マタイによる福音書28章 王の復活と私たちへの約束!

フィンランド語原版執筆者: 
パシ・フヤネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師、宣教師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会、神学修士)

イエス様の復活 28章1〜10節

例えば「ホセア書」6章2節の「主は、ふつかの後、わたしたちを生かし、三日目にわたしたちを立たせられる。わたしたちはみ前で生きる。」という旧約聖書の預言の通りに、イエス様は死後三日目に復活することになっていました。イエス様は安息日が始まる直前の金曜日に埋葬されました(「ルカによる福音書」23章54節)。ユダヤ暦では「一日」は夕方6時頃から始まります。ですから、安息日は二日目、週の初日は三日目にあたります。私たちの暦でいうと、それは日曜日の朝(「安息日が終って、週の初めの日の明け方に」)です(1節)。

残念ながら、現在の西暦では月曜日から新しい週が始まるようになっています。どうして過去にこのような変更が行われたのかは分かりません。イエス様が復活なさった曜日がキリスト教の聖日、礼拝の日となりました(「ヨハネによる福音書」20章19節(「一週の初めの日の夕方」)および26節(「八日ののち」)を参照してください)。セブンスデー・アドベンチスト教会は旧約聖書の安息日である土曜日を礼拝日と定めることに固執していますが、これには教会史的な根拠が欠けています。

「さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた。」
(「マタイによる福音書」28章1節、口語訳)

ギリシア語原文でみると、ここでもマタイはマグダラのマリアのユダヤ的な呼び名である「マリアム」を用いています(1節)。この二人の女性に加えて他の女性たちもその場にいたとルカは述べています(「ルカによる福音書」24章10節)。

女性たちがイエス様の埋葬について終わりまでできていなかった点(香料の塗布)をきちんとやりとげるためにそこにいたとマルコは述べています(「マルコによる福音書」16章1〜2節)。彼女たちはイエス様の遺体に塗るための「香油を買い求め」て持参したのです。

「すると、大きな地震が起った。それは主の使が天から下って、そこにきて石をわきへころがし、その上にすわったからである。」
(「マタイによる福音書」28章2節、口語訳)

イエス様の墓で地震が起こったことはマタイだけが語っています(2節)。「主の使」が墓を開けたのはイエス様が墓の中から出てこられるようにするためにではなく、女性たちが墓に入れるようにするためでした(6節)。復活後のイエス様の体は、たとえ石が墓の口を閉じていたとしても、そこから外に出れないようなこの世的な制限をもはや受けなくなっていたからです。

「見張りをしていた人たち」には「主の使」を欺くことはもちろんできませんでした(4節)。彼らにできたのは「恐ろしさの余り震えあがって、死人のようになった」ことだけでした。

「ヨハネによる福音書」はイエス様が復活後にエルサレムで出現されたと記しています。

「この御使は女たちにむかって言った、「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。そして、急いで行って、弟子たちにこう伝えなさい、『イエスは死人の中からよみがえられた。見よ、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお会いできるであろう』。あなたがたに、これだけ言っておく」。」
(「マタイによる福音書」28章5〜7節、口語訳)

マタイはガリラヤの重要性を強調しています(7、10、16節および26章32節(「「しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう」。」)。

「そこで女たちは恐れながらも大喜びで、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。」
(「マタイによる福音書」28章8節、口語訳)

時として恐れは喜びを伴うことがあります(8節、「詩篇」2篇11節も参照してください)。もし弟子たちがイエス様の復活を予期していたのなら、おそらくその復活の朝、彼ら全員がイエス様の墓の場所に参集したことでしょう。しかし、イエス様の復活は彼らにとっても全く予想外の驚くべき出来事でした。それは神様による御業であったため、恐れの心も生じはしましたが、何にもまして喜びの心が優りました。これは「イエス様は生きておられる!」という喜びです。

「すると、イエスは彼らに出会って、「平安あれ」と言われたので、彼らは近寄りイエスのみ足をいだいて拝した。そのとき、イエスは彼らに言われた、「恐れることはない。行って兄弟たちに、ガリラヤに行け、そこでわたしに会えるであろう、と告げなさい」。」
(「マタイによる福音書」28章9〜10節、口語訳)

