マタイによる福音書 26章 王の設定された祝宴の食卓
26〜27章はイエス様の苦難の出来事を描写しています。最古の福音書である「マルコによる福音書」は長い序文を持つ受苦の出来事の叙述であると言われることもあります。
そして、最後の28章はイエス様の復活と昇天について語っています。
人々の計画と神様の御計画 26章1〜5節
イエス様の教えの活動はここで終わりました(1節)。「これらの言葉をすべて」(1節)は23章から25章までの教えの講話、あるいはイエス様の宣教活動すべてを指しているとも受け取れます。
「ふつかの後には過越の祭になる」(2節)は、ユダヤ暦とギリシア・ローマ暦のうちのどちらの暦を用いるかに応じて火曜日かあるいは水曜日のことを指していると考えられます。それによると、この箇所の年の過越祭の準備日は木曜日にあたり、祭の初日でもありました。
「あなたがたが知っているとおり、ふつかの後には過越の祭になるが、人の子は十字架につけられるために引き渡される」。
(「マタイによる福音書」26章2節、口語訳)
イエス様の十字架刑についての発言(2節)は弟子たちにとって嫌悪すべきことでした。ユダヤ人なら誰でもそのような話は聞くことすら避けようとします。
ユダヤ人の最高議会(サンヘドリン)の会議は本来ならば大祭司の中庭などでではなく神殿で開かれるべきものでした(3節)。要するに、彼らは正しい手続きを踏まずに「策略をもって」(4節)イエス様を捕えて殺そうとしていたのです。モーセの律法では、「策略」によって人を殺した者はエルサレムの神殿に連行され死刑に処せられることさえありえました。「出エジプト記」21章14節には「しかし人がもし、ことさらにその隣人を欺いて殺す時は、その者をわたしの祭壇からでも、捕えて行って殺さなければならない。」とあります。神殿はそれ以外のケースでは(例えば恨みから殺される危険がある場合などに)「避難場所」を提供する場所のはずでした。
カヤパは西暦18年から36年までユダヤ教の大祭司でしたが、ローマ総督ポンテオ・ピラトと同じ時期に二人そろって解任されています。おそらくこの二人は共謀関係にあり、それが後に明るみに出てしまったようです。カヤパの前任者の大祭司は彼の義父(「しゅうと」)にあたるアンナスでした(「ヨハネによる福音書」18章13節)。大祭司は本来ならば死ぬまでその職に留まり続ける慣習になっていましたが、ローマ人は大祭司になる者たちを次々と恣意的に解任したり任命したりしました。カヤパの後、西暦27年から67年までの間に大祭司の職に就いた者の数は実に28名にものぼります。
この箇所の出来事の始まりと終わりの間にある「矛盾」を見抜くことは重要です。ユダヤ人の指導者たちはローマ人たちと緊張や問題を起こさないようにするために、祭りが終わってからイエス様を殺そうと欲していました。過越祭は除酵祭(無酵母パンの祭り)と関連しています(17節)。除酵祭は7日間続く祭でした。しかし、それ以前からイエス様はまさにその祭の最中に御自分が死刑に処せられることを予言しておられました。
ユダヤ人の指導者たちがこの当初の予定を変更したのはイスカリオテのユダが自分の師であるイエス様を裏切るという驚くべき申し出をしたこと(14〜16節)がきっかけになったとは言えるでしょう。しかしより深く考えてみると、このことも神様の御計画の一部に過ぎなかったことがわかってきます。神様の御計画によれば、イエス様は過越祭において私たちのための真のいけにえの小羊として死なれることになっていたからです。
ベタニヤで油を注がれるイエス様 26章6〜13節
「さて、イエスがベタニヤで、重い皮膚病の人シモンの家におられたとき、ひとりの女が、高価な香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、イエスに近寄り、食事の席についておられたイエスの頭に香油を注ぎかけた。」
(「マタイによる福音書」26章6〜7節、口語訳)
ベタニヤはエルサレムから少し東方にあり、エリコから通じる道に面していました。イエス様に油を注いだのはベタニヤに住んでいたマルタとラザロの姉妹のマリアであったとヨハネは述べています(「ヨハネによる福音書」12章3節)。
