コリントの信徒への第二の手紙7章 神様の御心に添うた悲しみ

フィンランド語原版執筆者: 
パシ・フヤネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

「コリントの信徒への第二の手紙」7章1節 全き者でありなさい

「愛する者たちよ。わたしたちは、このような約束を与えられているのだから、肉と霊とのいっさいの汚れから自分をきよめ、神をおそれて全く清くなろうではないか。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」7章1節、口語訳)

この7章1節は6章の終わりの14〜18節と内容的につながっています。

ある研究者たちは「パウロがこの節を口述したとは考え難い。この箇所は肉体的にも霊的にも一切の汚れから自分自身をきよめることを勧めているが、パウロが肉体のきよめについてこれほど肯定的な意見を述べるとは思われないからである」と主張しています。

ここでもまた簡単な解決法を採用することにしましょう。もしもこの節と正反対のことが書かれていたとすれば、どうなるでしょうか。はたしてパウロは「肉体をきよめるべきではない」などと言うでしょうか。あるいは、パウロは「部分的にきよめるだけでよい」と勧めるでしょうか。もちろんそのようなことはありえません。

イエス様は次のように言われています。

「それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」
(「マタイによる福音書」5章48節、口語訳)

はたしてこれよりも厳しい要求を人間につきつけることができるでしょうか。パウロは他の手紙で次のように教えています。

「わたしたちはこのキリストを宣べ伝え、知恵をつくしてすべての人を訓戒し、また、すべての人を教えている。それは、彼らがキリストにあって全き者として立つようになるためである。」
(「コロサイの信徒への手紙」1章28節、口語訳)

「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。」
(「テモテへの第二の手紙」3章16〜17節、口語訳)

この世で生きている間に人間が完全に聖なる者となるのは不可能であることをパウロはもちろんよく承知していました(「フィリピの信徒への手紙」3章5〜9節も参考になります)。そうではあっても、そのような存在になることがキリスト信仰者の目標であることは変わりません。私たちはそれを目指して歩んでいくべきだし、それを得ようと努めるべきなのです。

神様は私たちを「御自分のもの」とする時には、部分的にではなく完全に私たちの全人生についてそうなさりたいのです。

すでに述べましたが、偶像礼拝は多くの海外宣教の現場で直面する難問の一つです。新たにキリスト信仰者となった人にとって、かつての異教徒としての生活や偶像との関係をはっきり断ち切ることはしばしばとても難しいことです。にもかかわらず、そのように決断することは不可欠な態度なのです。ここでパウロの海外伝道で起きた出来事について読みましょう。

「神は、パウロの手によって、異常な力あるわざを次々になされた。たとえば、人々が、彼の身につけている手ぬぐいや前掛けを取って病人にあてると、その病気が除かれ、悪霊が出て行くのであった。そこで、ユダヤ人のまじない師で、遍歴している者たちが、悪霊につかれている者にむかって、主イエスの名をとなえ、「パウロの宣べ伝えているイエスによって命じる。出て行け」と、ためしに言ってみた。ユダヤの祭司長スケワという者の七人のむすこたちも、そんなことをしていた。すると悪霊がこれに対して言った、「イエスなら自分は知っている。パウロもわかっている。だが、おまえたちは、いったい何者だ」。そして、悪霊につかれている人が、彼らに飛びかかり、みんなを押えつけて負かしたので、彼らは傷を負ったまま裸になって、その家を逃げ出した。このことがエペソに住むすべてのユダヤ人やギリシヤ人に知れわたって、みんな恐怖に襲われ、そして、主イエスの名があがめられた。また信者になった者が大ぜいきて、自分の行為を打ちあけて告白した。それから、魔術を行っていた多くの者が、魔術の本を持ち出してきては、みんなの前で焼き捨てた。その値段を総計したところ、銀五万にも上ることがわかった。このようにして、主の言はますます盛んにひろまり、また力を増し加えていった。」
(「使徒言行録」19章11〜20節、口語訳)。

