フィレモンへの手紙

執筆者: 
ヤリ・ランキネン(フィンランドルーテル福音協会、牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

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聖書講座(フィンランド・ルーテル福音協会提供)
聖書の箇所の引用は原則として日本聖書協会口語訳によっています。


「フィレモンへの手紙」ガイドブック

はじめに

「フィレモンへの手紙」は、友人であり信仰の兄弟でもあるフィレモン(口語訳では「ピレモン」)に宛てて使徒パウロが書き送った個人的な手紙です。この短い手紙は一つの問題に焦点を絞っています。当時、「イエス・キリストについての福音を周囲に喧伝した」、といった類の「罪状」により投獄されていた使徒パウロのもとを、オネシモという名の奴隷が訪れました。この奴隷はパウロの友人であるフィレモンの所有するものでした。オネシモは主人に無許可で勝手に家を出立してから、逃避行を続けていました。もしかしたら、オネシモは自由の身になりたくて、主人の家を逃げ出したのかもしれません。あるいは、フィレモンになんらかの損害を与えてしまったために主人から逃げ回っていた、というのも考えられます。

ローマ帝国の領域内において自分の主人の許可なしにあちこち勝手に動き回る奴隷は、安全とはほど遠い状況に置かれていました。その奴隷はいつ捕まって主人のもとに送還されてもおかしくはなかったし、主人は自分が所有する奴隷に対してどのような処置を下すかを決める無制限の権利をもっていたからです。主人は自ら適切と判断した手段によって逃亡奴隷に懲罰を加える場合がありました。また、逃亡奴隷を売却したり、最悪の場合には、逃亡を企てる他の奴隷たちの見せしめとして死刑にしたりする主人さえいました。

パウロのもとを訪れたオネシモには、あるひとつの考えが浮かんでいたのではないでしょうか。使徒パウロに推薦の手紙を書いてもらい、その推薦状をあてにして自分の主人のもとに帰れるようになりたい、というのがオネシモの切なる願いでした。当時のローマ帝国では実際にこのようなケースがよく見受けられたようです。たとえば、主人のもとを逃げ出した奴隷や、主人に損害を与えてしまった奴隷が、主人の友人を訪ね、主人が自分をふたたび受け入れてくれるように推薦状の執筆を懇願する、といったケースです。実際に、主人の家に戻った奴隷がその推薦状のおかげで懲罰を受けずに済む場合もありました。

オネシモがほかでもなくパウロのもとに行こうという考えを起こしたのがどうしてだったのか、私たちは知りません。オネシモは主人がパウロについて特別な敬意を込めて話すのを聞いたことがあったのかもしれません。それで、オネシモはほかでもなくパウロから、彼が罰を受けずにすむように主人を説得する手紙を書いてくれることを期待したのかもしれません。

しかし、オネシモの訪問を受けたパウロは、オネシモの「この世的な願い」をかなえることだけでは満足しませんでした。使徒はこの奴隷が抱える極めて深刻な問題を見抜いたのです。オネシモは不信仰な生活を送っており、そのせいで永遠の滅びへと向かっていました。そして、これは主人の怒りを招いた失敗よりもはるかに重大な問題です。パウロはオネシモにイエス様について語りました。そして、牢獄の中においても聖霊様が福音を通して働きかけて、信仰を生み出し、オネシモをキリスト信仰者にしてくださったのです。

この新しい信仰者を、パウロは彼の主人のもとに返すことにしました。「フィレモンへの手紙」は、主人のもとに帰ろうとしている奴隷にパウロが携えさせた「推薦状」です。この手紙のなかでパウロはフィレモンに、オネシモを「愛すべき信仰の兄弟」として扱うように懇請しています。

パウロがこの手紙を獄中から書いたのは確実です。しかし、手紙の執筆された都市がどこであるかは、はっきりしません。パウロは少なくともエフェソ、カイザリア、ローマという諸都市で投獄されたことがあるからです。この手紙はローマから書き送られたものである、というのが伝統的な解釈です。しかし、手紙の執筆された可能性が高い都市はエフェソだと推定されます。その理由について、これから述べてみます。

