コリントの信徒への第二の手紙10章 自分の立場を弁護するパウロ

フィンランド語原版執筆者: 
パシ・フヤネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

「コリントの信徒への第二の手紙」10章1〜6節 本当にパウロは「面と向かってはおとなしいが離れていると気が強くなる」のか?

パウロはこの手紙の後半ではそれまでの1〜9章よりもはるかに激しい言葉遣いをしています。それがなぜなのか聖書の研究者たちは議論を戦わせてきましたし、様々な説明も提案されてきました。以下にその幾つかの例を挙げます。

第一の説明)現代の研究者のうちの多数は「コリントの信徒への第二の手紙」が元々は二つの異なる手紙から構成されたものであると推定しています。それによれば10〜13章は現在失われている「涙の手紙」であるとされます(2章1〜4節を参照のこと)。

この説明に対する反論としては、パウロの「厳しい手紙」がすでに以前コリントに送られていたということを挙げることができます(10章1、10節)。また次の箇所も反証となります。

「そこで、たとい、あの手紙であなたがたを悲しませたとしても、わたしはそれを悔いていない。あの手紙がしばらくの間ではあるが、あなたがたを悲しませたのを見て悔いたとしても、今は喜んでいる。それは、あなたがたが悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めるに至ったからである。あなたがたがそのように悲しんだのは、神のみこころに添うたことであって、わたしたちからはなんの損害も受けなかったのである。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」7章8〜9節、口語訳)

第二の説明)パウロはこの手紙を口述していた時に新たな悪い知らせをコリントから受け取った、と考える研究者もいます。手紙の口述期間が何週間あるいは少なくとも何日間にもわたって続けられたのはたしかでしょう。この説明によれば、手紙の後半部でパウロはこれらの悪いニュースに反応していることになります。

第三の説明)10章の冒頭からはパウロが自ら筆を取った箇所が始まっている、という説明も提案されています(「ガラテアの信徒への手紙」6章11節も参照してください)。この説明によれば、パウロはこの手紙を何らかの理由で書き足しました(コリントから届いた悪い知らせがその理由であった可能性は高いと思われます)。それが結局は4章分にまで膨れ上がったとされます。

第四の説明)コリント教会にはパウロとテトスの訪問(7章5〜7節)を受けて正しい信仰の道に引き戻された人もいましたし、依然としてパウロに反対し続ける人もいました。この手紙の第一部(1〜9章)はすでに悔い改めた人に向けて書かれ、第二部(10〜14章)はまだ悔い改めていない人に対して書かれたものである、と考えることもできます。

このように様々な解釈が提案されていますが、元々二つの別々の手紙が一つにまとめられ、しかも時間的に逆の順序に編集されていると考えるのは、コンピューターによる文書の作成が一般化した現代特有の考え方のように思われます。パウロの手紙が書かれた当時の世界では特に重要な要件もなく手紙が何となく書かれるようなことはありえませんでした。コリントの信徒たちに書き送られたパウロの手紙はいわば「貴重な宝物」のようなものであり、信徒たちから敬意を込めて受け取られたことは明らかです。

どうしてパウロが手紙の途中で書き方のスタイルを突然変えたのか、私たちにはその理由を確実に知ることができません。おそらくこれはコリント教会の数々の問題の中にはすでに解決済みのものと未解決のものとが混在していた状況と関係があるのではないでしょうか。パウロはまず喜ばしい話題に言及することでコリントの信徒たちを自らの側に引き寄せようとし、手紙の終わり近くになってようやく未解決の難題を俎上に載せたということなのではないでしょうか。

コリントの信徒たちはパウロについて「あなたがたの間にいて面と向かってはおとなしいが、離れていると、気が強くなる」(10章1節)とか「彼の手紙は重味があって力強いが、会って見ると外見は弱々しく、話はつまらない」(10章10節)人物であるという手厳しい評価を受けていたようです。以前パウロがコリントに短期間滞在した時の経験がこれと関係していたのではないでしょうか(2章1〜4節)。パウロから見てその訪問は失敗に終わりました。かえってパウロの反対者たちの勢いを強めることになったからです。

