十字架の神学とは?

フィンランド語原版執筆者: 
エルッキ・コスケンニエミ(フィンランドルーテル福音協会、神学博士)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

はじめに

パウロの書いた「コリントの信徒への第一の手紙」2章からは使徒パウロもごく普通の人間であったことがよく伝わってきます。パウロのヨーロッパ伝道の旅は最初から幾多の困難に遭遇しました。彼はフィリピで鞭打たれ投獄されました。テサロニケからは命からがら逃げ出すことになりました。アテナイでは嘲笑されました。コリントにやって来たパウロは決して図太い神経を持った「大使徒」や「信仰の英雄」などではなく、恐れ怯える一人の男に過ぎませんでした。ところが、まさしくこの退廃の都市コリントで使徒パウロは一年半もの間、福音伝道の仕事に打ち込むことができたのです。その結果として、活動的で力強いキリスト教会がコリントに誕生しました。

パウロは「コリントの信徒への第一の手紙」でコリントでの伝道が始まった頃について次のように述べています。

「兄弟たちよ。わたしもまた、あなたがたの所に行ったとき、神のあかしを宣べ伝えるのに、すぐれた言葉や知恵を用いなかった。なぜなら、わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心したからである。わたしがあなたがたの所に行った時には、弱くかつ恐れ、ひどく不安であった。そして、わたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との証明によったのである。それは、あなたがたの信仰が人の知恵によらないで、神の力によるものとなるためであった。」
(「コリントの信徒への第一の手紙」2章1〜5節、口語訳)

そして「コリントの信徒への第二の手紙」では、信仰者としての強さを自慢する敵対者たちに対して、パウロはそれとは全く逆に自らの弱さを次のように誇りとしています。

「だれかが弱っているのに、わたしも弱らないでおれようか。だれかが罪を犯しているのに、わたしの心が燃えないでおれようか。もし誇らねばならないのなら、わたしは自分の弱さを誇ろう。永遠にほむべき、主イエス・キリストの父なる神は、わたしが偽りを言っていないことを、ご存じである。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」11章29〜31節、口語訳)

自らの弱さを誇るというパウロのメッセージは逆説的に聞こえます。しかし、まさにこのゆえに、パウロの二つの「コリントの信徒への手紙」は聖書の重要な真理を私たちに教えてくれる素晴らしい手紙となっているのです。その真理とは「十字架の神学」と呼ばれるものです。

十字架の神学と栄光の神学

「十字架の神学」という言葉は多くの人にとってはあまり聞きなれないものではないかと思います。ですから、それがどういう意味かわかりにくいのではないでしょうか。一口に「十字架」といってもイエス・キリストが屈辱的な死を遂げられた十字架のことを指しているだけではありません。もっと広い意味を持っているのです。ところで「十字架の神学」と対比される言葉として「栄光の神学」と呼ばれるものがあります。この「栄光の神学」の方が「十字架の神学」よりも常識的でわかりやすいと思われるので、まずこの神学について説明することにします。神様には特別な力があり、しかもその力の放つ栄光は誰しもが容易にはっきり気がつく形であらわれる、というのが「栄光の神学」の基本的な考え方です。そして「十字架の神学」はそれとは全く対照的な考え方をします。それによれば、神様はその特別な力を人々にあからさまに示すことはなく、逆に「弱さ」の中に隠されます。そして、この「弱さ」はイエス・キリストが十字架にかかって死なれたゴルゴタの丘において最も明瞭な形で示されたのです。にもかかわらず、キリストは自らの栄光を人間から隠して「弱さ」の中で苦しみ抜かれ死に至ったこの十字架においてこそ、最大の「勝利」を収められたのです。この「勝利」とは、全人類の全ての罪の全ての罰をイエス・キリストが身代わりに引き受けて十字架で死ぬことで完全に帳消しになさったこと、すなわち、全ての人のために完全な罪の赦しを神様の側で用意してくださったことを意味しています。イエス様を救い主として信じる人は誰であれ、この罪の赦しを無償でいただけます。そればかりか、罪のもたらす死と永遠の滅びという悲惨な末路からも解放されるのです。まさにそれゆえに「十字架の神学」と呼ばれるこの神学は、聖書に基づく信仰を説いた宗教改革者マルティン・ルターにとっても特別に大切な考え方でした。憐れみ深い神様が聖書の最初から終わりまでを通じて私たち人間に対してどのように働きかけてくださったのかについて、十字架の神学ははっきりと教えてくれるからです。それではこれから、聖書の主要な登場人物たちの人生を振り返ることでこのことを具体的に見ていくことにしましょう。

