マタイによる福音書21章 エルサレム神殿でのイエス様の福音説教
メシアのエルサレム到着 21章1〜11節
「ベテパゲ」(1節、ヘブライ語で「いちじくの家」を意味し、この語を構成する「ベート」は「家」、「パグ」は「いちじく」をそれぞれ意味します)はオリーブ山の東斜面にあったと考えられていますが、正確な位置は不明です。ともあれ、それはマルタ、マリア、ラザロの故郷であるベタニアの近郊にありました。そして、キデロンの谷がオリーブ山とエルサレムを隔てていました。
二頭のろば(ろばと子ろば)に言及しているのはマタイだけです(2節)。とりわけマタイにとって旧約聖書の預言の成就は重要なテーマであったため(4節)、旧約聖書の預言が成就する箇所が具体的に挙げられています。「創世記」49章11節はユダ族にかかわる預言であり、「来るべき支配者――来るべきメシアと考えられていた者――が、ろばとその子ろばをぶどうの木につなぐ」という内容のものです。マタイが旧約聖書に通暁していたのは明らかであり、それゆえ彼は旧約聖書のいろいろな箇所に記されていたメシア預言を一つに組み合わせることができたのです。
「こうしたのは、預言者によって言われたことが、成就するためである。すなわち、
「シオンの娘に告げよ、
見よ、あなたの王がおいでになる、
柔和なおかたで、ろばに乗って、
くびきを負うろばの子に乗って」。」
(「マタイによる福音書」21章4〜5節、口語訳)
5節の預言は「ゼカリヤ書」9章9節からの引用であり、特にその冒頭部には「イザヤ書」62章11節からの影響も見られます。この出来事について「預言の成就」として述べている福音書記者はマタイだけです。
マルコとルカが記しているように(「マルコによる福音書」11章2節、「ルカによる福音書」19章30節)、イエス様は子ろばにお乗りになりました。「マタイによる福音書」のギリシア原語版では「それら」または「それらの」と書かれています。口語訳ではイエス様が二頭のろばに乗ったと誤解されないように翻訳が「明確化」され、「それに」(7節)という単数形が用いられています。さらに正確に記すなら「子ろばに」と訳すべきだったでしょう。
「群衆のうち多くの者は自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの者たちは木の枝を切ってきて道に敷いた。」
(「マタイによる福音書」21章8節、口語訳)
イエス様の通られる道に自分たちの上着を地面に敷くこと(8節)は、私たちの時代で言えば、要人の通る道に赤いカーペットを敷くことに相当するでしょう。これは敬意の表明でした(例えば「列王記下」9章13節によれば、エヒウが王に任命されたときにも同じことが彼のために行われました)。
「そして群衆は、前に行く者も、あとに従う者も、共に叫びつづけた、
「ダビデの子に、ホサナ。
主の御名によってきたる者に、祝福あれ。
いと高き所に、ホサナ」。」
(「マタイによる福音書」21章9節、口語訳)
9節は三つの独立した発言からなっています。これらは明らかに群衆が叫んだ言葉を集めたものです。他の福音書の記述と比較すると、それぞれの福音書でイエス様に異なる「称号」が与えられていることに気づきます。マルコ(「マルコによる福音書」11章9〜10節)は「主の御名によってきたる者」および「今きたる、われらの父ダビデの国」という称号、ルカ(「ルカによる福音書」19章38節)は「主の御名によってきたる王」という称号、ヨハネ(「ヨハネによる福音書」12章13節)は「主の御名によってきたる者」および「イスラエルの王」という称号です。群衆はそれぞれ異なる言いかたで叫びかけましたが、それらは決して綺麗に一つにまとめられた合唱のようなものではありませんでした。この節の背景にあった旧約聖書の箇所は「詩篇」118篇25〜26節(「主よ、どうぞわれらをお救いください。主よ、どうぞわれらを栄えさせてください。主のみ名によってはいる者はさいわいである。われらは主の家からあなたをたたえます。」)および148篇1〜2節(「主をほめたたえよ。もろもろの天から主をほめたたえよ。もろもろの高き所で主をほめたたえよ。その天使よ、みな主をほめたたえよ。その万軍よ、みな主をほめたたえよ。」)であると考えられます。
