ローマの信徒への手紙

執筆者: 
エルッキ・コスケンニエミ(フィンランドルーテル福音協会、神学博士)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

これは「ローマの信徒への手紙」について短い説明を加えたガイドブックの日本語版です。 著者はエルッキ・コスケンニエミ牧師、神学博士です。 なお、日本語に訳すに当たり、内容の一部を変更あるいは補足しています。


はじめに

使徒パウロの記した「ローマの信徒への手紙」はルター派のキリスト信仰者にとって、聖書の中でもとりわけ愛着のある書物です。これはアウグスティヌスやルターなど、キリスト教会の偉大な教師たちを教え導いてきた、教会にとっての真の宝物です。この手紙は、キリストについての福音を基本的なところから上手にわかりやすく説明しています。ですから、この書物を一緒に学ぶのはとても喜ばしいことです。「ローマの信徒への手紙」はすっかり暗記してしまうほどよく学ぶべき書である、とも言われます。この手紙は聖書全体の中心的な書物であり、粒ぞろいの真珠の輪の中でも、ひときわ輝きを放っている素晴らしい真珠なのです。

パウロとローマのキリスト信仰者たち

ローマは当時の全世界の中心でした。そこには、遅かれ早かれあらゆる宗教が伝えられていきました。商人や船乗りたちがキリスト教を地中海沿岸の国々に伝え、ほどなくしてローマにも広げて行きました。パウロはローマの教会(信徒の群れ)の設立者ではありませんでした。 この手紙を書いた時点では、 まだ一度も彼は当地を訪れたことがなかったのです。ローマの教会の最初の頃の様子について、私たちはまったくといってよいほど何も知りません。教会の設立者が誰であったかも、知られていません。それでも、その歴史についてなにがしかのことは推測できます。

最初のペンテコステの日に、自分が異言を話し始めるという奇跡を経験した人々のうちの幾人かは、ローマからやって来た者たちであった、と記されています(「使徒言行録」2章10節)。「使徒言行録」6章9節では、奴隷の身分から解放された人々から構成されるシナゴーグ(ユダヤ人集会堂)についての記述があります。このシナゴーグにローマにいた大勢のユダヤ人のグループに属する人々も含まれていたのはたしかでしょう。さらに、歴史家スエトニウスは、ローマ皇帝クラウディウスが西暦49年に「クレストゥスの煽動に乗って」騒乱を起こしたユダヤ人たちをローマから追放した、と記しています。この「クレストゥス」は「キリスト」と同じように発音される言葉でした。それゆえ、この歴史家は事象を混乱して理解していたものと思われます。実のところ、ユダヤ人たちの起こした騒乱の原因にはキリストの福音がありました。そうすると、この福音は遅くとも西暦49年にはローマに伝えられていたことになります。しかも、実際にはそれよりも遥か早く、すでに30年代には伝わっていた可能性が大きいと思われます。

パウロはローマに住んでいたキリスト信仰者を何人も知っていたにもかかわらず、ローマの教会(信徒の群れ)については面識がありませんでした。当時、モーセの律法をめぐって従来の立場を守る人々と、自由な福音を代表する人々との間に、緊張が高まりつつありました。「ガラテアの信徒への手紙」や「コリントの信徒への手紙」はこの状況を明らかに反映しています。おそらくローマのキリスト信仰者たちは一つの教会を構成していたのではなく、多くの小さな集まりがあったものと思われます。そして、それらを最初の頃から指導していたのは、旧約聖書を知悉するユダヤ人たちであったと思われます。パウロはこの手紙で異邦人(非ユダヤ人)にもユダヤ人にも話しかけています。おそらく、ローマの教会(信徒の群れ)の基本的な特色は、キリスト教徒になったユダヤ人の考え方に沿ったものだったでしょう。彼らに対してパウロは、言葉を選びつつ穏やかな態度でこの手紙を書いています。「ガラテアの信徒への手紙」や「コリントの信徒への手紙」の場合とは異なり、パウロは「ローマの信徒への手紙」では、教会におけるキリスト教徒の正しくない振る舞いを取り扱う必要がありません。このため、パウロは手紙の読者の意見に耳を傾け、起こりうる反論に対しても落ち着いた態度で注意を喚起しています。パウロはローマのキリスト信仰者たちに、彼が異邦人に宣べ伝えている福音を紹介します。まさにこの特徴のために、「ローマの信徒への手紙」は私たちにとって真の意味でのパウロの遺言である、とも言えます。

「ローマの信徒への手紙」はいつ書かれたのでしょうか?

