ガラテアの信徒への手紙1章

フィンランド語原版執筆者: 
パシ・フヤネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

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ガラテアの信徒への使徒パウロのメッセージ 「ガラテアの信徒への手紙」1章1〜5節

古典古代の手紙はある種の定型文で始まるのが普通でした。もちろんそこには「誰それが誰それに挨拶を送ります」という内容が含まれていました。パウロは手紙でこの定型文を使用しています。もっとも彼は独自の表現を相当の量しばしば書き加えてもいます。

「ガラテアの信徒への手紙」の冒頭には「暖かみ」がほとんど欠けています。パウロはこの手紙を冷淡とも言える姿勢で書き始めているのです。

まずパウロは「ガラテアの信徒への手紙」の二つの主題を提示します。

(第一の主題)パウロは自らの使徒としての正当性を弁護している
(第二の主題)キリストの十字架と贖いの死とが救いのための唯一の基である

例えば「ローマの信徒への手紙」1章1節や「コリントの信徒への第一の手紙」1章1節など他の手紙の冒頭でもパウロは自分を「使徒」と呼んでいます。しかし「ガラテアの信徒への手紙」の冒頭ではパウロは使徒職そのものを擁護しているとも言えるでしょう。

まず、パウロは「使徒の職務」を人間からではなく神様から授けられたことを強調します。おそらく彼の反対者たちは「パウロは使徒の職務をシリアのアンティオキア教会か、あるいはエルサレム教会か、あるいは他の使徒たちから伝授された」と主張したのでしょう。パウロが宣べ伝えているメッセージは他の人々から受けたものか、それとも神様から受けたものかがここで焦点となっているのです。

次に、パウロは自分の同行者たちの名前を明記していません(1章2節)。それは「パウロは彼らの権威にすがっている」といった勘違いが起きないようにするためです。しかしこのことは、上記で示したように、手紙の書かれた時期を推定するのに必要な基本事実(「ガラテア」はどこか)の決定を難しくする面もあります。

自らの使徒としての正統性を弁護するパウロは、自分自身やその立場を弁護しているのではありません。彼が宣べ伝えているメッセージそのものの正統性を弁護しているのです。もしもパウロが使徒であるならば、彼のメッセージも使徒的であることになりますし、もしもパウロが使徒でないとしたら、彼のメッセージも使徒的ではないことになります。

「ガラテアの信徒への手紙」はガラテアの諸教会(複数形)に宛てて書かれています。すなわちこの手紙は、いくつかの教会それぞれに集う教会員全員に向かって読み上げられることを前提として書かれた回覧用の手紙だったのです。

福音はただ一つ 「ガラテアの信徒への手紙」1章6〜10節

この手紙の冒頭でパウロは手紙の受取手への感謝も示さぬまま、すぐさま要件を述べ始めます。この点で「フィリピの信徒への手紙」1章3〜11節は対照的な例と言えます。ガラテアの信徒たちは以前パウロが彼らに宣べ伝えた恵みの福音を捨てようとしていました。そうすることで彼らはパウロの福音を改良したつもりになっていたのです。しかしパウロによれば、福音とは改善の余地の全くない唯一無二のものです。ですから、福音を変えることは福音を捨てることを意味するのです。

福音は唯一無二であるとするパウロの考えを受け入れない人は今日ではとても多いのではないでしょうか。価値観の多様化した現代社会で私たちは暮らしているからです。「パウロは時代の子であり、現代人である我々がパウロの言うことを真剣に受け止める必要はない。」などと言われたりもします。しかし他の箇所と同様にここでも注目すべきなのは、パウロは自分の名によってではなく神様から遣わされた者としてメッセージを伝えているということです。彼が述べているのは個人的な意見ではなく神様の御意思なのです。次に引用する旧約聖書の箇所は重要です。

「隠れた事はわれわれの神、主に属するものである。しかし表わされたことは長くわれわれとわれわれの子孫に属し、われわれにこの律法のすべての言葉を行わせるのである。」
(「申命記」29章28節、口語訳)

