コリントの信徒への第二の手紙2章 キリストの勝利の行進

フィンランド語原版執筆者: 
パシ・フヤネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

「コリントの信徒への第二の手紙」2章1〜4節 パウロがコリントに来なかった理由

エフェソからコリントに短い間だけ訪れた際に、おそらくパウロはコリントの信徒たちに彼がいずれコリントを再訪する予定であることをその特定の日時も含めて伝えたのでしょう(1章23〜24節)。しかし、パウロがコリント再訪の約束を果たさなかったためにコリントの一部の信徒たちはパウロに対して不信感を募らせたのです。最初の予定では、エフェソからコリントまで船で移動し、そこからさらにマケドニアへと旅を続けることになっていました(1章15〜16節)。ところが、実際にはパウロは同じコースを逆に辿ってコリントにやってきたのです。

どうしてパウロはコリントに予定通りに来なかったのか、その理由を今パウロは語り出します。彼が元々の計画に従ってコリントを再訪した場合には、そのせいでコリント教会の状況がいっそう悪化することが予想されたので事態の沈静化を見守る必要があった、というのが彼の説明です。

あまりにも性急に物事を進めたためにかえって全てが台無しになってしまう場合があります。これと似たようなことは私たちも身に覚えがあるのではないでしょうか。それとは逆に、ある状況があまりにも長い間放置されていたためにきちんとけじめがつけられないまま忘れられてしまう場合もあります。どちらのケースも正しいやり方とは言えません。

「そこでわたしは、あなたがたの所に再び悲しみをもって行くことはすまいと、決心したのである。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」2章1節、口語訳)

この節は二通りに解釈できます。
解釈1)パウロは3度目のコリント訪問によって「再び」そこの信徒たちの機嫌を損ねることを避けたかった。
解釈2)パウロは2度目のコリント訪問によって「今度は」そこの信徒たちの機嫌を損ねることを避けたかった。

一番目の解釈が正しいのは明らかです。「使徒言行録」はパウロのコリント訪問が2回あったことしか伝えてくれませんが、パウロ自身は「コリントの信徒への第二の手紙」で3度目のコリント訪問について語っているからです(12章14節および13章1節)。

パウロが2章4節で挙げた「涙の手紙」がコリントの信徒への手紙のうちの最初のものであると推定する研究者もいますが、これは的外れです。なぜなら、この節は内容的に「コリントの信徒への第一の手紙」と整合しないからです。また「涙の手紙」は「コリントの信徒への第二の手紙」10〜13章に相当すると推測する研究者もいます。しかし、パウロがコリントに送った最初の手紙と同様にこの「涙の手紙」も完全に失われた、と考えるのがより真実に近いのではないでしょうか(「コリントの信徒への第一の手紙」5章9節)。

ここでパウロの活動について二つの点に注目してみましょう。

「わたしは大きな患難と心の憂いの中から、多くの涙をもってあなたがたに書きおくった。それは、あなたがたを悲しませるためではなく、あなたがたに対してあふれるばかりにいだいているわたしの愛を、知ってもらうためであった。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」2章4節、口語訳)

まず、ここでパウロがいう「愛」とは困難が伴う事柄について沈黙を決め込むことではありません。美化された事柄ではなく真実そのものと向き合う心の用意を真の愛は持っています。

次に、パウロの叱責はそれ自体が目的なのではなく、叱責によって事態が好転することを意図しています。断罪のラッパをうるさく吹きならせばよいというものではありません。事態が好転するためにはありとあらゆる可能な手段を講じなければなりません。

コリントの教会で問題を引き起こしたグループ自体は少人数であり、教会の信徒の大多数は今まで通りパウロに忠実であったことが2章3節の終わりからは伺えます。もっとも、ここには状況の沈静化を願うパウロの期待を読み取ることもできるでしょう。

「コリントの信徒への第二の手紙」2章5〜11節 赦しなさい!

コリントの信徒のうちの誰かがパウロと彼の代行者(あるいはそれらのうちの一人)の心を傷つけました(7章12節はこのことを示唆しているとも思われます)。コリントの教会はその人を罰しました。具体的にはその人は教会から排除されたのです(「テサロニケの信徒への第二の手紙」3章14節にもそれについての指示があります)。しかし、後でその人は悔い改めました。ですから、今や教会はその人の罪を赦して再び教会に迎え入れるべきなのです。もしもそうしなければ、その人は信仰を完全に捨ててしまう危険があるからです。

「あなたがたはむしろ彼をゆるし、また慰めてやるべきである。そうしないと、その人はますます深い悲しみに沈むかも知れない。」 
(「コリントの信徒への第二の手紙」2章7節、口語訳)。

パウロはその人の罪を赦しました。コリントの信徒たちは何が起きたのかもちろんよく知っていました。ですから、パウロは事件そのものについて彼らに多くを語る必要がありませんでした。少し仄めかす程度にとどめ、謎めいた言い回しもしています。