アブラハム 神様に愛された貧しき放浪者

聖書は旧約聖書と新約聖書に分かれ、それぞれが多数の書から構成されています。旧約聖書の最初の書は「創世記」です。その1〜11章には「十字架の神学」に関連づけて読むことができる多くの重要な出来事が含まれています。その中でもアベルやノアの人生はとりわけ注目に値します。12章以降では、神様が「御自分の民」を創生なさっていく過程が描かれています。意外なことに、神様が「御自分の民」として選ばれたのはその時すでに強大となっていた国民ではなく、貧しい放浪者アブラハムでした。アブラハムとその妻サラは人生で様々な困難や苦しみに遭遇しました。非常に年老いるまで彼らには子どもが生まれませんでした。しかし、神様の奇跡によって彼らにもイサクという男の子が生まれたのです。その後、アブラハムの子孫たちはイサク、ヤコブ、ヨセフと代を経るごとに次第に増えていきました。こうして「アブラハムの民」は小さな部族からついには天の星や海の砂のように数えきれないほど大きな民にまで成長しました。神様がアブラハムを選ばれた際に彼に賜った次のような約束が本当に実現したのです。

「時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。 わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」。」
(「創世記」12章1〜3節、口語訳、「アブラム」とはアブラハムの前の名前です。)

「そして主は彼を外に連れ出して言われた、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい」。また彼に言われた、「あなたの子孫はあのようになるでしょう」。アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。」
(「創世記」15章5〜6節、口語訳)

主の約束を信じつつ、寄留者アブラハムは諸国民の地をさまよい続けました。エジプトではファラオの怒りに怯え、子どもを授からなかった夫婦という(当時の社会における)恥に耐えていかなければなりませんでした。さらに彼は筆舌に尽くし難い苦悩を経験することになります。ある山の上に行って「ある事」を実行するよう、神様はアブラハムにお命じになったのです。それは「あなたは一人息子であるイサクを自らの手で殺し、神様に犠牲として捧げなければならない」という命令でした。

「彼らが神の示された場所にきたとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、主の使が天から彼を呼んで言った、「アブラハムよ、アブラハムよ」。彼は答えた、「はい、ここにおります」。み使が言った、「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」。この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた。それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお「主の山に備えあり」と言う。主の使は再び天からアブラハムを呼んで、言った、「主は言われた、『わたしは自分をさして誓う。あなたがこの事をし、あなたの子、あなたのひとり子をも惜しまなかったので、わたしは大いにあなたを祝福し、大いにあなたの子孫をふやして、天の星のように、浜べの砂のようにする。あなたの子孫は敵の門を打ち取り、また地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう。あなたがわたしの言葉に従ったからである』」。
(「創世記」22章9〜18節、口語訳)

人生を通じて数々の大変な出来事に遭遇したアブラハムは時には力尽き、怯え、冷静さを失ってしまうこともありました。しかし、まさにこのような人生の嵐の只中で「アブラハムの民」は生み出されたのです。そして、この民を通して神様の偉大な御計画が実現されていくことになったのでした。

どうして神様はアブラハムにこれほどまで辛く苦しい道を選ばせたのでしょうか。なぜ神様は「御自分の民」を誰の前に出しても恥ずかしくない立派な国民として創生なさらなかったのでしょうか。その理由は神様だけがご存知です。ともあれ、アブラハムは最終的には大いなる国民の父となりました。また、全世界の全ての国民にとっての「信仰の父」にもなりました。なぜなら、アブラハムは幾多の困難や己の弱さに苦しみながらも主なる神様への信仰と信頼をもってこの世での人生を全うしたからです。