今度のコリント再訪では主の使徒として思い切った行動と決断をする用意があることをパウロは述べています(10章2節)。しかし彼は、自分がそのような態度を取る必要に迫られないでむしろコリントの信徒たちが自発的に正しい福音への従順を示すことを望んでいます。愛することは強制できません。強制は人を律法の下へと追いやることになるからです。パウロは福音がコリントの信徒たちに純正な喜びを生み出すことを希求しているのです。

パウロは多くの手紙で使徒の自分もただの罪深い人間に過ぎないことをはっきりと述べています(「「ローマの信徒への手紙」7章14〜25節、「ガラテアの信徒への手紙」2章20〜21節)。そうではあっても、彼は神様の御国に関わる重要事項をこの世的な手段に訴えて解決しようとは思いませんでした(10章4節)。「エフェソの信徒への手紙」6章10〜17節でパウロはキリスト教信仰を守るための霊的な武装について詳細に述べています。「コリントの信徒への第二の手紙」にも「真実と知識と寛容と、慈愛と聖霊と偽りのない愛と、真理の言葉と神の力とにより、左右に持っている義の武器により」(6章6〜7節、口語訳)という霊的武装についての短い記述があります。

「わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。わたしたちはさまざまな議論を破り、神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ、そして、あなたがたが完全に服従した時、すべて不従順な者を処罰しようと、用意しているのである。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」10章4〜6節、口語訳)

上掲の箇所からは、パウロの敵対者たちが人間の理性に基づく何らかの教えの信奉者であったらしいことがわかります。パウロはすでに「コリントの信徒への第一の手紙」2章1〜10節において(すなわち「多くの使徒たち」がコリントを訪れる前に)、キリストの十字架が人間の知恵とは相容れないものであることを教えています。それをここで思い出しておきましょう。

パウロの敵対者たちがどのようなことを教えていたのか、たしかなことはわかりません。ひとつはっきりしているのは、彼らの新しい教えが信徒たちを天の御国に導くものではないことをパウロは看破していたということです。

パウロはあまりにも謙虚すぎるという批判をコリントの信徒たちから受けています(10章1節)。パウロのほうでは彼の反対者たちの傲慢さを批判しています(10章5節)。キリストは御自身について聖書で次のように言っておられます。

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
(「マタイによる福音書」11章28〜30節、口語訳)

これからもわかるように、パウロの選んだ態度は彼の敵対者たちのと比べてキリストの模範により近いものでした。

「コリントの信徒への第二の手紙」10章7〜11節 すべてのキリスト信仰者はキリストのうちにある

パウロの反対者たちは自分らがパウロよりもキリストの近くにいると強弁しています。これに対して、パウロはキリスト信仰者は皆ひとりひとりがキリストのうちにあることを強調します。そして、そのためにはわずかばかりの信仰でも足りるのです。ここでイエス様の「からし種の譬」を思い起こしましょう。

「また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、一粒のからし種のようなものである。ある人がそれをとって畑にまくと、それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる」。」
(「マタイによる福音書」13章31〜32節、口語訳)

キリスト信仰者は聖霊様との関係性の違いによって様々な別のグループに分かれている、という主張を現代では多く耳にします。この問題に関してもパウロにはたった一つの選択肢しかありません。すなわち、全てのキリスト信仰者は聖霊様をいただいているという視点です。パウロは「ローマの信徒への手紙」で次のように書いています。

「しかし、神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである。もし、キリストの霊を持たない人がいるなら、その人はキリストのものではない。」
(「ローマの信徒への手紙」8章9節、口語訳)

私たちがキリストをいただいているのなら、私たちには全てがあることになります。しかし、もしも私たちがキリストをいただいていないのなら、私たちには何もないことになるのです。

使徒のやるべきことは教会を引き裂くことではなく、教会を築きあげて行くことです(10章8節、12章19節)。ところが、パウロの敵対者たちはこれと正反対のことをしています。

おそらくパウロの敵対者たちは弁舌に秀でていたのでしょう。古典古代のギリシア文化圏において弁論術は人々から高く評価される学芸の一つでした。パウロの風貌や弁論の賜物がどのようなものであったかについて私たちの知っていることははるか後代の伝承によるものであり、内容的には信用しかねます。

どのような説教者の流儀が好みかは人それぞれでしょう。しかし、ある特定の流儀を過大評価して「これが福音を宣べ伝える唯一正しいやり方だ!」と断言するのは避けるべきです。福音宣教において最も大切なのはその内容であって形式ではないということをパウロは常に強調しました(「ガラテアの信徒への手紙」1章6〜9節)。

