ガラテアの信徒への手紙2章

フィンランド語原版執筆者: 
パシ・フヤネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

行いのためではなくキリストのゆえに 「ガラテアの信徒への手紙」2章

パウロは自らの使徒としての正当性の弁護を1章で始めましたが、それを2章の冒頭でも継続しています。しかしそれと同時に「人は律法の行いによっては義とされずただ信仰のみによって義とされること」を示す議論も展開していきます。

エルサレムの使徒会議 「ガラテアの信徒への手紙」2章1〜10節

パウロは自分がキリスト信仰者となった経緯(1章15〜16節)と、他のキリスト信仰者たちと会う目的で行った最初のエルサレム訪問(1章18〜20節)について説明した後、この2章の冒頭ではシリアのアンティオキア教会で生じた危機的状況とそれへの対処について語ります。この危機については「使徒言行録」にも次のような記述があります。

「さて、ある人たちがユダヤから下ってきて、兄弟たちに「あなたがたも、モーセの慣例にしたがって割礼を受けなければ、救われない」と、説いていた。そこで、パウロやバルナバと彼らとの間に、少なからぬ紛糾と争論とが生じたので、パウロ、バルナバそのほか数人の者がエルサレムに上り、使徒たちや長老たちと、この問題について協議することになった。」
(「使徒言行録」15章1〜2節、口語訳)

アンティオキア教会の事件はガラテアの信徒たちにとって重要な意味を持っていました。ガラテア教会でも似たような問題が起きていたからです。すなわち、パウロが福音を宣べ伝えてその地を去った後に、そこの教会に他の宣教者たちがやって来て「パウロの宣教は不十分であり、真のキリスト信仰者はさらに先に進まなければならない」と教え始めたのです。

アンティオキア教会の場合だけではなくガラテア教会の場合にも、パウロの反対者たちは律法の意義を誇張するユダヤ人キリスト信仰者たちでした。彼ら律法主義者たちは「ユダヤ主義者」とも呼ばれます。上掲の聖句の引用からもわかるように、彼らの中心的な要求は「異邦人キリスト信仰者もまた彼らと同様に割礼を受けるべきである」というものでした。しかし、パウロはこの問題を彼ら以上に深刻に受け止めていました。実にこれは「救いの根本」に関わる重大事項であって、単に個々の律法規定に留まるものではないことを彼は見抜いたのです。彼はガラテアの信徒たちに次のように説明しています。

「自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。見よ、このパウロがあなたがたに言う。もし割礼を受けるなら、キリストはあなたがたに用のないものになろう。割礼を受けようとするすべての人たちに、もう一度言っておく。そういう人たちは、律法の全部を行う義務がある。律法によって義とされようとするあなたがたは、キリストから離れてしまっている。恵みから落ちている。わたしたちは、御霊の助けにより、信仰によって義とされる望みを強くいだいている。キリスト・イエスにあっては、割礼があってもなくても、問題ではない。尊いのは、愛によって働く信仰だけである。」
(「ガラテアの信徒への手紙」5章1〜6節、口語訳)

歴史は繰り返すということでしょう。パウロがガラテアの信徒たちに語りたかったのは、遡ること約10年前、紀元48年にエルサレムで開催されたキリスト信仰者たちの協議(いわゆる「使徒会議」)で決められた「割礼をめぐる問題」の解決案についてでした。ここでパウロが使徒会議を引き合いに出した理由は、パウロの反対者たちが意図的にパウロと他の使徒たちとを互いに正反対の陣営に置こうとしたからでしょう。この問題についてはエルサレムの使徒たちの間ですでに十分な議論が尽くされており、その際に他の使徒たちもパウロの見解に同意したことを、パウロはここで改めて指摘したかったのです。当時、キリスト教会が二つに分裂するのは誰しも望んでいないことでした。それゆえ、ガラテア教会においてもそのような好ましからざる事態をあえて生じさせる理由は何一つありませんでした。

紀元1世紀の過去の出来事の詳細を今更あらためてあれこれ調べようとするのは徒労に感じられるものかもしれません。しかし実際には、これはパウロとその反対者たちとの間の論争だけに留まるものではなく、キリスト教会全体の将来と信仰の基礎に関わる大問題だったのです。この状況については次のように図式化することができるでしょう。