フィレモンがどこに住んでいたのかを確実に知ることはできません。しかし、フィレモンがコロサイに居住した時期があったらしいことは推測できます。パウロの書いた「コロサイの信徒への手紙」には「オネシモ」という名のキリスト信仰者が登場し、コロサイの住人であったことが記されています(「コロサイの信徒への手紙」4章9節)。これは、オネシモが仕えていた主人フィレモンが、オネシモと同じくコロサイに住んでいたことの証拠であるとも考えられます。ただし、これもまったく確実とは言えません。手紙が書かれた当時の世界において、「オネシモ」というのはかなり一般的な名前だったからです。ですから、「コロサイの信徒への手紙」に登場するオネシモが「フィレモンへの手紙」でのオネシモとはまったく別の人物である可能性も残っています。しかし、もしもフィレモンがコロサイに住んでいたのであれば、パウロがこの手紙を書いて送ったのはエフェソからであった可能性が高いと言えます。オネシモがコロサイから出発して、たとえばローマまで逃避行を続けたとは考えにくいからです。コロサイからエフェソまでなら、小アジアの陸路を歩いて行けばたどりつけます。ところが、コロサイからローマまでとなると長大な船旅が必要になります。そして、主人の許可なく放浪している奴隷がこのような大旅行を決行するのは容易ではなかったはずです。

「オネシモ」という名の人物は、少し後の時代のキリスト教文献にも登場します。アンティオキアの教会長(ビショップ)であったイグナティオスは、西暦約100年頃に書いた手紙において、エフェソの教会長(ビショップ)の名前が「オネシモ」であったと記しています。はたしてこの人物がパウロのいた牢獄においてキリスト信仰者になった奴隷と同一人物であるかどうか、私たちは知りません。しかし、これはありえないこととも言えません。「主人のもとを逃げ出した奴隷が後に教会の責任者になった」というこの仮説は、年代的には整合しています。パウロがフィレモンにこの手紙を書き送ったのは西暦約60年頃と推定されています。もしもその頃のオネシモが20歳くらいであったとするならば、西暦100年頃の彼は60歳前後だったことになります。そして、これは教会長としては少しもおかしくない年齢です。

「フィレモンへの手紙」は個人宛の手紙という体裁をとっています。しかし他方では、この手紙は教会全体に向けられた公開書簡であるとも言えます。そしてまた、この手紙は現代の私たちが読むのを意図して書かれたものでもあります。だからこそ、この手紙は聖書の中に収められているのです。そう、この手紙には、神様が私たちにぜひとも伝えたい多くの大切なメッセージが記されているのです。

はじめの挨拶 1〜3節

ほかのパウロの手紙と同じように、「フィレモンへの手紙」は三部構成の挨拶ではじまっています。手紙の差出人としてはパウロとテモテの名が挙げられています。手紙を通読してみるとわかるように、事実上の書き手はパウロでした。それでも、使徒パウロはこのはじめの挨拶にテモテと彼の名前を並記しました。それは、テモテがパウロにとって深く信頼できる大切な同労者であったからです。またそれは、この手紙の執筆時期にテモテが使徒パウロのもとに滞在中であったことも示唆しています。さらに、パウロ自身がこの手紙を書いたことの「証人」としてテモテの名が付記されているという意味合いもあるでしょう。

すべての手紙において、パウロは自らの使命と地位について、すでにはじめの挨拶において明示しています。この「フィレモンへの手紙」のはじめの挨拶においてパウロが語っている内容は、執筆時に彼がどこに滞在していたか、という情報を与えてくれます。さらに、使徒自身と手紙の受け取り手との間柄も、この手紙は明らかにしてくれます。冒頭1節目で、パウロは自らのことを「キリスト・イエスの囚人」であると呼んでいます。この表現は、当時の彼がイエス様のゆえに投獄されていたことも表しています。差出人パウロと受取人フィレモンの間柄は良好であったことが手紙からはうかがえます。自分が「使徒」という地位と権能を有していることを、パウロはフィレモンに対してことさらに強調する必要はありませんでした。彼に対してフィレモンが以前にも従順だったことをパウロは覚えているからです。

この手紙の直接の受取人として想定されているのはフィレモンです。彼について詳しいことはわかっていません。それでも、彼が比較的裕福なキリスト信仰者であったことは容易に想像できます。彼は奴隷を所有しており、キリスト信仰者の集会場所として使用できるような大きな家屋をもっていたからです。パウロはフィレモンを「同労者」(ギリシア語で「シュネルゴス」)と呼んでいます。この表現からわかるように、フィレモンは教会における特別な任務に従事していたのです。