「ホサナ」(9節)はヘブライ語で「どうか助けてください」あるいは「どうか救ってください」という意味です。
9節の「ダビデの子」はメシアの称号です。メシアはダビデの子孫でした。
イエス様の誕生の後、東方の博士たちがエルサレムを来訪したときにも(2章3節)エルサレムはイエス様の最後の来訪である今回と同じような混乱の様相を呈していました(10節)。東方の博士たちのエルサレム訪問の際にはメシア誕生の知らせだけが伝えられましたが、今回はメシア御自身が来られたことになります。ソロモンが油を注がれた新しい王としてろばに乗ってエルサレム入城を果たしたときにも、都市の人々は歓喜して彼を迎え入れました(「列王記上」1章45節)。ソロモンはダビデの後を継いだ「最初の王」であり、メシアはある意味では「最後の王」であったとも言えます。
「そこで群衆は、「この人はガリラヤのナザレから出た預言者イエスである」と言った。」
(「マタイによる福音書」21章11節、口語訳)
イエス様は預言者でしたが(11節)、たんなる預言者ではありませんでした。イエス様こそが旧約聖書でその到来が約束されていたメシアだったのです。しかしこの真実のゆえに、まもなくイエス様は群衆から「十字架につけろ」と怒声を浴びせられ、ゴルゴタの真ん中の十字架へと連行されることになります。
この箇所は、教会暦で二度の日曜日(「待降節第一主日」と「枝の主日」)の福音書の箇所として選ばれているという点で聖書の中でも例外的な箇所となっています。歴史的にみると、この聖句は「枝の主日」に結びつけられています。そして、この「枝の主日」から受難週が始まるのです。この日曜日はユダヤ教の過越祭の準備として過越祭の小羊、すなわち犠牲として屠られる小羊を選ぶ日とされていました(「出エジプト記」12章1〜5節)。
神殿のあるべき姿 21章12〜17節
「宮清め」でイエス様が神殿全体を清めたのではないことは明らかです。「異邦人の庭」の区画には数え切れないほどの商人や両替屋がいたからです。しかし、イエス様の「宮清め」によってその日はすべての商人や両替屋が「商売」を中断することになったのかもしれません。
神殿内では神殿税用の「シェケル」硬貨しか使用が許されていなかったため、両替業が必要不可欠とされていました。遠方からエルサレムに来た人々は神殿に捧げるための犠牲動物を神殿内で購入しなければなりませんでした。しかし、この商売は大祭司一族によって独占されていたため、大きな弊害が生じていました。人々が自分で用意した犠牲動物は神殿からの認可を受けにくく、彼らは「正式な犠牲の動物」を高額で購入するほかなかったのです。大祭司一族に牛耳られた神殿商法は当然ながら「正式な犠牲動物」の価格の高騰を招きました。宗教的指導者たちがこのような商売に深入りした結果、ユダヤ教そのものがビジネス化していきました。これと同じようなことはキリスト教会が財政難に陥っている場合にも起こりえます。より多くの時間とエネルギーを財政確保に費やしたいという誘惑に負けて、ついにはあらゆる霊的・信仰的活動(信仰や伝道に関わる教会本来の活動)が疎かになってしまう危険があるのです。
「エルサレムおよびユダのすべてのなべは、万軍の主に対して聖なる物となり、すべて犠牲をささげる者は来てこれを取り、その中で犠牲の肉を煮ることができる。その日には、万軍の主の宮に、もはや商人はいない。」
(「ゼカリヤ書」14章21節、口語訳)
上節のように、神殿での人々の商業活動にメシアが終止符を打つ時が来ることをゼカリヤはすでに預言していました。
