イスラエルとは何でしょうか?

フィンランド語原版執筆者: 
エルッキ コスケンニエミ(フィンランドルーテル福音協会、神学博士)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

1.神様はアブラハムと契約を結び、彼を御自分の民として育んでくださいました(創世記15章)。この民にモーセの十戒が与えられました。そして、唯一この民「イスラエル」のみが「神様の所有の民」となったのでした(出エジプト記19章3~5節)。他のすべての異邦の民は偶像を崇拝していました。ただイスラエルのみが真の神様に仕えていたのです。神様のすべての約束はイスラエルに対してのみ向けられていました。一方では、神様がひとつの民を選ばれたのは、神様がすべての民に近づかれたことを確かに意味していました(出エジプト記19章5~6節)。

2.イスラエルは神様に対して絶えず反抗していました。神様はそのようなイスラエルを懲らしめました。しかし、再び御自分の民を憐れまれ、預言者たちを派遣してくださいました。預言者たちはイスラエルに悔い改めるように説教しました。そして、真の王国を築き上げる「来るべき王キリスト」について預言しました。

3.キリストがこの世にやって来られた時、神様の民はキリストを受け入れないどころか、この方を十字架につけることを要求しました。しかし実は、このようにして神様の隠された御計画が実現したのです。それは、ゴルゴタの十字架でイエス様が成し遂げてくださったこと、すなわち、「人を罪ののろいから救い出す」というあがないのみわざでした(イザヤ書53章)。キリストは死者たちの中からよみがえられたとき、すべての民を御自分の弟子とするために使徒たちを派遣されたのでした(マタイによる福音書28章18~20節)。このようにして今や神様は、御自分の所有の民イスラエルだけではなく、すべての民に近づいてくださったのでした。

4.イスラエルの立場は今はどうなっているのでしょうか?最も大切な聖書の箇所はローマの信徒への手紙9~11章です。ここから私たちは3つのことを学びます。

1)イスラエルはキリストを見捨て、神様から離れ去りました。こうして神様の恵みをいただく権利を完全に失ったのでした(ローマ10章21節)。イスラエルの代わりに、神様は異邦の民を招かれました(ローマ9章24~25節)。この新しい民は「神様のイスラエル」と名づけられています(ガラテアの信徒への手紙6章16節)。

2)しかしながら、イスラエル全体が神様から離れ去ったわけではありませんでした。なぜなら、そのうちの何人かはキリストを信じたからです。こうして神様は、イスラエルの父たちにお与えになった約束を忠実に守られたのでした(ローマ11章1~5節)。

3)神様はこれから再びイスラエルを招いてくださることになっています。そして、時の終わりに、この招待は受け入れられるのです。こうして神様は御自分の民を憐れんでくださることになるのです(ローマ11章25~26節)。

今私たちは、イスラエルとユダヤ人とをいろいろな角度から見ることができます。イスラエルは「神様の所有の民」であったし、今もそうです。しかし、彼らは今はまだ心をかたくなにしたままでいます。もしもキリストを受け入れず拒むならば、たとえ「神様の所有の民」に属していても、救われることはありません。 私たちは、神様が御自分の約束を思い出して、イスラエルをキリストのみもとへと方向転換させてくださるように、祈ります。

5.私たちは、イスラエルの歴史を調べることで、多くを学ぶことができます。神様は、イスラエルにたくさんのことを与えてくださいましたが、イスラエルは、キリストを拒んだときに、そのすべてを失ってしまいました。私たちが神様の子供であり、キリストの教会、すなわち「神様の新しいイスラエル」に属しているのは、神様からいただいた恵みによるのです。一方で私たちは、「もしも神様が生来の枝を惜しまれなかったのならば、あなたのことも惜しまれはしないだろう」という警告も受けています。キリストにおいてのみ救いがあります。そして、キリストを捨て去る者たちの受ける分は滅びです。


(聖書の引用は口語訳からのものです)