モーセ 神様に選ばれた孤独な偉人

イスラエルの民がエジプトに隷属していた時代に神様はモーセを召して「御自分の民」を解放するための国民的な指導者として選ばれました。モーセは神様の不思議な守りと導きにより、イスラエル人でありながらもファラオの子どもとして養育されました。成長した彼はある時、自分の属するイスラエルの民がエジプトで酷い仕打ちを受けるのを目撃します。義憤にかられ加害者を撃ち殺してしまった彼は、エジプト王室での栄光ある地位を捨ててイスラエルの民の側に立つことになりました。そのため彼は荒野での逃亡生活を余儀なくされます。そこで彼はミデヤンの民に混じって四十年間の時を過ごしました。その後でようやく時機が熟しました。燃える柴の傍で主に召されたモーセは主から受けた使命を果たすべくエジプトに向けて出立しました。その使命とは、当時の世界の覇者エジプトのファラオのもとに行って「イスラエルの民を解放せよ」という主の命令を伝えることでした。主はモーセにこう約束されたのです。

「いまイスラエルの人々の叫びがわたしに届いた。わたしはまたエジプトびとが彼らをしえたげる、そのしえたげを見た。さあ、わたしは、あなたをパロにつかわして、わたしの民、イスラエルの人々をエジプトから導き出させよう。」
(「出エジプト記」3章9〜10節、口語訳、「パロ」とは「ファラオ」のことです)

この旅に同行したのはモーセの妻チッポラと二人の息子、それにロバだけでした。それとモーセは「神の杖」を携えていました(「出エジプト記」4章20節)。幾多の困難を乗り越えてモーセはついにイスラエルの民をエジプトから解放し荒野へと導き出しました。しかし、荒野で四十年間さまようことになったイスラエルの民は不満を募らせ、指導者モーセに何度も反抗を企てました。

モーセの人生からは「十字架の神学」をはっきり読み取ることができます。「ヘブライ人(すなわちイスラエル人)の女性が産んだ男の子を皆殺しにせよ」というファラオの厳命が下った危険極まる時期にモーセは誕生しました(「出エジプト記」1章15節)。しかし、彼は神様の不思議な助けにより命拾いしました。ところが、成人した彼は同胞イスラエル人を虐待していたエジプト人を見て怒りに駆られて打ち殺してしまい、孤独な逃避行を余儀なくされます。意外なことに、それから何も起きないまま四十年もの間モーセは他の民の羊飼いの仕事を荒野で続けることになりました。一方、その時期のイスラエルはエジプトの奴隷の民として辛く苦しい生活を強いられました。このことからもわかるように、神様はその偉大な力を人間の目から隠される場合があるのです。そして時が満ちて、神様はモーセを人間的に見ればなんとも頼りない状態でエジプトのファラオのもとに遣わされました。ここでも神様はその力を「弱さ」の中に隠されたのです。しかし、まさにこのようなやり方を通してイスラエルの民は神様に助けていただけました。

なお「十字架の神学」と対比される「栄光の神学」ですが、この神学がいつも間違っているわけではないことを念のためここで言い添えておくことにします。「ファラオが神様の命令に従わないかぎり、神様はエジプトに異常な恐ろしいことをこれからも起こし続ける」という神様のメッセージをモーセはファラオに繰り返し宣べ伝えました。紆余曲折の末、ついにファラオは主なる神様に全面降伏し、主の御命令通りにモーセがイスラエルの民を率いてエジプトから立ち去ることを認めるほかなくなりました。これは「栄光の神学」の主張する通りに神様の力が誰の目にもわかる形で明示された瞬間です。そして、これと同じことはこの世の終わりに神様によって行われる「最後の裁き」についても当てはまります。その裁きの場でも神様の力は誰の目にも明らかな形で示されることになるからです。私たちはこのことを心に刻んで日々生活していくべきです。弱い罪人にすぎない自分の立場をつい忘れて自信過剰になったり他の人たちに自分を実際よりもよく見せたくなったりする時には「十字架の神学」に速やかに立ち返らなければなりません。神様はその力を誇示なさらず、それとは逆に「弱さ」の中に隠されることをこの神学ははっきり教えてくれるからです。