「重い皮膚病の人シモン」(6節)はイエス様によってその病を癒されたに違いありません。病人のままであったなら、彼は村に住むことを許されず、彼の家で食事会を催すこともできなかったことでしょう。
「マルコによる福音書」14章3節は「非常に高価で純粋なナルドの香油」について述べています(「マタイによる福音書」26章7節では「香油」とだけ記されています)。ナルドはヒマラヤ山脈の斜面に生える植物から採取される、当時としては最も貴重な産物でした。
7節のように、神様の御民の王となる者たち(「サムエル記上」10章1節および16章13節)は油を注がれて王の位に就きました。「メシア」がヘブライ語で「油を注がれた者」という意味であることも忘れるべきではありません。
イエス様に注ぎかけられた油は少なくとも「三百デナリ」(「マルコによる福音書」14章5節)の価値があったとマルコは述べています。これは当時の人の約一年分の給料に相当します。また、マルコは女性が油壺を割ったためその中にあった油全部を一度に使い切らなければならなかったとも述べています。真の愛はその価値をお金に換算して損得勘定をしないものなのです。例えばロシアでは教会建築の壮麗さとは対照的に周囲の住民の生活はごく慎ましいという光景がしばしば見られます。それを目にする人は複雑な思いにとらわれるかもしれません。しかし、この箇所の出来事で女性が香油を惜しげもなくイエス様の頭に注ぎかけた「贅沢さ」にもそれと同じような側面があったことを心に留めておくとよいでしょう。
「よい事」(10節)とは、それによって神様に栄光が帰されるようなことを指しています。
「貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」
(「マタイによる福音書」26章11節、口語訳)
11節は「申命記」15章11節からのほぼそのままの引用です。残念ながら、現代においてもこのことは当てはまります。
「この女がわたしのからだにこの香油を注いだのは、わたしの葬りの用意をするためである。」
(「マタイによる福音書」26章12節、口語訳)
御自分の埋葬が急いて行われることになるため、本来ならば埋葬に必要とされる油注ぎの手続を行う時間的余裕さえないだろうということをイエス様はこの12節で予言しておられます(27章57〜66節を参照してください)。イエス様が死ぬための神様による準備はここでも続けられていたことになります。しかし、その場に居合わせた人々はこのことを理解しませんでした。
またこの12節には、キリスト教の宣教活動がいずれ世界的に展開されていくことになるという預言も含まれています。
イエス様を裏切るユダ 26章14〜16節
なぜユダはイエス様を裏切る決意をしたのでしょうか。この問題について今まで多くの議論が繰り広げられてきました。究極的に言えば、これは神様の御意思の成就に関わる問題でもあり、神様の救いの御計画を潰すためのサタンの策謀によるものでもありました(24節)。イエス様はユダを「滅びの子」と呼んでおられます(「ヨハネによる福音書」17章12節)。しかし、正答を得るのが難しいこの問題についてもいくつかの「説明」を試みることはもちろんできます。
まず、たんなる金銭欲がユダの裏切りの主な理由であったとは考えにくいでしょう。「銀貨三十枚」(15節)は大金ではありません。それは約120デナリに相当する額であり、この章の冒頭で述べられている油の金銭的価値よりも明らかに少ない額なのです。とはいえ、金銭欲もイエス様を裏切る動機の一つとなった可能性はもちろん否定はできません。
「イスカリオテ」(14節)からは二つの意味を汲み取ることができます。まず、これは「カリオテの人」を意味している可能性があります(ヘブライ語の「イーシュ」(「イス」に相当)は「男」、「夫」、「住人」という意味です)。「カリオテ」はヘブロンの南方、約20キロメートルのところにあった村でした。この解釈によれば、ユダは南方の地域であるユダ出身の唯一の弟子だったことになります。
もう一つの可能性は「イスカリオテ」が「シカリオテ」、すなわち「短剣の男」を意味する言葉の変形したものであったとする解釈です。「シカリオテ」は当時のテロリスト集団であり、ローマにおもねるユダヤ人たちを混雑する市中で短剣によって刺し殺していました。もしもユダが熱心党員(ギリシア語で「ゼーロータイ」)すなわちローマへの反逆者集団の一員であったとすれば、彼の裏切りには次の二つの説明が考えられます。