この事件の当事者は「コリントの信徒への第一の手紙」5章1〜5節に記されている近親者と性的関係を持った男のことではないと思われます(以前はそのような推測もなされました)。パウロの短いコリント訪問の際にこの件は明るみになったのでしょう。これがきっかけとなってパウロは急いでエフェソへ戻ることにしたとさえ考えられます。

起きてしまった問題はそれを人目から隠すことによっては解決しません。しかし、問題を執拗に何度も人目にさらすことも無意味な行為です。比喩的な表現をするならば、罪の赦しの恵みの広大な海で罪という「魚」を漁ることは禁止されているからです。

この世には「完全な教会」は存在しません。それゆえ、キリスト信仰者たちは互いの意見の相違に対して忍耐強い姿勢を保たなければなりません。

私たちは「サタンの策略」について自覚的でしょうか(2章11節、「ペテロの信徒への第一の手紙」5章8節)。サタンは「光の天使」に擬装することさえあります(11章14節)。すこぶる深遠で霊的な印象を与える教えや活動が実際には教会を堕落させるサタンの罠であることもあります。それゆえ、私たちには「霊を見わける力」という神様からの恵みの賜物が必要なのです(「コリントの信徒への第一の手紙」12章10節)。

教会の中では二種類の「循環」が起こりえます。好循環は教会に新しい祝福を次々ともたらします。悪循環の最中にある教会はサタンの仕掛けた罠と呪いの深淵に次第に落ち込んでいくのです。

「愛は多くの罪をおおうものである」(「ペテロの第一の手紙」4章8節、「ヤコブの手紙」5章20節)という御言葉の教えは「愛は罪を無視する」というように誤って解釈されることがしばしばあります。しかし、その本来の意味は「愛は多くの罪にさえ勝利する」ということです。

「コリントの信徒への第二の手紙」2章12〜13節 

「さて、キリストの福音のためにトロアスに行ったとき、わたしのために主の門が開かれたにもかかわらず、兄弟テトスに会えなかったので、わたしは気が気でなく、人々に別れて、マケドニヤに出かけて行った。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」2章12〜13節、口語訳)

上の箇所からは、テトスがコリントにあまり長く滞在することなく帰還してコリント教会の現況をパウロに報告するように、パウロとテトスはあらかじめ取り決めていたような印象を受けます。パウロとテトスはトロアスで会うことになっていたようです。

パウロがテトスを待っている間に、神様はパウロにトロアスで福音を宣べ伝える機会をお与えになりました(2章12節)。福音を伝道できることは決して当たり前のことではありません。何度もパウロはそれまで滞在していた都市から命がけで逃げていかなければなりませんでした。また、福音を宣べ伝えることはできたものの、福音を信じて受け入れる聴衆が殆どいなかった都市もありました。アテネがその一例です(「使徒言行録」17章16〜33節)。

パウロは2回目の宣教旅行の時、聖霊様に導かれてトロアスを訪れています(「使徒言行録」16章6〜8節)。しかしある夜、彼はヨーロッパに発つことを促す幻を見ました(「使徒言行録」16章9〜10節)。それでその時にはトロアスに教会を形成する時間的な余裕がありませんでした。テトスと合流する今回こそはトロアスに教会を設立するよい機会であったはずです。しかし、パウロは今回もトロアスに長く滞在することはできませんでした。コリントの状況を深刻に受け止めた彼は早急にマケドニアへと発つことにしたからです。彼がヨーロッパで最初に訪れた都市はフィリピであったと思われます。

パウロはテトスを「兄弟」と呼んでいます(2章13節)。これはテトスがパウロにとってかけがえのない信仰の兄弟であったことを示しています。長い間テトスはパウロの同僚を務めました。テトスは福音伝道者になった最初の異邦人(つまりユダヤ人ではない人)のうちの一人でした(「ガラテアの信徒への手紙」2章1〜3節)。テトスはパウロの働きを通してキリスト信仰者になったのだと思われます。パウロはテトス宛の書簡で次のように呼びかけているからです。

「信仰を同じうするわたしの真実の子テトスへ。父なる神とわたしたちの救主キリスト・イエスから、恵みと平安とが、あなたにあるように。」
(「テトスへの手紙」1章4節、口語訳)。

「コリントの信徒への第二の手紙」でパウロはテトスの名前を計9回も挙げています。

私たちにとっても自分の心配事や喜びを打ち明けることができる親しいキリスト信仰者の友がいるのは大切です。とりわけ教会を霊的に指導する立場にある人たちにとってはこのような友の存在は必要不可欠であるとさえ言えるでしょう。

教会にとって新しい霊的な指導者を育てることはしばしば大きな課題になります。パウロは自分が始めた伝道が彼の死をもって終わることなく、テトスやテモテやその他の名前は知られていない多くの弟子たちがパウロの仕事を受け継いでいくことができるように配慮していました。