マタイとは異なり、パウロは復活の証人として女性の名前を挙げていません(「コリントの信徒への第一の手紙」15章5〜8節)。これは当時の慣例に従ったためかもしれません。ユダヤ社会では女性の証言は有効とみなされていなかったからです。

なお、この10節でイエス様は初めて弟子たちを「兄弟」と呼んでおられます。

窮地に陥った番人たち 「マタイによる福音書」28章11〜15節

もしイエス様の復活に関する聖書の記述が受け入れられないのなら、この過越祭の出来事には別の説明を探さなければならなくなります。復活をめぐって最初に浮かぶ疑問は「イエス様の遺体がどこにあるのか」ということです。もしもそれが見つかるようであれば、復活はあり得ないという結論が出たことでしょう。

墓の番人たちはユダヤ人の指導者たちに対して特別な任務を受けていたので(27章65〜66節)、まず彼らにこの出来事を報告しに行きました。もちろん彼らは自分らの責任を回避する手段を模索しました。任務に対する怠慢を理由に番人たちを死刑するのもありうるひとつの選択肢だったでしょう。

ユダヤ人の指導者たちはイエス様が死後に復活するという預言を覚えていたにもかかわらず(27章63節)、それを信じたくはなかったので、墓が空だったという事実に対して復活以外の何か別の説明をこしらえなければなりませんでした。彼らは番人たちに賄賂を握らせて「弟子たちがイエスの遺体を盗んだ」という作り話を言い広めるように指図したのです(13節)。

しかし、この作り話はまったく信憑性に欠けるものでした。遅くとも墓を封印していた石(27章60節)が開かれた時点で番兵たちは目を覚ましていたはずです。しかも彼らが眠っていたのだとしたら(13節)、弟子たちがイエス様の遺体を盗んだことを彼らはどうやって知ることができたのでしょうか。

当時、見張りの途中で眠り込む者は死刑に処せられました(14節)。しかし、ローマの役人たちは賄賂で容易に懐柔できることがよく知られていました(「使徒言行録」24章26節のパウロと総督ペリクスについての出来事を参照してください)。

マタイはユダヤ人たちを対象に福音書を書いたため、当時ユダヤ人たちの間で流布していたイエス様の復活をめぐる偽りの説明について言及しています(15節)。しかし、他の福音書記者たちはこのことについては触れていません。

特別考究 

復活の証拠と意味について

キリスト教における最も重要な種々の出来事は大いに注目に値します。次のいずれの出来事も「奇跡」と呼ぶことができます。

1)神様は人となられた。イエス様は処女マリアからお生まれになった(「ヨハネによる福音書」1章14節)。

2)イエス様は十字架上で死なれた。イエス様の十字架での死はすべての人々の罪を帳消しにするものであり、人は誰でもイエス様を信じることによって救われる(「ヨハネによる福音書」3章16節)。

3)イエス様は死後その御遺体が墓の中に足掛け三日間埋葬され、三日目(イースター)に死から復活なさった。さらにイエス様は私たちにも復活の恵みを分け与えることを約束してくださった(「コリントの信徒への第一の手紙」15章21〜23節)。

4)天に昇られる時にイエス様はいつの日か弟子たちを天に連れて行くことを約束なさった(「ヨハネによる福音書」16章2〜4節)。

キリスト教におけるこれら最も重要な一連の出来事(奇跡)は私たち人間にはそれが真実か偽りかを完全な確度では証明できないものばかりです。

人間の持っている知識はその全てが科学や哲学などに依拠するある種の「信仰形態」であるとも言えます。私はフランス皇帝ナポレオンという人物に会ったことはなく、会ったことがある人のことも知りません。しかし、この人物がかつてこの世に存在したことは確かに知っていると断言することができます。彼に関する本を読んだことがあり、彼がかつてこの世に生きていたことを示す証拠があることも知っています。ナポレオンがこの世に実在したことを示す証拠が数多く残っているのです。絶対的な確信をもって証明することはできないものの、そう信じるに足る十分な理由があるということです。要するに「ナポレオンはかつてこの世に生きていたことを私は知っている」と言い切れるのです。