「そして彼らに言われた、「『わたしの家は、祈の家ととなえられるべきである』と書いてある。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」。」
(「マタイによる福音書」21章13節、口語訳)
13節の引用は旧約聖書の二つの箇所、「イザヤ書」56章7節と「エレミヤ書」7章11節を組み合わせたものです。
目の見えない人や足の不自由な人は神殿に入ることを禁じられていました(「サムエル記下」5章8節)。ということは、彼らは「異邦人の庭」にいたことになります(14節)。イエス様は彼らを癒すことによって彼らにも神殿の中に通じる扉を開いてくださったのです。あたかもそれは聖金曜日に天の御国への扉を開くことになる「十字架の死」という神様の御業を先取りしているかのようでした。イエス様はすべての人々のために天の御国への道を開いてくださったのです。
以前の箇所では(16章1節)、ユダヤ教の宗教的指導者たちはイエス様に対してメシアであることの証拠(「天からのしるし」)を求めました。しかし、もはやこの段階では「しるし」だけでは十分ではなくなっていたのです。
子どもたちは「新しい叫びかた」(「ダビデの子に、ホサナ」)を覚えました。ローマ人が群衆の騒乱を恐れて常時監視を巡らしているエルサレムでは公に話すとまずい事柄があることを大人たちはよくわきまえていました。それに対して、子どもたちは当然ながら政治的な忖度などは考えもせず、イエス様に向かって「ホサナ」と叫び続けたのです。
「しかし、祭司長、律法学者たちは、イエスがなされた不思議なわざを見、また宮の庭で「ダビデの子に、ホサナ」と叫んでいる子供たちを見て立腹し、イエスに言った、「あの子たちが何を言っているのか、お聞きですか」。イエスは彼らに言われた、「そうだ、聞いている。あなたがたは『幼な子、乳のみ子たちの口にさんびを備えられた』とあるのを読んだことがないのか」。」
(「マタイによる福音書」21章15〜16節、口語訳)
祭司長たちと律法学者たちが子どもたちを黙らせようとしたとき、イエス様は「詩篇」8篇3節(口語訳では8篇2節)の言葉でお応えになりました(16節)。ユダヤ教ではこの「詩篇」はメシアに関連するものとみなされていました。それゆえ、イエス様によるこの「詩篇」の引用は敵対者たちがイエス様を抹殺するのを正当化する新たな理由の一つとなりました。
17節の「イエスは彼らをあとに残し」という言い回しはイエス様と敵対者たちとの間にある「絶対的な隔たり」を端的に表現しています。両者の間にはもはや繋がりが見出されなくなり、それぞれが自分の道を別々に歩み始めました。イエス様は敵対者たちに追い立てられるようにして十字架へと向かわれたのです。
ベタニヤ(17節、「ヨハネによる福音書」11章1節)はマルタ、マリア、ラザロの故郷でした。そこでイエス様は夜を過ごされたのかもしれません。この村はエルサレムから南東約3.2キロメートル離れており、オリーブ山の東の斜面、エリコへの道の途中にありました。「ベタニヤ」という地名は「貧しい人々の家」という意味です(「ベート」は「家」、「アニー」は「貧しさ」、「悩み」をそれぞれ表すヘブライ語であり、この二語から「ベタニヤ」という合成語が構成されています)。
ヨハネ(「ヨハネによる福音書」2章12〜16節)はイエス様による「宮清め」の出来事をイエス様の公の宣教活動の冒頭に置いています。従って、宮清めは複数回行われた可能性があるということです。ヨハネは他の福音書記者たちが記していないイエス様のエルサレム訪問についても述べています。あるいは、ヨハネがこの出来事を福音書の冒頭に置いたのには神学的な理由があったのかもしれません。神殿の礼拝儀式を清めて他のあらゆる犠牲を無意味なものにする「完全な犠牲」をたった一度だけ捧げることこそが「メシアの使命」となるからです。
たちまち枯れたいちじくの木 21章18〜22節