この手紙では、フィレモンのほかにも二人の人物の名が挙がっています。彼らのうちで、アピヤはフィレモンの妻、アルキポは彼の息子のことを指していると思われます。新約聖書に収められているパウロの「コロサイの信徒への手紙」には、「アルキポに、「主にあって受けた務をよく果すように」と伝えてほしい。」(4章17節、口語訳)という一節があります。教会の職務を委ねられているこの人物は、「フィレモンへの手紙」に登場するアルキポとおそらく同一人物であると思われます。パウロはアルキポが彼とテモテにとって「戦友」(ギリシア語で「シュストラティオーテース」)であると言っています。この表現もまた、アルキポが教会における特別な職務を委ねられた人物であったことをうかがわせます。

手紙の受取人には、今まで名前がでてきた三人のほかに、フィレモンの家庭集会のキリスト信仰者の群れ(教会)も含まれています。このことからわかるように、「フィレモンへの手紙」はたんなる私信ではなく、フィレモンの家に集う信仰者全員に読まれることをあらかじめ想定した公開書簡だったのです。フィレモンは自宅を教会の集会所として開放しました。はじめの数百年の間、各地に点在していたキリスト教会では、教会員の誰かの家に集まって礼拝するのが一般的でした。壮麗な教会建造物が出現するようになるのは、おびただしいキリスト教徒殉教者を生んだ幾多のすさまじい迫害が終焉した後、ようやく西暦300年代になってからのことです。

「フィレモンへの手紙」のはじめの挨拶を閉じるにあたり、パウロは恵みと平和とを手紙の受取人全員(「あなたがた」)に願っています。父なる神様と子なるイエス様こそが、この恵みと平和の終わりなき源泉になっています。

感謝の祈り 4〜7節

「はじめの挨拶」の次には「感謝の祈り」が続きます。フィレモンを通してなされたすべての善い行いについて、パウロは神様に感謝を捧げています。フィレモンの愛と信仰は模範的と言えるものでした。しかし、このことについて真っ先に感謝を受けるべきなのはフィレモンではなく、神様です。なぜなら、神様こそがフィレモンにイエス様への信仰を与えてくださったからです。信仰に加えて、主なる神様はフィレモンに愛をも与えてくださいました。「フィレモン、あなたはイエス様を愛している」、とパウロは断言します。それがわかるのは、イエス様への愛がフィレモンの生き方に正しいありかたで反映されているからです。すなわち、フィレモンはほかのキリスト信仰者たちに対してキリスト信仰者としての愛を示したのです。パウロとフィレモンの間には一致した信仰があり、彼らの信仰告白は同一のものです。

「どうか、あなたの信仰の交わりが強められて、わたしたちの間でキリストのためになされているすべての良いことが、知られて来るようになってほしい。」
(「フィレモンへの手紙」6節、口語訳)

この6節の終わりの部分はそれほどわかりやすいものではありません。察するに、イエス様が私たち人間のために行ってくださった御業の意味をフィレモンがよりいっそう深く理解していくように、とパウロはここで祈っているのではないでしょうか。イエス様がどれほど深くフィレモンのことを愛してくださっているのか、よりいっそうわかるようになればなるほど、フィレモンは隣り人たちのことをもより深く愛することができるようになるはずです。

「兄弟よ。わたしは、あなたの愛によって多くの喜びと慰めとを与えられた。聖徒たちの心が、あなたによって力づけられたからである。」
(「フィレモンへの手紙」7節、口語訳)

この節においてパウロは友人に対してごく個人的に語りかけています。フィレモンは信仰の兄弟姉妹に対して数々の素晴らしいことを行いました。たくさんのキリスト信仰者がフィレモンのもとで慰めと新たな力とを得たのです。この「よき知らせ」を伝え聞いた使徒パウロは大いに喜びました。フィレモンが行った善い行いの具体的な内容について私たちはよく知りません。それとは対照的に、フィレモン本人はもちろんのこと、彼の家に集合していた教会の信仰者たちは、パウロがここで何について言っているのか、知っていたのは確実です。