パウロが自分の福音宣教の仕事に対して金銭的な見返りを要求しなかったことから、彼の福音宣教そのものを無価値とみなす人々も出てきました。いまだに海外宣教の現場でもこれと同様の考え方が見られることがあります。例えば日本では、宗教はお金がかかるものであるという考え方がかなり一般的なのではないでしょうか。ただでもらえる恵みなるものがよいものであるはずがないという先入観がここにはあります。

「あなたがたは、うわべの事だけを見ている。もしある人が、キリストに属する者だと自任しているなら、その人はもう一度よく反省すべきである。その人がキリストに属する者であるように、わたしたちもそうである。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」10章7節、口語訳)

この節でパウロの念頭にあったのは「コリントの信徒への第一の手紙」1章12節に出てくる「キリスト派」かもしれません。あるいは、キリスト信仰者として優等生であることを自認する人々に対する揶揄なのかもしれません。

「コリントの信徒への第二の手紙」10章12〜18節 神様から与えられた使命

実のところ、パウロの敵対者たちの自慢の種は元を正せばパウロが始めたものでした。コリント教会もパウロが設立した教会の一つだったのです(「使徒言行録」18章1〜8節)。

「わたしたちは、あなたがたの所まで行けない者であるかのように、むりに手を延ばしているのではない。事実、わたしたちが最初にキリストの福音を携えて、あなたがたの所までも行ったのである。わたしたちは限度をこえて、他人の働きを誇るようなことはしない。ただ、あなたがたの信仰が成長するにつれて、わたしたちの働きの範囲があなたがたの中でますます大きくなることを望んでいる。こうして、わたしたちはほかの人の地域ですでになされていることを誇ることはせずに、あなたがたを越えたさきざきにまで、福音を宣べ伝えたい。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」10章14〜16節、口語訳)

上掲の箇所でパウロは自分の伝道のヴィジョンについて述べています。ダマスコへの旅の途中で神様はパウロを「異邦人の使徒」(すなわち、ユダヤ人以外の民に福音を伝える使徒)として召命なさいました(「使徒言行録」9章15〜16節)。このとき受けたヴィジョンをパウロは実践しました。福音がまだ宣べ伝えられていない場所でのみ伝道することに彼は誇りを持っていました(「ローマの信徒への手紙」15章20〜21節)。

コリントの信徒たちに手紙を書き送った時点でパウロは現在のギリシアに当たる地域での伝道に区切りがついたと判断し、新たな地域での宣教計画をすでに立てていました。それははるか西方のイスパニヤ(現在のスペインとポルトガルに相当する地域)での伝道となるはずでした(「ローマの信徒への手紙」15章22〜24節)。

しかし、西を目指して出発する前にパウロは異邦人キリスト信仰者が大多数を占めている諸教会の集めた寄附金をユダヤ人キリスト信仰者たちのエルサレム教会に送り届けたいと望みました。それは異邦人キリスト信仰者とユダヤ人キリスト信仰者との間の絆が綻びないようにするためでした(9章、「ローマの信徒への手紙」15章25〜26節)。

新たな開拓伝道を始めるべく西方世界に出発する前にコリント教会の信仰の状態を整えておきたい、というのがパウロの考えでした。自分のこれまでの東方における伝道のこれからに使徒パウロが強い危機感を抱いていたであろうことは想像にかたくありません。このままではコリントとガラテアでの伝道の努力が全て水泡に帰する危険さえあったからです。

パウロはコリントで福音伝道を行うように神様から任命を受けていました(10章18節)。しかし、パウロの反対者たちはどうだったでしょうか。彼らは自分で自分をコリント伝道者に推したのではないでしょうか。

「わたしたちは、自己推薦をするような人々と自分を同列においたり比較したりはしない。彼らは仲間同志で互にはかり合ったり、互に比べ合ったりしているが、知恵のないしわざである。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」10章12節、口語訳)