第一に、イエス様がこの世的な意味での救世主ではなくローマの支配に対して反乱を起こすつもりもないことが判明したために、ユダはイエス様に失望したという可能性です。これは「マタイによる福音書」27章3〜5節に示唆されているとも読めます。
第二に、イエス様は真に困難な状況に陥った時にこそ反乱を起こす勇気をもつだろうとユダが踏んでいたふしもあります。すなわち、ローマの支配とイエス様をあえて対峙させることによってイエス様は余儀なく決起するだろうとユダが予想していたという考えかたです。
しかし、ユダの動機の詮索は結局のところ推測の域を出るものではありません。
「銀貨三十枚」(15節)は事故で亡くなった奴隷のために支払われるべき代価でした。「出エジプト記」21章32節には「牛がもし男奴隷または女奴隷を突くならば、その主人に銀三十シケルを支払わなければならない。またその牛は石で撃ち殺されなければならない。」とあります。しかし、それはまた預言者ゼカリヤが次のように預言したメシアの代価でもありました。
「主はわたしに言われた、
「彼らによって、わたしが値積られたその尊い価を、宮のさいせん箱に投げ入れよ」。わたしは銀三十シケルを取って、これを主の宮のさいせん箱に投げ入れた。」
(「ゼカリヤ書」11章12〜13節。口語訳)。
より正確に言えば、「ゼカリヤ書」11章13節で神様は御自身の代価(「わたしが値積られたその尊い価」)について述べておられるのです。
ユダヤ人の指導者たちはイエス様をあえて嘲笑したのかもしれません。これは「イエスはメシアではありえないが、ここはメシア預言の一つをあえて成就させてメシアのために預言された「代価」を払わせてみよう」といった悪意ある考えかたです。支払われた代価の金額について具体的に記しているのはマタイだけです。今までも見てきたように、旧約聖書の預言がイエス様の生涯において成就されていくことはマタイにとって重要なテーマでした(1章22節を参照してください)。
ここでは「詩篇」41篇10節(口語訳では9節)の「わたしの信頼した親しい友、わたしのパンを食べた親しい友さえもわたしにそむいてくびすをあげた。」という預言も成就しました。その通りにイエス様の元側近が裏切り者となったのです。
イスカリオテのユダはユダヤ人の指導者たちに民衆の面前ではなく目立たない場所でイエス様を逮捕する機会を提供しました(「ルカによる福音書」22章6節)。
過越の食事 26章17〜25節
過越の食事は「主の種入れぬパンの祭」と密接に関連していました(「レビ記」23章4〜8節)。過越の食事は春分の日の後の満月の頃に行われ、過越の小羊はニサン月の14日に屠られました。この箇所の出来事は木曜日に起こりました。その後、1週間にわたる「主の種入れぬパンの祭」が始まるのです(「レビ記」23章5〜6節)。
過越の祭の時期のエルサレムは来訪客で溢れ、食事をする場所を見つけるのにも苦労するほどでした。イエス様は弟子たちと共に「ある人の所」に行って食事をする手配を予めなさっていたようです(18節)。
「夕方になって、イエスは十二弟子と一緒に食事の席につかれた。そして、一同が食事をしているとき言われた、「特にあなたがたに言っておくが、あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」。弟子たちは非常に心配して、つぎつぎに「主よ、まさか、わたしではないでしょう」と言い出した。イエスは答えて言われた、「わたしと一緒に同じ鉢に手を入れている者が、わたしを裏切ろうとしている。」
(「マタイによる福音書」26章20〜23節、口語訳)
イエス様と一緒に同じ鉢で食事をすること(23節)は裏切り者が誰なのかを明らかにするものではありません。裏切り者は食事の参加者の一人であり、イエス様はすでにそのことを告げておられました(21節)。中近東では共通の食事に参加することには「私はあなたの友であり、あなたに害を及ぼすことは決してない!」という意味合いがありました。ここではすでに上述した「詩篇」41篇10節の預言が成就したのです。
