ヘブライの信徒への手紙13章 唯一の捧げ物は感謝の捧げ物である

フィンランド語原版執筆者: 
パシ・フヤネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

信仰は日常生活の中にあらわれる

「ヘブライの信徒への手紙」13章1〜6節

「ヘブライの信徒への手紙」の最後の章にはキリスト信仰者の様々な生活領域に関係のある奨励が記されています。手紙の最後に奨励や挨拶を記すやり方はパウロの手紙と同じです。

個々の奨励はそれぞれ独立しており、その意味をとりたてて説明する必要はありません。「ヘブライの信徒への手紙」でもそれは同じであり、手紙の最初の読者たちと同じように現代の私たちも奨励の内容を容易に理解することができます。

「兄弟愛を続けなさい。旅人をもてなすことを忘れてはならない。このようにして、ある人々は、気づかないで御使たちをもてなした。獄につながれている人たちを、自分も一緒につながれている心持で思いやりなさい。また、自分も同じ肉体にある者だから、苦しめられている人たちのことを、心にとめなさい。すべての人は、結婚を重んずべきである。また寝床を汚してはならない。神は、不品行な者や姦淫をする者をさばかれる。金銭を愛することをしないで、自分の持っているもので満足しなさい。主は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われた。だから、わたしたちは、はばからずに言おう、 「主はわたしの助け主である。 わたしには恐れはない。 人は、わたしに何ができようか」。」
(「ヘブライの信徒への手紙」13章1〜6節、口語訳)

上掲の箇所には三つの奨励が含まれています。

1)兄弟愛への奨励(1〜3節)
2)結婚の神聖さの強調(4節)
3)強欲への警告(5〜6節)

もしも「ヘブライの信徒への手紙」がローマの信徒たちに宛てられたものだったとしたら、兄弟愛の実践への奨励が必要だったことは納得できます。帝国全土から多くのキリスト信仰者たちが首都ローマに移住してきたことで、以前からローマに住んでいたキリスト信仰者たちの負担は増えていたからです。

古典古代の世界における宿屋は宿泊費が高い上に評判や治安はよくない場所でした。それゆえ信仰上の兄弟姉妹の家に泊めてもらえることはキリスト信仰者にとって素晴らしい特権でした。

上掲の箇所(2節)にある「ある人々は、気づかないで御使たちをもてなした」という記述は御使たちがアブラハムとロトのもとに訪れた出来事を指しています(「創世記」18〜19章)。

上掲の箇所には投獄されている人々を見舞うことも挙げられています。手紙が書かれたのは激しい迫害のない平和な時期であったという印象を受けますが、信仰のゆえに投獄されていたキリスト信仰者たちも中にはいたことでしょう。イエス様は投獄されているキリスト信仰者を見舞うことを善い行いのひとつとして挙げておられます。しかもその善い行いは、それを実行する者の信仰が神様から義と認めていただける真正の信仰であることを最後の裁きの時に明らかにしてくれるものでした(「マタイによる福音書」25章36節)。一人の教会員が苦しみを受けている時にはすべての教会員も共に苦しまなければならない、とパウロは教えています。これは上掲の箇所(3節)の教えと同じものです。

キリスト教信仰は古典古代における結婚の意味を変えました。当時はユダヤ教を信奉するユダヤ人たちの間でさえ離婚が一般化していました。ほとんどどのような理由によっても夫は妻と離婚することができるようになっていたのです(「マタイによる福音書」5章27〜32節)。

上記三番目にある強欲への警告(5〜6節)がイエス様の山上の説教と関連するものであるのは関心を引きます。「マタイによる福音書」6章19〜34節でイエス様はマモンの危険について警告し、神様が信仰者たちの面倒をみてくださることを信頼するように人々を励ましています。キリスト信仰者は所有財産について心配する必要はありません。キリスト信仰者は自分や自分が必要としていることについて神様がたしかに世話してくださることを知っているからです。

人間にとってマモン(富)は実に容易に偶像(偽物の神)になってしまいます。マルティン・ルターも大教理問答の第一戒(「あなたには他の神々があってはならない」)の説明で、人が自分がそれに依存していること自覚し信頼を寄せている存在、自分の人生を作り上げる基となっている存在こそが、その人にとっての「神」であると言っています。