フィレモンがほかのキリスト信仰者たちに示した、キリスト信仰者としての愛の行いについて、パウロは礼儀を守り委曲を尽して書き記しています。こういった使徒の書き方は大げさすぎるのではないか、という批判は適切ではないでしょう。確かにフィレモンはパウロが書いたとおりのことを行ったと思われるからです。またこの箇所では、パウロが「ある特定の意図」を念頭に置いてこの手紙を巧みに書き進めている点にも注目するべきです。フィレモンの示してきた「兄弟愛」について言及することで、使徒パウロは次のような「ある頼み事」をフィレモンにとって承諾しやすいものとするために下準備をしている、という言いかたもできるでしょう。

オネシモの事件 8〜22節

パウロは「キリストの使徒」です。ですから、彼は「使徒の権能」をもって命令を下し、自分の思惑通りにフィレモンが行うように強いることもできたはずです。ところが、彼はそのようにはしませんでした。それどころか、彼は使徒としての願いを叶えてくれるように、と自分の友人に謙虚な態度で懇願しています。このように、パウロはフィレモンに対して命令するような横柄な態度をとりません。使徒パウロとフィレモンの間の関係は強制に基づくべきものではなく、キリスト信仰者としての愛に基づくべきものだからである、とパウロ説明します。

「むしろ、愛のゆえにお願いする。すでに老年になり、今またキリスト・イエスの囚人となっているこのパウロが」
(「フィレモンへの手紙」9節、口語訳)

このように、パウロは自分のことを偉大な宗教的指導者としてではなく、白髪の混じった囚人として提示します。この手紙の書かれた「ある目的」を達成するためには、年老いた使徒からの懇願のほうが上からの絶対的な命令よりもはるかに功を奏したのはまちがいありません。

ある時、フィレモンの家から「オネシモ」という名の奴隷が逃げ出して、そのまま行方不明になりました。それから、この奴隷はパウロのもとにたどりつき、そこでの滞在中にキリスト信仰者になりました。以前のオネシモは奴隷として失格であったことをパウロは認めています。自分の主人のもとから逃亡したことからも、それは明らかです。しかし、今は状況が変わりました。オネシモはキリスト信仰者になり、パウロにとって愛すべき信仰の兄弟となったのです。

使徒はオネシモを自分の友人でもある彼の主人のもとに送り返すことにしました。フィレモンがもともと所有していた奴隷であるオネシモのことを、あたかもフィレモンのもとを訪れる使徒パウロ自身であるかのように待遇してくれることを、パウロは懇願しています。オネシモは自分をフィレモンのもとに派遣してくれたパウロその人を「代表する立場」にあるとも言えます。だからこそフィレモンは、パウロの来訪を心から歓迎するのとまったく同じ態度をもってオネシモの帰還のことも心から喜ぶべきなのです。

オネシモは獄中にいたパウロに仕えました。フィレモンがパウロのためにできなかったことをオネシモが代行してくれたのだ、という使徒パウロのフィレモンへの語りかけはとても巧みです。オネシモは囚人パウロにとって大いに役立つ存在となっていました。しかし、ほかの主人の奴隷が主人の許可なく彼のもとに留まりつづけることを使徒パウロは望みませんでした。ここでふたたびパウロの謙虚な態度が読者に伝わってきます。パウロは自分にとって好ましいことを行うようにフィレモンを強制したいとは望まないのです。

「彼は以前は、あなたにとって無益な者であったが、今は、あなたにも、わたしにも、有益な者になった。」
(「フィレモンへの手紙」11節、口語訳)

これからも世話してもらうことを期待してオネシモを自分のもとにできるだけ早く送り返してくれるよう、ここでパウロはフィレモンに言葉を慎重に選びつつお願いしているのだろう、などといった余計な想像を巡らす必要はまったくありません。パウロはただ、オネシモが彼にとってどれほど愛すべき存在であり、また役に立つ存在となったか、ということを伝えたいだけなのです。オネシモはキリストのよい従僕であり、年老いた使徒パウロは彼のことをできることなら自分のそばに留めておきたいと望んでいます。しかしながら、神様の示される人生の歩みは人間の目には不思議に映るものです。次にあげる15節はその感動的な例とも言えましょう。

「彼がしばらくの間あなたから離れていたのは、あなたが彼をいつまでも留めておくためであったかも知れない。」
(「フィレモンへの手紙」15節、口語訳)