イエス様がユダにお答えになった言葉(25節)を他の弟子たちはどうして理解できなかったのでしょうか。多くの人がこのことに疑問を持ってきました。もしかしたら弟子たちはイエス様の言われたことを聞き取れなかったのかもしれません。あるいは、イエス様の言葉が様々に解釈できる難しいものであったため、イエス様の死後ようやく弟子たちはその意味を理解したのかもしれません。「先生、まさか、わたしではないでしょう」というユダの答えを「私はそんなことはやっていません」と意訳する翻訳もあります。
主の聖餐の制定 26章26〜29節
すべての共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)は主の聖餐の設定について述べていますが、ヨハネは福音書の中ではそれに触れていません。その代わりにヨハネは6章(「ヨハネによる福音書」6章22〜59節)で主の聖餐の「意味」についてのイエス様の教えを詳述しています。また、パウロも主の聖餐について述べており(「コリントの信徒への第一の手紙」11章23〜25節)、これは私たちルター派の教会の礼拝で用いられている主の聖餐の式文に最も近い形のものです。
モーセは過越の食事についてそれぞれの家庭で正しく説明がなされるように命じています。「出エジプト記」12章26〜27節には「「もし、あなたがたの子供たちが『この儀式はどんな意味ですか』と問うならば、あなたがたは言いなさい、『これは主の過越の犠牲である。エジプトびとを撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越して、われわれの家を救われたのである』」。民はこのとき、伏して礼拝した。」とあります。
「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べよ、これはわたしのからだである」。また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。あなたがたに言っておく。わたしの父の国であなたがたと共に、新しく飲むその日までは、わたしは今後決して、ぶどうの実から造ったものを飲むことをしない」。」
(「マタイによる福音書」26章26〜29節、口語訳)
今ここでイエス様はこの食事にまったく新しい意味付けをなさいました。それは「これはわたしの体でありわたしの血である」という説明です。
ツヴィングリやカルヴァンの流れを汲む改革派教会の神学では主の聖餐を単なる「記念の食事」と見なしています。主の聖餐はもちろんイエス様のことを「覚える」ものでもありますが、ただそれだけではありません。一方、ローマ・カトリック教会の神学では聖餐のパンとぶどう酒がキリストの体と血に物質として変化するという「化体論」が支持されています。ルター派の教会の神学はそれらの中間に位置付けることもできます。それによれば、キリストは主の聖餐において真に臨在されるのです。このことはラテン語では「vere presens」(「vere」(「ヴェーレー」)は「真に」という意味)、英語では「real presens」と呼ばれています。ある意味で、ルター派の聖餐の教理は他の宗派の教理に比べて最も理解しにくい面があるとも言えるでしょう。「これは私の体である」と「これは私の血である」というキリスト御自身による宣言はたんに記念することではなく、聖餐におけるキリストの真の臨在をも表すものだからです。マルティン・ルターはこのキリストの簡明な御言葉の意味を人間の哲学的な説明によって無視しようとは全く考えもしませんでした。
ローマ・カトリック教会の実体変化の教義(いわゆる「化体論」)は、例えばフィンランドでは「ホックス・ポックス」というよく知られた言いかたに表れています。昔、子どもたちが魔法使いごっこをした時に使ったこの言い回しは元々ラテン語の「hoc est corpus meum」(「これは私の体である」という意味のラテン語文)に由来しています。パンがキリストの体に変化するとき、たしかに魔法のような奇跡が起きているのです。
「主の種入れぬパン」は固くなっていたため、それを割くこと(26節)は実際には「引き裂くこと」を意味していました。これは、イエス様が間もなくゴルゴタの十字架の上でどれほど激しい苦しみを受けられることになるかを預言するものでもありました(「イザヤ書」53章2〜12節を参照してください)。