唯一の捧げ物は感謝の捧げ物である

「ヘブライの信徒への手紙」13章7〜19節

「神の言をあなたがたに語った指導者たちのことを、いつも思い起しなさい。彼らの生活の最後を見て、その信仰にならいなさい。」
(「ヘブライの信徒への手紙」13章7節、口語訳)

この節は教会の設立者たちについて述べています。「ヘブライの信徒への手紙」が書かれた時点ではすでに彼らのうちの少なくとも一部はこの世を去っていました。この教会はできたばかりのものではなかったのです。とはいえこの教会がどのくらい前に設立されたものかはわかっていません。迫害における殉教(10章32〜34節)はこの教会設立後ほどなくして起きたかもしれないからです。そうであったとするならばローマの教会は西暦30年代か40年代には設立されていたことになるため、60年代に教会の設立者たちの一部が死去していたのは自然なことになります。私たちは「ヘブライの信徒への手紙」の執筆時期をこの節に基づいて決定することはできません。

私たちのキリスト信仰者としての生き方ははたしてこの教会の設立者たちと同様に他の信徒たちにとっても模範となるものでしょうか。

「イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない。」
(「ヘブライの信徒への手紙」13章8節、口語訳)

「ヘブライの信徒への手紙」の言葉としては最も有名かもしれないこの節は文脈から少し浮いているようにも見えます。しかしより詳しくみてみるとこの節はたしかに前後の節と関連があることがわかります。キリスト信仰者の生活はそれがイエス様に結びついているかぎりにおいてのみ模範的でありえるのです。現代の私たちは様々な過去の時代に生きたキリスト信仰者たちの模範にならうことができます。彼らの人生の基盤は私たちのものと共通しているからです。それはイエス様とその贖いの御業です。

「さまざまな違った教によって、迷わされてはならない。食物によらず、恵みによって、心を強くするがよい。食物によって歩いた者は、益を得ることがなかった。」
(「ヘブライの信徒への手紙」13章9節)

この節は異端を吹聴する人々について再度警告しています。彼らはイエス様のうちに留まらなかったのです。彼らはイエス様が私たちに啓示してくださった正しい永遠の福音を伝える者ではありませんでした。彼らの「霊的な生活」は神様の御業にではなく食物規定等の人間の行いに基づいていたのです。

時代や世界がたえず変わっていく中にあってもキリスト教信仰の基礎にあるものは決して変わりません。少なくとも本来それは変わるべきものではありません。とはいえこのことはキリスト教会が様々な時代に色々な形をとってあらわれることがあってはいけないという意味ではありません。すべての時代はそれぞれ対峙すべき固有の問題を抱えており、キリスト教会はそれらにふさわしい対応の仕方を考えていかなければなりません。しかし問題に対処する際の基となるものは同一であり続けるのです。

「なぜなら、大祭司によって罪のためにささげられるけものの血は、聖所のなかに携えて行かれるが、そのからだは、営所の外で焼かれてしまうからである。だから、イエスもまた、ご自分の血で民をきよめるために、門の外で苦難を受けられたのである。」
(「ヘブライの信徒への手紙」13章11〜12節、口語訳)

上掲の箇所の伝えようとしている考え方はわかりにくい印象を与えます。とはいえそれがユダヤ人たちの贖罪の日のいけにえの捧げ物についての例外事項に関わるものであるのは伝わってきます。その例外事項とは、他のいけにえの動物の肉は祭司たちが食べてよいものであったのに対し、贖罪の日のいけにえの動物はその血のみ至聖所で捧げられて残りの部分は営所あるいは町の外で焼かれた、ということです(「レビ記」16章27節)。それに対して、ゴルゴタで流されたイエス様の血は聖餐式でキリスト信仰者たちが実際に食しています。ユダヤ人たちの中でも最良の人々でさえまずキリスト信仰者にならなければキリストのいけにえにあずかることはできないということをこの手紙の執筆者はここで強調しようとしているのでしょうか。