二心を抱いたままでは信仰は長続きしません。パウロは次のように教えています。

「それとも、正しくない者が神の国をつぐことはないのを、知らないのか。まちがってはいけない。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は、いずれも神の国をつぐことはないのである。あなたがたの中には、以前はそんな人もいた。しかし、あなたがたは、主イエス・キリストの名によって、またわたしたちの神の霊によって、洗われ、きよめられ、義とされたのである。」
(「コリントの信徒への第一の手紙」6章9〜11節、口語訳)。

キリスト教信仰と偶像礼拝とを共に並行して続けるという態度は危険です。 しかし、これはキリスト教が伝統的に国教となっている西欧の国々でさえもしばしば見受けられるものです。自分自身と神様との関係に対する多くの現代人の曖昧な態度は、例えば彼らが自分の財産や時間の使い方を決める際に好ましくない影響を及ぼしています。

「コリントの信徒への第二の手紙」7章2〜4節 和解の手

「コリントの信徒への第二の手紙」6章13節で中断していた、パウロとコリントの信徒たちとの間の関係修復作業がここで再開されます。

パウロは彼とコリントの信徒たちとの間にあった意見の相違に言及しています。残念なことに、その問題の所在については詳しく知ることができません。パウロの敵対者たちはパウロが金銭に関わる不正を行っていると非難したのではないか、という説も提案されています。その証拠として挙げられているのが7章3節と12章16〜18節です。

パウロの態度ははっきりしています。パウロはコリントの信徒たちが騙されて間違った考え方をするようになってしまったことを知っていましたが、それでもなおコリントの信徒たちを裁きたいとは思いませんでした(7章4節)。むしろ、彼は彼らとの間によりしっかりとした新たな関係を築くことを願いました(7章3節)。

はたして私たちは周囲の隣り人に対して(たとえそれが付き合いにくい人であっても)善意の心で接することができるでしょうか。マルティン・ルターの「小教理問答書」には次のような説明があります。

「第八の戒め 
 あなたは、あなたの隣り人に関して偽証してはいけません。
(出エジプト記20章16節、ドイツ語版)
 これは、どういうことですか?
答え。私たちは神様を畏れ、愛するべきです。ですから、私たちは私たちの隣り人に対して偽りの証言をしたり、裏切ったり、誹謗したり、あるいは悪い評判を立てたりしないで、むしろ、その人を弁護し、その人についてよいことを語り、すべてを善意をもって考えてゆくのです。」
(マルティン・ルター「小教理問答」(Göttingen版(1930年)のルーテル教会一致信条書のドイツ語文を高木が訳出したもの))

パウロはコリントの信徒たちに対して遺恨を抱いてはおらず、むしろ彼らのことを誇りに思っていました。おそらくこのことはパウロがテトスから聞いていたよい知らせとも関係がありました。この知らせについてパウロは次の箇所で触れています。

「コリントの信徒への第二の手紙」7章5〜7節 よい知らせ

「さて、マケドニヤに着いたとき、わたしたちの身に少しの休みもなく、さまざまの患難に会い、外には戦い、内には恐れがあった。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」7章5節、口語訳)

この節は「コリントの信徒への第二の手紙」がどこで書かれたかを教えてくれます。「使徒言行録」はマケドニアにある三つの教会について言及しています。それらはフィリピ(口語訳ではピリピ)、テサロニケ、ベレヤです。これらのうちで「コリントの信徒への第二の手紙」が書かれたと思われる場所の最有力候補はフィリピです。

元々の計画では、パウロはコリントから戻ったテトスとトロアスで合流することになっていました(2章12〜13節)。しかし、テトスのコリント滞在が予定よりも長引いたため、パウロはエーゲ海を越えてヨーロッパに渡り、マケドニアに来ていました。おそらくその理由は航海に適した時期が終わりかけていたからでしょう。当時の航海は季節によっては大変な危険を伴うものでした(「使徒言行録」27章9〜12節)。

パウロが辿り着いたマケドニアでも困難な状況は続きました。彼は実際にも人々からの反対を受けました。しかし、彼にとってとりわけ苦しく感じられたのは心の中のただならぬ不安だったのではないでしょうか。パウロはテトスのコリントの旅がどうなったのか心配で仕方がありませんでした。もちろんテトスがなかなかコリントから帰ってこないことはよい知らせである可能性もありました。しかし、それが悪い知らせである可能性も同じようにありました。