イエス様には朝食をとる時間がなかったのでしょうか。それとも宿屋には何も食事が用意されていなかったのでしょうか(18節)。いずれにせよ、イエス様は朝はやく空腹をおぼえられました。この箇所のささやかな逸話は神様の御子なるイエス様がまったき普通の人間でもあったことを私たちに思い起こさせます。
いちじくの木は葉が出る前の早春の時期に青いいちじくの実をつけました。葉の茂ったいちじくの木には季節に応じて青いいちじくかあるいは熟したいちじくの実がなっているはずでした。しかし、この木には実がひとつもありませんでした。
この木がイエス様に呪われて急速に枯れてしまった出来事は何かより大きな物事についての「しるし」でした。旧約聖書においてイスラエルはいちじくの木やいちじくの実に例えられています(「エレミヤ書」8章13節(実を結ばないいちじくの木が滅する預言)、「エレミヤ書」24章1〜8節(良いいちじくと悪いいちじく))。ユダヤの民の宗教的指導者たちがイエス様を拒絶し敵視したことはすでに述べました。それゆえ、間もなくこの「いちじくの木」は滅び、枯れてしまうことになるのです。たとえこの「いちじく木」が今はまだ美しく青々と茂っていたとしても、もしもいつまでたっても実を結ばないままでいようものなら、「恵みの時」(猶予の期間)がいずれ終わりを告げて、切り倒されてしまうことになるのです(「ルカによる福音書」13章6〜9節と「マタイによる福音書」7章15〜20節を参照してください)。
「イエスは答えて言われた、「よく聞いておくがよい。もしあなたがたが信じて疑わないならば、このいちじくにあったようなことが、できるばかりでなく、この山にむかって、動き出して海の中にはいれと言っても、そのとおりになるであろう。また、祈のとき、信じて求めるものは、みな与えられるであろう」。」
(「マタイによる福音書」21章21〜22節、口語訳)
「イエス様のもの」である人たち(キリスト信仰者たち)の祈りを神様が聴いてくださることをイエス様は約束しておられます(21節)。しかし、ここでは22節の「信じて」という言葉にも注目すべきです。すなわち、神様の御心に従って祈る人は神様から答えをいただけるということです(「ヤコブの手紙」5章16〜18節も参照してください)。
マルコはいちじくの木に呪いがかけられる出来事がその木の枯れる前の日に起こったと記しています(「マルコによる福音書」11章12〜14節および20〜25節)。一般的にマタイはマルコの記述を要約して述べることがよくあります。この箇所もそのひとつかもしれません。マタイはある朝の出来事としてのみ語っているからです。現代の西欧的な視点からはマタイの記述の仕方は間違っているようにも見えますが、当時の歴史認識は現代の西欧的な歴史観とは異なっていたことをここで思い起こしましょう。マタイにとって重要だったのは出来事の細部を記録に残すことではなく、その出来事がもたらした最終的な結果でした。
「イエス様の行動」に関する多くの簡潔な記述とは対照的に、マタイはマルコよりもはるかに大量の「イエス様の発言や講話」について述べています。「マタイによる福音書」には他の福音書にはないイエス様の話された長大な言葉の集成がいくつも含まれているのです。
イエス様の権威は誰からのものか 21章23〜27節
「イエスが宮にはいられたとき、祭司長たちや民の長老たちが、その教えておられる所にきて言った、「何の権威によって、これらの事をするのですか。だれが、そうする権威を授けたのですか」。」
(「マタイによる福音書」21章23節、口語訳)
モーセの律法によればイスラエルには大祭司(「祭司長」、ギリシア語で「アルキエレウス」(単数形))が毎回一人だけ選ばれることになっていました。このことを引き合いに出して「福音書記者たちの歴史的知識は乏しかった」と批判する人々もいます。なぜなら、23節には「祭司長たち」(「アルキエレイス」)と複数の大祭司がいたかのような書かれかたがされているからです。
