神学者

「ヘブライの信徒への手紙」の執筆者が誰かは知られていません。新約聖書の他の文書はすべて使徒(あるいは使徒の弟子)がその執筆者であったとわかりますが、この「ヘブライの信徒への手紙」だけはその点で例外です。西暦200年代に東方の教会ではパウロが「ヘブライの信徒への手紙」の執筆者とみなされるようになりました。この見解は西方の教会でも300年代には承認されるようになります。その影響もあって翻訳聖書によっては「ヘブライの信徒へのパウロの手紙」という表現が使用されている場合があります(例えばKing James Version)。

ところが宗教改革の時代になると「ヘブライの信徒への手紙」の執筆者はパウロではないという見解が強まりました。例えばロッテルダムのエラスムスは言語学的な分析に基づいてローマのクレメンスが真の執筆者だったのではないかと推定しています。それに対してマルティン・ルターはアポロが「ヘブライの信徒への手紙」の執筆者であったとみなしました。その他にもシラス、ルカ、バルナバなどがこの手紙の執筆者であったとする説も提案されています。

「ヘブライの信徒への手紙」の執筆者はパウロに近しいグループに属していました。というのは「ヘブライの信徒への手紙」13章23節には「わたしたちの兄弟テモテがゆるされたことを、お知らせする。もし彼が早く来れば、彼と一緒にわたしはあなたがたに会えるだろう。」と書かれているからです。このテモテはパウロにとって最も近しい同僚の一人でした。

「ヘブライの信徒への手紙」のギリシア語は新約聖書全体を通じて最良のものであるとも言われています。このことからもわかるように、おそらくこの手紙の執筆者は当時のエジプトの文化的な中心地であったアレキサンデリヤで学んだことのある教養人だったのではないかと思われます。また旧約聖書の内容を知悉していることから執筆者がユダヤ人であった可能性もあります。新約聖書自体まだ存在していなかった当時はキリスト教徒もユダヤ教徒と同じように旧約聖書をよく読んでいました。

「ヘブライの信徒への手紙」の執筆者はイエス様の直接の弟子ではなく第二世代のキリスト信仰者だったことが次の引用箇所から伺えます。この人物は使徒たちから福音を聴いたと書いてあるからです。

「わたしたちは、こんなに尊い救をなおざりにしては、どうして報いをのがれることができようか。この救は、初め主によって語られたものであって、聞いた人々からわたしたちにあかしされ、」
(「ヘブライの信徒への手紙」2章3節、口語訳)

この箇所は次に引用する「ガラテアの信徒への手紙」におけるパウロの証とは対照的です。パウロは第一世代のキリスト信仰者であったことがこれからわかります。

「兄弟たちよ。あなたがたに、はっきり言っておく。わたしが宣べ伝えた福音は人間によるものではない。わたしは、それを人間から受けたのでも教えられたのでもなく、ただイエス・キリストの啓示によったのである。」
(「ガラテアの信徒への手紙」1章11〜12節、口語訳)

「ヘブライの信徒への手紙」の良質なギリシア語から判断して執筆者がルカであったと推定してもおかしくはありません。しかしこの手紙の文体は「ルカによる福音書」や「使徒言行録」のとは異なっています。

「ヘブライの信徒への手紙」の執筆者はアレキサンデリヤ(アレクサンドリア)仕込みの教養と旧約聖書についての深い知識をもっていました。これらはアポロにも当てはまる特徴です。

「さて、アレキサンデリヤ生れで、聖書に精通し、しかも、雄弁なアポロというユダヤ人が、エペソにきた。」
(「使徒言行録」18章24節、口語訳)

「ヘブライの信徒への手紙」の執筆者はバルナバであったとする主張も古くからあります。西暦約200年頃に教父テルトゥリアヌスはそのように考えました。「ヘブライの信徒への手紙」の末尾で執筆者は次のように述べています。

「兄弟たちよ。どうかわたしの勧めの言葉を受けいれてほしい。わたしは、ただ手みじかに書いたのだから。」
(「ヘブライの信徒への手紙」13章22節、口語訳)

また「使徒言行録」はバルナバについて「クプロ生れのレビ人で、使徒たちにバルナバ(「慰めの子」との意)と呼ばれていたヨセフ」(口語訳)と述べています。上述の両方の箇所では「勧め」と「慰め」を意味する同じ言葉(ギリシア語で「パラクレーシス」)が用いられています。そしてユダヤ教の神殿祭司の家系に属するレビ人であったバルナバが旧約聖書の神殿礼拝の規則一般に通暁していたのは確実です。

ローマのクレメンスは「ヘブライの信徒への手紙」を自分の手紙(「クレメンスの第一の手紙」)に引用した最初の人物です。それは西暦95年頃のことでした。

結局のところ、私たちも教父オリゲネスが西暦200年頃に得た「誰がこの手紙を書いたのかは神様だけがご存知である」という結論で満足するほかなさそうです。

手紙の受け取り手は誰か?

