テサロニケの信徒への第一の手紙3章

フィンランド語原版執筆者: 
ヤリ・ランキネン(フィンランドルーテル福音協会、牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

3章1〜10節 テモテの訪問

各地に点在する教会のすべてひとつひとつがパウロにとって愛おしいものでした。とりわけ彼自身がその創立にかかわった諸教会のことを、彼は絶えず祈りに覚えていました。次の聖句からもわかるように、パウロは、自らが宣べ伝えた福音をそれらの教会が堅持しているかどうか、心配しています。

「なおいろいろの事があった外に、日々わたしに迫って来る諸教会の心配ごとがある。だれかが弱っているのに、わたしも弱らないでおれようか。だれかが罪を犯しているのに、わたしの心が燃えないでおれようか。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」11章28〜29節、口語訳)

パウロはまた、使徒の伝えた正しいキリスト教の教えから教会を引き離そうとする異端教師たちの与える悪影響のことも心配しています。さらに、まだ創立まもない若い教会が受けている迫害も、彼の心を強く動かしていました。各々の教会がこのような苦境の只中にあって自らの信仰を堅く保っていけるのか、それとも棄教してしまうのか、という心配です。

テサロニケ教会についてパウロが抱いた心配はとりわけ大きいものでした。テサロニケでの彼の伝道は、信徒たちに十分な教えを与える間も十分にないまま、まだこれからというときに中断を余儀なくされたからです。しかもその上、テサロニケ教会は迫害を受けていたからです。多くのユダヤ人や、彼らにそそのかされた他の多くの住人が 、パウロを迫害しました。使徒パウロはテサロニケから退去することでなんとか迫害者たちから免れることができました。パウロが都市を去ったのちにも、キリスト教の反対者たちの憎悪は鎮まることがなかったことでしょう。おそらくはその憎悪の対象が変更されただけであったと思われます。その結果として、若いテサロニケ教会は、神様をないがしろにするこの邪悪な世の只中にあって「神様の民」として生きていくことがいかなるものか、学び知ることになりました。

パウロはテサロニケ教会の状態について、教会がまだ生きているのか、それとも迫害の中で死んでしまったのか、早急に知ろうとしました。 パウロ自身にはテサロニケに戻る可能性がありませんでした。その理由は知られていません。アテナイでの伝道の仕事のために使徒パウロはこの都市に残る必要があったのかもしれません。ともあれパウロは自らの代理としてテモテをテサロニケに派遣しました。テモテの使命は、アテナイからテサロニケまでの長く骨の折れる旅をして、テサロニケ教会の状態を確かめ、テサロニケに信徒たちがまだ残っているようならば、彼らの信仰を強めることでした。

使徒パウロはテモテについてよい証をし、テモテがパウロにとって愛する信仰の兄弟であり、身近な同僚であることを告げます。テモテというまだ若い同僚についての証は、たんにパウロの形式的な礼儀正しさのあらわれではありません。テモテはパウロが証する通りの人物であったことを、新約聖書が語っているからです。

パウロはすでにテサロニケに滞在していたときに、キリスト信仰者としてこの世で生きていくのは決して容易ではないことを教えていました。キリスト信仰者は周囲から蔑まれ、迫害を受けるものだからです。このパウロの教えはイエス様がこの世で教えられた次の内容と一致しています。

「またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」
(「マタイによる福音書」10章22節、口語訳)

私たちにはこの御言葉から学ぶべきことがたくさんあります。イエス様の御名のゆえに人々から受ける侮辱は、キリスト信仰者が信仰生活において失敗した結果や、あるいは、反抗的な子どもに対する神様からの懲らしめなどではありません。これはキリスト信仰者としての信仰生活に含まれる一側面なのです。これはイエス様の弟子たちの受ける自然な分なのです。とはいえ、このような侮辱をわざわざ自ら求める必要はありません。私たちが天の御国への旅を続けていくときには、このような侮辱は、私たちが自ら求めるまでもなく、なんらかの形で遅かれ早かれ私たちに対して向けられるものだからです。

「そこで、わたしはこれ以上耐えられなくなって、もしや「試みる者」があなたがたを試み、そのためにわたしたちの労苦がむだになりはしないかと気づかって、あなたがたの信仰を知るために、彼をつかわしたのである。」
(「テサロニケの信徒への第一の手紙」3章5節、口語訳)