復活についてもそれと同じように考えることができます。私たちは「復活」という出来事そのものを研究することはできませんが、復活がもたらした種々の結果について、すなわちイエス様の復活が起きたことを認めるか反対するかを示すために今まで提示されてきた数々の証拠については研究することが可能です。

宗教哲学者J・ヒックは、「円周率の十進表示において7つの数字が7つ連続する点(例えば…45777777789…)が存在する」という主張を反証することは不可能であると述べています。そのような点はまだ見つかっていませんが、円周率は無理数(循環性のない無限小数)であるため、無限に新しい小数を計算していくことができます。言い換えれば、そのような点がまだ見つかっていないという現段階の事実は、将来そのような点が見つからないことを証明するものではありません。

復活の信仰についても同様なことが言えるとヒックは述べています。それを反証することはできませんが、それが真実であるという証拠を用意することはできるのです。そして私たちが死ぬ時に、それが真実であったかどうかが最終的にわかることになります。

復活を否定する証拠とされる考えかたは「通常、復活は起こらないし、死者はよみがえるものではない」というように短くまとめることができます。

しかし、これは100パーセント確実な証拠ではありません。何かが通常起こらない、あるいは過去に起こらなかったからといって、将来起こり得ないということにはならないからです。例えば18世紀の人々は車を運転していませんでしたが、私たちはそれを運転できるようになりました。

それでは復活が起きることを示す証拠とは何なのでしょうか。

「墓は空だった」

イエス様の復活を最も具体的に証拠立てているものはその時の過越祭(イースター)の朝にイエス様の墓が空だったことです。「ルカによる福音書」24章3節には「中にはいってみると、主イエスのからだが見当らなかった。」とあります。

遺体が墓から盗み出されたという可能性はもちろん考えることができます。イエス様の反対者たちによって盗まれた可能性もあれば、弟子たちによって盗まれた可能性もあります。

しかし、もしイエス様の反対者たちが遺体を盗んだとするなら、使徒たちが復活したキリストを宣べ伝え始めたときに彼らはその遺体を弟子たちの教えへの反証として利用したに違いありません。イエス様の遺体を実際に突きつけることでイエス様の復活をめぐる議論には完全に終止符が打たれたはずです。

一方、もし弟子たちがイエス様の遺体を盗んだとしたら、なぜ彼らが死の危険を冒してでも復活の主イエス様について証言しようとしたのかを説明するのがとても難しくなります。それは事実上ほぼ不可能であるとさえ言えます。自分で嘘とわかっていることのために自分が死ぬことも厭わないなどと誰が考えるでしょうか。

盗難説に反するもう一つの論拠はローマ兵たちがイエス様の反対者たちの要請によって墓を警備していたという点です(27章62〜66節)。しかし、盗難説に反するさらに重要な証拠があります。ヨハネは次のように記しています。

「シモン・ペテロも続いてきて、墓の中にはいった。彼は亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、イエスの頭に巻いてあった布は亜麻布のそばにはなくて、はなれた別の場所にくるめてあった。すると、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいってきて、これを見て信じた。」 (「ヨハネによる福音書」20章6〜8節、口語訳)

ヨハネはペテロたちが墓に入り、見て、そして信じたと述べています。ペテロたちが見たのは亜麻布と、イエス様が埋葬された時に巻かれていた布でした。遺体が盗まれた場合とは異なり、それらは引き裂かれたり持ち去られたりしていませんでした。あたかも青虫から蝶へと変化した蝶が後に「抜け殻」として残した繭のように、それらは手つかずの状態で残されていたのです。亜麻布と一緒に使われていた薬草と香油はすでに固まっており、亜麻布を破らずに中から遺体を取り出すことは不可能な殻となっていました。

