イエス様の十字架刑

フィンランド語原版執筆者: 
エルッキ・コスケンニエミ(フィンランドルーテル福音協会、神学博士)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

「イエスは十二弟子を呼び寄せて言われた、
「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、人の子について預言者たちがしるしたことは、すべて成就するであろう。人の子は異邦人に引きわたされ、あざけられ、はずかしめを受け、つばきをかけられ、また、むち打たれてから、ついに殺され、そして三日目によみがえるであろう」。」
(「ルカによる福音書」18章31〜33節、口語訳)

1)十字架刑の実際

十字架刑は毎回同じ一定のやり方で執行されるものではありませんでした。むしろ、それは死刑執行人の気の向くままにどのようなことをしても許されるような恣意的な死刑でした。頭を上にして十字架に磔にされた者もいれば、頭を下向きに体も不自然な姿勢を取らされて磔にされた者もいます。ある者は壁に、ある者は木の支柱に、またある者はT 字型の十字架に磔にされました。ある者は他の方法で死刑に処された後で十字架にかけられました。これらの事例は十字架刑一般に共通するある重要な事実を示しています。それは、十字架刑とは受刑者本人およびその身体を当時知られていた最も残酷なやり方で辱めることであったということです。衆人環視の中、受刑者は十字架に磔にされ、皆の恥辱と侮蔑の標的となりました。十字架刑の受刑者にはありとあらゆる拷問が執拗に加えられました。十字架刑では人間の心の奥底に潜む残虐性が顕在化したとも言えます。十字架に磔にする前の段階で受刑者に激しい鞭打ちを浴びせる懲罰もしばしば行われました。そしてその後に十字架用の木の棒を受刑者自身に背負わせることが普通のやり方でした。十字架を担ぎ処刑場へとのろのろと進んで行く受刑者を死刑執行人は棘で突いて引っ立てました。そして、受刑者は「死刑執行人の篩」と侮蔑的に呼ばれることがありました。(1

当時の公開処刑は全民衆によって盛大に祝われる行事でもありました。これは十字架刑だけではなく、絞首刑の場合でもそうでした。罵り騒ぐ群衆が受刑者を取り囲みました。十字架刑に処される者は群衆に小突き回され、文字通り「社会の外側」に排除されました。刑場は都市の城門の外にあったからです。受刑者を刑場に送るこの行進にはその都市の住民全体が受刑者とは一切無関係であることを公に表明するという意味も含まれていました。

十字架に磔にされるまでになされた拷問の数々によっても血をあまり多く失わずにすんだ場合、その受刑者が事切れるまでには通常よりも時間がかかりました。この処刑における最終的な死因としては様々なことが挙げられます。例えば、大量の出血、喉の渇き、傷による発熱、窒息などです。頸骨を折ることで窒息を意図的に早めるやり方もありました。この場合、受刑者は手の力だけで十字架に垂れ下がることになるため、たちまち衰弱して呼吸するのが困難になるのです。

2)十字架刑に処せられた者たち

ローマ人は「十字架刑」という極刑をペルシア人やカルタゴ人から学びました。当時のペルシア人やカルタゴ人は拷問に長けた民族としてよく知られていました。ローマ人はこの懲罰手段を奴隷に対して適用することが度々ありました。それにより、当時最悪の死に方とされていた十字架刑に処せられることを極度に恐れた奴隷たちはローマに対して反乱を起こす勇気をしばしば挫かれることになったのです。

自由人やローマ帝国の臣民であっても十字架刑に処されることがありました。例外的に、祖国を裏切った国賊や重犯罪人もまた十字架に磔にされた場合があります。帝国の法廷裁判の及ばない領域での犯罪としては海賊行為を一例として挙げることができます。ローマ人は海賊を十字架刑に処して懲らしめました。当時の海賊は特に移動や通行が困難な地方において国家的な大問題となっていました。ローマ帝国に反逆したユダヤ人の愛国主義者たちも捕まると十字架刑に処されました。イエス様と一緒に十字架に磔にされた犯罪人たちはまさにこのような「イスラエル解放戦線」の戦士であったとも考えられます。十字架刑は人として恥辱に満ちた死に方でした。それは福音書記者たちを除いては正確に描写されることがなかった無残な惨劇でした。それは犯罪を行った奴隷や国家反逆者や重犯罪者の行き着く先でした。それは受刑者本人に対する懲罰であると同時に他の者たち皆に対する警告でもありました。

3)サスペンス映画のエフェクトにご用心!

