マタイによる福音書3章 洗礼者ヨハネ
「マタイによる福音書」3章1〜6節 400年にわたる沈黙の期間の終わり
ユダヤの宗教的指導者たちは「預言者マラキを最後に神の御声は沈黙した」と教えていました。400年の沈黙期間を経て、マラキの次の「神の人」である洗礼者ヨハネがようやく現れたのです。
マタイは、洗礼者ヨハネの誕生から公に活動を開始する前までの間の人生については何も語っていません。それに対してルカは、洗礼者ヨハネの誕生については詳しく、また彼の幼年期と青年期については言葉少なく語っています(「ルカによる福音書」1章2〜25節、57〜66節、80節)。ヨハネはイエス様よりも6ヶ月ほど年上であり、このことは今でもフィンランドのルター派キリスト教会の教会暦に反映されており、洗礼者ヨハネの誕生を記念する夏至祭(ヨハネ祭)とイエス様の誕生を覚えるクリスマスとの間が半年になっています。ヨハネは砂漠で生活していたと言われていることから、エッセネ派に属していたのではないかとも推測されています。当時のユダヤ教の分派のひとつであったエッセネ派はまさにそのユダの砂漠の地域に修道の拠点を持っていたからです。ヨハネの両親である祭司ゼカリヤと 「アロン族 」のエリザベトはヨハネが生まれた時にはすでに非常に高齢であったため、ヨハネが幼くして孤児となった可能性はかなり高いものと思われます。そして、エッセネ派の修道院では孤児となった少年を「養子 」として迎え入れる慣習がありました。ヨハネがエッセネ派の中で幼年期と青年期を送ったとするならば、そのような環境の中で旧約聖書に親しむ機会も存分にあったことでしょう。
ちなみに、イエス様の時代のすぐ後の時代に生きていたユダヤ人歴史家ヨセフスも洗礼者ヨハネの活動についてその著書で述べています。
「そのころ、バプテスマのヨハネが現れ、
ユダヤの荒野で教を宣べて言った、」
(「マタイによる福音書」3章1節、口語訳)
ここでの「そのころ」(1節)は前章の出来事の「時」を指しているのではなく、おそらくマタイが自分の時代の礼拝で使用された言い回しから借用したものでしょう。ヨハネとイエス様についての語りかたは早くからある程度その形が確立されていたと思われます。これは「昔々、あるところに」で始まる昔話に少し似ています。それに対してルカは、ヨハネが公に注目されるようになったのがローマ皇帝ティベリウス(口語訳では「皇帝テベリオ」)の治世15年(西暦27〜28年あるいは28〜29年)であったと、より詳細に述べています(「ルカによる福音書」3章1節)。
「ユダの荒野」(1節)とは、エルサレムの東とヨルダンの西にある地域を指しています。この地域は乾燥し荒涼としていました。ヨハネの宣教の中心は洗礼だったので(6節、また「ルカによる福音書」3章3節も参照してください)、ヨハネの公の活動はヨルダン川付近に集中していたものと思われます。
「「悔い改めよ、天国は近づいた」。」
(「マタイによる福音書」3章2節、口語訳)
悔い改めへの呼びかけ(2節)は、11節の悔い改めへの呼びかけと同じものです。「悔い改め」にあたるギリシア語の 「メタノイア」は「心の変化」を意味します。ところで、「悔い改め」という言葉は誤解されることが多いようです。「悔い改め」を神様に受け入れられる状態にまで自分を向上させようとする人間自身の努力として理解する人々がいます。それに対して、ギリシア語の「メタノイア」は根本的な変化を意味しています。それまで神様に背を向けていた者が神様のほうに顔を向ける「方向転換」を想起させるという点で「改心」は適切な訳語と言えるでしょう。
「天国」(2節)という表現を用いているのはマタイだけです(福音書中で合計33回)。それに対して、マルコとルカは「神の国」という表現を用いています(マタイはこの表現を一度しか使っていません)。マタイはユダヤ人キリスト信仰者であり、福音書をユダヤ人向けに書いたので、旧約聖書の律法の「あなたの神である主の名をむやみに用いてはならない」という命令を遵守したかったのだと思われます。
天国の到来(2節)はメシアの時代の到来を意味します。たった今、神様が御民の只中で働き始める決定的な時が近づいているということです。御民が神様のなさろうとすることに真面目に向き合う心構えをしなければならない時がついに来たのです。
「「預言者イザヤによって、
「荒野で呼ばわる者の声がする、
『主の道を備えよ、
その道筋をまっすぐにせよ』」
と言われたのは、この人のことである。」」
(「マタイによる福音書」3章3節、口語訳)
