マタイによる福音書17章 栄光の山で何が起こったのか
栄光の山で 17章1〜8節
「六日ののち、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。」
(「マタイによる福音書」17章1〜2節、口語訳)
マルコ(「マルコによる福音書」9章2〜8節)やルカ(「ルカによる福音書」9章28〜36節)も栄光の山での出来事について語っています。彼らはそれが「ピリポ・カイザリヤの地方」でのペテロの信仰告白の約一週間後に起こったと述べています(「マタイによる福音書」16章13〜20節)。
なぜ福音書記者たちはこれら二つの出来事のつながりを強調したかったのでしょうか。モーセとエリヤがイエス様の死についてイエス様と話し合ったとルカが記していることは私たちにヒントを与えてくれると思われます(「ルカによる福音書」9章30〜31節)。聖霊様に導かれてペテロはイエス様が神様の約束されたメシア(救世主)であることは理解できたものの、メシアの道が受難へとつながっていくとは思いもしませんでした。しかし今、栄光の山で彼らはイエス様の栄光を実際に見ることができました。また、イエス様がどのように死ぬことになるかについても聞くことになったのです。
モーセもエリヤもこの地上での生涯の終わりかたは独特なものでした。神様はモーセを秘密の場所に埋葬しました(「申命記」34章6節「主は彼をベテペオルに対するモアブの地の谷に葬られたが、今日までその墓を知る人はない。」)。「火の車と火の馬」があらわれ、エリヤは「つむじ風」に乗って天にのぼりました(「列王記下」2章1〜18節)。彼らと同様にイエス様も特別なやりかたで死ぬことになるのです。その死にかたはモーセやエリヤのような壮大な華やかさを伴うものではないものの、より深く重要な意味を帯びていました。イエス様はゴルゴタの十字架の上で全世界の罪を帳消しにされる御業を成就なさり、息を引き取られたのです。
弟子たちにとって栄光の主が苦しみを受ける主の僕でもあることを受け入れるのは非常な困難を伴うことでした。栄光の山で彼らはイエス様の栄光、権能、そして神聖さについての証をいただきました。その約半年後にはゴルゴタの苦しみと死がイエス様を待ち受けていたのです。「神様の道」は「私たちの道」とは異なっています。
「わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、
わが道は、あなたがたの道とは異なっていると
主は言われる。
天が地よりも高いように、
わが道は、あなたがたの道よりも高く、
わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。
天から雨が降り、雪が落ちてまた帰らず、
地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、
種まく者に種を与え、
食べる者にかてを与える。
このように、わが口から出る言葉も、
むなしくわたしに帰らない。
わたしの喜ぶところのことをなし、
わたしが命じ送った事を果す。」
(「イザヤ書」55章8〜11節、口語訳)。
ペテロ、ヤコブ、ヨハネ(1節)は弟子たちの間でも中心的なグループを形成していました。彼らはイエス様がゲッセマネで御自分のお側に伴った者たちでもありました(26章37節)。ペテロはそれから30年ほど後に書いた手紙の中でこれらの出来事を回想しています(「ペテロの第二の手紙」1章16〜18節)。また「ヨハネによる福音書」にも次のような言及があります。
「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。」
(「ヨハネによる福音書」1章14節、口語訳)
「高い山」(1節)とはおそらくヘルモン山のことであったと思われます。この山はピリポ・カイザリヤ地方の近くにあり、その頂上付近は海抜約2800メートルもの高所であったために人は住めませんでした。伝統的に栄光の山であろうとみなされてきたタボル山はおそらく正しい場所ではないでしょう。その山頂にはイエス様の時代にはすでに人が住んでいましたし、地理的にみてもかなり遠いガリラヤ南部に位置していたからです(イエス様がガリラヤに戻られたことがわかる22節も参照してください。ヘルモン山はシリヤ側にあり、「約束の地」の境界の外側に位置していました)。