「ヘブライの信徒への手紙」という手紙のタイトルは西暦100年代になって付けられたものです。

この手紙の受け取り手はユダヤ人キリスト教徒たちであったと伝統的には考えられています。この説の根拠となっているのは「ヘブライの信徒への手紙」という手紙のタイトルであり、さらにまたこの手紙は旧約聖書についての詳細な理解を前提としているということです。

しかし「ヘブライの信徒への」という意味をよく考えてみると、この手紙はエルサレムの初期の教会に送られたものと推定するのが自然です。なぜなら「ヘブライ人」とはアラム語を母国語とするユダヤ人のことであり、彼らはエルサレム周辺以外にはほとんどいなかったからです。にもかかわらずこの手紙がエルサレムの教会宛であったとは考えられません。「ヘブライの信徒への手紙」6章10節はこの手紙の受け取り手たちがかつて聖徒に仕え、今もなお仕えて、御名のために愛を示したと記しているからです。それに対してエルサレムの教会は他の諸教会のキリスト

信仰者たちから経済援助を受ける側でした。また「ヘブライの信徒への手紙」2章3節はこの手紙の受け取り手たちが主イエス様から教えを直接には聴いていなかったと述べていますが、エルサレムの教会にはイエス様の直接の弟子たちがいたのです。さらに「ヘブライの信徒への手紙」10章32〜34節はこの手紙の受け取り手たちが実際に体験した迫害の内容について具体的に述べています。これもエルサレムの教会にはそぐわない点です。

この手紙の受け取り手はエルサレム以外のどこかに住んでいたユダヤ人キリスト信仰者たちだったという可能性も考えられます。しかしこの手紙には手紙の受け取り手たちが元々は異邦人であったことを示唆する箇所があります。「ヘブライの信徒への手紙」6章1節には「死んだ行いの悔改めと神への信仰」という記述があり、9章14節にも「キリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者」とすると書いてあります。これらの箇所は手紙の受け取り手たちが異教からキリスト教に改宗した人々であったことを示唆しています。とはいえ「死んだわざ」はユダヤ教の律法に沿った正しい行いをすることを意味していると解釈することも可能です。またこの手紙の執筆者は福音のメッセージの受け取り手としてユダヤ人キリスト信仰者と異邦人キリスト信仰者という二種類の読者層を想定していると考えることもできます。

「ヘブライの信徒への手紙」の終わりには「イタリヤからきた人々」が手紙の受け取り手たちに挨拶を送ったと記されています(13章24節)。そしてこの手紙を最初に自分の手紙に引用したのは使徒教父の一人であるローマのクレメンスでした。これらを根拠とする場合には「ヘブライの信徒への手紙」はローマに宛ての手紙であったという結論が出てきます。しかも当時のローマにはユダヤ人キリスト信仰者も異邦人キリスト信仰者も住んでいました。

今まで検討してきた手紙の複数の箇所に加えて「ヘブライの信徒への手紙」13章19節と23節も、この手紙がキリスト信仰者のある特定のグループに宛てて書かれたものであり、例えばすべてのユダヤ人キリスト信仰者に向けて書かれたものではないことを示唆しています。手紙を受け取ったグループはどこかの大きな教会の中の一部の人々だけであったと推定する研究者たちもいます。たしかに「ヘブライの信徒への手紙」10章25節は、手紙の受け取り手たちの所属する教会には礼拝などの集会への参加を意図的に避ける一部の会員がいたと述べています。

「ヘブライの信徒への手紙」の書かれた状況

「ヘブライの信徒への手紙」はいけにえを捧げる儀式に度々言及しています。しかしここで注意すべきなのは、この捧げ物の儀式は旧約聖書の儀式についてであってエルサレム神殿における儀式についてではないという点です。「ヘブライの信徒への手紙」10章1〜3節はエルサレム神殿がまだ存在していることを示唆しているという説もありますが、エルサレム神殿が破壊されてから20年以上も経った90年代になってもローマのクレメンスがエルサレム神殿についてそれがいまだに存在しているかのような書き方をしていることからもわかるように、この説は手紙の執筆時期を決定する手がかりにはなりません。