「感謝」すること(27節)はユダヤ教で神様が食物を与えてくださることへの感謝を意味していました。人々が感謝を向ける対象は食物ではなく、食物を与えてくださったお方なのです。「感謝すること」という意味のギリシア語は「聖餐」を表す「ユーカリスティア」(eukaristia)という言葉で現在も用いられています。
28節の「多くの人のために」(口語訳)はユダヤ教の慣習に忠実な表現であり、実質的には「すべての人のために」という意味合いのものです。それゆえ、後者のように変更された翻訳もあります。
29節はイエス様の死が間近に迫っていることも示しています。
シナイ山における契約は犠牲の動物の血によってその実効性が強められました。「出エジプト記」24章8節には「そこでモーセはその血を取って、民に注ぎかけ、そして言った、「見よ、これは主がこれらのすべての言葉に基いて、あなたがたと結ばれる契約の血である」。」とあります。「ヘブライの信徒への手紙」の執筆者は血を流さずには贖罪が起こり得ないことを指摘しています。「ヘブライの信徒への手紙」9章22節は「こうして、ほとんどすべての物が、律法に従い、血によってきよめられたのである。血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない。」と書いています。
「主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。この契約はわたしが彼らの先祖をその手をとってエジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない。わたしは彼らの夫であったのだが、彼らはそのわたしの契約を破ったと主は言われる。しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」。
(「エレミヤ書」31章31〜34節、口語訳)
「新しい契約」は上掲の「エレミヤ書」31章31〜34節においてすでに預言されていました。その箇所では神様御自身が御自分の民と新しい契約を結ぶことが述べられている点に注目してください。主の聖餐の設定と考え合わせると、これはイエス様が神様御本人であることを示唆しており、私たちに思い起こさせる証拠の一つにもなっています。
羊飼いは打たれ、羊は散らされる 26章30〜35節
過越の食事には「詩篇」113〜118篇が深く関わっています。食事の後には「詩篇」115〜118篇が歌われました。ユダヤ教によれば、これら6つの「詩篇」は次の5つの大きな祝福を啓示しています。
- エジプトからの脱出 「詩篇」114篇1節
- 紅海の横断 「詩篇」114篇3節
- 神様の律法 「詩篇」114篇4節
- 復活 「詩篇」116篇9節
- メシアの到来 「詩篇」115篇1節
「そのとき、イエスは弟子たちに言われた、「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずくであろう。『わたしは羊飼を打つ。そして、羊の群れは散らされるであろう』と、書いてあるからである。」
(「マタイによる福音書」26章31節、口語訳)
ゲッセマネへ向かう途中でイエス様は弟子たちに語りかけます(31節)。ここでも旧約聖書の預言が提示されています。羊飼いは打たれ、羊は散らされるのです(31節、「ゼカリヤ書」13章7節)。
イエス様は死後も弟子たちを見捨てることなく、復活された後で彼らより先にガリラヤへ行かれました(32節、「マルコによる福音書」16章7節、「使徒言行録」1章3節、「コリントの信徒への第一の手紙」15章6節)。
「するとペテロはイエスに答えて言った、「たとい、みんなの者があなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」。」
(「マタイによる福音書」26章33節、口語訳)
熱心さのあまり、ここでもペテロはイエス様のお話を遮ってしまいます(33節)。ペテロには次の3つの問題がありました。
- イエス様とその御言葉を信じていなかった
- 自分のことを過大評価していた
- 未来がどうなるか分かっていなかった