「ローマの信徒への手紙」において、使徒パウロは 地中海沿岸の北東部の地方ではもうすでに福音を宣べ伝えることができたと見ており、ローマとそこからさらにスペインでの伝道を計画しています(15章23〜28節)。ここからはっきりわかるのは、「ローマの信徒への手紙」は使徒パウロの伝道旅行のはじめの頃に書かれたものではない、ということです。この手紙でパウロはさらに、異邦人(非ユダヤ人)キリスト教徒の集めた寄付をエルサレムに運ぶ旨を述べています(15章25節)。つまり、この手紙が書かれたのは西暦55年か56年の春に彼が行った旅行の直前だった、ということになります。この旅行の始まりについては「使徒言行録」20章に述べられています。パウロはこの手紙をコリントで書いた可能性があります。彼はこの旅行の前にコリントに滞在していたからです(「使徒言行録」20章2節)。パウロはコリントの港町ケンクレアの教会のディアコニア(食事などを分けて人を助ける奉仕の仕事)をしていたフォイベのことをほめて、ローマの信徒たちに推薦しています(16章1節)。このこともまた、彼がコリントでこの手紙を書いたのではないか、という推測を裏付けています。

パウロがローマの信徒たちに手紙を書いた理由

パウロによれば、エルサレムへの旅は懸案を抱えたものでした。西暦48年か49年に開催された使徒会議で、パウロはユダヤ人キリスト教徒たちと一緒に伝道を行っていくことで合意しました。その時、彼は異邦人(ユダヤ人以外の民族)に福音を宣べ伝える使徒として選び分たれました。この福音は、「異邦人は、悔い改めて信仰に入る前に(割礼を受けて)ユダヤ人にならなければならない」、という前提条件を異邦人から要求しません。その一方でパウロは「貧しい人々のことを覚えること」を約束します。これは具体的には、ユダヤ人ではないキリスト信仰者たちは実際の愛の行い(たとえば経済的な援助)を通して、彼らがエルサレムにできた最初のキリスト教会と同じ群れに属していることを示すべきである、ということです。パウロはこの約束を守りました。彼が異邦人教会においてエルサレムの教会のために献金を集めることをどれほど重要視していたかは、彼の手紙からよくわかります。彼は各個教会の間に意見の対立があることを知っていました。ガラテアやコリントの教会では、大使徒たちの名を借りてパウロに反対する者たちが現れました。これは、エルサレムの使徒たちがパウロに反対して彼らの側を持っていた、ということなのでしょうか。パウロは集めた献金の運送を近しい助手たちにさえ任せようとはしませんでした。彼は自分でそれを携えて行って、「エルサレムの支柱」と称される教会責任者(使徒)たちが一緒に伝道していこうという姿勢を今も以前と変わらずに保っているかどうか、直接確かめようとしました。

パウロがローマに手紙を送ったのには二つの理由がありました。第一に、地中海の西部の、まだ福音が伝えられていない新たな宣教活動の地が彼の心を伝道へと駆り立てました。この地域での伝道の仕事のためには、ローマの信徒たちの支えが必要でした。第二に、ローマの信徒たちはエルサレムの教会と良好な関係にありました。それで、パウロはローマの信徒たちに連絡を取りたかったのでしょう。

ルターと「ローマの信徒への手紙」

よく知られているように、「ローマの信徒への手紙」はマルティン•ルターにとって特別な愛着のある書物でした。実にこの手紙こそが、ルターに純粋な福音の意味を知らせることになったのです。ルターがこの手紙について講義を行ったのは、1515〜1516年という、宗教改革が始まる直前のまさに激動の時期に当たります。この講義録を読むと、当時の若きルターがまだ百戦錬磨の強者ではなかったことがわかります。しかし一方では、彼の文章からは後に世界を震撼させることになる弾薬がすでに見てとれます。

1522年、新約聖書のドイツ語版の序文に、ルターは「ローマの信徒への手紙」に関する長い説明文を書きました。それは、彼がこの序文に書いた聖書の他のすべての書物の説明全部に匹敵するほどの量でした。彼がこの手紙に対して深い愛着を抱いていたことが、このことからもわかります。この序文でルターは、パウロの最も重要なこの手紙を以前にも増して高く評価し、読者に紹介することに成功しています。まさしくこの手紙を通して、彼は福音の核心を解き明かしています。以下のルターの文章は、キリスト信仰者なら誰もが復唱する価値のあるものです、「この手紙は新約聖書の正統な中心的書物であり、抜きん出て純粋な福音です。ですから、キリスト信仰者はこの手紙を一語一句暗記するだけではなく、自己の魂の日々の糧として用いるべきです。あまりも過剰に、あるいは、あまりにも巧みにこの手紙を読み研究し尽くすのは不可能です。この手紙は活用すればするほど、それに応じて深い味わいを帯びてくる書物だからです」。

このルターの文章が書かれてから約500年が経ちました。ルターはそれまで人々から隠されていた純粋な福音を発見し、飢え渇く魂の持ち主たちに宣べ伝えました。ですから、私たちは彼から多くを学ばなければなりません。私たちは使徒パウロを通して神様が賜ったこの手紙の御言葉を学ぶとき、ルターの説明に再度目を通すべき理由が大いにあるのです。