「しかるに、うちしおれている者を慰める神は、テトスの到来によって、わたしたちを慰めて下さった。ただ彼の到来によるばかりではなく、彼があなたがたから受けたその慰めをもって、慰めて下さった。すなわち、あなたがたがわたしを慕っていること、嘆いていること、またわたしに対して熱心であることを知らせてくれたので、わたしの喜びはいよいよ増し加わったのである。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」7章6〜7節、口語訳)

上掲の箇所が語るように、ようやくテトスはよい知らせとともにパウロのもとに戻ってきました。テトスのコリント訪問がそこの信徒たちにとって決定打となったのかどうかはわかりません。しかし、テトスがパウロのいわゆる「涙の手紙」をコリントに携えていったのはまず間違いありません(7章8節、2章4節)。これら二つのことがあいまってコリントの信徒たちのパウロに対する態度を肯定的な方向に変化させたのでしょう。

一人の人間が他の大勢とは異なる立場を鮮明にすることによって全体の状況がすっかり変わってしまうことがあります。少なくとも表面的には全員の意見が一致しているような場合にその集団に所属することは簡単です。しかし、ときには個人的な選択を迫られる場合もあります。負けるとわかっている側につくのは愚かしく無意味な行為に感じられるものかもしれません。しかし、あえてこのような選択をすることで勝者が敗者になり敗者が勝者になることも起こり得るのです(7章7節)。

パウロは手紙の冒頭(1章3〜7節)に述べたことをここで個人的な経験によって裏付けているとも言えるでしょう。喜びと慰めを実際に経験した者だけが他の人たちを慰めることもできるのです。

コリント教会の状況がどれほど深刻なものであったかは、パウロが彼の代行としてテトスをそこに派遣したことからも伝わってきます。テトスはパウロの最も大切な同僚の一人でした。彼はシリアのアンティオキアの時代からパウロと一緒に働いてきたのです(「ガラテアの信徒への手紙」2章1節、「使徒言行録」15章1〜2節)。

パウロは予想していたのよりも時間が経過してからようやくテトスからよい知らせを受け取ることができました。このことに注目しましょう。神様の御計画が実現するタイミングは私たち人間にはあまりにも遅く感じられる場合があります。それでも、神様によるタイムスケジュールは人間が立てるものよりも常に優れたものなのです。

「コリントの信徒への第二の手紙」7章8〜13節前半 正しい悲嘆と間違った悲嘆

パウロがここで何の出来事について話しているのか、残念ながら正確に知ることはできません。しかし、それはおよそ次のようなものだったのではないかとは推測できます。エフェソに滞在していた時にコリントの教会について心配な知らせを受けたパウロは取り急ぎコリントを短く訪れることにしました。しかし、その間にも状況は悪化の一途を辿ったようです。コリント教会に論争が巻き起こり、信徒の大多数はパウロに反対しました。エフェソに戻ったパウロは「涙の手紙」(2章1〜4節を参照してください)を書き上げます。おそらくテトスがその手紙をコリントに送り届けたものと思われます。しばらくの間、パウロはエフェソを離れてトロアスに行きました。そこで彼はテトスと合流することになっていました。

おそらくコリント教会で起きた論争は直接的にはパウロ個人をめぐるものではなかったでしょう(7章12節)。しかし、その論争においてコリントの信徒の大多数はパウロに反対しました。そうなったのは、コリントを来訪した新顔の宣教師たち(すなわちパウロの言う「別の福音」の支持者たち)をコリントの信徒たちが支持したことと関わりがあるものと思われます(11章4節)。このような論争はどうでもよいことに見えるかもしれません。しかし、このような状況下におけるコリントの信徒たちの立場の表明はパウロにとって極めて重要なことでした。この論争においてコリント教会が意図的に間違った福音を支持した可能性すらあります。なぜなら、正しい福音とはどのようなものかについてパウロが言及しているからです。コリントの信徒たちは論争時には正しい福音を受け入れませんでした。それを教えたのが他ならぬパウロその人だったからです。

パウロの「涙の手紙」自体は散逸したため、その内容を知ることはできません。おそらくそれにはかなり手厳しいことが書かれていたのではないかと思われます。なぜなら、パウロはそれを書いたことを悔いているからです(7章8節)。思うに、その手紙の内容はコリント教会だけに関わる特殊な問題を扱っていたため、聖書の真の著者なる聖霊様はそれが万人に関わる聖書の一部として後代に伝えられることを望まれなかったのではないでしょうか。