上掲の節にある「表わされたこと」はヘブライ語で「ハン・ニグロト」といい、「明らかにする、啓示する」という意味の動詞「ガーラー」の受動的な意味の名詞化した表現(ニファル態分詞形)です。ここでは主なる神様が御自分のメッセージを御自分がお選びになった人々を通して告げ知らせることを意味しています。

次の引用箇所からも推測されるように、おそらくパウロの反対者たちは依然としてガラテアに滞在していたものと思われます。

「あなたがたがこんなにも早く、あなたがたをキリストの恵みの内へお招きになったかたから離れて、違った福音に落ちていくことが、わたしには不思議でならない。それは福音というべきものではなく、ただ、ある種の人々があなたがたをかき乱し、キリストの福音を曲げようとしているだけのことである。」
(「ガラテアの信徒への手紙」1章6〜7節、口語訳)

また上の箇所からは「この段階ではまだガラテアの信徒たちは恵みの福音を完全に捨ててしまったわけではない」とパウロが判断していた様子も伝わってきます。

「ガラテアの信徒への手紙」は危機的状況に陥っていたガラテア教会に再び福音の勝利をもたらそうとするパウロの試みであるとも言えます。反対者たちの主張とは異なり、パウロは私益を得ようとしたのではありません。

「今わたしは、人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのか。あるいは、人の歓心を買おうと努めているのか。もし、今もなお人の歓心を買おうとしているとすれば、わたしはキリストの僕ではあるまい。」
(「ガラテアの信徒への手紙」1章10節、口語訳)

おそらくパウロの批判者たちは「パウロはたしかに真の福音を知ってはいるが、ガラテアの人々には楽な福音を宣べ伝えた。その目的はガラテアの人々がパウロのメッセージを受け入れやすくするためだった」などといった説明を試みたのでしょう。

しかしパウロは、他の人々の好意を得ようとすると神様やその御心から離れていくことになることを知っていました。これは今日でも変わりません。一般の意見と神様の御心は互いに相反するものです。どちらに従うつもりなのか、絶えず選択を迫られます。あるフィンランド人牧師は「神様の御心について沈黙しこの世にひれ伏さなければならない理由が我々キリスト信仰者には果たしてあるのだろうか。もしも神様の御心について一度でも沈黙するならば、新たな状況でも再び神様の御心について語ることができなくなるだけだ」と言いましたが、これは実に的確な指摘だと思います。

悔い改めは霊的な戦いを終結させない

この箇所が私たちに教えていることは、人がイエス様に従う生き方を始めるときに「魂の敵」(悪魔とも言います)はそのような状況を傍から指をくわえて眺めているだけではないということです。「魂の敵」は一度戦いに負けただけで霊的な戦争の継続を諦めたりはしません。キリスト信仰者になった人々を再び自分のものにすることを絶えず狙っているからです。多くの場合、真の戦いはキリストを信仰するようになった後で始まります。ですから「キリスト信仰者になりなさい。そうすればあなたの抱えている全ての問題は消え去りますよ」などと教えるのは極めて危険です。もしも人がこのような教えに頼ってキリスト信仰者として生きようとするならば、まもなく越えることができない様々な困難に遭遇することになります。

この霊的な戦いにおいて魂の敵はとりわけ次の二つの手段を利用します。
(第一の手段)人を罪へ陥らせる
(第二の手段)人を間違った教えへ誘導する

神様の御計画において中心的な位置を占めている人物を神様の御心から逸らさせることがサタンにとっては重要であり、その人物がより中心的な存在であればあるほど、その人へのサタンからの襲撃もより激しさを増していきます。だからこそ、私たちキリスト信仰者はとりわけ教会の指導者たち(牧師など)のために祈るように召されているのです。次の御言葉も合わせて読んでください。

「神の言をあなたがたに語った指導者たちのことを、いつも思い起しなさい。彼らの生活の最後を見て、その信仰にならいなさい。」
(「ヘブライの信徒への手紙」13章7節、口語訳)

