テトスへの手紙

執筆者: 
パシ・フヤネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会、神学修士)

「テトスへの手紙」ガイドブック

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聖書の引用は原則として口語訳によっています。 引用箇所に章と節のみが記されている場合は「テトスへの手紙」からの引用です。 ただし「「コリントの信徒への第一の手紙」1章13節および3章2節」といった表記の場合にはどちらも「コリントの信徒への第一の手紙」からの引用です。 また日本語版では聖書の箇所を明示したり原語の文法的な補足説明を加えるなど日本の読者を考慮した編集がある程度なされています。


「テトスへの手紙」について

「テトスへの手紙」1章 異端との戦い
「テトスへの手紙」2章 教えと信仰生活
「テトスへの手紙」3章 この世で生きるキリスト信仰者として

テトスについて

テトスは新約聖書で13回その名が出てきます(「テトスへの手紙」1章4節、「コリントの信徒への第二の手紙」2章13節および7章6、13、14節および8章6、16、23節、12章18節(2回)、「ガラテアの信徒への手紙」2章1、3節、「テモテへの第二の手紙」4章10節)。しかし驚くべきことに「使徒言行録」には彼の名は一度も出てきません。これはテトスがルカの親戚だった(もしかしたら兄弟でさえあった)からではないかという推測もありますが、たんなる仮説であり確実なことは何も言えません。

テトスはギリシア人キリスト信仰者すなわち異邦人の背景を持つキリスト信仰者でした。ユダヤ人キリスト信仰者たちからの要求にもかかわらずパウロはテトスが割礼を受けることを断固拒否しました(「ガラテアの信徒への手紙」2章1〜4節)。それとは対照的に、パウロはテモテが割礼を受けることは承認しました(「使徒言行録」16章3節)。ユダヤ人の母親を持つテモテはユダヤ人とみなされたため、パウロは割礼を受けていないユダヤ人を自分の伝道グループに同行させることから生ずるであろうユダヤ人たちとの間の軋轢をできるかぎり避けたかったのです。ところがテモテとは異なりテトスは異邦人でした。パウロがエルサレムに赴いて使徒会議に参加した理由は、異邦人も割礼を受けるべきかどうかがそこで議論されることになっていたからです(「ガラテアの信徒への手紙」2章1節、「使徒言行録」15章1〜2節)。このことを踏まえると、テトスはいわば「テスト・ケース」であったことがわかります。もしもテトスが割礼を受けなければならないとしたら、他の異邦人キリスト信仰者も皆テトスと同じように割礼を受けなければならないことになります。しかしもしもテトスが割礼を受ける必要がないのなら、他の異邦人キリスト信仰者も割礼を受ける必要がないことになります。パウロはすでに40年代にはテトスと知り合っていました。テトスはシリヤのアンテオケのキリスト信仰者であり、おそらくパウロの伝道を通してキリスト信仰者になったものと思われます(1章4節)。

パウロはテトスをエフェソからコリントに派遣しました。その目的はコリント教会に生じた問題を解決することでした。その際おそらくテトスはいわゆる「涙の手紙」(「コリントの信徒への第二の手紙」2章3〜4、9節および7章8節で言及されている現存していない手紙)を携えていたものと思われます。テトスはコリント教会の混乱を収めることができましたが、コリントからの便りがなかったため心配したパウロはマケドニヤに赴いて(「コリントの信徒への第二の手紙」2章13節)テトスと再会し、コリントの教会についての朗報をようやく耳にしました。マケドニヤでパウロは「コリントの信徒への第二の手紙」を書き上げて、テトスをふたたびコリントに派遣します。その目的はエルサレム在住の貧しい信徒たちのために献金を集める計画を遂行させることでした(「コリントの信徒への第二の手紙」8章15節)。パウロはテトスを「わたしの仲間であり、あなたがたに対するわたしの協力者」と呼んでいます(「コリントの信徒への第二の手紙」8章23節)。

「テモテへの第二の手紙」4章10節によればテトスはダルマテヤに滞在したことがあります。

教父エウセビオスは著書「教会史」でテトスがクレテの初代の教会長となり、その地で高齢にて没したと述べています。

「テトスへの手紙」について

「テトスへの手紙」は「テモテへの第一の手紙」とよく似ています。パウロはアポロとゼナスがクレテに行こうとしていることを知って、テトスに教会の牧会に関する指示を送りました(3章13節)。パウロは「テモテへの第一の手紙」と「テトスへの手紙」をおそらく同じ時期にコリントかエフェソで書いています。「テモテへの第二の手紙」はそれらよりも後で書かれた「使徒の遺言」とでも呼べる手紙です。

ニコポリで越冬する予定を立てていたパウロはテトスが自分のところを訪れるようにするためにアルテマスかテキコをテトスの代理としてクレテに派遣するつもりでいました(3章12節)。「テモテへの第二の手紙」でパウロはテトスがダルマテヤに出発したと述べています(「テモテへの第二の手紙」4章10節)。これがテトスに関する聖書の最後の記述です。

クレテは不道徳さで悪名高い土地でした(1章10〜16節)。しかしパウロはテトスなら困難な状況も打開できるであろうと信頼していたようです。

2章11〜14節にはキリスト教の信仰がまとめられています。

次の節を含む3章4〜7節では洗礼と聖霊様との緊密な関係が明快に述べられています。洗礼において神様は私たちを救われたのです。

「わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである」
(「テトスへの手紙」3章5節、口語訳)