驚くべきことに、オネシモがフィレモンの家を出て行かなければならなかったのは、彼がキリスト信仰者になるためだったのです!もしも彼がフィレモンの家にずっと留まっていたなら、彼はもしかしたら死ぬまで「神様の敵」として生き続けることになってしまったのかもしれません。

「しかも、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上のもの、愛する兄弟としてである。とりわけ、わたしにとってそうであるが、ましてあなたにとっては、肉においても、主にあっても、それ以上であろう。」
(「フィレモンへの手紙」16節、口語訳)

この16節は、オネシモが今やどのような存在になったのかを説明しています。以前の彼はただの奴隷にすぎませんでした。しかも悪い奴隷だったのです。ところが、今や彼はキリストにあって信仰の兄弟になりました。自分の主人と並んで永遠の命にあずかれる者とされたのです。

「そこで、もしわたしをあなたの信仰の友と思ってくれるなら、わたし同様に彼を受けいれてほしい。」
(「フィレモンへの手紙」17節、口語訳)

この節でパウロはもう一度フィレモンに対して、あたかも使徒パウロ自身を受け入れるかのようにしてオネシモのことを受け入れてくれるように懇願しています。

このガイドブックの「はじめに」のところで、オネシモがフィレモンのもとを去った理由として考えられうる二つの原因を提示しました。もしかしたら彼は奴隷の立場から解放されたくて主人のもとから逃亡したのかもしれません。あるいは、彼は何かよくないことをしでかして、そのせいで主人の前に出る勇気がなくなってしまったのかもしれません。逃げ出した際にオネシモが逃避行に必要となる金銭をフィレモンから掠めた、という可能性は大いにあるでしょう。主人を避けて逃げ回っているのだとしたら、オネシモはフィレモンに対してかなりの経済的損失を与えた可能性もあります。オネシモにはお金を主人に返還すべき手立てがないことを、パウロは知っていました。だからこそ、使徒パウロはオネシモの負債を彼が肩代わりすることをフィレモンに提案したのです。といってもこれは、パウロ自らオネシモの負債金額をフィレモンに支払う、という意味ではありません。囚人の身であるパウロにしたところで、大金を工面するあてなどなかったのですから。フィレモンはパウロに対してある「負債」がありました。それは、お金で量るにはあまりにも膨大な負債でした。かつてパウロはフィレモンに福音を宣べ伝えたことがあります。その福音によってフィレモンは神様の子どもとなり、天の御国を継ぐ者とされました。フィレモンが神様からいただいたこの信仰の賜物の圧倒的な素晴らしさにくらべれば、オネシモが掠めたかもしれない金額や、オネシモのせいで生じた損失などは、たとえそれがどれほど大きなものであったとしても、取るに足らないものになります。フィレモン自身の抱えていた「負債」とオネシモがフィレモンに対して抱えた負債とを較べてみるように、とパウロはフィレモンを促します。そうすることによって、フィレモンはオネシモの負債のことを快く忘れることができるようになるでしょうから。

フィレモンが多くのキリスト信仰者の心を励ましてきたことを、パウロは手紙のはじめでほめています。そして、今度は自分に対してそれと同じことをしてくれるように、とフィレモンに頼み込んでいます。囚人である使徒パウロが今必要としている「励まし」とは、主人フィレモンが奴隷オネシモを罰することなく再び受け入れてくれることです。フィレモンがオネシモに対してどのような態度で接するべきかについては、パウロは具体的に書いていません。これは、ほかならぬフィレモン自身が最良の方法を決めることができるはずだから、というパウロの深い信頼の表れです。

パウロは自分がもうすぐ牢獄から解放されると信じています。はたしてフィレモンは自分の依頼した通りにしてくれたかどうか、自ら様子を見に出向く気持ちもパウロにはあったのかもしれません。もう一つの理由としては、オネシモがパウロを通して神様からいただいた信仰に今もちゃんと留まり続けているかどうかを実際に彼にふたたび会って確認したかった、ということもあるでしょう。

おわりの挨拶 23〜25節

パウロのところにいた皆がそろって、フィレモンとその家に集まる教会員たちにおわりの挨拶を送っています。その人々の名前の多くは「コロサイの信徒への手紙」4章10〜14節にも登場します。たとえばエパフラスについて言えば、彼がパウロと同じく投獄中の身であったかどうか、断言はできませんが、おそらくそうだったのではないでしょうか。「わたしと共に捕われの身になっているエパフラス」(23節、口語訳)という表現からは、エパフラスが囚人パウロにとって親しい信仰の兄弟であり、「戦友」であった様子が伺えます。

