コロサイの信徒への手紙4章  目を覚まして祈りなさい!

フィンランド語原版執筆者: 
パシ・フヤネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢 (フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

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優しい言葉と厳しい言葉 A「コロサイの信徒への手紙」4章2〜4節

「目をさまして、感謝のうちに祈り、ひたすら祈り続けなさい。同時にわたしたちのためにも、神が御言のために門を開いて下さって、わたしたちがキリストの奥義を語れるように(わたしは、実は、そのために獄につながれているのである)、また、わたしが語るべきことをはっきりと語れるように、祈ってほしい。」
(「コロサイの信徒への手紙」4章2〜4節、口語訳)

この世の終わりに生きている弟子たちに対してイエス様は「目をさましていなさい。わたしがあなたがたに言うこの言葉は、すべての人々に言うのである」と諭されました(「マルコによる福音書」13章37節)。信仰的に目を覚ましている態度はこの世の終わりの時だけではなく普段から必要とされています。魂の敵は私たちを神様から引き離そうと常に付け狙っているからです(「ペテロの第一の手紙」5章8節)。

上節の「祈り」はイエス様がこの世で公に福音を宣べ伝えた時にしばしば祈られたような夕べの祈りを意味しているのかもしれません(「マタイによる福音書」14章23節)。あるいはまたこの祈りは日常生活の中で祈ることを意味しているとも考えられます。

3章17節でパウロはすべてを祈りつつ行うようにコロサイの信徒たちを諭しました。ここでパウロは自分の福音伝道の仕事のためにとりなしの祈りをしてくれるようにコロサイの信徒たちに頼んでいます。

「神が御言のために門を開いて下さって」というのは神様が福音宣教の可能性を開いてくださることや、福音を聴いた人々がその重大さを理解して受け入れるようになることを意味しています(「コリントの信徒への第一の手紙」16章9節(口語訳では8節)、「エフェソの信徒への手紙」6章19節、「テサロニケの信徒への第二の手紙」3章1節にもこれと関連する記述があります)。聖霊様が福音を人間に開示してくださらないかぎり、人間は決して福音を理解することができません。

「わたしが語るべきこと」の「べき」はギリシア語で「デイ」といい、神様による強制的行為を表しています。これは神様が実現を望まれた出来事はどのような妨げがあろうとも否応なく実現していくという意味です(「ヨハネの黙示録」3章8節も参考になります)。預言者エレミヤにも同様の「証をしなければならない」という切羽詰まった心持ちがありました。それは「たとえそれが困難をもたらすとしても神様の御意思を宣べ伝えなければならない」という心構えでした。

「もしわたしが、「主のことは、重ねて言わない、
このうえその名によって語る事はしない」と言えば、
主の言葉がわたしの心にあって、燃える火の
わが骨のうちに閉じこめられているようで、
それを押えるのに疲れはてて、
耐えることができません。
多くの人のささやくのを聞くからです。
恐れが四方にあります。
「告発せよ。さあ、彼を告発しよう」と言って、
わが親しい友は皆
わたしのつまずくのを、うかがっています。
また、「彼は欺かれるだろう。
そのとき、われわれは彼に勝って、
あだを返すことができる」と言います。
しかし主は強い勇士のように
わたしと共におられる。
それゆえ、わたしに迫りくる者はつまずき、
わたしに打ち勝つことはできない。
彼らは、なし遂げることができなくて、
大いに恥をかく。
その恥は、いつまでも忘れられることはない。」
(「エレミヤ書」20章9〜11節、口語訳)

預言者エレミヤと同様にパウロもまた福音のゆえに幾多の困難に遭遇しました。仮に彼がイエス様への信仰を捨てていれば今の牢獄生活もすぐに終わるはずでした。

「今の時を生かして用い、そとの人に対して賢く行動しなさい。いつも、塩で味つけられた、やさしい言葉を使いなさい。そうすれば、ひとりびとりに対してどう答えるべきか、わかるであろう。」
(「コロサイの信徒への手紙」4章5〜6節、口語訳)

さきほど扱った4章2〜4節は「人々について神様に話しなさい!」という内容だったとも言えます。それに対してこの4章5〜6節は「神様について人々に話しなさい!」という内容のものであるとも言えます。福音宣教者は祈りをもって活動しなければなりません。もしも神様が聞き手の心を和らげてくださらなければ福音宣教は石のように硬い心に弾き返されてしまうことでしょう。これと関連してイエス様の「種蒔く人のたとえ」が想起されます(「マタイによる福音書」13章1〜23節)。