しかしここでも、当時の歴史記述の仕方が現代の歴史記述のものとは異なっていたことを思い出すべきです。第一に、ローマ人たちは気の向くままに大祭司たちの解任や任命を繰り返し行っていました。当時は解任された大祭司アンナスと現職の大祭司カヤパが両者共に大祭司として存在していたため、「大祭司たち」と複数形で表すこともできるような状況だったのです。当時の一般的な用語法によれば、「大祭司」という役職はユダヤ教における「最高位の祭司職」、すなわち大祭司の家系を指すものでした。
通常ならば、神殿で説教する者はユダヤ教の最高議会(サンヘドリン)の了承を事前に得ていました。しかし、イエス様はそのような許可を最高議会に申請しませんでしたし、かりに申請したとしても許可はもらえなかったことでしょう。「権威」の問題は、一方では具体的な問題、すなわち「どのような権利によって神殿で教えるのか」という問題であり、他方ではより広範な問題、すなわち「そもそも民衆を教える権限を誰から与えられたのか」という問題でもありました。律法学者たちは教師となるための専門の教育を受けていました(彼らの「学校」では経験豊かなラビが彼らを教えていました)。最も有名なラビたちは自分で学校を持っていました。当時のそのようなラビたちの中の一人がガマリエルで、使徒パウロも若い頃に彼の学校に通っていたことがあります。それについて「使徒言行録」22章3節は「そこで彼(パウロ)は言葉をついで言った、「わたしはキリキヤのタルソで生れたユダヤ人であるが、この都で育てられ、ガマリエルのひざもとで先祖伝来の律法について、きびしい薫陶を受け、今日の皆さんと同じく神に対して熱心な者であった。」と記しています。それに対して、イエス様はラビの学校に通ったことがありませんでした。
以前、宗教指導者たちはイエス様の権威の由来についてイエス様に詰問したことがあります(「ヨハネによる福音書」2章18〜22節)。そのときのイエス様は御自分が神殿を破壊して三日間で再建するという謎めいた言い回しでお答えになりました。
「そこでイエスは彼らに言われた、「わたしも一つだけ尋ねよう。あなたがたがそれに答えてくれたなら、わたしも、何の権威によってこれらの事をするのか、あなたがたに言おう。」
(「マタイによる福音書」21章24節、口語訳)
今回の箇所でイエス様は彼らに対して逆に質問を返されました(24節)。それは論点をずらす言い逃れではなく、問題の核心を突く質問でした。もしバプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)が天から来た、すなわち神様から権威を与えられていたとするのなら、当然イエス様もそうであったはずです。なぜなら、ヨハネはイエス様について預言し、イエス様のために道を備えると語っていたからです(3章11〜12節)。そして、バプテスマのヨハネも彼の受けた権威について問いただされていました(「ヨハネによる福音書」1章19〜28節)。
ユダヤの民の宗教的な指導者たちは実業家でもあり(12〜13節)政治家でもありました。彼らが気にかけていたのは「真理とは何か」という問いではなく、「イエス様のお答えが結果としてどのようなことをもたらすか」という点でした。明らかに彼らの意図はローマ人の前でイエス様を告発するために好都合な何かの発言をイエス様から引き出すことだったのです(22章15〜22節)。しかし今、彼らは自ら仕掛けた罠に嵌っていました。もし「ヨハネは天から来た」と答えるならば、当然、彼らはヨハネを信じて従うべきだったことになります。それはまたイエス様に従うことも意味しており、彼らにとっては不都合なことでした。
大祭司カヤパがイエス様に死刑を宣告したのは宗教的な理由からではなく政治的な理由からでした(「ヨハネによる福音書」11章47〜57節)。彼が心配していたのはイエス様がユダヤの民を「偽りの宗教」に扇動することではなく、イエス様が群衆の中で不穏な騒乱を引き起こし、その結果としてローマ人たちがユダヤ人の宗教的な指導者たち(すなわちカヤパたち)から権力を奪い取ってしまうことでした。