「したがって、わたしたちも、彼のはずかしめを身に負い、営所の外に出て、みもとに行こうではないか。」
(「ヘブライの信徒への手紙」13章13節、口語訳)

「営所の外に出ていこう」という奨励は「キリスト信仰者たちはユダヤ教と袂を分かつべきである」というメッセージであるとも受け取れます。おそらく「ヘブライの信徒への手紙」の受け取り手たちの中にはキリスト信仰者の集会や礼拝への参加を怠りユダヤ教の会堂のほうにふたたび通うようになった人々がいたのでしょう。ユダヤ教はローマ帝国の庇護を受けていたため、キリスト信仰者たちに対する迫害はユダヤ教の会堂にまでは及ばなかったであろうこともそれと関係していると思われます。

上掲の節は人が教会をやめるための口実として教会の歴史を通じて何度となく誤用されてきました。キリスト教会が多くの点で聖書の教えから逸脱しているような危機を迎えた場合には、聖書を大切にするキリスト信仰者は自分がそのような教会の会員であり続けるべきかどうかについて自問することになるとは思います。しかし、たとえそのような状況になったとしても自ら教会から出ていくのではなく教会側から強制的に追放されるまでは教会内に留まるのがよい、というのが昔からある原則的な考え方なのです。

「この地上には、永遠の都はない。きたらんとする都こそ、わたしたちの求めているものである。」
(「ヘブライの信徒への手紙」13章14節)

天の都はすでに存在します。ヨハネは「ヨハネの黙示録」でそれを実際に見ています。その都が私たちにも真実の姿を現すのを私たちは今もなお待ち続けています。

「だから、わたしたちはイエスによって、さんびのいけにえ、すなわち、彼の御名をたたえるくちびるの実を、たえず神にささげようではないか。そして、善を行うことと施しをすることとを、忘れてはいけない。神は、このようないけにえを喜ばれる。」
(「ヘブライの信徒への手紙」13章15〜16節、口語訳)

キリストが最終的ないけにえを捧げてくださったおかげで古い契約の捧げ物の時代は完全に過去のものとなったことを「ヘブライの信徒への手紙」は強調しています(9章11〜14節)。今やキリスト教会にはふさわしい捧げ物がたったひとつだけ残されました。それは感謝の捧げ物です。

動物のいけにえはすでに旧約聖書の時代でも感謝の捧げ物とみなされていました。そしてそのいけにえの一部は貧しい人々に分け与えられました。それは、いただいた食べ物について彼らも神様に感謝を捧げるようになり、神様がより大きな感謝をお受けになるようにするためでした(「ルカによる福音書」14章12〜14節も参照してください)。キリスト信仰者は動物のいけにえを貧しい人々に分け与えることはできませんが、神様からいただいた他の賜物を提供することはできます(「ローマの信徒への手紙」12章1節も参考になります)。

「くちびるの実」(15節)という表現は次の「ホセア書」からの引用であると思われます。

「あなたがたは言葉を携えて、主に帰って言え、
「不義はことごとくゆるして、
よきものを受けいれてください。
わたしたちは自分のくちびるの実をささげます。」
(「ホセア書」14章3節、口語訳)

この節で「くちびるの実」とは罪の赦しに対する感謝のことです(「詩篇」50篇14節も参考になります)。

神様に感謝を捧げるもうひとつのやりかたは神様の御意思に従って生きていくことです。このような生き方はキリスト信仰者の周りにいる人々にも神様の善き御業への感謝の心を生み出していきます。

「あなたがたの指導者たちの言うことを聞きいれて、従いなさい。彼らは、神に言いひらきをすべき者として、あなたがたのたましいのために、目をさましている。彼らが嘆かないで、喜んでこのことをするようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならない。」
(「ヘブライの信徒への手紙」13章17節、口語訳)

ユダヤ教では(霊的な)指導者たちは実の父親以上の尊敬を受けていました。しかしキリスト教会の指導者はキリストに従っていく姿勢に対してのみ敬意を払われるように配慮しなければなりません。私たちの指導者たちがイエス様に従おうとするかぎりにおいてのみ私たちもまた彼らに従わなければならないのです(「エフェソの信徒への手紙」5章21〜33節)。