イエス様の頭の置かれた箇所は空っぽになっており頭に巻かれていた布は別の場所に置かれていたとヨハネは書いています。

墓は完全に空だったのではなく、そこには重要な証拠が残されていたのです。

復活したイエス様の顕現

イエス様の復活のもう一つの証拠はイエス様が弟子たちに何度も顕現されたことです。

「ルカによる福音書」24章30節および32節には、見知らぬ旅人が誰であるか弟子たちがどうしてわかったのかについて記されています。復活したイエス様の御姿は死なれる前とは幾分異なっていたようです。他の顕現の場合でも、弟子たちが復活なさったイエス様であることを見分けるのが難しかったらしい様子が福音書からは伝わってきます。イエス様がパンを裂かれた時にその袖の下から手首が見え、弟子たちはそこに釘による傷跡を目撃しました。見間違うはずがありません。このお方は十字架にかけられたのです。一般的に考えられているのとは異なり、十字架にかけられた人々は手のひらではなく手首を釘付けにされました。手のひらの筋肉と腱では全身の重さを支えることができないのに対し、手首にはそれに耐えるだけの十分な強度があったからです。

イエス様は復活後、合計500人以上の人々に顕現されました(「コリントの信徒への第一の手紙」15章1〜11節)。人々の集団に対して顕現された場合もあったので、彼らが錯覚したとか空想上の存在を見たといった可能性は考えられません(「ルカによる福音書」24章36〜49節を参照してください)。

弟子たちの変化

弟子たちに起こった変化についてはすでに述べました。イエス様の死後、彼らは恐れ、戸を閉めていました。「ヨハネによる福音書」20章19節には「その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。」とあります。そのような彼らに対してイエス様は顕現なさいました。そして、弟子たちは最初のペンテコステの日に聖霊様を受けてから、復活された主イエス様について大胆に証し始めたのです。この出来事については例えば「使徒言行録」2章を参照してください。

弟子たちに起きたこの「変化」について彼らの自己欺瞞や妄想のせいにして説明するのは困難です。また、「イエスはその思想だけは生き続けたが、肉体的には復活しなかった」といった説も主張されることがありますが、正式な教育さえ受けていなかった弟子たちの集団に起こった大きな変化をそれで説明することはできません。彼らは現代の思想家などではなく普通の漁師や労働者だったのですから。

要するに、弟子たちには何か非常に重要な出来事が起こったのです。それはいったい何だったのでしょうか。このことに対する最も適切で自然な説明はやはり「イエス様が本当に死から復活なさり、弟子たちに対して顕現された」というものです。

私たちのキリスト教会もこの変化についての「証」です。今日でも復活とそれが真実であることを信じて生きている人々(キリスト信仰者たち)が教会に現に存在するのですから。

パズルの欠けたピース

イエス様の弟子たちにとってイエス様の復活がどのような意味を持っていたのかを理解するために、例えば中心となる大きなピースが欠けているパズルを想像してみてください。そのピースがなければ、パズルの主題が何であるかを理解することができません。そのピースが何を表しているのか推測することはできますが、確信は持てません。最後のピースがきちんと所定の位置にはまった時に初めてパズルの絵は完成し、それが何を表しているのかがはっきりわかるようになるのです。

絵が9つの部分に分けられてそれらの一つずつの部分が表示されていくというテレビ番組が昔ありました。上記の状況はこれと似ています。パズルからピースがまだ欠けているかぎり、完成して浮かび上がる実際の絵とは全く異なる別の何かをそのパズルは表しているという誤解が生まれる可能性は残り続けます。

使徒たちは約三年間イエス様と共に歩み、自分たちが従ってきたこのお方についてある程度のイメージを持てるようにはなっていました。しかし、結局それは間違ったイメージだったのです。当時の一般のユダヤ人たちと同様に、彼らもこの世的なメシア、ダビデの血統を受け継ぐ王、ユダヤ人を抑圧するローマ帝国をパレスチナから追い払う強者の役割をイエス様に期待していたのです。