「そこで、まず第一に勧める。すべての人のために、王たちと上に立っているすべての人々のために、願いと、祈と、とりなしと、感謝とをささげなさい。それはわたしたちが、安らかで静かな一生を、真に信心深くまた謹厳に過ごすためである。」
(「テモテへの第一の手紙」2章1〜2節、口語訳)

パウロや教会の教父たちやマルティン・ルターやその他の「神様にお仕えした偉大な人々」に対してサタンがどのような攻撃を仕掛けたのか、私たちの想像を絶するものがあります。

私たちはメッセージを評価する時には「誰がそのメッセージを伝えたか」を基準にするべきではありません。「これほど優れた宣教者がこのように教えているのだから、きっとその通りなんだろう」などと考えてはいけないのです。それとは逆に、私たちは宣教者たちを福音によって評価するべきなのです。「この宣教者は神様の啓示なさったメッセージを語っているのか、それともその宣教者が自分の頭で考え出したことを話しているのか」を基準にして判断を下していくべきなのです。

「しかし、たといわたしたちであろうと、天からの御使であろうと、わたしたちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その人はのろわるべきである。」
(「ガラテアの信徒への手紙」1章8節、口語訳)

パウロの福音の根源にあるもの 「ガラテアの信徒への手紙」1章11〜24節

自分がどこかの教会かあるいは他の誰かに派遣されたのではなく、神様御自身から遣わされた使徒であることを証明するために、パウロは自分自身がキリスト信仰者とされた経緯に関連する出来事をここで振り返ります。

パウロの回心はエルサレムからは遠く離れたダマスコで起きました。回心後に彼がエルサレムに赴いたのは3年経ってからであり、そこで滞在したのもわずか2週間だけでした。

エルサレム訪問の後で再び彼はシリアとキリキアに、すなわちエルサレムや他の使徒たちから遠い地方に行きました。ですから、他の使徒たちがパウロの信仰の教師であったとは考えられません。エルサレムでパウロがペテロやイエス様の弟ヤコブと一緒に過ごしたのは2週間だけであり、それは福音を学ぶためには十分な時間ではなかったでしょう。このことからも、パウロの福音は人間から学んだものではなく、神様から賜ったものであることがわかります。

「わたしは、それを人間から受けたのでも教えられたのでもなく、ただイエス・キリストの啓示によったのである。」
(「ガラテアの信徒への手紙」1章12節、口語訳)

この箇所には多くの興味深い細部があります。冗長になるのを避けるため次にそれらについて手短に説明します。

1)1章15節においてパウロは、神様が預言者エレミヤの場合と同様に(「エレミヤ書」1章5節)彼のことを生まれる前にすでに召してくださったと述べています。それならば、どうしてパウロはキリスト信仰者を迫害したのでしょうか。

「ユダヤ教を信じていたころのわたしの行動については、あなたがたはすでによく聞いている。すなわち、わたしは激しく神の教会を迫害し、また荒しまわっていた。」
(「ガラテアの信徒への手紙」1章13節、口語訳)

私たちはこの質問に完全な答えを与えることはできません。しかし、少なくとも次の二つのことは指摘できるでしょう。

第一に、パウロは自分でキリスト信仰者たちを迫害した体験から多くのことを学びました。迫害は神様の愛をパウロに絶えず思い起こさせたのです。

「わたしは以前には、神をそしる者、迫害する者、不遜な者であった。しかしわたしは、これらの事を、信仰がなかったとき、無知なためにしたのだから、あわれみをこうむったのである。」
(「テモテへの第一の手紙」1章13節、口語訳) 

第二に、パウロの人生は私たちに「宗教熱心さと神様の御心に従うこととがいつも等しいとは限らないこと」を思い起こさせます。キリスト信仰者たちを迫害したかつてのパウロはその時には「自分が神様の御心に従っている」と本気で思い込んでいました。ところが実際には、彼は神様を相手に戦いを挑んでいたのです。このように、正しく真面目であろうとする人が実際には暗闇の中をさまよっている場合もありえるのです。