ユダヤ人 ユダヤ主義者 パウロ
異邦人 異邦人 異邦人
-> 神様を畏れる者
(使徒言行録10:2)
-> イエス様を信じる者 -> キリストを信じる者
-> ユダヤ教に
改宗した者
(使徒言行録2:10)
-> 律法に従う者
= ユダヤ人 = 真のキリスト教徒 = キリスト教徒

パウロとその弟子たちはガラテアの信徒たちに「人が救われるために必要なこと」についてその全容は教えないままでガラテア教会を後にした、とパウロの反対者たちは考えていたと言えるでしょう。「イエス様を信じることはたしかによい出発点だが、それだけでは足りず、律法にも従わなければならないのだ」というのがユダヤ主義者の主張でした。パウロはそれとは反対に、キリストの御業に何か他のものを付け加えようとはしませんでした。「人は何に基づいて救われるのか」がここでの争点となっています。

アンティオキア教会でパウロは反対者に一切譲歩しませんでした。ガラテア教会でも彼はこの問題に関して少しも妥協するつもりがありませんでした。そもそもこれは神様御自身が決定なさった事柄であり、人間にはそれを勝手に変更する権利がない事柄だからです。

信仰には次の二つの事柄が関連していることに注目しましょう。
1)神様によって啓示された諸真理
2)いわゆる「アディアフォラ」(adiafora「どちらでもよいこと」を意味するラテン語)すなわち私たち人間が神様から命令や指示を受けていない事柄

神様によって私たちに啓示された事柄は厳然と存在します。これに関連する重要な聖句は次のものです。

「隠れた事はわれわれの神、主に属するものである。しかし表わされたことは長くわれわれとわれわれの子孫に属し、われわれにこの律法のすべての言葉を行わせるのである。」
(「申命記」29章28節、口語訳)

ここで私たちが自らの生活態度に関わる聖書の具体的な指示について考えることを迫られたとしましょう。もしも私たちが「聖書にはたしかにこの件に関して何かしら書いてはあるが、それでも私は自分の考えに従う」と勝手に決めて、神様が啓示なさった事柄を変更したり無視したりするならば、この態度は宗教的な傲慢さであるのみならず不信仰でもあります。なぜなら「私は神様よりもこの件に関してはよく知っているのだから」という考えがその背景に潜んでいるからです。しかし、神様は私たちに「最も重要な事柄」すなわち「私たちの救いに影響を与える事柄」を聖書において啓示してくださったのです。

一方、「アディアフォラ」(すなわち「どちらでもよいこと」)は私たち人間が自分の良心と理性に基づいて判断していくべき事柄です。これらに関しては神様からの命令や指示がないからです。具体的な例としては、断食、アルコールの使用、礼拝の形式、さらには割礼さえもアディアフォラであると言えます。パウロは次のように書いています。

「ただ、各自は、主から賜わった分に応じ、また神に召されたままの状態にしたがって、歩むべきである。これが、すべての教会に対してわたしの命じるところである。召されたとき割礼を受けていたら、その跡をなくそうとしないがよい。また、召されたとき割礼を受けていなかったら、割礼を受けようとしないがよい。割礼があってもなくても、それは問題ではない。大事なのは、ただ神の戒めを守ることである。」
(「コリントの信徒への第一の手紙」7章17〜19節、口語訳)

アディアフォラの問題について人はそれぞれ異なった理解の仕方をしています。しかし、この問題を「救いの問題」すなわち「人が救われるために決定的な影響を与える問題」であると取り違えてはなりません。そのような勘違いは神様の御心に反することだからです。ですから、キリスト信仰者は誰であれ「本来ならアディアフォラに属する事柄」の要求に従うことをあたかも救いにとっての必須事項であるかのように思い込まないことが重要になってきます。

遺憾ながら、上述した二つの事柄(啓示とアディアフォラ)はしばしば混同されています。その結果として、次のような二つの異端(間違った教え)が生じます。

1)神様の明瞭な啓示を無視する一方で、本来は人間の自由な裁量に委ねられていない事柄に関しても「人間には自由がある」と間違って教える

2)人間が勝手に作りあげた命令に絶対服従するようにキリスト信仰者を強制する

パウロはアンティオキアでこれらの事の重要性を目の当たりにしました。もしもエルサレムの「母教会」がパウロの伝道活動やその結果として誕生した異邦人キリスト教会を正式に承認しないのなら、パウロの仕事は徒労に終わることになります。