ハンナとマリア 神様から祝福された女性たち

聖書には私たちに深い印象を残す女の人が多数登場します。彼女たちの人生の歩みは何千年もの間、聖書を読む者の心をとらえてきました。そのような聖書の女性の一人がハンナです。彼女は偉大な預言者サムエルの母親となった人です(「サムエル記上」1〜2章)。最初ハンナには子どもが生まれませんでした。当時のイスラエルにおいて妻が夫のために子どもを産めないことは大きな恥とみなされたため、ハンナのような不妊の女性はこの恥を抱えながら生きていかなければなりませんでした。ハンナのことを心から愛していた夫エルカナでさえハンナの深い悲しみを取り去ることはできませんでした。主の神殿でハンナは心の嘆きを祈りとして注ぎだしました。そして、他でもなくまさに彼女が後に大預言者サムエルの母親になるという幸福にあずかることになったのです。主に祈り子を授かったハンナは素晴らしい感謝の歌を主に捧げています。

「ハンナは祈って言った、
「わたしの心は主によって喜び、わたしの力は主によって強められた、
わたしの口は敵をあざ笑う、あなたの救によってわたしは楽しむからである。
主のように聖なるものはない、あなたのほかには、だれもない、
われわれの神のような岩はない。
あなたがたは重ねて高慢に語ってはならない、たかぶりの言葉を口にすることをやめよ。
主はすべてを知る神であって、もろもろのおこないは主によって量られる。
勇士の弓は折れ、弱き者は力を帯びる。
飽き足りた者は食のために雇われ、飢えたものは、もはや飢えることがない。
うまずめは七人の子を産み、多くの子をもつ女は孤独となる。
主は殺し、また生かし、陰府にくだし、また上げられる。
主は貧しくし、また富ませ、低くし、また高くされる。
貧しい者を、ちりのなかから立ちあがらせ、乏しい者を、あくたのなかから引き上げて、
王侯と共にすわらせ、栄誉の位を継がせられる。
地の柱は主のものであって、その柱の上に、世界をすえられたからである。
主はその聖徒たちの足を守られる、しかし悪いものどもは暗黒のうちに滅びる。 人は力をもって勝つことができないからである。
主と争うものは粉々に砕かれるであろう、
主は彼らにむかって天から雷をとどろかし、地のはてまでもさばき、王に力を与え、
油そそがれた者の力を強くされるであろう」。」
(「サムエル記上」2章1〜10節、口語訳)

旧約聖書における預言者サムエルの母ハンナの人生には、新約聖書におけるイエス・キリストの母となる処女マリアの人生に相通じるところがあります(「ルカによる福音書」1〜2章)。主イエス・キリストの母親として神様に選ばれたマリアは、富裕な上流階級でちやほやされる令嬢などではなく、ただの貧しい娘にすぎませんでした。しかも、ヨセフと結婚する前に聖霊様によってイエス様を身ごもったため、事情を知らない人々から疑いの目を向けられました。彼女は婚前妊娠という社会的な恥に耐えながら生活していかなければならなかったのです。しかし、非常に年老いて初めての子を宿した親戚のエリサベツに会いに行ったマリアは逆境の中で次のように主を美しくほめたたえています。

「するとマリヤは言った、
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救主なる神をたたえます。
この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。
今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう、
力あるかたが、わたしに大きな事をしてくださったからです。
そのみ名はきよく、そのあわれみは、代々限りなく主をかしこみ恐れる者に及びます。
主はみ腕をもって力をふるい、心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、権力ある者を王座から引きおろし、卑しい者を引き上げ、飢えている者を良いもので飽かせ、富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。
主は、あわれみをお忘れにならず、その僕イスラエルを助けてくださいました、
わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とをとこしえにあわれむと約束なさったとおりに」。」
(「ルカによる福音書」1章46〜55節、口語訳)

ラテン語で「マグニフィカト」と呼ばれるこの「マリアの賛歌」の内容は明瞭です。神様は偉大な者や富裕な者を権力の座から引きずり下ろし、その代わりに貧しい者や飢えている者を谷底から引き上げてくださいます。神様は小さく弱く虐げられた「神様の民」といつでも一緒にいてくださるお方なのです。だからこそ「神様の民」は罪や弱さや困難といった自らの「十字架」を抱えながらも喜んで神様の御許に留まり続けるのです。それに対して、金持ちや賢者には神様に特別にお願いすることもないため、彼らが神様からいただけるものもほとんどありません。