しかしその一方で、パウロの人生は私たちに慰めも与えてくれます。神様は最終的には神様の敵対者たちよりも大いなる方なのです!人生のある時期にパウロは神様と戦うことになりました。しかし、神様の定められた時がとうとう到来して、この戦いは神様の御意思の勝利によって決着を見たのです。

2)パウロがアラビアで何をしていたのか、確かなことはわかりません。 パウロ自身もまた福音書記者ルカ(「使徒言行録」)もそれについては言及していません。

「また先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行った。それから再びダマスコに帰った。」
(「ガラテアの信徒への手紙」1章17節、口語訳)

この問題については二つの仮説が提案されています。「パウロはナバテア王国の住民に福音を宣べ伝えた」という仮説と「パウロは神様からの教えを受けつつ静かに暮らしていた」という仮説です。私(このガイドブックの著者パシ・フヤネン)はどちらの仮説にも一理あると考えています。アラビアに滞在中、パウロは「異邦人の使徒」としての訓育を神様から受けていたでしょう、しかしその一方で、彼が「福音」という全く新しい発見について沈黙していたとも思えません。

3)ユダヤ人による秘密の共謀を知ったパウロはダマスコからエルサレムへ移りました。

「サウロは、ダマスコにいる弟子たちと共に数日間を過ごしてから、ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え、このイエスこそ神の子であると説きはじめた。これを聞いた人たちはみな非常に驚いて言った、「あれは、エルサレムでこの名をとなえる者たちを苦しめた男ではないか。その上ここにやってきたのも、彼らを縛りあげて、祭司長たちのところへひっぱって行くためではなかったか」。しかし、サウロはますます力が加わり、このイエスがキリストであることを論証して、ダマスコに住むユダヤ人たちを言い伏せた。相当の日数がたったころ、ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をした。ところが、その陰謀が彼の知るところとなった。彼らはサウロを殺そうとして、夜昼、町の門を見守っていたのである。そこで彼の弟子たちが、夜の間に彼をかごに乗せて、町の城壁づたいにつりおろした。サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間に加わろうと努めたが、みんなの者は彼を弟子だとは信じないで、恐れていた。」
(「使徒言行録」9章19節後半〜25節、口語訳)

「ダマスコでアレタ王の代官が、わたしを捕えるためにダマスコ人の町を監視したことがあったが、その時わたしは窓から町の城壁づたいに、かごでつり降ろされて、彼の手からのがれた。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」11章32〜33節、口語訳)

エルサレムで過ごした2週間、パウロはイエス様の御生涯と諸活動の目撃者であるペテロからの証言をたくさん聞く機会があったことでしょう。ユダヤ人男子の常としてペテロはラビの学校に通ったわけですから、彼自身の「ラビ」であったイエス様の教えを心にしっかり刻み込んだものと思われます。エルサレム訪問によってパウロのイエス様の教えと生き方についての知識も増えたことでしょう。しかし、それらのことがパウロの伝道活動の根幹となったわけではありません。福音書記者ルカはエルサレムでのパウロを次のように描写しています。

「サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間に加わろうと努めたが、みんなの者は彼を弟子だとは信じないで、恐れていた。ところが、バルナバは彼の世話をして使徒たちのところへ連れて行き、途中で主が彼に現れて語りかけたことや、彼がダマスコでイエスの名で大胆に宣べ伝えた次第を、彼らに説明して聞かせた。それ以来、彼は使徒たちの仲間に加わり、エルサレムに出入りし、主の名によって大胆に語り、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちとしばしば語り合い、また論じ合った。しかし、彼らは彼を殺そうとねらっていた。兄弟たちはそれと知って、彼をカイザリヤに連れてくだり、タルソへ送り出した。」
(「使徒言行録」9章26〜30節、口語訳)

このように、エルサレムで熱心に宣教したパウロは強い反発を受け、自分の故郷キリキアのタルソに退去しなければならなくなりました。