「そこ(エルサレム)に上ったのは、啓示によってである。そして、わたしが異邦人の間に宣べ伝えている福音を、人々に示し、「重だった人たち」には個人的に示した。それは、わたしが現に走っており、またすでに走ってきたことが、むだにならないためである。」
(「ガラテアの信徒への手紙」2章2節、口語訳)

それゆえ、この重大問題にはキリスト信仰者が全員承認するような解決をどうしても見出さなければなりませんでした。そして、このような決定を下す場所はエルサレム以外には考えられませんでした。エルサレムには使徒たちがおり、伝道もそこから開始されたからです。

会議について

「ガラテアの信徒への手紙」2章の冒頭でパウロが述べているのは、福音書記者ルカによる「使徒言行録」15章の「使徒会議」のことではなく、それ以前のおそらく西暦40年代に起きた飢饉に関連するパウロのエルサレム訪問についてである、と主張する研究者たちもいます。この訪問について「使徒言行録」は以下のように記述しています。

「そのころ、預言者たちがエルサレムからアンテオケにくだってきた。その中のひとりであるアガボという者が立って、世界中に大ききんが起るだろうと、御霊によって預言したところ、果してそれがクラウデオ帝の時に起った。そこで弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに援助を送ることに決めた。そして、それをバルナバとサウロとの手に託して、長老たちに送りとどけた。」
(「使徒言行録」11章27〜30節、口語訳)

ルカ(「使徒言行録」)とパウロ(「ガラテアの信徒への手紙」)の叙述の間にある種の相違が存在し、それらを調和させるのは容易ではなさそうです。しかしその一方で、それらの叙述の間には違いよりもはるかに多くの共通点があるのもたしかです。

問題点を以下に列挙します。

(問題点1)パウロはエルサレム旅行の理由として神様から受けた啓示をあげています。その一方で、ルカは以下に引用する「使徒言行録」15章2節でアンティオキア教会の決定をパウロの旅行の動機としてあげています。

「さて、ある人たちがユダヤから下ってきて、兄弟たちに「あなたがたも、モーセの慣例にしたがって割礼を受けなければ、救われない」と、説いていた。そこで、パウロやバルナバと彼らとの間に、少なからぬ紛糾と争論とが生じたので、パウロ、バルナバそのほか数人の者がエルサレムに上り、使徒たちや長老たちと、この問題について協議することになった。」
(「使徒言行録」15章1〜2節、口語訳)

しかし、これら二つの動機は必ずしも互いに排除し合うものとは言えません。教会の決定した事項が神様から受けた啓示に基づいていたことは多いにあり得ることだからです。しかも、当時のアンティオキア教会には預言者たちもいました。

(問題点2)使徒会議の叙述している箇所に含まれる「使徒言行録」15章2節はテトスの名を挙げずに「そのほか数人の者」と言っているだけです。もしも「ガラテアの信徒への手紙」2章の冒頭が使徒会議のことを指しているのだとすれば、この状況ではパウロがテトスを名指しで挙げた方が自然でしょう。「割礼を受けていないキリスト信仰者」であるテトスはエルサレムの使徒会議にとって「試験石的な存在」となりえたからです。

(問題点3)次に引用する「使徒言行録」は、割礼をめぐる問題についてエルサレムの使徒会議では大勢の参加者が協議したという印象を与えます。

「そこで、使徒たちや長老たちが、この問題について審議するために集まった。そこで、使徒たちや長老たちが、この問題について審議するために集まった。」
(「使徒言行録」15章6節、口語訳)

それとは対照的に、パウロはエルサレム教会の主要なメンバーたちと交わした話し合いの結果について次のように述べています。

「その後三年たってから、わたしはケパをたずねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間、滞在した。しかし、主の兄弟ヤコブ以外には、ほかのどの使徒にも会わなかった。」
(「ガラテアの信徒への手紙」1章18〜19節、口語訳)

ここで注目すべきは、上掲の「使徒言行録」の箇所が「使徒たちや長老たち」の集まりについて述べている点です。これほどの重要問題については少人数の指導者層においても大勢の教会員たちの集まりにおいても十分な議論が交わされたと考えられます。「ガラテアの信徒への手紙」においてパウロが他でもなくエルサレム教会の指導者たちのことを名指しで挙げている理由は、パウロの反対者たちが彼らの権威を盾にパウロ批判を展開したからです。