ともあれこの手紙は西暦95年以前に書かれたものであるのはたしかです。なぜならクレメンスがこの手紙を「クレメンスの第一の手紙」(西暦96年頃成立)で引用しているからです。

この手紙には西暦70年に起きたエルサレム神殿の破壊についての言及がありません。しかしこのことは手紙の執筆時期を特定するのには役立ちません。ただし「ヘブライの信徒への手紙」10章32〜34節に書かれている迫害はローマ皇帝ネロによって西暦60年代半ばに実行された迫害を示唆していると考えることはできます。

この手紙が書かれた時期を特定しようとしても「60年代から80年代まで」という大まかな結論で満足するほかなさそうです。

迫害下にあるキリスト信仰者たちが信仰を失わないよう勇気づけるためにこの手紙が書かれたのはまちがいありません。迫害時にユダヤ人キリスト信仰者の一部はユダヤ教に逆戻りしてしまったものと思われます。ユダヤ教は当時のローマ帝国によって保護を受けていたからです。

キリスト教信仰を棄てようかどうか迷っている人々がいったい何を棄てようとしているのかを「ヘブライの信徒への手紙」は彼らに思い起こさせようとしています。たしかにキリスト教信仰を棄てればこの世での生活は一時的には楽になるでしょう。しかしもしそうした場合には、永遠の世界での生活はどうなってしまうのでしょうか。「ヘブライの信徒への手紙」は次のように警告しています。

「モーセの律法を無視する者が、あわれみを受けることなしに、二、三の人の証言に基いて死刑に処せられるとすれば、神の子を踏みつけ、自分がきよめられた契約の血を汚れたものとし、さらに恵みの御霊を侮る者は、どんなにか重い刑罰に価することであろう。「復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と言われ、また「主はその民をさばかれる」と言われたかたを、わたしたちは知っている。生ける神のみ手のうちに落ちるのは、恐ろしいことである。」
(「ヘブライの信徒への手紙」10章28〜31節、口語訳)

手紙かそれとも説教か?

「ヘブライの信徒への手紙」は普通の手紙のようには始まりません。はたしてこれは手紙の最初の部分が紛失してしまったためなのでしょうか。それとも手紙らしい始まりなど元からなかったのでしょうか。しかし現行聖書に収められているこの手紙の始まりの部分は「文書」の始まりとしてみれば適切なものであると言えます。その一方で、この手紙の終わりは当時の一般的な手紙の書法に則っています。また例えば「ヘブライの信徒への手紙」5章11節〜6章12節および10章32〜34節などは「手紙」としての体裁にふさわしい箇所です。

「ヘブライの信徒への手紙」を「手紙」としてではなく「書かれた説教」として考える研究者たちもいます。しかし両者の間にある相違点は些細なものです。たとえ「ヘブライの信徒への手紙」が「書かれた説教」であったとしても、それは「手紙」として送られたものでした。この手紙が説教であるという説を裏付ける根拠として次の「ヘブライの信徒への手紙」の箇所が提示されることがあります。

「兄弟たちよ。どうかわたしの勧めの言葉を受けいれてほしい。わたしは、ただ手みじかに書いたのだから。」
(「ヘブライの信徒への手紙」13章22節、口語訳)

上節ではこの手紙を「勧めの言葉」とみなしています。これと同じ表現はユダヤ教の会堂での説教についても用いられていました。次の箇所に出てくる「奨励の言葉」がそれです。どちらも新約聖書ギリシア語では「ロゴス・パラクレーセオース」と言います。

「律法と預言書の朗読があったのち、会堂司たちが彼らのところに人をつかわして、「兄弟たちよ、もしあなたがたのうち、どなたか、この人々に何か奨励の言葉がありましたら、どうぞお話し下さい」と言わせた。」
(「「使徒言行録」」13章15節、口語訳)

キーワードとなるテーマ

新約聖書に含まれているパウロの手紙は次のような構成になっています。

1)はじめの挨拶
2)教えの部
3)奨励の部
4)おわりの挨拶

それに対して「ヘブライの信徒への手紙」では教えと奨励とが互いに重なり合っているため、この手紙をいくつかの部分に明確に分類することはパウロの手紙の場合よりもはるかに困難になります。