旧約聖書は伝統的に「律法」「預言者」「諸書」の三つ部分に分けられてきました。モーセ(3節)は「律法」をエリヤ(3節)は「預言者」をそれぞれ代表する存在でした。両者ともに来るべきメシア(救世主)について言及しています。イエス様は律法の要求を完全に満たすためにこの世に来られました。そして、多くの預言者たちも来るべきメシアについて旧約聖書で預言してきました。
「ペテロはイエスにむかって言った、
「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。もし、おさしつかえなければ、わたしはここに小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。」
(「マタイによる福音書」17章4節、口語訳)
マルコ(「マルコによる福音書」9章5節)とルカ(「ルカによる福音書」9章33節)は、ペテロが山に小屋を建てることを提案したとき(上掲のマタイの箇所)、ペテロは自分が何を言っているのか理解していなかったと記しています。ルカは、モーセとエリヤが去るときにこの提案がなされたと記しています。ペテロは素晴らしい霊的・信仰的な体験の中にいつまでも浸り続けるためにこの山に残りたかったようにも見えます。しかし、弟子たちがイエス様からいただいた使命は日常生活の只中でこそ実行されていくべきものだったのです。同様に今日でも、神様は私たちの信仰を強めるために霊的・信仰的な体験を私たちに与えたいと望んでおられます。しかし、それは私たちを日常生活から切り離してしまうものではあってはなりません。むしろ、まさに弱さと罪があるところに神様とその御力についての福音を宣べ伝えていくべきものでなければならないのです。
教会の歴史の中には人々がさまざまな仕方で孤独になっていく例が無数にあります。例えば、山や砂漠の只中に隠棲するための修道院が建てられました。しかし、神様は御自分の民がこの世から孤立することを望んではおられません。
真の霊的・信仰的経験をした人は神様の御前にへりくだることを学ぶので(6〜7節)、自慢や霊的な傲慢には陥りません(「コリントの信徒への第二の手紙」12章7〜9節を参照してください)。
「彼がまだ話し終えないうちに、たちまち、輝く雲が彼らをおおい、そして雲の中から声がした、
「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」。」
(「マタイによる福音書」17章5節、口語訳)
神様によるこの宣言(5節)はヨルダン川でのイエス様の洗礼の時に聞こえたのと同じものです(3章17節)。それに加えて今回は「私の御子イエスに耳を傾けなさい」という勧告が続いています。
「雲」(5節)は旧約聖書においても神様の臨在を示す「しるし」でした(「出エジプト記」19章16〜25節(十戒の授与)、「出エジプト記」40章34節(荒野の旅の道しるべとしての雲の柱)、「列王記上」8章10節(神殿の聖別)、「使徒言行録」1章9節(聖木曜日にイエス様を天に運び去った雲)。
「弟子たちはこれを聞いて非常に恐れ、顔を地に伏せた。イエスは近づいてきて、手を彼らにおいて言われた、「起きなさい、恐れることはない」。彼らが目をあげると、イエスのほかには、だれも見えなかった。」
(「マタイによる福音書」17章6〜7節、口語訳)
聖なる神様との出会いは人間の側に恐れを生じさせます(7節)。例えば「出エジプト記」33章12〜23節の箇所の20節には「また言われた、「しかし、あなたはわたしの顔を見ることはできない。わたしを見て、なお生きている人はないからである」。」とあります。宗教改革者マルティン・ルターが教えたように、イエス様に防護していただくことによってのみ、私たちは神聖なる神様の御前にまみえることができるのです。
最も重要なのがイエス様お一人だけであることを明示してマタイはこの出来事の記述を感動的に締めくくっています(8節)。イエス様の他には何も必要ではありません。他のところに目を向ける必要もありません。霊的・信仰的に重要な「経験」は時と共に薄れていき、やがては忘れ去られてしまいます。しかし、イエス様の重要性は決して失われることがありません。私たちは自分に与えられた信仰をイエス様以外の他の何物にも基づかせることはできないのです。イエス様以外の他のすべては最終的に潰えてしまうものだからです(7章24〜27節も参照してください)。
イエス様と三人の弟子たちは一晩中栄光の山にいたようです。ルカは弟子たちが深い眠りに落ちて翌日まで山から降りなかったことを記しています「ルカによる福音書」9章32、37節)。