海外宣教の現場でやってはいけないことが一つあります。それは、まだキリストを信じていない人々をキリストに導くことをせず、その代わりに、すでにキリストを信じている人々を他のキリスト教会から引き抜いて自分の教会の会員にしようとするやり方です。一方、海外宣教活動で大切なことは二つあります。一つは、福音を宣べ伝えることによって新しい人々をキリストへの信仰に導くことです。もう一つは、入信したばかりの人も対象としつつ、キリスト教に改宗した信仰者たちにキリスト教信仰の基本をきちんと教え続けることです。他の宣教師たちの伝道によってすでにキリスト教を信じるようになった人々を自分の教会に引き抜くならば、一から自分で開拓伝道するよりも速やかに教会が成長していくのは当たり前です。しかし、そのようなやり方はキリスト信仰者同士の間では好ましくない競争です。しかも、肝心の異邦人伝道がなおざりにされてしまうのです。

パウロの敵対者たちはパウロのことを臆病者呼ばわりしたようです。おそらく彼らはパウロに「短期のコリント滞在が失敗に終わった今、もはやパウロにはコリントを再訪して弁明する勇気さえないようだ」というような非難を浴びせたのではないでしょうか。しかし、パウロは自分なりにコリント再訪の計画を立てていました。そして、その計画は神様が彼に与えてくださった計画だったのです。パウロは自分がいずれコリントを再び訪れることになると知っていました(10章2節)。

使徒会議(「使徒言行録」15章1〜29節、「ガラテアの信徒への手紙」2章6〜10節)における決定によって、パウロは異邦人伝道の責任者となり、ヤコブ、ペテロ、ヨハネはユダヤ人伝道の責任者となりました。当然ながら、この区分は絶対的なものではありませんでした。パウロは新しい都市に到着すると真っ先にユダヤ人の会堂で伝道を開始するのが常であったことからもそれがわかります(「使徒言行録」17章1〜3、10〜12、16〜17節、18章1〜4節)。この役割分担は異邦人伝道とユダヤ人伝道のどちらに重点を置くかという意味合いがありました。

「彼らはヘブル人なのか。わたしもそうである。彼らはイスラエル人なのか。わたしもそうである。彼らはアブラハムの子孫なのか。わたしもそうである。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」11章22節、口語訳)

この節からもわかるように、パウロは伝道した多くの都市で多くのユダヤ人キリスト信仰者たちから干渉を受けました。彼らが同じところで伝道したこと自体は使徒会議の決定に違反することではありませんでした。ユダヤ人キリスト信仰者であるペテロもコリント教会を訪れています(「コリントの信徒への第一の手紙」1章12節)。使徒会議の決定事項の趣旨はユダヤ人伝道と異邦人伝道とが互いに妨げ合ったり間違ったやり方で競争し合ったりしないようにすることにありました。ところが、まさしくこのようなことをパウロの敵対者たちはパウロに対して仕組んだのです。

人はともすると自らの力と業績を過信してしまう傾向があります。「自分は何かしら些末なことなら行える。しかし、他の者たちはそのようなことすらできない」などと考えがちなのです。しかし、聖書は次のように教えています。

「もしある人が、事実そうでないのに、自分が何か偉い者であるように思っているとすれば、その人は自分を欺いているのである。ひとりびとり、自分の行いを検討してみるがよい。そうすれば、自分だけには誇ることができても、ほかの人には誇れなくなるであろう。人はそれぞれ、自分自身の重荷を負うべきである。」
(「ガラテアの信徒への手紙」6章3〜5節、口語訳)

それゆえ、自分自身を基準にしてものを考えるべきではありません(10章12節)。むしろ、神様が与えてくださる基準で物事を計るべきなのです。

「自分で自分を推薦する人ではなく、主に推薦される人こそ、確かな人なのである。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」10章18節、口語訳)。

ただし、最後に至るまで私たちが誇ってもよいことが一つだけあります。それは神様と神様の恵みについてです(10章17節)。これだけは私たちの人生において決して揺らぐことがないからです。私たち自身のうちには不安定でないものは何一つありません。私たちが神様の御許に携えていくべき唯一のものは自らの罪だけなのです。

もしもキリスト教会が歴史を通じてこのパウロの伝道のやり方に従っていたのなら、福音は現在よりもはるかに広く宣べ伝えられていたことでしょう。

パウロには誰かに喧嘩を売るつもりはありませんでした。それでも、正しい福音が偽りの福音にすり替えられていくのをただ黙認することは彼はとても容認できなかったのです(「ガラテアの信徒への手紙」5章1〜6節)。パウロは自分のことを弁明したのではなく、神様の救いの御計画を弁護したのです。