「わたしたちのために、祈ってほしい。わたしたちは明らかな良心を持っていると信じており、何事についても、正しく行動しようと願っている。わたしがあなたがたの所に早く帰れるため、祈ってくれるように、特にお願いする。」
(「ヘブライの信徒への手紙」13章18〜19節、口語訳)

上掲の箇所の前半(18節)で「わたしたち」と複数形になっているのは文章上の工夫によるものでしょう。後半(19節)では再び「わたし」という単数形に戻っているからです。また後半(19節)はこの手紙の執筆者が投獄されていたという意味ではないでしょう(23節の終わりと比較してください)。

父の御手に

「ヘブライの信徒への手紙」13章20〜25節

「兄弟たちよ。どうかわたしの勧めの言葉を受けいれてほしい。わたしは、ただ手みじかに書いたのだから。」
(「ヘブライの信徒への手紙」13章22節、口語訳)

上の節にある「勧めの言葉」の「勧め」はギリシア語で「パラクレーシス」と言い「慰め」という意味でも用いられます。「使徒言行録」4章36節によればパウロの同僚バルナバは「慰めの子」という意味をもつ名であり、ここでもやはり「パラクレーシス」という言葉が用いられています。しかし「「ヘブライの信徒への手紙」の執筆者は誰か?」という問題をこのような弱い根拠に基づいて解決することはできません。また「パラクレーシス」は説教を意味する一般的な言葉でもあります。次の「使徒言行録」の箇所の「奨励の言葉」の「奨励」がその例です。パウロたちがピシデヤのアンテオケで安息日に会堂に行った時のことです。

「律法と預言書の朗読があったのち、会堂司たちが彼らのところに人をつかわして、「兄弟たちよ、もしあなたがたのうち、どなたか、この人々に何か奨励の言葉がありましたら、どうぞお話し下さい」と言わせた。」
(「使徒言行録」13章15節、口語訳)

「ヘブライの信徒への手紙」の執筆者は「わたしは、ただ手みじかに書いたのだから」と言っていますが実のところ「ヘブライの信徒への手紙」は新約聖書の手紙の中では三番目に長いものです。この手紙よりも長い手紙は「ローマの信徒への手紙」と「コリントの信徒への第一の手紙」だけです。上述の執筆者の言葉は当時の手紙を書く作法に則ったものでした。ですから、このことから「13章は元々はこの手紙ではなく何か他の手紙の一部であった」という(一部の研究者の主張する)結論は導き出せません。

「わたしたちの兄弟テモテがゆるされたことを、お知らせする。もし彼が早く来れば、彼と一緒にわたしはあなたがたに会えるだろう。」
(「ヘブライの信徒への手紙」13章23節、口語訳)

上節の「わたしたちの兄弟テモテがゆるされたこと」という箇所は「わたしたちの兄弟テモテが出発したこと」とも訳すことができます。

「あなたがたの指導者一同と聖徒たち一同に、よろしく伝えてほしい。イタリヤからきた人々から、あなたがたによろしく。」
(「ヘブライの信徒への手紙」13章24節、口語訳)

上掲の節の「イタリヤからきた人々から、あなたがたによろしく」という挨拶についてはふたつの解釈が可能です。「イタリア出身だけれども今はイタリア以外の場所に住んでいるキリスト信仰者たちが彼らの故郷イタリアに住んでいるローマのキリスト信仰者たちに挨拶を送っている」という解釈か、あるいは「この手紙はイタリアすなわちローマで書かれた」という解釈です。

この手紙の最後の22〜25節は執筆者(すなわち口述筆記を行わせた本人)による最後の挨拶であると考えられます(「ガラテアの信徒への手紙」6章11節も参照してください)。当時の手紙は口述筆記されるのが普通でした。そして手紙を書かせた本人はその手紙が真正であることを保証するために手紙の最後に自筆の挨拶を書き記したのです。

以上で「ヘブライの信徒への手紙」ガイドブックを終わります。