マタイにおいて「天」(25節)は「神様」と同じ意味合いをもっています。それで福音書は天の御国と神様の御国の両方について語っているのです。ユダヤ人は神聖なる神様の御名を不用意に口にすることを避けていました。「天」という言葉を代わりに用いるほうが神様に対する不敬の罪を犯すリスクが少なかったのです。
とはいえ、ユダヤの民の宗教的な指導者たちが洗礼者ヨハネの権威が神様に由来するものであったことを否定しようものなら、民衆は怒り出したに違いありません。これも彼らにとっては不都合な選択肢でした。
民衆の中で活動している説教者たちを適切に評価するのは宗教的な指導者たちの職務でした。しかし上に述べた事情から、宗教的な指導者たちは本来ならば自分たちが正しい答えかたを知っているべき質問に対してあえて「知らない」と答えたのです。しかしそれと同時に、彼らは自分たちがイエス様に向けた質問に対するイエス様御自身のお答えも得ることができなくなってしまいました。
権力と信仰を混同することには常に危険が伴います。教会は迫害よりも自由な状況下のほうでより多くのものを失ってしまうことが歴史上これまで何度も繰り返されてきました。世論に迎合することは教会に真に深刻な脅威をもたらします。このことはかつてローマ・カトリック教会での教皇ヨハネ・パウロ2世の後継者選出の際にも明らかになりました。フィンランドの有力新聞(ヘルシンギン・サノマト紙)は教皇選挙で勝利したヨゼフ・ラッツィンガーを事前の有力候補に挙げていませんでした。(新聞のイデオロギー的立場から見ると)「彼は保守的すぎる」というのがその理由でした。同紙の編集者たちは「ローマ・カトリック教会といえども西側諸国の世論に受け入れられないような指導者を選ぶことはできないだろう。教会は教会自身の望むことではなく、世界の望んでいることに耳を傾けるべきなのだ」というように考えていたに違いありません。
二人の息子のたとえ話 21章28〜32節
この箇所を扱うにあたり、日本語版翻訳者(高木)として、ギリシア原語版聖書は版の違い(ネストレ・アーラント版の25版と27版)によってこの箇所での兄と弟の態度や立場が互いに逆になっていることを注意しておきます。口語訳では古い版(25版)に従い、また口語訳よりも新しい新共同訳では新しい版(27版)に従い、それぞれ訳出されています。このガイドブックのフィンランド語版の著者パシ・フヤネンは新しい版(27版)の本文に従って説明しています。
イエス様はユダヤの民の宗教的指導者たちの問いに対して実はお答えになっているともいえます。洗礼者ヨハネとイエス様は二人ともに神様から、すなわち「天から」遣わされた存在でした。それゆえ、この二人のメッセージに人々は耳を傾けるべきであったのです。そのことを「ふたりの子」の譬は示唆しています。
当然ながら、イスラエルの民は自分らのことを「神様の御民」、「神様の子ら」とみなしていました(「出エジプト記」4章22〜23節(「わたしの子、わたしの長子」)、「申命記」1章31節)。「ぶどう園」も「イスラエル」を象徴する表現でした。それゆえ、この譬では「神の御心を行いたかったのは誰なのか」が問われていたということになります。
「兄」(28〜29節)は自分の生きかたによって神様の律法を破り罪を犯しはしたが、洗礼者ヨハネとイエス様の働きかけによって悔い改めて心を入れ替えた人々のことを指しています。すでに以前からイエス様は取税人や「罪人たち」(売春婦など職業的に罪を犯している人々)に好意的すぎる態度を示し続けたことを批判されていました(9章10〜13節)。