3節は「イザヤ書」40章3節を引用しています。この箇所は旧約聖書での元の文脈ではバビロン捕囚からの帰還の出来事を指しています。しかし、今や神様はイスラエル民族だけでなくすべての諸国民を、罪による圧制の下から、またサタンによる捕囚の下から、解放なさろうとしているのです。キリスト教会で用いられる旧約聖書における最後の文書である「マラキ書」の末尾(「マラキ書」3章22〜24節(口語訳では4章4〜6節))にも預言されているように、洗礼者ヨハネの使命はメシアへの道を準備することでした。ちなみに、ユダヤ教の旧約聖書の末尾を飾るのは「歴代志上・下」(ラテン語の書名では「Chronica」)です。
「このヨハネは、らくだの毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。」
(「マタイによる福音書」3章4節、口語訳)
ヨハネは旧約聖書の預言者エリヤと同じような衣装を身につけていました(「列王記下」1章8節)。荒野での食事は質素なものでした(4節)。「いなご」はモーセの律法で食べてもよいとされた食物でした(「レビ記」11章21〜22節)。
「すると、エルサレムとユダヤ全土とヨルダン附近一帯の人々が、ぞくぞくとヨハネのところに出てきて、自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。」
(「マタイによる福音書」3章5〜6節、口語訳)
エルサレムからヨルダンまでは最短でも30キロメートルほどの距離がありますが、両者の高低差は1キロメートル以上もありました(エルサレム側が高地でした)。エルサレムからヨルダン川のヨハネのもとへ行くのは当時だと一日がかりの旅程になりました。
5節では、ユダヤ人に特有の表現の仕方に注目してください。「全土」や 「一帯 」といった「すべて」を示唆する表現は 「100%」という意味ではなく、「多くの」、「たくさんの 」という意味合いで用いられているのです。この後のすぐの箇所(7〜12節)でヨハネは悔い改めなかった人々のことを叱責しています。皆が皆、彼から洗礼を受けるために来たのではなかったのです。
ヨハネの「バプテスマ」(6節)すなわち洗礼はキリスト教信仰のバプテスマ(洗礼)と全く等しいものではありませんでした(「使徒言行録」18章25節と比較してください)。ヨハネの「バプテスマ」は悔い改めのしるしであり、最初の聖霊降臨の時に起きるキリスト教信仰のバプテスマ(洗礼)への準備をなすものだったのです(11節、また「使徒言行録」2章38節も参照してください)。
「マタイによる福音書」3章7〜12節 神は内面を見抜かれる
「ヨハネは、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けようとしてきたのを見て、彼らに言った、「まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、おまえたちはのがれられると、だれが教えたのか。」」
(「マタイによる福音書」3章7節、口語訳)
ファリサイ派(口語訳では「パリサイ人」(7節))とは、律法を細心の注意を払って守ることを極端に重視する平信徒たちのことです。福音書には彼らとイエス様との間に多くの論争があったことが記されています。
サドカイ派はある意味でファリサイ派とは正反対の集団でした。彼らは祭司「ザドク」(「サムエル記下」8章17節)の子孫にあたる大祭司の集団であり、イエス様の時代にはひどく世俗化していました。彼らは、例えば「復活」などユダヤ教において広く一般的に信じられていた多くの宗教的特質を否定していました(22章23節、また「使徒言行録」23章8節には、「元来、サドカイ人は、復活とか天使とか霊とかは、いっさい存在しないと言い、パリサイ人は、それらは、みな存在すると主張している。」と書かれています。
この二つのグループがヨハネの洗礼運動を調査するためにやって来たのかもしれません。彼らは普段は互いに仲違いしていましたが、このように「共通の敵」が彼らを一致団結させることもあったようです。
彼らに投げかけたヨハネの言葉は辛辣です(7節)。イエス様もイスラエルの民の宗教的な指導者たちについて好意的なことは何ひとつ言っておられません(23章13〜36節)。公に宣教なさっていたイエス様に強く反対したのは彼らユダヤ教の指導者たちであったことが福音書には記されています。
「「自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。おまえたちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ。」」
(「マタイによる福音書」3章9節、口語訳)