イエス様は御自分が十字架につけられること、そしてそれがすべての終わりなのではなく神様の御計画の一部であることをすでに何度も予告しておられたにもかかわらず、弟子たちはイエス様の啓示を正しく理解しませんでした(「ルカによる福音書」18章31〜34節)。弟子たちにとってイエス様の十字架刑は、彼らの思い描いていたすべての計画が崩れ去り、イエス様が彼らの期待するようなメシアではなかったということを意味していました。それについてルカは次のように記しています。

「わたしたちは、イスラエルを救うのはこの人であろうと、望みをかけていました。しかもその上に、この事が起ってから、きょうが三日目なのです。」
(「ルカによる福音書」24章21節、口語訳)

ユダヤ人の大多数は復活の可能性を信じていましたが、この点でサドカイ派は例外的に復活を否定していました。しかし、彼らに対してもイエス様はすでにモーセ五書(旧約聖書の最初の五書のこと)に復活信仰が記されていることをお示しになりました。サドカイ派はモーセ五書以外の旧約聖書の他の書物を聖典として受け入れない立場をとっていたのです(「ルカによる福音書」20章27〜40節)。さらに旧約聖書の預言書にも復活に言及している箇所が多数あります。おそらく次の「ホセア書」6章1〜3節はイエス様について最も明確なかたちで言及している旧約聖書の箇所のうちの一つでしょう。

「さあ、わたしたちは主に帰ろう。 主はわたしたちをかき裂かれたが、またいやし、
わたしたちを打たれたが、
また包んでくださるからだ。
主は、ふつかの後、わたしたちを生かし、
三日目にわたしたちを立たせられる。
わたしたちはみ前で生きる。
わたしたちは主を知ろう、
せつに主を知ることを求めよう。
主はあしたの光のように必ず現れいで、
冬の雨のように、わたしたちに臨み、
春の雨のように地を潤される」。
(「ホセア書」6章1〜3節、口語訳)

ところが、ユダヤ人たちはこの世の終わりに起きるはずの復活を期待していたのです。例えば「ヨハネによる福音書」11章24節には「マルタは言った、「終りの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています」。」とあります。「弟子たち自身がイエスの復活についての教義を捏造した」という誤った主張に対して、これは注目すべき点です。

復活の意味

そもそも復活はそれほど重要なことなのでしょうか。復活信仰をもたないキリスト教、あるいはイエス様の死からの復活を信じないキリスト教はあり得ないのでしょうか。

パウロもこの同じ問いに直面し、「コリントの信徒への第一の手紙」15章の特に17〜23節で答えを与えています。もし自分がキリスト信仰者だと思っていながらも復活が起こることを期待していない人は、パウロによれば「すべての人の中で最もあわれむべき存在」なのです。

なぜパウロはこれほど厳しい態度を取るのでしょうか。それは復活を信じない人が「虚偽」の中に生きることになるからです。その虚偽とは「イエスは復活について教えたがそれは真実ではない。そうである以上、イエスが教えた他のことも真実であるはずがない」といった考えかたです。あるいは人がイエス様について聖書から逸脱する誤ったイメージを持っている場合にもその信仰は「虚偽」なのです。キリスト教か、復活信仰か、そのどちらか一方のみを選ぶことはできません。あなたは両方ともに選ぶか、あるいは両方とも選ばないかのどちらか一方を選ばなければならないのです!

宣教命令 28章16〜20節

「さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行って、イエスが彼らに行くように命じられた山に登った。」
(「マタイによる福音書」28章16節、口語訳)

イエス様の復活から40日後(「使徒言行録」1章3節)の昇天主日、すなわちキリストが天に昇られた日について考えてみましょう。この日はマッテヤがユダの後任の使徒に選ばれるよりも前だったので(「使徒言行録」1章23節)、使徒である弟子たちは11人だけでした(16節)。

この箇所に出てくる「山」がいったいどの山だったのかは分かりません(16節)。一つの可能​​性として「変容の山」が挙げられることがありますが、あくまでも推測に過ぎません。