祈りは祈る当人のことも変えていきます。神様の偉大さを前にして祈る者自身の矮小さが明るみになるからです。次の箇所は預言者イザヤが聖なる神様に出会った時の出来事を描いています。

「ウジヤ王の死んだ年、わたしは主が高くあげられたみくらに座し、その衣のすそが神殿に満ちているのを見た。その上にセラピムが立ち、おのおの六つの翼をもっていた。その二つをもって顔をおおい、二つをもって足をおおい、二つをもって飛びかけり、互に呼びかわして言った。

「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、
その栄光は全地に満つ」。

その呼ばわっている者の声によって敷居の基が震い動き、神殿の中に煙が満ちた。その時わたしは言った、「わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れたくちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に住む者であるのに、わたしの目が万軍の主なる王を見たのだから」。

この時セラピムのひとりが火ばしをもって、祭壇の上から取った燃えている炭を手に携え、わたしのところに飛んできて、わたしの口に触れて言った、「見よ、これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの悪は除かれ、あなたの罪はゆるされた」。わたしはまた主の言われる声を聞いた、「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか」。その時わたしは言った、「ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください」。」 (「イザヤ書」6章1〜8節、口語訳)

キリスト信仰者ではない人がはじめて読む「聖書」はキリスト信仰者です。この意味でキリスト信仰者は最も読まれている「第五の福音書」であるとも言われます。それゆえにキリスト信仰者はイエス様と福音についてよい証をするような生きかたをしなければなりません。

テモテに助言を与える時にパウロは「御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。」(「テモテへの第二の手紙」4章2節、口語訳)と諭しました。信仰に目覚めたばかりの人の多くは「やりかたが良くても悪くても」伝道に励む傾向があります。彼らには伝道する情熱がありますが、他の人に配慮したり敬意を払ったりすることは軽視する傾向があります。それに対して経験を積んだキリスト信仰者の多くはイエス様について他の人に語るために「良い時」や「良いやりかた」などないと悲観しすぎる傾向があるようです。これらのように極端ではないバランスのとれた中庸の伝道のやりかたを私たちは探し求めていかなければなりません。

ペテロも手紙の読者たちに「ただ、心の中でキリストを主とあがめなさい。また、あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には、いつでも弁明のできる用意をしていなさい。」(「ペテロの第一の手紙」3章15節、口語訳)と諭しています。私たちが職場に出かけるのは仕事をするためであって自分の信仰を証するためだけではありません。宗教改革者マルティン・ルターは「良い靴屋は良い靴を作ることによって自分が良いキリスト信仰者であることを証している」という言葉を残しています。良い仕事はその仕事をした本人の信仰を証するひとつのやりかたであるとルターは考えていたのです。とはいえ職場や学校などで自分の信仰について証する機会が神様から与えられた場合にはもちろんそれを利用するべきです。

キリスト信仰者には隣人に対する大きな責任があります。とりわけ彼らが福音を聴けるようにしたのかどうかという責任です(このことに関連して例えば預言者エゼキエルは主からきわめて深刻な諭しを受けています(「エゼキエル書」3章16〜21節))。

イエス様はキリスト信仰者が地の塩であると教えられました。

「あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。」
(「マタイによる福音書」5章13節、口語訳)

キリストについての証は耳に痛い場合があります。聞き手自身の罪が明るみにだされるからです。しかし私たちの宣教の言葉は辛いだけではなく甘いものでもあります。キリストについての証は恵みと福音を宣べ伝えてくれるからです。

これまで扱ってきた箇所からはパウロがイエス様の教えられた内容(例えば山上の説教)について知っていたことがわかります。パウロはイエス様の言葉について福音書とは若干異なった言葉遣いによって自分の手紙で言及しています。

パウロの派遣した人々 「コロサイの信徒への手紙」4章7〜9節

「わたしの様子については、主にあって共に僕であり、また忠実に仕えている愛する兄弟テキコが、あなたがたにいっさいのことを報告するであろう。わたしが彼をあなたがたのもとに送るのは、わたしたちの様子を知り、また彼によって心に励ましを受けるためなのである。」
(「コロサイの信徒への手紙」4章7〜8節、口語訳)

この箇所は「エフェソの信徒への手紙」6章21〜22節と内容的にほぼ同じです。このことは二つの手紙が同時期に書かれたことを示唆しています。

パウロはテキコ(8節)とオネシモ(9節)という二人のキリスト信仰者の名を挙げています。彼らが「コロサイの信徒への手紙」をコロサイに届けたのでしょう。

テキコは小アジアの出身でコリントからエルサレムへのパウロの最後の旅に同行していました(「使徒言行録」20章4節)。彼はパウロの集めた献金をエルサレムに運んでいくグループの中で小アジアのキリスト信仰者たちを代表していました。