パウロがここで「試みる者」と呼んでいる悪魔は、テサロニケの信徒たちに対して、イエス様への信仰を公に告白することはやらないほうがよく、福音を捨てた方がはるかに楽な生き方ができる、という内容のことをだまして信じこませようとします。このような誘惑を受けて、テサロニケ教会が苦境の中で信仰を失ってしまったのではないか、とパウロは恐れていました。もしもそのようなことが起きてしまったのなら、パウロのテサロニケ訪問は全く無駄になってしまうことになります。

ところが、テモテは大きなニュースを携えてテサロニケから帰ってきました。パウロはそれを、テモテが彼に喜びの福音をもってきた、と表現しました。テサロニケ教会は信仰を保っており、教会ではキリストの愛が働いていました。教会はパウロを捨てることもなく、彼を使徒として大いに尊敬しています。そして、彼との早期の再会を待ち望んでいます。テモテの伝えたテサロニケ教会からの挨拶を聞いて、パウロは大きな肩の荷が下りました。彼が抱いていた恐れには根拠がないことがわかったからです。パウロは多くの苦しみの只中で生きてきました。彼は苦しみを受け、様々な心配事に悩まされ続けてきました。それゆえ、テサロニケ教会から届けられたこの挨拶はパウロに対して、そのような心配を一挙に吹き飛ばしてくれる「清涼剤」のような効果をもたらしました。そのおかげで、次の聖句にあるように、彼は新たに生きる力を得ることができたのです。

「なぜなら、あなたがたが主にあって堅く立ってくれるなら、わたしたちはいま生きることになるからである。」
(「テサロニケの信徒への第一の手紙」3章8節、口語訳)

もしもテサロニケからこれとは全く異なる知らせをテモテが携えてきたとしたら、それがどれほど激しい苦痛をパウロに与えたことか、想像に難くありません。

パウロは神様への賛美にあふれます。主がテサロニケ教会の面倒をみてくださったからです。教会が存続しているのは喜びにほかならないからです。多くの教会はパウロに悲しみをもたらしました。それもあって、テサロニケからの知らせは彼にとっていっそう大きな喜びを生みました。このように神様は、様々な悲嘆の只中にあった使徒パウロに喜びも与えてくださいました。

テモテの挨拶にはもうひとつの影響力がありました。この挨拶を受け取ったパウロはテサロニケ教会のことを前よりもいっそう慕うようになったのです。それゆえ、彼はテサロニケをできるだけ早く再訪できるように祈り続けるようになりました。

「わたしたちは、あなたがたの顔を見、あなたがたの信仰の足りないところを補いたいと、日夜しきりに願っているのである。」
(「テサロニケの信徒への第一の手紙」3章10節、口語訳)

テサロニケの信徒たちの足りないところを補いたい、とパウロは言っていますが、これはどういう意味なのでしょうか。パウロはかつてのテサロニケ訪問の際に、そこからまもなく立ち退かなければなりませんでした。彼はテサロニケの信徒たちにキリスト教信仰の基本的なことがらについては教えることができたのですが、キリスト教にかかわる多くの項目については、きちんと教えることがかないませんでした。多くの重要な質問に対しても解答を与えずじまいになっていました。パウロには伝えたかったことのすべてを信徒たちに言う機会がなかったのです。彼らからの挨拶を受け取った今、テサロニケに戻って中断した伝道の仕事を続けたい、キリスト教信仰とキリスト信仰者の生活のありかたについてテサロニケの信徒たちにもっと教えたい、とパウロは願っているのです。これが、「テサロニケの信徒たちの足りないところを補いたい」、という言葉の意味するところでしょう。

上掲の10節に基づいて、「キリスト教信仰が不完全なものから完全なものへと発展していく」、などと考えるべきではありません。「信仰はよりよくしていかねばならないものであり、それが十分改善されたあとでようやく神様にもよりよく受け入れてもらえるのだ」、などといったことをパウロはここで一切意味していません。キリスト教信仰とは本質的に、すべてあるか、あるいは、なにもないか、のどちらかです。私たちがイエス様を信じるときに、私たちが神様の御前で必要とする一切のものを私たちはすでに所有しているのです。神様が私たちに与えてくださる信仰を補足してより「完全な」ものにすることはできないし、その必要もありません。しかし、このことは、各々のキリスト信仰者が必要としている教えも不要になる、という意味ではもちろんありません。教えとは、信仰を支えて強めるためのものだからです。この信仰によって、私たちはキリストを自らのものとしていただいて、キリストと共にすべての天の御宝をも所有させていただくことになるのです。

3章11〜13節 ふたつの希望

パウロはテサロニケ教会を早く再訪したいと願っています。しかし、彼はこの訪問計画を神様の決定にお任せし、神様の導きに信頼することにしました。もしも神様が望まれるのなら、使徒パウロは遅かれ早かれテサロニケに行くことになるからです。