この手紙の主な教えは次の二点に集約できます。
1)神様の御言葉と啓示についての教え 1〜6章、11〜13章
2)イエス様の御業についての教え「なぜ神様は人とならなければならなかったのか?」 7〜10章

この手紙には五つの警告があります。
1)2章1〜4節 異端に陥って神様の裁きを受けることにならないようにしなさい!
2)3章7〜19節 活きておられる神様から離れないようにしっかりと信仰に留まりなさい!
3)6章1〜20節 弱気にならず、忍耐強く神様の約束なさったことが成就するのを待ち続けなさい!
4)10章19〜39節 教会に集まることを軽んじないようにしなさい!
5)12章25〜29節 救いに背を向けないようにしなさい!

「ヘブライの信徒への手紙」は神様から離れていった元信仰者たちが神様の御許にふたたび戻る可能性はかなり低いとみています。旧約の時代のイスラエルの民は神様に背いた結果、イエス様をメシア、救い主、神様の御子として受け入れることができなくなりました。まして新約の時代を生きている私たちが神様と人との間の「新しい契約の仲保者」(「ヘブライの信徒への手紙」9章15節)であられるイエス様を拒絶するならば神様の御許に戻ることはもはや不可能になります。

「ヘブライの信徒への手紙」は旧約聖書の解釈や説明とみなすことができます。以下の例からもそれがわかるでしょう。
1)2章の背景には「詩篇」8篇がある
2)3〜4章の背景には「詩篇」95篇がある
3)5章と7章の背景には「詩篇」110篇がある
4)5〜7章の背景には「創世記」14章がある
5)8章の背景には「エレミヤ書」31章がある
6)10章の背景には「詩篇」40篇がある

この手紙の執筆者は人が旧約聖書にある福音のメッセージを受け入れるには信仰によるほかないことを明確に理解しています。神様の御言葉は活きており力があります(「ヘブライの信徒への手紙」4章12節)。

この手紙にはイエス様について実に20以上もの尊称あるいはそれに準ずる表現が用いられています。 1)1章2節 御子
2)1章6節 長子
3)2章10節 救の君
4)2章10節 多くの子らを栄光に導く
5)2章11節 きよめるかた
6)2章17節 あわれみ深い忠実な大祭司
7)3章1節 わたしたちが告白する信仰の使者また大祭司
8)5章6節 メルキゼデクに等しい祭司
9)9章15節 新しい契約の仲保者
等々。

「ヘブライの信徒への手紙」は古い契約と新しい契約を互いに比較した上で新約は旧約よりも多くの点で(実はすべての点において)優れていると宣言します。

1)1章4節 さらに優れた名前
「御子は、その受け継がれた名が御使たちの名にまさっている」

2)7章19節 さらに優れた希望
「さらにすぐれた望みが現れてきて、わたしたちを神に近づかせるのである」

3)7章22節 さらに優れた契約
「イエスは更にすぐれた契約の保証となられたのである」

4)8章6節 さらに優れた祭司職
「キリストは、はるかにすぐれた務を得られたのである」

5)9章23節 さらに優れたいけにえ
「天にあるものは、これらより更にすぐれたいけにえで、きよめられねばならない」

6)10章23節 さらに優れた約束
「約束をして下さったのは忠実なかたである」

7)11章35節 さらに優れた復活
「ほかの者は、更にまさったいのちによみがえるために、拷問の苦しみに甘んじ、放免されることを願わなかった」

8)12章24節 さらに優れた血
「アベルの血よりも力強く語るそそがれた血である」

等々。

「ヘブライの信徒への手紙」は四つの福音書のイエス様についての記述を引用せず、何か別の口伝か文書による伝承を利用しています。にもかかわらずこの手紙が描き出すイエス様は福音書のと同一のものです。イエス様は私たちのために死に私たちのために復活された救い主、神様の御子です。イエス様について聖書的に正しいイメージをもつことは私たちにとってとても大切です。「どのようなイエス様に従っていくのか」ということは些細な問題ではありません。聖書は私たちの目の前にただひとつのイエス様の姿を描き出します。十字架で死に三日目に復活されたイエス様です。復活したイエス様は御自分が十字架にかかったときに受けた傷跡を弟子たちにお見せになりました。これが真のイエス様のしるしでした。

「その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。」
(「ヨハネによる福音書」20章19〜20節、口語訳)