一方、「弟」(30節)はユダヤ教の宗教的な指導者たちのことを指しています。彼らは「神様の御心に従いたい」と口先では言いつつも、結局はそれを実行しようとしませんでした。このことはとりわけ洗礼者ヨハネとイエス様に対する彼らの態度に顕著に表れています。
いくつかのギリシア語写本では31節で「あとの者」という記述があります。そして、いくつかの翻訳ではそのように訳されています(例えば口語訳では、現行のギリシア語本文とは兄と弟の立場が逆になって訳出されています)。ラテン語に聖書を翻訳したヒエロニムス(ウルガタ訳の作者)など教父たちの一部もこの解釈を支持しました。この解釈によると、イエス様の反対者たちは自分らが裁かれずに済むように故意に間違った答えかたをしたということになります。
しかし、明らかに正しい読みかたは「最初の者」または「前者」です。これはまた、31〜32節におけるイエス様の教えにもよく合致します(41節と46節も参照してください)。もし反対者たちが故意に間違った答えをしたのなら、イエス様はおそらく彼らをまず正した上でこの譬の意味について教えてくださったことでしょう。
イエス様のお答えは「二つのグループのうちの一方は神様の御国に入ることが決してない」という意味合いを持っています(8章11〜12節)。ユダヤの民の宗教的な指導者たちにとっては、洗礼者ヨハネの説教もイエス様の存在とその教えも到底受け入れられないものでした。しかし、イエス様を信じなければ天の御国に入ることは決してできないのです(「ヨハネによる福音書」14章6節)。
なお、新しいほうのギリシア語版(27版)では29節と32節に「悔いる心」を意味する同じギリシア語の言葉「メタメロマイ」が用いられています。
主人をないがしろにするぶどう園の農夫たち 21章33〜46節
イエス様がこの譬の中で「イザヤ書」5章の冒頭(1〜7節)を示唆しておられることはイエス様の反対者たちには明白でした。とはいえ、イエス様の譬には「イザヤ書」の本文と大きく相違する点が一つあります。それは、主の預言者イザヤがユダヤの民の信仰心の弱さ(すなわち「良いぶどう」ではなく「野ぶどう」)を嘆いているのに対して、イエス様は主人をないがしろにするぶどう園の農夫たちについて語っておられるという点です。旧約聖書をよく知っている人ならば、イザヤとイエス様の譬の間にある類似点だけではなく相違点にも気づくことでしょう。46節が示唆しているように、イエス様の反対者たちもおそらくそのことに気づいていました。
旧約聖書では「イスラエル」はしばしば「ぶどう園」に例えられています。そのため、41節は非常に預言的な意味合いを帯びていることになります。それは、神様の御国はユダヤ人たちから取り去られ異邦人に与えられるという預言です。この預言はのちに実現します。使徒パウロは新しい町に行くと最初に会堂で宣教活動を始めました。しかし、ユダヤ人たちは彼にもその福音のメッセージにも背を向け続けました。こういうことが繰り返されたため、パウロは神様の御国が異邦人のほうに移されたことを宣言したのです(「使徒言行録」13章46〜51節)。それから約100年の間にユダヤ人出身のキリスト信仰者たちはキリスト教会からほぼ姿を消してしまいます。
この譬が描いている具体的な状況は当時の中近東ではよくみられるものでした。多くの農場は他の地域に住んでいる裕福な人々が所有していたのです。
ぶどう園を借りていた農夫たちはそれが元々誰の所有しているぶどう園なのかを忘れてしまい、あたかも自分のものであるかのような見当違いな態度をとるようになりました(35節)。殴打され殺された僕たちが、歴史を通じてユダヤ人の宗教的な指導者たちから拒絶されてきた主の預言者や神様の遣わされた説教者たち、そして最後に登場した洗礼者ヨハネのことを示唆していることは明らかです(「ヘブライの信徒への手紙」11章35〜38節を参照してください)。
「すると農夫たちは、その子を見て互に言った、『あれはあと取りだ。さあ、これを殺して、その財産を手に入れよう 』。そして彼をつかまえて、ぶどう園の外に引き出して殺した。」