エリヤについての質問 17章9〜13節
「マタイによる福音書」ではこれが最後の回になりますが、実に5回にもわたってイエス様は弟子たちに彼らが見たことを他言しないように命じてこられました(9節)。やはり今回もイエス様がこのようにお命じになったのは人々の誤ったメシア(救世主)への期待がその背景にありました。イエス様はユダヤ人を牛耳るローマ帝国に対する反乱の指導者としての「この世的なメシア(救世主)」にユダヤ人たちが抱いている期待に応えたくなかったのです(「ヨハネによる福音書」6章14〜15節も参照してください)。十字架の上で死なれた後ではもはやイエス様を反乱の指導者にしようとする者が出てくる危険はなくなりました。
闇の諸力に対する勝利はようやくゴルゴタの十字架において成就されたことにも注目してください。この出来事が起こる前までイエス様の栄光についての講話は未来の出来事を先取りするものだったのです。
興味深いことに、ペテロは手紙の中で栄光の山での出来事を、人間が神様の啓示を正しく理解するためには人間に備わっている自然な力では無理で神様なる聖霊様の働きかけが必要になるということと結び付けています(「ペテロの第二の手紙」1章19〜21節)。例えば、イエス様が御自分の死からの復活について語った言葉の意味を弟子たちのほうでは理解していなかった、とマルコは述べています(「マルコによる福音書」9章10節)。
旧約聖書の終結部にある「マラキ書」3章22〜24節(口語訳では4章4〜6節)についての律法の教師たちによる伝統的な解釈は、メシアの到来する前にエリヤが先にこの地上に戻ってくるというものでした。イエス様は洗礼者ヨハネがエリヤであったと語っておられます。ところが、ユダヤ人たちはイエス様もイエス様の証言も受け入れようとはしませんでした(11〜12節、11章11〜15節や14章1〜12節も参照してください)。そして、イエス様はユダヤの民から拒絶され、彼らの働きかけのせいで死ぬことになります(12節)。興味深いことに、福音書記者ヨハネはキリストの栄光について語るすぐ前の箇所で、世がイエス様を受け入れなかった次第を次のように述べています。
「すべての人を照すまことの光があって、世にきた。彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。」
(「ヨハネによる福音書」1章9〜11節、口語訳)。
悪霊の追い出し 17章14〜21節
イエス様と弟子たちは栄光の山から人々の日常生活の種々の問題の只中へと戻っていきます。
今回の箇所は、悪霊によって引き起こされる病気について扱っています(18節)。しかし、この病気は多くの聖書翻訳が15節で医学的な診断に基づいて訳出しているように「てんかん」(英語ではEpilepsy)であった可能性も十分にあります。この病気で頻繁に繰り返し起こる症状は古典古代では空の月の動きと関連性があるものと考えられていました。すべての病気が悪霊に由来するものではもちろんありませんが、そのような原因から病気になる可能性は今日でもあります。
原文の病名を他の言語に翻訳することには常に困難が伴います。「てんかんを病む」に相当するギリシア語の「セレーニアゾマイ」は文字通りに翻訳すると「月にかかわる病気になる」(15節)という意味です(「セレーネー」はギリシア語で「月」という意味です)。
マルコによれば、その少年は「口をきけなくする霊につかれている」状態にありました(「マルコによる福音書」9章17節)。ルカによれば、その少年は家族の「ひとりむすこ」でした(「ルカによる福音書」9章38節)。子どもの病気のせいでその子の父親も苦しく辛い状況に追い込まれていました。この子が病気で死んでしまう場合、いったい誰が代わりに年老いた時の自分たち(彼とその妻)の面倒を見てくれるのかという問題が起きるからです。
イエス様は福音を宣べ伝えるために弟子たちを遣わしたとき、彼らに病人を癒す権能をお与えになりました(10章8節)。もちろん彼らは病人を癒してはきました。しかし、この箇所では病人を癒すのに失敗してしまいます(16節)。今回失敗したのは特別に強力な敵対者が病を引き起こしていたからです。
「〔しかし、このたぐいは、祈と断食とによらなければ、追い出すことはできない〕」。」
(「マタイによる福音書」17章21節、口語訳)