(問題点4)最も難しい問題は会議でなされた決定内容に関わるものです。「使徒言行録」は4つの決定事項を挙げています。それに対して、パウロが述べている決定事項は「貧しい人々を援助する」ということだけです。

「すなわち、聖霊とわたしたちとは、次の必要事項のほかは、どんな負担をも、あなたがたに負わせないことに決めた。それは、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、不品行とを、避けるということである。これらのものから遠ざかっておれば、それでよろしい。以上。」
(「使徒言行録」15章28〜29節、口語訳)

「ただ一つ、わたしたちが貧しい人々をかえりみるようにとのことであったが、わたしはもとより、この事のためにも大いに努めてきたのである。」
(「ガラテアの信徒への手紙」2章10節、口語訳)

研究者の一部はこの問題の解決案として「「使徒言行録」の言及している決定事項はパウロがアンティオキアに戻るためにエルサレムを発った後になされた」と主張します。しかし、この説明には無理があります。「使徒言行録」によれば、パウロはアンティオキア教会にこの決定事項を記した手紙を携えて帰ったからです。パウロがこれほど重要な案件を途中で投げ出して議場を後にしたとは考えられません。

「使徒言行録」15章に記されている使徒会議の決定事項がどのようにパウロの伝道活動に具体的な影響を及ぼしたのかを聖書の記述に基づいて跡付けるのは困難です。それに対して、エルサレム教会のために献金を集めることについてならパウロは何度も話題にしています。

「しかし今の場合、聖徒たちに仕えるために、わたしはエルサレムに行こうとしている。なぜなら、マケドニヤとアカヤとの人々は、エルサレムにおる聖徒の中の貧しい人々を援助することに賛成したからである。たしかに、彼らは賛成した。しかし同時に、彼らはかの人々に負債がある。というのは、もし異邦人が彼らの霊の物にあずかったとすれば、肉の物をもって彼らに仕えるのは、当然だからである。そこでわたしは、この仕事を済ませて彼らにこの実を手渡した後、あなたがたの所をとおって、イスパニヤに行こうと思う。そしてあなたがたの所に行く時には、キリストの満ちあふれる祝福をもって行くことと、信じている。」
(「ローマの信徒への手紙」15章25〜29節、口語訳)

「ルカによる「使徒言行録」とパウロの「ガラテアの信徒への手紙」のうちのいったいどちらの記述が正しいのか」といった問題設定がなされる場合があります。しかし、もっと意味のあるやり方は「これら二つの記述を矛盾なく一つにまとめることはどのようにすればできるだろうか」と考えてみることでしょう。

この問題は次の三つの点に基づくことで解決できると私(パシ・フヤネン)には思われます。

第一に、旧約聖書の「レビ記」17章10〜16節にはユダヤ人たちの共同体の中で生活している異邦人たちに向けられた「ある種の要求」が示されています。

「イスラエルの家の者、またはあなたがたのうちに宿る寄留者のだれでも、血を食べるならば、わたしはその血を食べる人に敵して、わたしの顔を向け、これをその民のうちから断つであろう。肉の命は血にあるからである。あなたがたの魂のために祭壇の上で、あがないをするため、わたしはこれをあなたがたに与えた。血は命であるゆえに、あがなうことができるからである。このゆえに、わたしはイスラエルの人々に言った。あなたがたのうち、だれも血を食べてはならない。またあなたがたのうちに宿る寄留者も血を食べてはならない。イスラエルの人々のうち、またあなたがたのうちに宿る寄留者のうち、だれでも、食べてもよい獣あるいは鳥を狩り獲た者は、その血を注ぎ出し、土でこれをおおわなければならない。すべて肉の命は、その血と一つだからである。それで、わたしはイスラエルの人々に言った。あなたがたは、どんな肉の血も食べてはならない。すべて肉の命はその血だからである。すべて血を食べる者は断たれるであろう。自然に死んだもの、または裂き殺されたものを食べる人は、国に生れた者であれ、寄留者であれ、その衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れているが、その後、清くなるであろう。もし、洗わず、また身をすすがないならば、彼はその罪を負わなければならない』」。
(「レビ記」17章10〜16節、口語訳)

これらの禁止項目は前述の「使徒言行録」15章28〜29節に挙げられている禁止項目(「偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、不品行」)とよく類似しています。