以前のペテロは殉教も辞さぬ覚悟があり、イエス様への信仰を自分の命よりも大切にしていました。弟子たちは皆、イエス様に忠誠を誓っていたにもかかわらず(35節)、ペテロと同じようにイエス様を見捨てることになります。この事実は注目に値します。
この時点ではすでにイスカリオテのユダはユダヤ人の指導者たちのところへ行っていました(「ヨハネによる福音書」13章30節)。しかし、マタイはそれについては述べていません。
ゲッセマネにおける祈りの闘い 26章36〜46節
「それから、イエスは彼らと一緒に、ゲツセマネという所へ行かれた。そして弟子たちに言われた、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここにすわっていなさい」。そしてペテロとゼベダイの子ふたりとを連れて行かれたが、悲しみを催しまた悩みはじめられた。」
(「マタイによる福音書」26章36〜37節、口語訳)
ゲッセマネという地名には「油搾り場」という意味があります。ちなみにヘブライ語の「ガト」には「ぶどう絞り場」という意味があり、ギリシア語の「セーマ」には「(神様からの)しるし」、その動詞形である「セーマイノー」には「しるしを与える」という意味があります。「ゲッセマネ」はそれら二語から構成されているとも考えられます。この地域には樹齢数千年とさえ推定される木々が点在しています。イエス様の時代にそこに生えていたオリブの木々の中には今でも生き続けている木もあるかもしれません。
ここで再び(17章1節や「マルコによる福音書」5章37節を参照してください)、イエス様は三人の弟子たち(ペトロ、ヤコブ、ヨハネ)を御自分のそばに招かれました(37節)。職業柄、夜を徹しての漁には慣れていたはずなのに、イエス様に最も親しいこの元漁師の三人の弟子たちは眠り込んでしまいます(40節)。今は「暗闇の時」だったからです(「ルカによる福音書」22章53節(「やみの支配の時」))。
「そのとき、彼らに言われた、
「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目をさましていなさい」。」
(「マタイによる福音書」26章38節、口語訳)
この極めて困難な瞬間にイエス様が弟子たちとのつながりを切望しておられたことは私たちの心を打ちます(38節)。同じように、キリスト信仰者にとっても神様の御民である他のキリスト信仰者たちとのつながりはとても大切なものです。
「そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。」
(「マタイによる福音書」26章39節、口語訳)
イエス様は声を出して祈られました(39節)。イエス様が同じ祈りを三度も繰り返されたこと(42、44節)は祈りの闘いの激しさを物語っています。ルカはイエス様の「汗が血のしたたりのように地に落ちた」と描写しています(「ルカによる福音書」22章44節)。また「御使が天からあらわれてイエスを力づけた」とも記しています(「ルカによる福音書」22章43節)。
神様の怒りの「杯」(39節、また「イザヤ書」51章22節も参照してください)は「神様に捨てられること」を表しています。それは、私たち人間が神様を捨てた結果として私たちも神様から捨てられることを意味しています。しかし、イエス様は人類の罪のために見捨てられたのです(27章46節)。パウロは次のように書いています。
「神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」5章21節、口語訳)
罪深い私たちが罪の力から解放されて永遠の命を得るためにイエス様は「罪とされた」のです。
イエス様は御自身の教えの通りに行動なさいました。神様の御心が行われますようにと祈られたのです(39節)。これはイエス様が御自分に従う者たち全員に「主の祈り」で教えてくださったことです(6章10節)。神様の御心の実行は私たち人間にとって容易ではないことをわきまえておくべきです。そうであっても、神様の御心を行っていくことがやはり常に最善の道であることに変わりはありません。
イエス様の逮捕 26章47〜56節