上の21節はほとんどの写本には存在していないため、括弧の中に入れられています。これは「マルコによる福音書」の対応する箇所である「マルコによる福音書」9章29節から意図的にかあるいは写本した際の書き間違いにより、マタイに移植されたものと考えるのが最も自然でしょう。写本の作成者は元になるテキストを暗記している場合が多く、それが原因で写本された文章の中に写本元の福音書とは異なる福音書からの箇所も一部混入してしまう可能性があるのです。ともあれ、悪霊を追い出すことができず病を癒せなかった弟子たちの信仰はたしかに「十分」なものではありませんでした(「使徒言行録」19章11〜16節と「ルカによる福音書」14章25〜35節を参照してください)。
「イエスは答えて言われた、「ああ、なんという不信仰な、曲った時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか。いつまであなたがたに我慢ができようか。その子をここに、わたしのところに連れてきなさい」。」
(「マタイによる福音書」17章17節、口語訳)
最も重要なのはイエス様の御許に来ることです(17節)。まさしくそこに私たちに対して神様からの助けが差し伸べられているからです。
「するとイエスは言われた、
「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。」」
(「マタイによる福音書」17章20節、口語訳)
たとえ最も小さな信仰(20節)であってもそこには神様のあらゆる可能性が含まれているので「十分」なのです。そもそも「活きた信仰」は神様の御意思以外の何ものも求めようとはしないことをぜひ覚えておきましょう。信仰の大いなる働きは決して魔法のトリックのようなものではなく、他の人々にも信仰を生み出していくことをその目的としているのです(「ヨハネによる福音書」20章30〜31節も参照してください)。信仰が実現できるのは神様の御意思のみです。パウロは特別な賜物を通して信仰が特別に力強いやりかたで表される場合があると述べています(「コリントの信徒への第一の手紙」12章9節)。
「それから、弟子たちがひそかにイエスのもとにきて言った、「わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか」。するとイエスは言われた、「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。」」
(「マタイによる福音書」17章19〜20節、口語訳)
「からし種」(20節)は有用な植物の種として当時知られていた種の中で最小の種でした(13章31〜32節を参照してください)。
マタイは病気の息子の父親とイエス様との間で交わされた信仰をめぐる対話を記していません(「マルコによる福音書」9章22〜24節にはそれが記されています)。弟子たちの失敗を受けてイエス様は病気の息子の父親の弱い信仰を強めたいと思われたことでしょう。
ここで不信仰(17節)と小さな弱い信仰(20節)との間にある大きな相違点に注目してください。不信仰は人をいずれ地獄に落として破滅させます。それに対して、たとえ小さな信仰であってもそれが人を救いに導く正しい信仰であるかぎりは神様がそれを成長させてくださるのです。
第二の受難告知 17章22〜23節
ペテロの信仰告白の後で初めてイエス様は弟子たちに対して御自身がこれから受けることになる苦しみと死について公に伝えられました(16章21〜23節)。従って、今扱う箇所でイエス様がこのことについて話されるのは二度目になります。マタイによれば、イエス様が御自分の苦しみと死について三度目に語られたのはエルサレムへの最後の旅の途中、エリコからエルサレムへと上って行かれた時のことでした(20章17〜19節)。
これまでもイエス様は講話を通して御自身の苦しみについて何度も言及されたことでしょう。それらの中でマタイはイエス様の来るべき受苦を明言している三つの告知を福音書に記したのです。
「人の子は人々の手にわたされ」ること(22節)にはイエス様に対する人々の裏切りを読み取ることができます。
イエス様の受難が初めて告知されたとき、弟子たちはそれを理解することも受け入れることもできませんでした。二回目の受難告知では「弟子たちは非常に心をいためた」(23節)とあるように、彼らがイエス様の受難について以前よりも理解し始めていた様子が伺えます。それでもなお彼らはイエス様の言われたことのすべてを聞いて受け入れるようにはなりませんでした。イエス様の復活についての講話は彼らの心には依然として正確に伝わってはいなかったのです。