第二に、パウロは「弱い信仰の兄弟姉妹を飲み食いに関する事柄のせいで罪に陥らせることがないように注意しなければならない」と繰り返し教えています。

「すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが人の徳を高めるのではない。だれでも、自分の益を求めないで、ほかの人の益を求めるべきである。すべて市場で売られている物は、いちいち良心に問うことをしないで、食べるがよい。地とそれに満ちている物とは、主のものだからである。もしあなたがたが、不信者のだれかに招かれて、そこに行こうと思う場合、自分の前に出される物はなんでも、いちいち良心に問うことをしないで、食べるがよい。しかし、だれかがあなたがたに、これはささげ物の肉だと言ったなら、それを知らせてくれた人のために、また良心のために、食べないがよい。良心と言ったのは、自分の良心ではなく、他人の良心のことである。なぜなら、わたしの自由が、どうして他人の良心によって左右されることがあろうか。もしわたしが感謝して食べる場合、その感謝する物について、どうして人のそしりを受けるわけがあろうか。だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである。ユダヤ人にもギリシヤ人にも神の教会にも、つまずきになってはいけない。わたしもまた、何事にもすべての人に喜ばれるように努め、多くの人が救われるために、自分の益ではなく彼らの益を求めている。」
(「コリントの信徒への第一の手紙」10章23〜33節、口語訳)

第三に、「使徒言行録」15章28〜29節および「ガラテアの信徒への手紙」2章10節のどちらにおいても「キリスト信仰者たちは二つあるいはそれよりも多くのグループに分派していくべきではなく、キリスト教会の一致を守らなければならない」という強い意思表示があります。パウロはエルサレム教会が承認しないようなキリスト教会を新たに創設したいとは思いませんでした。またエルサレム教会の方でも、異邦人キリスト教会をキリスト教会の外側に追い出すような「条件」を異邦人キリスト信仰者たちに押し付けることを望みませんでした。

「使徒言行録」15章28〜29節に述べられている決定事項はエルサレム教会などユダヤ人キリスト信仰者が多数を占めている教会だけを対象としたものではなかったと考えるのが自然です。使徒会議の決議書に明記されている禁止事項は、ユダヤ教から改宗したキリスト信仰者たちの良心をむやみに傷めることを避けること、および、教会全体の一致を保つために異邦人キリスト信仰者たちのほうでも本来自分たちが持っている自由の一部を制限しなければならないことを目的として書かれているのです。

パウロが使徒会議の決定事項に「ガラテアの信徒への手紙」で触れていない理由はこの手紙の目的を考えると理解できます。これについて言及したならば状況の悪化を招いたでしょうし、またこの問題は異邦人キリスト信仰者が大部分を占めるガラテア教会とは直接的には関係のないものでもあったからです。例えば弁護士の仕事でも、どのような事柄を証拠として提示するかよく考えなければなりません。事柄次第では裁判で不利な結果を招く場合もあるからです。

「使徒言行録」と「ガラテアの信徒への手紙」、どちらの該当箇所においてもこの事柄について最終的な決定を下したのは神様御自身であって、パウロでもエルサレム教会の指導者たちでもなかったということをここで強調しておきたいと思います。

「それどころか、彼らは、ペテロが割礼の者への福音をゆだねられているように、わたしには無割礼の者への福音がゆだねられていることを認め、」
(「ガラテアの信徒への手紙」2章7節、口語訳)

上の引用中に出てくる「ゆだねられている」という受動的表現は、新約聖書では他にも同様の例が見られるように、福音伝道が「神様御自身による働き」であることを表しています。ちなみに、この「ゆだねられている」(「ペピステウマイ」)という言葉はギリシア語で「信じる」を意味する「ピステウオー」という動詞の受動態完了形です。

「ふたりが語り終えた後、ヤコブはそれに応じて述べた、
「兄弟たちよ、わたしの意見を聞いていただきたい。神が初めに異邦人たちを顧みて、その中から御名を負う民を選び出された次第は、シメオンがすでに説明した。」
(「使徒言行録」15章13〜14節、口語訳)

上掲の箇所は、使徒会議における決定を下すきっかけを与えたのが何であったのかを教えてくれます。それはペテロがヨッパの町で神様から受けた幻であり、また、コルネリオの家での出来事(「使徒言行録」10章)でした。そして、どちらの出来事にも神様による導きがはっきりと見られました。神様の御意思は福音がユダヤ人だけではなく異邦人(すなわち非ユダヤ人)にも宣べ伝えられていくことなのです。