(「マタイによる福音書」21章38〜39節、口語訳)
あと取り息子の殺害(38節)は明らかにイエス様の殺害のことを示唆しています。そして、それは間もなく実現してしまいます。あと取り息子についての言及を聞いて人々の多くはイエス様が洗礼をヨハネから受けられた時の出来事を思い起こしたに違いありません。すなわち、天から神様の御声が聞こえてきて「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」(3章17節)と告げた出来事です。ユダヤ人にとって「神様の御子」という考えかたは当然ながらまったく許容できないものでした。
当時、所有権が不明瞭な土地について借地人がそれを「自分たちのものである」と言い張る場合がありました。ですから、ひとり息子(「彼の愛子」(「マルコによる福音書」12章6節))の殺害は彼らからすれば「理にかなったこと」だったのです。
譬の中の「あと取り」と同じように、イエス様もエルサレムの城門の外で殺されることになります(39節、「ヘブライの信徒への手紙」13章12節)。
「イエスは彼らに言われた、「あなたがたは、聖書でまだ読んだことがないのか、
『家造りらの捨てた石が
隅のかしら石になった。
これは主がなされたことで、
わたしたちの目には不思議に見える』。」」
(「マタイによる福音書」21章42節、口語訳)
「隅のかしら石」(42節)という言葉は建物の中にある重要な二つの石のうちのどちらかを指しているものと思われます。一つ目の石は建物全体がその上に建てられている土台の石です(7章24〜27節を参照してください)。この石を取り除くと、土台が崩れ家は崩壊します。
二つ目の石は、特に42節によれば、いわゆる「頂石」、つまり建築物のアーチを支えている要石であるように思われます。この石が取り除かれると、アーチが、ひいては建物全体がやはり破壊されてしまいます。
どちらの解釈も合理的で自然な説明になっています。
「かしら石」が拒絶されるだけでなく、拒絶する者たちも滅びに至るという預言が旧約聖書にもあります(「イザヤ書」8章11〜15節(「さまたげの石、つまずきの岩」)。また「ダニエル書」2章34〜35および44〜45節には、「一つの石が人手によらずに切り出されて、その像の鉄と粘土との足を撃ち、これを砕きました」とあり、「その像を撃った石」が新バビロニアの王ネブカドネザルの夢に出てきた巨大な像を破壊します。
ペテロはユダヤ人の最高議会(サンヘドリン)において告発されたときに、「家造りらに捨てられたが、隅のかしら石となった石」に言及しています(「使徒言行録」4章11節、「ペテロの第一の手紙」2章4〜10節も参照してください)。
旧約聖書の「詩篇」118篇22〜23節および25〜26節では、「隅のかしら石」になった「家造りらの捨てた石」がちょうど主への賛美の箇所の直前に出てくることに注目してください。
この時もユダヤの民の宗教的な指導者たちは政治的思惑に囚われ、民衆を恐れて自分たちの策略を実行に移す勇気を持てませんでした(46節)。この時には民衆が結果的にイエス様を助けることになりましたが、そのわずか数日後には宗教的な指導者たちに煽動された民衆がイエス様を十字架につけるよう絶叫するようになります。
ユダヤ教が内部崩壊しつつあったことは特筆すべきでしょう。指導者たちは神様の御意思を理解していませんでした。使徒パウロはエフェソの教会の指導者たちに、最大の脅威は教会内部から生じて来ることを予め警告しています。現在のキリスト教にとって最大の脅威は何なのか、私たちはよく考えてみる必要があります。イスラム教徒を対象に伝道している、あるキリスト教宣教師は「イギリスでイスラム教徒がキリスト教に改宗する上で最大の障害となっているのは教会です。彼らは教会の状態を見るとその会員になりたがらなくなるのです!」と言ったことがあります。