「そして、イエスがまだ話しておられるうちに、そこに、十二弟子のひとりのユダがきた。また祭司長、民の長老たちから送られた大ぜいの群衆も、剣と棒とを持って彼についてきた。イエスを裏切った者が、あらかじめ彼らに、「わたしの接吻する者が、その人だ。その人をつかまえろ」と合図をしておいた。彼はすぐイエスに近寄り、「先生、いかがですか」と言って、イエスに接吻した。しかし、イエスは彼に言われた、「友よ、なんのためにきたのか」。このとき、人々は進み寄って、イエスに手をかけてつかまえた。」
(「マタイによる福音書」26章47〜50節、口語訳)
夜の闇の中で間違った人が捕らえられ、お目当てのイエス様が逃亡してしまわないようにするため、ユダは念の為の「合図」としてイエス様に接吻することにしました(48節)。しかし、それは無用な心配でした。イエス様は捕らえた者たちに対して抵抗せずに降伏されたからです(52〜54節)。
ユダの挨拶はおそらくヘブライ語(あるいはアラム語)の「シャローム」であったと思われます。マタイはギリシア語原文では「カイレ」と記しており、これは「喜ぶ」という意味の動詞の二人称単数の命令形です。
ペテロが剣によって大祭司の僕の片耳を切り落したことと(51節ではペテロの名は明示されないまま「イエスと一緒にいた者のひとり」と記されています。「ヨハネによる福音書」18章10節)、その後に起こったこととは、その瞬間のペテロの心が最悪な形で頑なになっていたことを表しているのでしょう。イエス様は御自分が「強盗」(55節)として逮捕されようとしていたのに、御自分を捕らえにきた者の切り落とされた耳を癒されました(「ルカによる福音書」22章51節)。この出来事はイエス様を捕らえにきた者たちに「この人物はいったい何者なのか」と自問するきっかけを与えたのではないでしょうか。イエス様が大祭司の僕を癒した奇跡は「反逆者イエス」というレッテル貼りが妥当ではないことも明らかにしました。
ヨハネは大祭司の僕の名前が「マルコス」であったと記しています(「ヨハネによる福音書」18章10節)。名前が明示されていることから、「マルコス」は後にキリスト教徒の一人になったのではないかという推測もなされています。
上掲の50節でのイエス様の発言は翻訳者たちを悩ませてきました。これは意味的には疑問文ではなく、「あなたがここに来た目的を果たせ!」という意味の断定的な表現だからです。
「軍団」(53節、ギリシア語で「レギオーン」)は六千人の兵士で構成されていました。したがって、12以上の軍団は七万二千人以上の天の兵士に相当します。しかし、神様は罪人たちを滅ぼすことではなく救うことを望まれたのです!だからこそ、イエス様は御自分が逮捕されることも死刑宣告を受けることも甘受なさったのです(55〜56節)。
ユダヤ人の指導者たちにとってイエス様の弟子たちのほうはこの段階ではどうでもよい存在であったため、散り散りになり逃亡していくままにされました(56節)。ユダヤ人の指導者たちは「イエスさえ死んでしまえば、それまでイエスに率いられてきた伝道活動すべてが衰退していく」と想定していたのでしょう。
イエス様の預言は実現しました(26章31節)。旧約の預言の通りに、羊飼いはたった一人で取り残されたのです(56節)。
最高議会(サンヘドリン)の前に立たされるイエス様 26章57〜68節
「さて、イエスをつかまえた人たちは、大祭司カヤパのところにイエスを連れて行った。そこには律法学者、長老たちが集まっていた。ペテロは遠くからイエスについて、大祭司の中庭まで行き、そのなりゆきを見とどけるために、中にはいって下役どもと一緒にすわっていた。」
(「マタイによる福音書」26章57〜58節、口語訳)
再び大祭司カヤパのところに最高議会(サンヘドリン)の議員たちが参集しました(57〜58節、26章3節も参照してください)。彼らは「イエス逮捕の知らせがイエスの支持者たちに伝わって騒乱が起きる前に、一刻も早くイエスを有罪にして処分しよう」と焦っていました。しかも、安息日が始まるまでにもう丸一日もなかったのです。
最高議会(サンヘドリン)は71名からなり、祭司長たち、長老たち、律法学者たちからが構成されていました。議長を務める大祭司はユダヤ人の内政に関して非常に広範な権限を有していました。
ペテロはまだ自分の弱さを自覚していませんでした(58節)。彼にはたしかに勇敢な面もありました。しかし、まさにその勇敢さのせいでイエス様を公の場で三度も繰り返して否認する要因となったのです(69〜75節)。私たちの犯す失敗の多くも自分の力を過大評価することによって引き起こされます。