「フィレモンへの手紙」はおわりの祝福の言葉で閉じられます。パウロはこの手紙の読者全員の上にイエス様の恵みがあることを祈り願います。


「フィレモンへの手紙」についての質問

パウロはこの手紙を通してフィレモンに接触を試みます。フィレモンの奴隷であるオネシモの件がこの手紙の中心的な話題になっています。使徒パウロは友人フィレモンがこの奴隷を懲罰なしにふたたび受け入れてくれることを懇願しています。この手紙からは、パウロがどれほど真剣にキリスト信仰者一人一人のことに心を砕いていたかが伝わってきます。

1)「フィレモンへの手紙」を三回通して読んでみてください。それからまず、パウロのこの手紙を読んだフィレモンがどのようなことを考えたか、推測してみてください。そして次に、使徒パウロの手紙の言葉を聞いたオネシモは何を思ったか、考えてみてください。最後に、パウロの手紙の内容を聞いたフィレモンのほかの奴隷たちがどのような感想を持ったか、想像してみてください。

2)イエス様が私たちのために何をしてくださったか、私たちは必要十分にわかっているのでしょうか。もしもよくわかっているとしたら、どのような結果が生まれるでしょうか。

3)「兄弟よ。わたしは、あなたの愛によって多くの喜びと慰めとを与えられた。聖徒たちの心が、あなたによって力づけられたからである。」(7節、口語訳)

フィレモンを通してキリスト信仰者たちの心が力づけられた、とパウロはこの節で書いています。ここで使徒はいったい何を伝えたいのでしょうか。私たちを通しても、ほかのキリスト信仰者たちの心が力づけられることがあるでしょうか。そのようになるために、私たちには何ができるでしょうか。

4)使徒として自分がもっている権能を、パウロはフィレモンに対してあえて行使しませんでした。私たちは、ほかの人々の益となるために自らの地位や権力をあえて利用しない心構えができていますか。

5)私たちはほかのキリスト信仰者たちについても心を砕いていますか。これは具体的にはどのような態度を指しているのでしょうか。正しい心配りと間違った心配の相違点について考えてみてください。

6)パウロのこの手紙を読んだ後、フィレモンはオネシモに対してどのような態度をとったと思いますか。あなたの導き出した答えを理由付きで説明してみてください。

7)私たちはほかの人々に対してその罪を赦す心構えができていますか。もしもほかの人の罪を赦すことが自分にとって何らかの損害をもたらす場合であっても、私たちは赦す心を保つことができるのでしょうか。どのようにしたら私たちは「ほかの人の罪を赦す」という姿勢を学ぶことができるのでしょうか。

おわりのメッセージ

「イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」 (「ヨハネによる福音書」14章6節、口語訳)

主はあたかも次のようにおっしゃりたいかのようです。 「私はあなたたちに対して忠実でありたいし、あなたたちのことを深い海を超えて死から永遠の命へ、この世と悪魔の帝国から天の父の御許へと連れて行きたいと強く願っています。だからこそ、私自身が道、真理、命であろうとするのです。私についてはそのような存在(道、真理、命)として呼称されるのが至当だからです。」
 ここで注目していただきたい。私の理解によれば、冒頭の御言葉は今も同様にキリストお一人のみを指しています。キリストは初めに道であり、次に真理であり、最後には命であられます。どのような場合にもキリストは「すべて」なのですから。初めも続きも最後もすべてふくめて私たちの救いなのです。キリストを初めの「石」として受け入れましょう。そして、この石を礎として次々とほかの石を積み重ねていきましょう。キリストは、天まで延びる梯子において最下段の横木であり、また真ん中の横木であり、さらに最上段の横木でもあります。この御言葉の核心にあるメッセージとは次のようなものです。
 「信仰を通してキリストにしっかり繋がりなさい。そうすれば、あなたは正しいやりかたで物事を始めることになります。キリストに自らの安全を求めなさい。そうすれば、正しいやりかたで人生を送ることができます。終わりまでキリストのうちに留まりなさい。そうすれば、あなたは救いの幸いに与ることができます。」 (マルティン・ルター)