「そして、イエスに会って拝した。しかし、疑う者もいた。」
(「マタイによる福音書」28章17節、口語訳)

それでもなお疑念を抱く者たちがいました(17節)。おそらくこれは11人の中の一人ではなく、その場にいたもっと大きな集団の中の一人についてであると思われます。17節は「弟子たちはイエス様に祈った」とも訳せます(ギリシア語の「プロスキュネオー」は「跪いて拝する」という意味であり、そこから「祈る」という意味も派生しています)。これは「イエス様に祈ること」に初めて言及している箇所です。

「イエスは彼らに近づいてきて言われた、
「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。」」
(「マタイによる福音書」28章18節、口語訳)

18節と内容的に非常に近いのは「ダニエル書」7章14節です。その箇所には「彼に主権と光栄と国とを賜い、諸民、諸族、諸国語の者を彼に仕えさせた。その主権は永遠の主権であって、なくなることがなく、その国は滅びることがない。」とあります。これはダニエルが「人の子」について預言した直後にくる箇所です。

「それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。
(「マタイによる福音書」28章19〜20節、口語訳)

イエス様は11人の弟子(使徒)に二つの務めを与えられました。それは洗礼を授けること(19節)と教えること(20節)です。これらを通してのみ私たちは「神様の子ども」になれるのです。

この二つの使徒の務めの相互の関係は宣教活動において常に議論の的となってきました。今日でもそれは同様です。人に洗礼を授けるとき、その前にキリスト教についてどれくらいその人に教える必要があるのでしょうか。それとも、教えないまま洗礼を授けることも可能であって、受洗者には洗礼の後に教えればよいのでしょうか。

洗礼を受ける人がどのような信仰へと自分が洗礼を受けるのかを理解できるように、洗礼の前にもきちんと教えが与えられなければなりません。しかし、教えることや学ぶことに終わりはありません。私たちは日々、神様の御言葉と信仰について教えを受け、学び続ける必要があります。私たちは死ぬまで「弟子」の立場に留まり続けるのです。

もう一つ議論の的となっているのは子どもに洗礼を授けること(幼児洗礼)です。まず、成人の洗礼と再洗礼とを明確に区別する必要があります。子どもの時に洗礼を受けていない人はもちろん大人として洗礼を受けることができます。しかし、洗礼は繰り返し受けられるものなのでしょうか。答えは否です。信仰と洗礼は一つしかないと聖書は教えています。「エフェソの信徒への手紙」4章5節には「主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。」とあります。再洗礼は神様の救いの御業を軽んじる行為です。私たちは神様に受け入れられるほど「善良な者」には決してなれません。洗礼は常に神様の偉大な恵みの表れなのであり、私たち自身の功績によるものではないのです。

19節には神様の三位一体性についての明確な教えが含まれています。「三位一体の教義は聖書ではなく教会が創始したものである」という誤った主張もありますが、三位一体の教義は実際に新約聖書にありますし、旧約聖書にも明確な言及が複数あります。

父と子と聖霊の御名による洗礼こそが真のキリスト教の洗礼であるという立場をルター派の教会は堅持しています。しかし、例えばモルモン教の洗礼はそのようなものではありません。父と子と聖霊の御名による真の洗礼は、すでに洗礼を受けている人が別の教会に移った場合に新たに施されるべきものではありません。

「父と子と聖霊との名によって」(19節)とは、三位一体なる神様が洗礼を受ける者を「御自分のもの」となさるために洗礼をお授けになることを意味しています。洗礼によって私たちは三位一体の神様の子どもとされるのです。

イエス様のなさった最後の約束は偉大で重要なものです。そのおかげで、キリスト信仰者である私たちは決して孤独に陥ることがなくなります(20節)。

イエス様の最後の御言葉は福音書の冒頭を指しています。マリアに生まれる子が「インマヌエル」となられることを天の御使はヨセフに告げました(1章23節(「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。))。「インマヌエル」とはヘブライ語で「私たちと共におられる神様」という意味です。このようにイエス様はたんなる預言者ではなく神様御自身なのです。

(おわり)