神様の愛がテサロニケ教会のよりいっそう大きな範囲を覆っていくように、と使徒パウロは祈ります。これはとりわけ迫害の最中において必要とされる祈りです。この愛は他のキリスト信仰者たちにも、また教会の外の人々に対しても向けられるべきものです。一方で、パウロは神様がテサロニケ教会を終わりまで強めてくださるようにも祈っています。

「そして、どうか、わたしたちの主イエスが、そのすべての聖なる者と共にこられる時、神のみまえに、あなたがたの心を強め、清く、責められるところのない者にして下さるように。」
(「テサロニケの信徒への第一の手紙」3章13節、口語訳)

このようにパウロは、主がこの世に再臨なさる「最後の日」にテサロニケ教会が霊的に目覚めているように祈っています。この13節の「聖なる者」(複数形)というのは天使たちのことを指しているものと思われます。イエス様御自身も 「最後の日」に天使たちと共に再臨する、と言っておられるからです。

「人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう。」
(「マタイによる福音書」16章27節、口語訳)


第3回目の集まりのために

「テサロニケの信徒への第一の手紙」3章1〜13節

パウロはテサロニケ教会の現状について知りませんでした。それゆえ、彼はテモテを派遣して情報を得ようとしました。テモテが持ち帰ったテサロニケ教会に関する情報は、パウロにとって喜びの知らせでした。そのおかげで、使徒パウロはテサロニケ教会のことをこの上なく慕わしく思うようになりました。

1)「使徒信条」には「聖徒の交わり」という表現がでてきます。テサロニケの信徒たちへのパウロの愛は、この聖徒の交わりが具体的にどのようなものであったかを示しています。
私たちが通っている教会について「聖徒の交わり」という表現を使うことができるでしょうか。

2)どうして多くの人は信仰を捨ててしまうのでしょうか。
人が信仰を捨てたことは、どのようなことからわかりますか。
人が信仰を捨ててしまわないように、私たちには何かできることがありますか。
もしもできるとしたら、それは何でしょうか。
テサロニケ教会が信仰を捨ててしまわないためにパウロが行ったことは何でしたか。

3)すでに初代のキリスト信仰者たちも様々な苦しみを受けました。
苦境の最中にある場合、私たちは神様に対して反抗的な態度を取ることがあるでしょうか。

4)パウロはテサロニケ再訪の時期を神様の決定にお任せしました。
私たちも自身に関わる事柄を神様のなさる解決におゆだねすることができるでしょうか。
神様がこれでよしとみなされる事柄に、私たちは満足することができるでしょうか。
神様がどのような道を通して私たちを運ぼうとなさっているのか、私たちはどのように知ることができますか。

5)パウロはテサロニケ教会にさらなる教えを授けたいと願っています。
どうして私たちは神様の御言葉についての教えを受ける必要があるのでしょうか。
どこから私たちはそれを受けることができるのでしょうか。
どこからあなたはそれを受けましたか。


終わりのメッセージ

私たち人間は神様のことを、その時や場所はその都度変わりますが、いつもどこか「柵の中」に閉じ込めておこうとするものです。神様は圧倒的な宗教的な体験のなかにだけ住まわれている、と考える人もいます。神様の働きかけは、自分の人生の転機となった出来事の時に限られる、とみなす人もいます。神様は教会や祈りの集会所でのみ働きかけておられる、という人もいます。神様は人間の死と「あの世」にしか関係がない、と思っている人もいます。それに対して、神様を己の日常生活の外側に追いやってしまっている人も大勢います。これらは間違った考え方や態度であると言えます。まず、日常生活は逃避するには不適当な場所です。神様を柵の内側に閉じ込めておくことはできません。しかし、今もなおたくさんの人にとっては、孤独で辛く恐ろしい日常だけが冷たい現実なのです。神様はそこにおられるのでしょうか。まさにこのすべてのところに神様はおられるのです。辛い試練の中において、「私はここにいる」、と神様は言われます。疲れと恐れの只中において、「まさしくここに私はいる」、と言っておられるのです。しかも、神様はそこにいてくださるだけではなくて、それらすべてを分け与え調整してくださる方でもあるのです。本当にそうなのです。神様はすべての最善となるように計らってくださっています。神様が言われたいのは、「あなたは私のものである」、ということにほかなりません。「キリストのゆえに、私はあなたを「私のもの」として、まさにこの人生を通して天の御国に帰郷する時まで運んでいってあげよう」、と。このことをしっかり覚えて信じていきましょう。

(Lauri Koskenniemi)