ダヴィデ 子どもの心で主を信じた全イスラエルの王

神様はその力を「弱さ」の中に隠されます。主の示される道を踏み外したサウル王に代わる新しい王を神様がお選びになったやり方にもそれがよく表れています。神様は預言者サムエルをエッサイという人の住む小さな村に遣わされました。エッサイは自分の息子たちをサムエルに一人ずつ紹介していきます。しかし、主はその中の誰をも選ばれませんでした。意外にも、エッサイがサムエルに会わせようともしなかった小さい末っ子、羊飼いダヴィデこそが次の王として主が選ばれた人物だったのです。それからダヴィデが王になるまでの道筋は長く険しいものでした。彼ははじめのうちこそサウル王の好意を得ましたが、彼の多大な成功に嫉妬と脅威を感じた王に命を狙われるようになります。それから彼は郎党の首領になったり、サウルによる迫害を逃れて隣国に移住したりします。紆余曲折の末にようやく王権を手に入れた後では、極めて重大な罪を幾つか犯してもいます。それでも、彼は神様に対して少年のような素直な心を持ち続けていました。彼は神様に自分の罪を正直に告白し、それを捨てる意志を示し、神様の御許に戻ったのです。このようなダヴィデに神様は重要な約束をお与えになりました。それは、ダヴィデの家に永続する王権を授けるという約束でした。主が周囲の敵をことごとく打ち退けてダヴィデに安息を賜わった時に、預言者ナタンは次の主の言葉を彼に告げたのです。

「それゆえ、今あなたは、わたしのしもべダビデにこう言いなさい、『万軍の主はこう仰せられる。わたしはあなたを牧場から、羊に従っている所から取って、わたしの民イスラエルの君とし、あなたがどこへ行くにも、あなたと共におり、あなたのすべての敵をあなたの前から断ち去った。わたしはまた地上の大いなる者の名のような大いなる名をあなたに得させよう。そしてわたしの民イスラエルのために一つの所を定めて、彼らを植えつけ、彼らを自分の所に住ませ、重ねて動くことのないようにするであろう。また前のように、わたしがわたしの民イスラエルの上にさばきづかさを立てた日からこのかたのように、悪人が重ねてこれを悩ますことはない。わたしはあなたのもろもろの敵を打ち退けて、あなたに安息を与えるであろう。主はまた「あなたのために家を造る」と仰せられる。あなたが日が満ちて、先祖たちと共に眠る時、わたしはあなたの身から出る子を、あなたのあとに立てて、その王国を堅くするであろう。彼はわたしの名のために家を建てる。わたしは長くその国の位を堅くしよう。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となるであろう。もし彼が罪を犯すならば、わたしは人のつえと人の子のむちをもって彼を懲らす。しかしわたしはわたしのいつくしみを、わたしがあなたの前から除いたサウルから取り去ったように、彼からは取り去らない。あなたの家と王国はわたしの前に長く保つであろう。あなたの位は長く堅うせられる』」。」
(「サムエル記下」7章8〜16節、口語訳、「ダビデ」とは「ダヴィデ」のことです )。

この約束は人間の予想をはるかに超える驚くべき規模で実現しました。激動の時代にダヴィデの末裔がエルサレムで450年間も王の座に留まり続けることができたのです。しかしその時にもなお、この王権の特別な本質は依然として隠されていました。後にそれは人間の理解の決して及ばない形で明らかになりました。すなわち、ダヴィデの末裔がエルサレムの王座を追われて何百年も経過した時代にダヴィデの子イエス・キリストがお生まれになり、十字架で死に、三日目に復活された後、天の父なる神様の右の座にお着きになったのです。これによって「永遠の王国」に関する神様の約束が真の意味で成就しました。