テキコは新約聖書で5回名前が登場しています(「使徒言行録」20章4節、「エフェソの信徒への手紙」6章21節、「コロサイの信徒への手紙」4章7節、「テモテへの第二の手紙」4章12節、「テトスへの手紙」3章12節)。

オネシモは以前主人から逃亡した奴隷でしたが、キリスト信仰者になった後、パウロによってコロサイにいる主人フィレモンのもとに戻されました。オネシモが主人公として登場する「フィレモンへの手紙」を読めば彼についてさらにいろいろなことがわかります。

使徒教父イグナティオスによるエフェソの信徒への手紙はエフェソの教会の責任者(ビショップ)である「オネシモ」という人物の名を挙げています。もちろんこれが新約聖書のオネシモと同一人物であるかどうかはわかりません。

パウロの同行者たち 「コロサイの信徒への手紙」4章10〜17節

この箇所にはコロサイの信徒たちにこの手紙を通して挨拶を送っている人々の名が記されています。「コロサイの信徒への手紙」よりも挨拶を送る人々の数が多いパウロの手紙は「ローマの信徒への手紙」だけです。コロサイもローマもパウロが個人的に訪れたことがない教会でした。

挨拶を送った者たちの最初のグループの中にはパウロと一緒に投獄されていたアリスタルコの名があります(10節)。アリスタルコはテサロニケの出身でした。エフェソでの騒乱の際に彼は群衆に捕まりましたが、パウロは逃れることができました(「使徒言行録」19章29節)。

アリスタルコはパウロのエルサレムへの最後の旅にも(「使徒言行録」20章4節)、その後のローマへの航海(「使徒言行録」27章2節)にも同行していました。また「フィレモンへの手紙」24節にも彼の名が記されています。

次にバルナバのいとこマルコの名が挙げられています(10節)。彼はエルサレムの出身で、彼の家には最初のキリスト信仰者たちが集っていました。マルコはパウロの最初の海外伝道旅行に同行しましたが、伝道する場所がクプロ(キプロス)から異邦人の土地へと移った時点でパウロとバルナバの一行から離脱してエルサレムに帰還してしまいました(「使徒言行録」12章25節、13章13節)。

バルナバはいとこのマルコを次の海外伝道旅行にも同行させようとしましたが、パウロが反対したため、バルナバとパウロの道は別れることになりました(「使徒言行録」15章39節)。しかしこの手紙が書かれた時点ではもはや過去のいざこざは忘却され、マルコとパウロの同僚関係は元通り良好なものになっていたようです。

「フィレモンへの手紙」24節や「テモテへの第二の手紙」4章11節に彼の名が記されています。教会のごく初期の伝承によればマルコはペテロの通訳であり「マルコによる福音書」の執筆者であったとされています。

「また、ユストと呼ばれているイエスからもよろしく。割礼の者の中で、この三人だけが神の国のために働く同労者であって、わたしの慰めとなった者である。」
(「コロサイの信徒への手紙」4章11節、口語訳)

ユストと呼ばれているイエスの名が挙げられているのはこの節だけです。「イエス」という名は当時の一般的なユダヤ人の男性名でした(ヘブライ語では「ヨシュア」)。彼には当時の習わしに従ってラテン語の名前もありました。それが「公正」を意味する「ユスト」です。

この手紙の書かれた時点でパウロに従うユダヤ人キリスト信仰者はたった二人だけになっていました(マルコとユスト)。ユダヤ人たちはキリストに対して以前よりも反対の姿勢を鮮明にするようになっていたのです。

「あなたがたのうちのひとり、キリスト・イエスの僕エパフラスから、よろしく。彼はいつも、祈のうちであなたがたを覚え、あなたがたが全き人となり、神の御旨をことごとく確信して立つようにと、熱心に祈っている。」
(「コロサイの信徒への手紙」4章12節、口語訳)

コロサイの出身であったエパフラスはコロサイだけではなくその近隣の町ラオデキヤやヒエラポリスにも教会を設立した人物であったと考えられています。パウロが彼のことを「キリスト・イエスの僕」と呼んでいることからも彼が高い評価を受けていたことがわかります。この呼称をパウロは自分以外の人にはほとんど使用していません(ただしテモテは「コロサイの信徒への手紙」1章1節でパウロと並んで「キリスト・イエスの使徒」と呼称されています)。