神殿税の支払い 17章24〜27節
20歳以上のユダヤ人男性は皆、半シケルの「人頭税」を支払わなければならないとモーセの律法には規定されていました(「出エジプト記」30章12〜16節)。それは誰に対しても一律に同じであり、「富める者も半シケルより多く出してはならず、貧しい者もそれより少なく出してはならない。」(「出エジプト記」30章15節より)とされていました(「歴代誌下」24章9節、「ネヘミヤ記」10章32〜34節も参照してください)。この税金は神殿の諸経費の支払いに充てられました。カペナウムは当時のイエス様の活動の拠点となった町であり、また税金徴収の中心地の一つでもあったため、まさにこの場所で税をめぐる質問がイエス様に対してなされたのは自然な流れでした。
「彼らがカペナウムにきたとき、宮の納入金を集める人たちがペテロのところにきて言った、「あなたがたの先生は宮の納入金を納めないのか」。」
(「マタイによる福音書」17章24節、口語訳)
「イエスは神殿に税金を払う気がないのではないか」という疑いの目がイエス様に対して向けられていたようです(24節)。エッセネ派や他のいくつかのユダヤ教徒のグループはこの税を支払うことに反対していました。彼らは神殿への奉仕を重視しなかったからです。
ここでもペテロは熱心さの度が過ぎて、よく考えもせずに答えてしまいます(25節)。それに対して、イエス様は御自分が実際には税金を払う必要がないことを示されます。しかしこの件で争い事が起きるのを避けるため、ペテロに魚釣りに行って最初に釣れた魚の口から「銀貨一枚」を取り、御自分とペテロの分の税金を払うようにと命じられました。
イエス様は「もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。」という御言葉通りに、要求された一マイルどころか二マイルさえ旅をする心構えをしておられました(5章41節)。ペテロの分の税金は要求されていなかったのに、それも支払うことになさったのです。なお、当時は旅をする際にも税金がかかる場合がありました。ローマ帝国に占領された地域の住民たちは通行税をローマ帝国に支払わなければならなかったのです。
「ヘブライの信徒への手紙」が説明しているように、イエス様は実際には神殿の奉仕を終わらせるために来られたのです(「ヘブライの信徒への手紙」9章1節〜10章18節、また「ヨハネによる福音書」2章13〜25節も参照してください)。人類の歴史を通じて神様は特定の権力者たちが特定の時期に特定の地域を支配するのを容認して来られました。このことを踏まえた上でイエス様は後に御自分に死刑を宣告することになるこの世の権力者たちに対してさえも「従うこと」を望まれたのです(なお、この世の権威に対するキリスト信仰者のとるべき態度については「ローマの信徒への手紙」13章1〜10節を参照してください)。
当時の国家は屈服させた諸民族から税金を徴収する場合がしばしば見られました。そして、ローマ市民は「その他の一般人」に比べて多くの特権を有していました。
ギリシア語原文では24節で「2ドラクマ」(「ディドラクマ」)と書かれており、27節では「1スタテル」(「スタテーラ」、これは4ドラクマに相当します)と書かれています。その「1スタテル」銀貨はイエス様とペテロの分の税金を払うのに十分な金額でした。その税金は当時の賃金のおよそ2日分に相当しました。
ガリラヤ湖には口の中に自分の子らを入れて運ぶガリラヤコイが生息しています。実際にこの魚の口の中からお金が見つかったこともあります。ですから、この箇所の出来事で魚の口の中からコインが見つかったことは大きな奇跡ではありません。むしろ奇跡なのはそのコインがちょうど税金分の金額に相当したこと、そしてペテロが釣った最初の魚の口の中にあったということです。
この出来事について記しているのはマタイだけです。彼がユダヤ人たちに向けて福音書を書いたことを思い起こすと、税金をめぐる問題が当時の彼らにとって大きな話題になっていたことに思い至ります。このことから推測すると、マタイは西暦70年にエルサレム神殿が破壊される以前にすでに福音書を書いていた可能性が出てきます。ローマ人はその後(神殿のためではなく)自分自身のためにその税金を徴収するようになったからです。