無学な漁師たち

イエス様は福音伝道をこの世で開始された時に、賢い哲人や有能な政治家などを側近として選ぶこともできたはずです。ところが、主が弟子として選ばれたのは著名人ではなく田舎のガリラヤ湖畔の無学な漁師たちでした。そのような弟子たちの中には主に助言できるような知者も欠点のない者もいませんでした。しかも、イエス・キリストのこの世の歩みで決定的に重要な瞬間が来た時に、彼らは皆一斉に主を欺き、主を見捨てて逃亡しました。しかし、まさにこのような無学な裏切り者たちを主は弟子としてお選びになったのです。それは、御自分の十字架の死による「全人類の罪の赦しの福音」を伝えるために彼らを全世界に向けて宣教師として派遣なさるためでした。その後、世界各地で福音を伝道したキリスト信仰者たちが様々な迫害を受けてきたことを私たちは知っています。これは今も世界のどこかの国々で起こり続けている悲惨な現実でもあります。不思議なことに、迫害されればされるほどイエス・キリストを信じる者の群れは減るどころか逆に増えていきました。イエス様の弟子として選ばれたのは信仰の達人などではなく、小さく弱く貧しい信者たちでした。しかし、まさにこのようなやり方によって、人間的な賢さではなく人間の理解を超えた神様御自身の力が弟子たちの福音伝道の源泉となっていることがはっきり示されたのです。神様は弱い者たちのうちにあってこそその強さを遺憾無く発揮なさいます。イエス様の一番弟子的な存在だったペテロでさえ、かつては保身のために「自分はイエスを知らない」と嘘をついたことがあります。しかし、彼も含めた主の使徒たちは復活された主から「罪の赦しの福音」の真髄を伝授されました。そして、主が天に昇られた十日後のユダヤの祭り(五旬節)の日に、ペテロは不思議な力に満たされて大勢の民の前に立ち、この福音を宣べ伝え始めたのです。

「「兄弟たちよ、族長ダビデについては、わたしはあなたがたにむかって大胆に言うことができる。彼は死んで葬られ、現にその墓が今日に至るまで、わたしたちの間に残っている。彼は預言者であって、『その子孫のひとりを王位につかせよう』と、神が堅く彼に誓われたことを認めていたので、キリストの復活をあらかじめ知って、『彼は黄泉に捨ておかれることがなく、またその肉体が朽ち果てることもない』と語ったのである。このイエスを、神はよみがえらせた。そして、わたしたちは皆その証人なのである。それで、イエスは神の右に上げられ、父から約束の聖霊を受けて、それをわたしたちに注がれたのである。このことは、あなたがたが現に見聞きしているとおりである。ダビデが天に上ったのではない。彼自身こう言っている、『主はわが主に仰せになった、あなたの敵をあなたの足台にするまでは、わたしの右に座していなさい』。だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」。
人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言った。すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。この約束は、われらの主なる神の召しにあずかるすべての者、すなわちあなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである」。」
(「使徒言行録」2章29〜39節、口語訳)

使徒パウロはかつて率先してキリスト信仰者を迫害していました。しかし、彼は復活の主からの語りかけによって心の目を開かれ「罪の赦しの福音」を信じて受け入れたのです。それからというもの、今度は彼自身が迫害を受ける側になりました。それでも彼は自らの弱さを抱えながら福音伝道のためにその生涯を捧げたのです。例えば、彼は恐れと不安におののきながらも、純粋な福音を宣べ伝えたい一心で、彼の反対者たちが息巻くコリント教会に乗り込んで行くことができました。このように人間的な弱さを抱えたペテロやパウロが教会内外からの迫害や妨害にもかかわらず福音伝道を続けていくことができたのは、弱い信仰者たちのうちで主の力が働いてくださったからなのです。

ゲッセマネを通って

ここで私たちはイエス・キリストのこの世での歩みを「十字架の神学」という視点からまとめてみることにしましょう。キリストの地上での人間としての生涯はその最初から最後までがひたすら「十字架の道」であったとも言えます。キリストは父なる神様と等しい存在であられたにもかかわらず、御自分をむなしくして「僕のかたち」を選択なさったのです。

「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。」
(「フィリピの信徒への手紙」2章6〜11節、口語訳)