「涙の手紙」を受け取った後、コリント教会には変化が生じました。コリントの信徒たちはいったい何が神様の御心にかなう正しいことであるかにようやく気がついて、心を入れ替えたのです。

パウロはコリント教会が彼の言った通りに行ったかどうかではなく神様の御心を実現したかどうかということに関心を寄せていました。これは重要な点です。

罪を「罪である」と言い切る勇気を持つのは、たとえそうすることによって言われた相手の気持ちを害したり相手との関係が駄目になってしまう場合があったとしても、大事なことです。ところが残念なことに、私たちキリスト信仰者は罪のもたらす結果だけは避けたがっているくせに罪そのものからは一向に離れようとしない傾向があると思います。

コリントの信徒たちは何が正しいかをようやく見抜いた時に、パウロに対する態度も改めました。それにともない、罪深い生活を送っている者に対する彼らの態度も変わりました(7章11節)。神様の御言葉は活きており、それを聴き入れる者を動かす力を持っています。

「神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救を得させる悔改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」7章10節、口語訳)

上節の「この世の悲しみ」とは何でしょうか。その答えをイエス様は「山上の説教」で教えておられます。

「だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」
(「マタイによる福音書」6章31〜34節、口語訳)

すなわち「この世の悲しみ」とは食べること、飲むこと、服を着ること、次の日の心配といった、この世での日常生活一般に関わることなのです。

「コリントの信徒への第二の手紙」7章13節後半〜16節 使徒の出迎え

テトスをコリントに派遣した時、パウロは自分の同僚がそこでどのような出迎えを受けるのか見当もつきませんでした。以前コリントの信徒たちは短期間彼らの教会を訪問したパウロを拒絶したことがあったので、そのような心配も当然でした。

コリントの信徒たちはテトスを神様からの使者として出迎えてくれました(7章15節)。このことはまた、パウロが正統な使徒であることを彼らが再び信頼するようになったことの証でもありました。

様々な論争が生じたにもかかわらず、パウロはコリント教会に対する基本的な信頼を失うことがありませんでした(7章14節)。ある時期のコリント教会の嘆かわしい状況はパウロにはもはや希望が失せたように見えたはずです。にもかかわらず、神様がこの教会を異端化したまま放置なさるとはパウロにはどうしても思えなかったのでしょう。

「また彼は、あなたがた一同が従順であって、おそれおののきつつ自分を迎えてくれたことを思い出して、ますます心をあなたがたの方に寄せている。わたしは、あなたがたに全く信頼することができて、喜んでいる。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」7章15〜16節、口語訳)

パウロのこの言葉には誇張が含まれているでしょうか。後の11〜12章と比較すると、パウロはコリントの信徒たちの彼に対する態度についてある種の疑いを抱いていたことに気付かされます。たしかに基本的なことについてだけ言えば、もはや問題は片付いていたとも言えるでしょう。しかし、問題が根本的に解決するまでにはまだ時間が必要なことをパウロは知っていました。すでに事態は好転し始めてはいました。しかし、それはまだ解決には至っていなかったのです。コリント教会内部には様々な「派閥」が存在したものと思われます(「コリントの信徒への第一の手紙」3章)。そして、パウロの側に立っていた人々の中にも、旗色を鮮明にする人もいれば曖昧な態度をとる人もいたことでしょう。

パウロの言葉の中には、これからも事態がより望ましいほうへと進んでいくことへの期待が見て取れます。パウロは喜びを素直にそのまま表す性格だったようです。パウロはテトスがもたらしたよい知らせに大喜びして、コリントの信徒たちを褒める言葉遣いがやや大げさなものになったのかもしれません。

パウロがこのような言葉遣いを選んだのには何か目的があったのではないかと推測する研究者もいます。コリントの信徒たちを褒めることでパウロへの反対を鎮める彼一流のやり方だったのではないかと言うのです。たしかにこのように相手を褒めるほうが今までの古い問題を蒸し返すよりも賢いやり方だったということはあるでしょう。