エルサレムの使徒会議の決定事項はパウロの立場から見て望ましいものでした。割礼を受けていない異邦人キリスト信仰者も部分的にではなく完全に真のキリスト信仰者であることが正式に承認されたからです。その一方で、使徒会議ではこのことの証印として「責任分担」が定められました。パウロは異邦人伝道の責任者として、またペテロはユダヤ人伝道の責任者として任命されたのです。エルサレムではパウロの教えに対して、より詳細な説明もそれへの付加や変更も要求されませんでした(「ガラテアの信徒への手紙」2章6節)。

異邦人キリスト信仰者たちの側でも使徒会議の決定事項を承認し、エルサレム教会を援助するために献金を募ることにしました。エルサレム教会には貧しい人々がたくさんいました。彼らは自分たちの親戚から世話を受けることができました。しかし、当時の社会では他宗教に改宗した者は元の家族や親戚の輪の外側に追い出されてしまうことが普通でした。さらに、改宗した結果として自分の職業を営むのができなくなることさえしばしば起こりました。このような事情から、経済的な生活支援を受ける必要があるキリスト信仰者たちがエルサレム教会にはたくさんいたのです。

問題が再燃した理由

この案件に関しては使徒会議ですでに正式な決定がなされたのに、どうしてガラテア教会でそれが再び問題になったのでしょうか。一つ考えられる説明は、使徒会議以後にキリスト教に改宗した人々の中には、エルサレムでの会議の決定事項を認めない者たちもいたという可能性です。

もう一つのありうる説明は、使徒会議の参加者の中には「会議の議決事項は一時的に有効なものである」と考えた人々がいたという可能性です。これは「異邦人たちには最初から突然全てを要求できないから、しばらく時間的猶予をあげることにしよう」という態度です。実際にもユダヤ教は、ユダヤ教改宗者たちにこのような態度で接するように教えていたことが知られています。

パウロの反対者たちはパウロの使徒としての正統性を疑問視しました。それゆえ、今度はパウロが、他の使徒たちよりも自分が劣る使徒であるかのような誤解を与えるのを避けるために、彼の使徒としての地位が人間によってではなく神様によって直接与えられたものであることを強調したのです。パウロは自分が神様の権威の下にいる使徒であって、誰か他の使徒たちの子分ではないことを明示したのです。

「かつ、わたしに賜わった恵みを知って、柱として重んじられているヤコブとケパとヨハネとは、わたしとバルナバとに、交わりの手を差し伸べた。そこで、わたしたちは異邦人に行き、彼らは割礼の者に行くことになったのである。」
(「ガラテアの信徒への手紙」2章9節、口語訳、
「わたし」とはパウロのことです)

上の引用に出てくる「ヤコブ」という人物はヨハネの兄弟である使徒ヤコブではなく、イエス様の弟であるヤコブのことです。次の箇所にあるように、使徒ヤコブは西暦40年代の初頭に殺害されました。

「そのころ、ヘロデ王は教会のある者たちに圧迫の手をのばし、ヨハネの兄弟ヤコブをつるぎで切り殺した。」
(「使徒言行録」12章1〜2節、口語訳)。

この騒乱の最中でペテロは一旦捕らえられ投獄されました。しかし、御使によって奇跡的に救出された後で、エルサレム教会の牧会の責任をヤコブに委ねたのです(「使徒言行録」12章17節)。パウロがエルサレム教会の指導者たちについて「柱」という珍しい名称を用いたのは、おそらくこのためだったのでしょう。

ペテロの躓き 「ガラテアの信徒への手紙」2章11〜14節

パウロのエルサレム訪問は会議の参加者の間で「宣教に関する共通の認識」が得られる形で終了しました。しかし、それからほどなくしてペテロがアンティオキアを訪れた際には亀裂が生じてしまいました。

おそらくペテロのアンティオキア訪問はエルサレムの使徒会議とパウロの第二回伝道旅行の間に行われたものと思われます。以下に引用する「使徒言行録」8章14節および9章32〜35節は、ペテロがユダヤ人キリスト信仰者たちのいる諸教会を巡回していたことを述べています。

「エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が、神の言を受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネとを、そこにつかわした。」
(「使徒言行録」8章14節、口語訳)