たんにアブラハムの子孫(9節)であるだけでは十分ではありません。神様は外面的なことではなく、人間の内面的なこと、すなわち人間が誰の権威の下にあり誰に従っているか、を注視しておられるからです(15章1〜20節、また「ヨハネによる福音書」8章39節も参照してください)。上の節はまた、裁きが、そして何よりも救いがすべての諸国民にもたらされることが人々の理解からは隠されたやりかたで示されています。ユダヤ人たちは神様が彼らの民族全員を救ってくださることを期待していました。ユダヤ人が一人たりとも何かの間違いで地獄に落ちてしまうことがないようにアブラハム本人が地獄の門のところに常駐していると教えるラビたちさえいました。しかしその一方で、ユダヤ人たちは神様が異邦人全員に厳しい裁きを下すことを期待していたのです。
ギリシア語原文では見てとれませんが、ヘブライ語あるいは(話し言葉として当時広く用いられていた)アラム語でこの節を考えると、9節は「言葉遊び」を含んでいることがわかります。「石ころ」はヘブライ語でもアラム語でも「アブネー」(これは次に被修飾語を伴う複数形になっています)であり、「子」はヘブライ語でもアラム語でも「ブネー」(これも次に被修飾語(アブラハム)を伴う複数形になっています)なのです。このようなケースでは、聖書の原語ならではの特徴すべてを翻訳に反映させることは不可能に近いです。
「「斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。」」
(「マタイによる福音書」3章10節、口語訳)
神様による審判の時は差し迫っています(10節)。果実はそれを実らせる木が実際にはどのような木であるかを明るみに出します。同様に、人間の行いはその人の内面を明るみに出します。宗教改革者マルティン・ルターが言ったように、善い行ないが善人を作るのではなく、善人が善い行ないをするのです。
「「わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。」」
(「マタイによる福音書」3章11節、口語訳)
自分がメシアではなくメシアの道を準備する者にすぎないことをヨハネが自覚していたことは明らかです(11節、また「ルカによる福音書」3章15節も参照してください)。しかも、彼は自分をメシアの弟子にふさわしくない者とさえみなしていたことが読み取れます。当時、弟子は師のために奴隷の行うべきであるような仕事を色々としなければなりませんでしたが、それでもさすがに師の靴をぬがせることはしなかったからです(11節を参照のこと)。実に、ヨハネは「イエス様を指し示す指」とも言える存在でした(「ヨハネによる福音書」1章29節)。「彼は必ず栄え、わたしは衰える。」(「ヨハネによる福音書」3章30節)という言い回しで、ヨハネはイエス様を自分自身と対比させています。
ヨハネのバプテスマ(洗礼)は準備段階のものにすぎませんでした。彼の後にイエス様が聖霊様のバプテスマ(洗礼)を携えてやって来られることになっていたからです(11節)。
「「また、箕を手に持って、打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てるであろう」。」
(「マタイによる福音書」3章12節、口語訳)
「箕」は穀物を空中に投げるための仕事道具でした。海から風が吹き始めるときに丘の上で穀物を空中に投げ上げることで、軽い殻やごみを風とともに吹き飛ばしたのです。投げられた後に残った穀物はこうしてきれいにふるい分けられました。そして、「から」はゴミとして燃やすために集められました(12節)。
また12節には、地獄は永遠に続くことが明確に述べられています(「消えない火」)。なぜ神様は地獄に落ちた者たちをそこから解放なさらないのでしょうか。どうして神様は彼らの地獄での苦しみを終わらせてくださらないのでしょうか。これらは私たち人間の理解を超える問題です。
「マタイによる福音書」3章13〜17節 イエス様の洗礼
「そのとき」(13節)はマタイがよく用いる表現ですが、具体的な情報はほとんど与えてくれません。
「ところがヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った、
「わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか」。」
(「マタイによる福音書」3章14節、口語訳)
ヨハネは自分がイエス様よりも重要ではない者であることを知っていました。そして、上位の者が下位の者を祝福するべきであり、その逆ではない、というのが聖書の考えかたです(14節)。
「しかし、イエスは答えて言われた、