イエス・キリストは動物小屋でお生まれになりました。そして「マリアの子」と呼ばれました。これは「マリアが結婚する前に身ごもった素性の知れない子」としてイエス様が周りの人々から見られていたことを表しています。キリストの人生は常に深い孤独に包まれていました。大群衆の中にいるときにも、近しい弟子たちの間にいるときにも、これは変わりませんでした。福音を宣べ伝え始めたイエス様の評判を聞いたイエス様の親兄弟は「彼は頭がおかしくなったのではないか」と疑いました(「マルコによる福音書」3章)。最も近しい弟子でさえイエス様が十字架の道を進んでいくのを妨げようとしました(「マルコによる福音書」8章)。しかし、イエス様が生涯で最も深い孤独に包まれたのはこの世での最後の時でした。ゲッセマネの園で神様の御子は天の御父に祈りました。その時の苦しみは血の汗が噴出すほど激しいものでした。その翌日、十字架にかけられた主は最も深い孤独の闇の中に見捨てられたのです。

この世で人として生活なさっていた時にも、主イエスは神様としての力を失っておられたのではありません。ただそれは極めて慎重に隠されていたのです。それでも、イエス様の神様としての特別な力に目を開かれた人々もいました。彼らは知者や富裕者などではなく、小さく貧しい罪人たちでした。目の見えない者は唯一の救い主に助けを求めて叫びました。貧しい者はイエス様の後に付き従いました。また、大金持ちだった取税人はイエス様と出会って実は自分が極貧の状態にいることに気付かされました。イエス様を埋葬した友人たちは復活した主に再会することができました。その時、栄光に輝く神様の偉大な力はもう彼らから隠されていませんでした。

十字架の神学と私たち

十字架の神学は私たちにとってどのような意味を持っているのでしょうか。キリスト教会には現在に至るまで幾度も繰り返されてきた不思議な現象があります。それは、貧しい者、弱い者、罪人こそがイエス・キリストを自らの救い主として見出し、またイエス様の神様としての隠された力に気付かされるという法則的とも言える傾向です。

その一方で、平和な時代の弛緩したキリスト教会はキリストが弱者を癒す「罪人の病院」ではなくなり、むしろ「元気な強者の群れ」と化す傾向を持っています。そのような教会では誰も自らの弱さを公に告白する勇気を持てないでしょう。また、罪人に天の御国の素晴らしさを教えてくれる信仰、それ自体が驚くべき神様の奇跡である信仰も、理性に基づく哲学に変わってしまうでしょう。「キリスト教」そのものも数ある賢いライフスタイルのうちの一つにすぎなくなります。人間は皆その内容は異なれども等しく弱さを抱えた罪人であるはずなのに、特定の人間や教師など教会の中心的な人物たちが「信仰の英雄」として祭り上げられます。それと反比例するように、十字架に隠されているキリスト教の奥義は教会にとってさえ次第に疎遠になっていきます。そうこうするうちに信仰という豊かな神様の賜物にはもはや外殻しか残らなくなってしまうのです。

十字架の大切さを忘れて目に見える栄光を追い求める人間は信仰だけでは満足できずに、自分にとって好ましい何か他のものをも得ようとします。しかし、結局それは徒労に終わります。最悪の場合には、信仰さえも失われてしまうことでしょう。

宗教改革者マルティン・ルターが強調した十字架の神学はこれとは全く異なるものです。神様が賢者や金持ちや聖人などを退け、その代わりに罪人たちの方に目を向けてくださることは聖書が語っている真理です。今まで見てきたことからもわかるように、聖書には十字架の神学の正しさを示す具体例がたくさんあるからです。それゆえに、十字架の神学は聖書全体が私たちに伝えようとしている核心的なメッセージを私たち弱く貧しい罪人に新たな視点から開示してくれるものであると言えましょう。


聖書からの引用は口語訳によっています。聖書に含まれている各書の名称、登場人物名、地名などについては新共同訳などに準拠している場合もあります。

なお、この日本語版では聖書をよく知らない読者を考慮して聖書の引用箇所を明示しました。また、少しでも内容をわかりやすくするために、日本語版はフィンランド版に加筆や修正が施されているものであることをあらかじめお断りしておきます。