「ペテロは方々をめぐり歩いたが、ルダに住む聖徒たちのところへも下って行った。そして、そこで、八年間も床についているアイネヤという人に会った。この人は中風であった。ペテロが彼に言った、「アイネヤよ、イエス・キリストがあなたをいやして下さるのだ。起きなさい。そして床を取りあげなさい」。すると、彼はただちに起きあがった。ルダとサロンに住む人たちは、みなそれを見て、主に帰依した。」
(「使徒言行録」9章32〜35節、口語訳)

アンティオキア教会は異邦人キリスト信仰者が多数を占める最初の教会でしたが、ローマ帝国で当時四番目の規模を誇っていたこの大都市の教会にはもちろんユダヤ人キリスト信仰者もたくさんいました。

初めの頃、ペテロはアンティオキア教会の慣習に従っていました。例えばユダヤ人である彼は異邦人と一緒に食事をしました。これは彼らと一緒に聖餐式に参加したという意味でもあります。ところが、ユダヤ教は割礼を受けていない者(すなわち異邦人)と食事を共にすることを認めていませんでした。折しもキリスト信仰者の一団がエルサレムからアンティオキアへとやってきました。彼らは「エルサレム教会の指導者ヤコブに派遣されてここに来た」と主張しました。しかし実は、この主張は信憑性に乏しいです。次の「使徒言行録」15章23〜24節からそれがわかるでしょう。

「この人たちに託された書面はこうである。「あなたがたの兄弟である使徒および長老たちから、アンテオケ、シリヤ、キリキヤにいる異邦人の兄弟がたに、あいさつを送る。こちらから行ったある者たちが、わたしたちからの指示もないのに、いろいろなことを言って、あなたがたを騒がせ、あなたがたの心を乱したと伝え聞いた。」」
(「使徒言行録」15章23〜24節)

エルサレム教会からの来訪者たちは異邦人キリスト信仰者とユダヤ人キリスト信仰者とが別々のグループに分離することを要求したのです。おそらくユダヤ人キリスト信仰者の中には、異邦人キリスト信仰者と食事を共にすることを認めようとしない「割礼を受けた者だけで構成された特定のグループ」があったのでしょう。

そして、ペテロは彼らの圧力に屈してしまいます。その結果、アンティオキア教会の内部にはキリスト信仰者のグループが二つ形成されました。バルナバさえもユダヤ人キリスト信仰者たちのグループに入ってしまいました。

このことからもわかるように、この論争は何か瑣末な事柄に関わる問題ではありませんでした。仮に当時のユダヤ主義者たちの主張がキリスト教会で承認されていたのなら、キリスト信仰者は全員がユダヤ教の慣習と規則に従うことを強制されたことでしょう。あるいは、この問題が原因でキリスト教会全体が二つに分裂してしまったことでしょう。そして、キリスト教信仰がユダヤ教の分派の一つに変わり果てたか、あるいは、二つの互いに競合する教会ができたのではないでしょうか。このどちらの場合にもキリスト教会を瓦解させかねない危険な状況が生じたものと思われます。

これを察知したパウロは自らの沈黙を破るほかありませんでした。彼はペテロに公然と異議を唱えたのです。この対立が最終的にどうなったのかパウロは何も述べていません。しかし、キリスト教会史はパウロの立場が勝利したことを証ししています。

この事件から私たちが学ぶべきことは何でしょうか。

まず、「困難な事柄を公に取り上げることが必要な時もある」ということです。ペテロのこの躓きはアンティオキア教会で公に知られていたので、パウロによる叱責もまた教会員たちの前で公になされました。

次に、当時においてもまた今日においても多くの場合には「実践こそが理論を検証する最良の場である」ということです。かつてペテロはエルサレムの使徒会議の決定事項を承認しました。しかし、アンティオキア教会ではユダヤ主義者たちの圧力を受けてそれを守りぬくことができなくなったのです。

第三に、「些細なことに見えても原則論として重要な事柄も存在する」ということです。

信仰のみによる義 「ガラテアの信徒への手紙」2章15〜21節

パウロがアンティオキア教会で起きたペテロとの衝突についての説明を「ガラテアの信徒への手紙」2章のどの辺りでやめたのか、ややわかりにくいところがあります。例えば次の引用箇所は地の文とも読めるし、ペテロを叱責するパウロのセリフの続きとみなすこともできます。

「わたしたちは生れながらのユダヤ人であって、異邦人なる罪人ではないが、人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである。なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがないからである。」
(「ガラテアの信徒への手紙」2章15〜16節、口語訳)