「今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである」。そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした。」
(「マタイによる福音書」3章15節、口語訳)
イエス様は「神様の義」をことごとく成就なさいました(15節)。この意味を考えてみましょう。イエス様は罪深い存在である人間たちの長兄となるために地上に来られました(「フィリピの信徒への手紙」2章5〜11節)。また「コリントの信徒への第二の手紙」は「神の義」について次のように述べています。
「神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」5章21節、口語訳)。
今、イエス様は神様から与えられた使命に身を投じておられます。それは洗礼者ヨハネにとって、メシアの道を準備するという彼に与えられた任務が完了したという「しるし」でもありました(「ヨハネによる福音書」1章31〜34節を参照してください)。
上掲の3章15節は「マタイによる福音書」におけるイエス様の最初の発言です。
「イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。」
(「マタイによる福音書」3章16節、口語訳)
ギリシア語原文では16節で「見よ!」(「イドゥ」)となっています。これは読者に注目を促すために用いられる新約聖書に特有の表現です(旧約聖書にも同様の表現があり、ヘブライ語で「ヒンネー」といいます)。天はイエス様に対して開かれました(「使徒言行録」7章56節)。天が開けたことは、イエス様と天の父なる神様との間に直接的な関係性があることを表しています。
「また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。」
(「マタイによる福音書」3章17節、口語訳)
この天からの御声を聴いたのはいったい誰だったのでしょうか。いわゆる「共観福音書」の三人の執筆者たち(マタイ、マルコ、ルカ)は皆そろってこの箇所で受動態の動詞を用いています。文法的に考えると、天からの御声を聴いた人々(あるいは人)が誰であるか主語として特定されていないことになります。ですから、その場にいた民衆がその御声を聴いたとも考えることができます。
天から聞こえた言葉は「イザヤ書」42章1節のメシア預言(「マタイによる福音書」12章17〜21節も参照してください)と「詩篇」2篇7節(「わたしは主の詔をのべよう。主はわたしに言われた、「おまえはわたしの子だ。きょう、わたしはおまえを生んだ。」)に関連しています。この声はまた後に「栄光の山」(「マタイによる福音書」17章5節)でも聞かれることになります。
この箇所には「三位一体なる神様」の三つの「位格」(ラテン語で「ペルソナ」)すなわち御父、御子、御霊が皆そろって登場しています。ヨルダン川の水の中の御子イエス様、鳩の姿をした聖霊様、そして天からの御父の御声です。「三位一体は聖書の外部から持ち込まれたものであり、後の時代に教会が発展させた教義である」といった説明は的外れです。たしかに聖書には三位一体や洗礼や聖餐が「教義」として提示されてはいません。にもかかわらず、聖書からはたしかに「三位一体なる神様」が見出されるからです。
すでに最初期の教会が異端と看破した「養子的キリスト論」は「神がイエスを養子として迎え入れた」という間違った教義をこの聖書の箇所に依拠して正当化しようとしました。また養子的キリスト論では「十字架につけられる前に神はイエスという人間から立ち去ったため、人間イエスだけが十字架上で死んだ」という偽りの解釈が提示されたこともあります。
この異端の「養子縁組」という考えかたは「処女懐胎」の否定につながります。この異端によれば、イエス様が神様になられたのはこの世に誕生した後のいつかであったことになるからです。さらに、この異端はイエス様の神性を完全に否定する考えかたにも通底していきます。
教会暦では、キリストの受洗は今でもルター派キリスト教会の顕現主日(1月6日)の説教の主題になっています。ロシア正教会では大きな祭のある祝日です。ちなみに、「ロシア正教会のクリスマスは顕現主日である」という一般に流布している認識は正しいものではありません。ロシアのクリスマスも12月25日だからです。しかし、教会暦を旧グレゴリオ暦で計算すると私たちのルター派教会の暦よりも13日分遅れるのです。ロシアの「10月革命」(1917年)が11月7日に祝われたのもそのためです。イエス様に名前が与えられた日(日本の暦では元旦に当たります)は、ロシア正教会では暦年が変わることを祝うだけでなくキリスト教のお祝いでもあり、私たちのルター派教会においてよりもはるかに重要なお祝いとされています。