伝道活動は大衆の注目を集めるために個々人への地道な伝道を犠牲にするものであってはなりません。教会を霊的に指導する立場にある人々(牧師など)はこのことをはっきりわきまえていなければなりません。キリスト教会には大勢の人々に伝道する使命を受けている人もいれば、個々人のキリスト信仰者を教える使命を受けている人もいるということがしばしば見られます。前者のような伝道スタイルは多くの人の賞賛を受けたり憧れの対象になったりします。しかし、後者のような地道な伝道の姿勢がなければ、前者のタイプの伝道も決して成果を上げることができないでしょう。キリスト信仰者たちは皆、彼らに信仰を教えてくれる誰かがいたからこそ信仰の道に入れたのです。

「コリントの信徒への第二の手紙」2章14〜17節 キリストの凱旋

ここでパウロは旅行についての叙述を一旦中断します。この続きは7章5節以降になります。

「しかるに、神は感謝すべきかな。神はいつもわたしたちをキリストの凱旋に伴い行き、わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのである。」 (「コリントの信徒への第二の手紙」2章14節、口語訳)

パウロは自分の伝道の仕事を「キリストの凱旋」への従軍であるとみなしています。しかし、パウロは「勝利者」ではなく「キリストに打ち負かされた者」すなわち「奴隷」なのです。そして、これはキリスト信仰者全員についても当てはまります。

パウロの用いる修辞的な表現は見かけほど単純なものではないことがよくあります。それはこの場合もそうです。古典古代の軍隊の凱旋とのつながりをほのめかすこの箇所は部分的には問題も含んでいます。

軍隊の凱旋にもキリストの凱旋にも二種類の人々が含まれていたことは明らかです。すなわち、敗北者と勝利者です。この世の凱旋の敗北者の処遇は悲惨なものでした。処刑された者もいれば奴隷にされた者もいました。ローマ帝国の首都の経済的繁栄は戦争で獲得した奴隷たちによって維持されていたのです。他方、勝利者は報酬や特典を享受しました。例えば一部の者は従軍を免除されました。それとは対象的に、キリストの凱旋においてはこの世の凱旋におけるのと同じような「線引き」をするのは容易ではありません。キリスト信仰者は皆「キリストに打ち負かされた者」と呼ばれるような立場に置かれているからです。そうではあるものの、「この世での凱旋」から湧いてくるイメージをある程度は「キリストの凱旋」に適用することもできるでしょう。すなわち、もしもあなたがキリストによって導かれる凱旋の一群に加わっていないなら、あなたを待ち受けているのは永遠の滅びであるということです。

「キリストを知る知識のかおり」(2章14節)という表現は軍隊の凱旋の際に焚かれた香を想起させます。パウロにもそのことが念頭にあったのかもしれません。パウロはキリスト信仰者のことを「神に対するキリストのかおり」(2章15節)と呼んでいます。私たちキリスト信仰者はこの世においてキリストを代表する者なのです。どの国家も大使となる人物を慎重に選出するものです。大使は派遣された外国において本国の代表を務めることになるからです。幸いなことにキリストは、国家が大使を選出するにあたって適用する基準と同じような厳しさをキリスト信仰者には要求なさいません。しかも、キリスト信仰者に与えられた使命のほうが大使の任務よりもさらに偉大で価値のある仕事なのです。私たちキリスト信仰者は単にどこかの国の代表者なのではなく、神様を代表する者であるからです。

「わたしたちは、救われる者にとっても滅びる者にとっても、神に対するキリストのかおりである。後者にとっては、死から死に至らせるかおりであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせるかおりである。いったい、このような任務に、だれが耐え得ようか。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」2章15〜16節、口語訳)

上掲の箇所から分かるように、天の御国が開かれるところでは永遠の滅びの深淵もポッカリと口を開けています。もしもイエス様からの召しを拒絶するならば、その人を待っているのは永遠の死だけです。その意味でイエス・キリストこそが世界の歴史における最大の分岐点になっているのです。

「一体誰がキリストの証人としてふさわしい存在か」という問いにパウロは答えません。その答えは「そのような人間は一人もいない」というごく当たり前のものです。神様の恵みによって私たちキリスト信仰者は救われています。そして他の人たちもこの救いにあずかるように私たちは招くことができるのです。

「しかし、わたしたちは、多くの人のように神の言を売物にせず、真心をこめて、神につかわされた者として神のみまえで、キリストにあって語るのである。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」2章17節、口語訳)

上の節が言う「神の言を売物に」する行為には少なくとも二種類のものがあるでしょう。
第一に、御言葉を宣べ伝える者が自分の伝道の仕事に対して報酬を得たり、あるいは自ら報酬を要求したりするという行為です。パウロは自分ではこのようなことをしないように心がけていました(11章7〜12節、「コリントの信徒への第一の手紙」9章3〜18節)。第二に、「神の言を売物に」する行為が「安売り」される場合です。すなわち「何が神様の御心にかなうことか」を真摯に宣べ伝えないで、むしろ人々が聞きたがっていることばかりを話題にするというやり方です。

パウロの敵対者たちはこれら両方のやり方で彼ら自身のメッセージを「商品」として売り捌いていたのです。しかし、パウロは御言葉のこのような「競売」には参加することなく、神様と御言葉のメッセージに対する忠実を貫きました(「ペテロの第一の手紙」2章2節も参考になります)。