ともあれパウロがこの2章の終わりでキリスト教信仰生活にとっての最重要課題を取り上げているのはたしかです。すなわち「人はどのようにして救われるのか」という問題です。

パウロは「律法が救いの道である」という考え方を拒否します。もしも律法を通して救いを獲得できるのなら、キリストが十字架の死の苦しみを受けられたことが意味を失うからです。

「わたしは、神の恵みを無にはしない。もし、義が律法によって得られるとすれば、キリストの死はむだであったことになる。」
(「ガラテアの信徒への手紙」2章21節、口語訳)

唯一の救いの道はイエス様への信仰です。

「イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」」
(「ヨハネによる福音書」14章6節、口語訳)

ユダヤ人にとっては律法と神様を対立させるのはいともおぞましいことでした。しかし、パウロはこと救いに関してはこれらが互いに敵対関係にあることを見てとったのです。律法は人間から「律法の行い」を要求するのに対して、神様が人間に望んでおられるのは「キリストへの信仰のみ」だからです。

パウロは信仰生活を「キリスト信仰者の内にキリストが生きておられること」と表現しています。この視点は宗教改革者マルティン・ルターにも非常に大切なものでした。

「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。」 (「ガラテアの信徒への手紙」2章20節、口語訳)

恵みと罪の関係

「罪人はキリストへの信仰のゆえに律法の行いなしに義とされる」といういわゆる信仰義認の教義には批判もなされてきました。

「では、わたしたちは、なんと言おうか。恵みが増し加わるために、罪にとどまるべきであろうか。」
(「ローマの信徒への手紙」6章1節、口語訳)

パウロが上に引用した考え方がそういった批判の例です。「もしも人が良い行いをすることなしに救われるのだとしたら、結果的にそれは罪の行いの増大を招くことになるのではないか。しかし、神様はそのような事態を望まれない以上、パウロの教える恵みとやらは結果的に人がより多くの罪を行わせることに加担してしまう」といった批判が今までしばしばなされてきました。

とりわけ上にも引用した「ローマの信徒への手紙」6章において、パウロはこのような批判に反論しています。「もしもキリスト信仰者がキリストによって導かれているのなら、もはや罪の中にとどまって生きてはいられなくなる。キリスト信仰者でも罪に陥ることは依然としてあるだろう。しかし、罪を行うのを望んだり罪に基づいて生活したりはできなくなる。そのような場合には、キリスト信仰者は自己矛盾を抱えて生きることになるからだ」というのがパウロの展開する反論の要旨になります。

「神様による罪の赦しはキリスト信仰者の内で影響力を持つ」ということを私たちは心に刻むべきです。罪の赦しとは「天国の広場」でのみ起きるどこか遠くの出来事なのではありません。罪の赦しはこの世を生きていくキリスト信仰者にも影響力を持っています。罪の赦しはそれを信じるキリスト信仰者を変えるのです。

「わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。」
(「ガラテアの信徒への手紙」2章19節、口語訳)

この19節の意味する内容はなかなか難しいものです。おそらくパウロはここで意図的に言葉遊びを試みているのではないでしょうか。この節に関しては様々な解釈が提案されてきましたが、私(パシ・フヤネン)は最も単純な説明が最良だと考えます。人は律法の助けに頼って救いを自分に獲得しようとしても、自分が律法を完全に守るのは不可能であるということにまもなく気が付かされます。それゆえ、その人は救いを律法以外に、すなわちキリストに探し求めることになるのです。そして、これはパウロ自身も辿った道だったのです。

観察できる事柄は理論のみによって決定される

上の言葉はかつてアルバート・アインシュタインがある学生に言ったとされるものです。これは聖書を読む時にも当てはまります。聖書の読者は自分であらかじめ勝手に考えたり期待したりしていることを聖書から無理やり読み取るような態度は避けなければなりません。聖書を読むためには開かれた心が必要です。私たちにとってしばしば困難なのは、テキストを理解することよりも、むしろテキストの内容を自らの生活に適用することのほうです。

残念なことに多くのキリスト信仰者はある種の(倫理的・道徳的な)結論をあらかじめ出してしまいます。そしてその後でようやく聖書を使用して自らの結論を正当化しようとします。しかし、本来ならばこれとは逆の順序で行うべきところです。聖書が何を教えているかを真っ先に問うべきであり、そしてその後で聖書に基づく結論を下すべきなのです。