イエス様の十字架の死について語る時には、ある種の「危険」について心得ておく必要があります。イエス様の御受難について思いをめぐらす時、私たちの心は強く揺さぶられることがあるかもしれません。これ自体は全く正しいことです。しかし一方では、思いをめぐらす自分がイエス様の十字架の出来事のたんなる「傍観者」にとどまるという「危険」もあります。そうすると、私たちは「怖い映画の観客」に過ぎなくなってしまいます。人気のあるサスペンス映画を観る人の多くはショックを受けたいからこそわざわざ映画館まで足を運ぶわけです。もしも怖い映画を観た影響で震えが止まらなくなる状態がさほど長く続かないようなら、その映画はあまり出来が良くなかったということになるでしょう。「金を返せ」と言う人さえ出てくるかもしれません。

イエス様の十字架の死の苦しみをサスペンス映画のように眺める「宗教的な感性」はたんに心理的なものに過ぎず、信仰的には全く意味のないものです。それに対して、イエス様の十字架の死を「まさに私たちのために起きた出来事」として自覚する時に、ようやく私たちは「イエス様の十字架の死がもたらしたこと」にあずかることができるようになるのです。私の目には私の罪は些細なものに見えます。しかし実はまさしく私の罪こそが、十字架にかかられる前の夜のゲッセマネの園で一人で祈られたイエス様に血の汗を流させ、また地獄の苦しみを加えたのです。イエス様の十字架刑をこのような視点から理解する時、はじめて私たちはキリストの御受難の意味を正しく吟味することができるようになり、悔い改めへと導かれていきます。そして、私たち自身のも含めて全ての人間の全ての罪が十字架の上で帳消しにされたことを見るのです。

4)イエス様の十字架刑

イエス様の十字架刑には精神的にも肉体的にも徹底的に痛めつける虐待が周到に用意されていました。茨の冠はイエス様の頭を血だらけに引き裂きました。ローマ軍の兵士たちは退屈な一日を紛らわすために、本来なら人を打ちたたいて懲らしめるために用いられるはずの棒を「王笏」に見立ててイエス様に持たせ、赤い道化の王のマントをイエス様の身にまとわせて、イエス様を「ユダヤ人の王」に仕立て上げて嘲笑しました。こうすることで、彼らは普段から侮蔑していたユダヤ人たちに対してさらなる嫌がらせをしたのです。このような皮肉さは、ユダヤ属州総督ポンテオ・ピラトが書かせたイエス様の死刑の罪状書き「ナザレ人イエス、ユダヤ人の王」にも伺えます。当然のようにして「王」は真ん中の十字架に、そして「王の臣下たち」(イエス様と共に十字架につけられた二人の強盗たち)はその両側の十字架にそれぞれ磔にされました。

真昼になり、喉の渇きにひどく苦しめられている者に「飲み物」として差し出されたのは、すっかり酸っぱくなったぶどう酒でした。前夜、イエス様は異常に激しく鞭打たれました。おそらくそのためにすでにたくさんの血を失っていたイエス様は精神的な苦しみとあいまって十字架上で力を失い、驚くほど速やかに死を迎えられました。そのためイエス様に対しては、受刑者の死を早めるために脛骨を打ち砕く必要はなかったのです。というのは、死んで不自然に捻じ曲がったイエス様の身体は、専門家だけではなく一般の見物人が見ても、イエス様がすでに絶命していたことを明らかに示していたからです。何の気なしに兵士がイエス様のわき腹を槍でつつくと、そこからは水と血が流れ出ました。現代の医学によると、死んだばかりの人のわき腹からは水と血が湧き出ることがありうるそうです。その場にいたローマの処刑者たちは「イエスは死んだのではなく、実は気を失っていただけだ」などという、現代でもなされることがある主張をまともに受け取りはしないでしょう。彼らは十字架上で死んだひとりの男をその目で見届けたからです。