「愛する医者ルカとデマスとが、あなたがたによろしく。」
(「コロサイの信徒への手紙」4章14節、口語訳)

ルカが医者であったことを明記しているのは「コロサイの信徒への手紙」だけです。ルカの書いた二部構成の歴史書は新約聖書の中でも最長のものです(「使徒言行録」が最長で「ルカによる福音書」は二番目に長い書物です)。ルカは新約聖書の著者の中でおそらく唯一の非ユダヤ人であったと思われます。「ヘブライの信徒への手紙」の著者が誰かは知られていませんが、手紙の内容から見てユダヤ人であったと推定するのが自然です。

ルカはパウロと一緒に二回目と三回目の海外伝道旅行に参加しました。「使徒言行録」の中で「わたしたち」という語り手が出てくる特別な箇所があることからそのように推定されています(例えば「使徒言行録」16章10〜11節)。ルカは「フィレモンへの手紙」24節や「テモテへの第二の手紙」4章11節にもその名が登場します。

デマスは「フィレモンへの手紙」24節にもその名が記されています。「テモテへの第二の手紙」4章10節では「デマスはこの世を愛し、わたしを捨ててテサロニケに行ってしまい、」と書いてあります。

「ラオデキヤの兄弟たちに、またヌンパとその家にある教会とに、よろしく。」
(「コロサイの信徒への手紙」4章15節、口語訳)

この節は最初の頃キリスト信仰者たちが誰かの家やカタコンベなどの場所に集っていたことを物語っています。いわゆる「教会」が建てられるようになるのはかなり時代が下ってからになります。

「この手紙があなたがたの所で朗読されたら、ラオデキヤの教会でも朗読されるように、取り計らってほしい。またラオデキヤからまわって来る手紙を、あなたがたも朗読してほしい。」
(「コロサイの信徒への手紙」4章16節、口語訳)

パウロや聖書の他の書き手たちの手紙が現代の私たちの手元にまで保存されてきたのは、それらの手紙が教会員たちの集会(礼拝)で朗読されるために次々と書き写されていったからです。「テサロニケの信徒への第一の手紙」5章27節にも「わたしは主によって命じる。この手紙を、みんなの兄弟に読み聞かせなさい。」と書いてあります。パピルスは脆くまともに使用できる期間は短かったため現在残っている新約聖書の書物群は時代を経て幾度も書き写されてきた写本群だけです。キリスト教会が新約聖書に入れるべき書物群(正典)を決定する時にひとつの重要な選定基準となったのはそれらの書物が最初期の頃から教会の集会(礼拝)で朗読されていたということでした。

16節に出てくる「ラオデキヤの信徒への手紙」は消失しました。どれほど多くのパウロの他の手紙が消失したのかは謎のままです。少なくとも二通の「コリントの信徒への手紙」が失われているのはわかっています。新約聖書に収められ残っているのはそれらのうちの二番目と四番目に書かれた手紙です。

当時、手紙を書くのはたいへん労力のかかる作業であったため、パウロと諸教会との間には頻繁な手紙のやり取りはなかったと考えられています。なお「ローマの信徒への手紙」の執筆には約100時間かかったと推定されています。

「アルキポに、「主にあって受けた務をよく果すように」と伝えてほしい。」
(「コロサイの信徒への手紙」4章17節、口語訳)

一般的に手紙には書き手と受け取り手だけが承知しているような内容が含まれていることがしばしば見られます。この節にあるアルキポの受けた「務」が何であったのかはわかりませんが、例えばエパフラスの後任としてコロサイの教会の指導者(教会長)となったアルキポをパウロが励まそうとしたのだという説が提案されています。

アルキポは「フィレモンへの手紙」2節にもこの手紙の受け取り手の一人としてその名が記されており、そこでは「わたしたちの戦友」と呼ばれています。

自筆による署名 「コロサイの信徒への手紙」4章18節

「パウロ自身が、手ずからこのあいさつを書く。わたしが獄につながれていることを、覚えていてほしい。恵みが、あなたがたと共にあるように。」
(「コロサイの信徒への手紙」4章18節、口語訳)

パウロは手紙を書く際に代筆者を用いていました。今回はその代筆者の名が記されていませんが、いつもと同じように、この手紙が本当に彼のものであることを証明する自筆による箇所と署名が手紙の終わりに記されています。これと同様の箇所は「コリントの信徒への第一の手紙」16章21節、「ガラテアの信徒への手紙」6章11節、「テサロニケの信徒への第二の手紙」3章17節にもあります。

ここでの終わりの挨拶はパウロの他の手紙とくらべると例外的に短いものとなっています。

(おわり)