「ユダヤ人の王」としてローマ帝国のユダヤ属州総督に通報された者が、絵画などに見られる芸術的な美の世界とはかけ離れた、酷い苦痛に満ちた最期を遂げたのです。

十字架の血の福音

イエス様が復活なさった後の世界では、人々を罪の呪いから救い出す福音があらゆるところへと伝えられていきました。多くの人々にとっては「十字架で殺された神様の御子」というメッセージは愚かしく感じられるものでした。当時、十字架刑を一度でも見たことがある者なら誰であれ、それがどのようなものか知っていました。「十字架につけられたキリスト」についてのメッセージは、それを耳にした人々を躓かせました。

「ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵を求める。しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。」
(「コリントの信徒への第一の手紙」1章22〜25節、口語訳)

すでに教会初期の頃のキリスト教徒の中にも、神様の御子イエス・キリストには本来ふさわしくないはずの十字架刑による凄惨な死について口をつぐむ人々がいました。「イエス様が苦しんだのは外見だけで、実は肉体は苦しまずに済んだのだ」などと言い出す者さえいました。

こうした考え方とは反対に、イエス様の弟子たちは、まさにイエス様の十字架の死において信仰の核心を見出したのです。イエス様は神様の愛の御心に対して最後まで忠実を貫かれました。こうしてイエス様は十字架上で父なる神様に見捨てられ、呪われた者となられたのです。

「キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあが ない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。 それは、アブラハムの受けた祝福が、イエス・キリストにあって異邦人に及ぶためであり、 約束された御霊を、わたしたちが信仰によって受けるためである。」
(「ガラテアの信徒への手紙」3章13〜14節、口語訳)。

イエス様は人々から侮られさげすまれるために、十字架へと上げられました。

「天から下ってきた者、すなわち人の子のほかには、だれも天に上った者はない。そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。
それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである。」
(「ヨハネによる福音書」3章13~15節、口語訳)。

まさにこうすることで、イエス様は御自分の上に私たちの罪のもたらす懲罰を「私たちの身代わり」としてお受けになったのです。次のようなやり方で私たちはイエス様と互いの「所有するもの」を交換することが許されました。すなわち、罪深い存在である私たち人間が自らの罪の報いとして受けるのが当然であるはずの神様からの全ての怒りを、イエス様が代わりに引き受けてくださいました。同時にその一方では、イエス様が「罪なき方」の義の報いとして受けるはずの神様の愛を、私たちが代わりにいただくことになったのです。

「神がわたしたちをとおして勧めをなさるのであるから、わたしたちはキリストの使者なのである。そこで、キリストに代って願う、神の和解を受けなさい。神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義と なるためなのである。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」5章20〜21節、口語訳)。

最後に「イザヤ書」53章を一緒に読みましょう。

「だれがわれわれの聞いたことを信じ得たか。主の腕は、だれにあらわれたか。
 彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。
 彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲しめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。
 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。
 彼は暴虐なさばきによって取り去られた。その代の人のうち、だれが思ったであろうか、彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと。
 彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共にあった。
 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。
 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。
 それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に物を分かち取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした。」 (「イザヤ書」53章、口語訳)


(1「死刑執行人の篩」とは紀元前の古代ローマの劇作家プラウトゥス(Plautus)の「Mostellaria」という劇に由来する表現です。その劇では奴隷たちが互いに誹謗し合うシーンがあり、その悪意に満ちた言葉がラテン語で「carnuficium cribrum」すなわち「死刑執行人の篩」でした。このことから、どうして受刑者にこの罵声が浴びせられたのかがわかります。受刑者は肩に縛り付けられた十字架用の棒を担ぎながら刑場へと向かいます。その後をついてくる死刑執行人は受刑者を棘によって刺し「死刑執行人の篩」という中傷の言葉によってもチクチクと痛めつけます。しかも、この拷問は受刑者がそれこそ「篩」のように穴だらけになるまで続けられたのです。(フィンランド語版著者による補足説明)


日本語版では内容や表現を一部変更しています。
また、聖書の翻訳は口語訳によっています。