「さて、祭司長たちと全議会とは、イエスを死刑にするため、イエスに不利な偽証を求めようとしていた。」
(「マタイによる福音書」26章59節、口語訳)
ユダヤ人指導者たちの最終目的は「イエスを死刑にすること」でした(26章4節も参照してください)。当時、それは十字架刑に処することを意味していました。これはイエス様の反対者たちにとって都合の良いやりかたでした。彼らの考えかたはおおよそ次のようなものだったのではないでしょうか。「イエスにこの刑罰を下すことができさえすれば、(ユダヤ教的にみて)イエスは神様に呪われた者とみなされることになり、今後もはや誰もイエスのことを再び思い出すことはしなくなるだろう。こうしてイエスの持ち込んだ厄介な問題はようやく全部片付くはずだ」と。なお「ガラテアの信徒への手紙」3章13節には「キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。」とあります(「申命記」21章22〜23節も参照してください)。
死刑判決はわずか二人の証人の証言に基づいて下すことができました(「民数記」35章30節、「申命記」17章6節および19章15節も参照してください)。今回問題になったのは証人たちの意見が互いに一致しなかったことです(60節)。しかし「イエスは神殿を破壊すると脅した」と証言する者がようやく二人見つかりました(61節)。実のところ、その告発は的外れでした。イエス様が言っておられたのは御自分の体である「神殿」についてであり、ユダヤ人たちがそれを破壊することについてだったからです(「ヨハネによる福音書」2章18〜22節)。
「しかし、イエスは黙っておられた。そこで大祭司は言った、「あなたは神の子キリストなのかどうか、生ける神に誓ってわれわれに答えよ」。」
(「マタイによる福音書」26章63節、口語訳)
イエス様が沈黙を守り、偽りの告発に返答なさいませんでした。こうして「イザヤ書」53章7節の預言が成就しました。ついに大祭司はイエス様に誓いを立てるように要求します(63節)。律法によれば、この質問には絶対に答えなければなりませんでした。「レビ記」5章1節には「もし人が証人に立ち、誓いの声を聞きながら、その見たこと、知っていることを言わないで、罪を犯すならば、彼はそのとがを負わなければならない。」とあります。
「イエスは彼に言われた、
「あなたの言うとおりである。しかし、わたしは言っておく。あなたがたは、間もなく、人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。」
(「マタイによる福音書」26章64節、口語訳)
ところが、イエス様は直接的な返答はなさらなかっただけでなく、間もなく御自分が神様の右に座すことになるとも付け加えられたのです(64節)。なお、このイエス様の発言の背景には「ダニエル書」7章13〜14節の「人の子」についての預言があります。たんに御自分がメシアであることを認めるだけだったなら、イエス様の発言はまだ神様への冒涜とはみなされなかったことでしょう。ユダヤ人たちはメシアが神様であるとは想定していなかったからです。しかし、イエス様のお答えは自らを神様と同列に置いたとみなされても仕方がないものでした。それは神様に対する冒涜であると解釈されかねないものだったのです(65節)。そして、神様を冒涜した者は死刑に処せられることが律法で定められていました(「出エジプト記」22章27節(口語訳では28節)、「レビ記」24章11節)。この告発はなんと真実に近く、しかもどれほど真実から遠いものだったことでしょうか。もしイエス様がたんなる人間であったのなら、ユダヤ人の告発は真実であり、その下した判決も適切なものだったとも言えるでしょう。しかし、イエス様は神様の御子であられるがゆえにユダヤ人の告発は全くの偽証だったのです。
「すると、大祭司はその衣を引き裂いて言った、「彼は神を汚した。どうしてこれ以上、証人の必要があろう。あなたがたは今このけがし言を聞いた。あなたがたの意見はどうか」。すると、彼らは答えて言った、「彼は死に当るものだ」。それから、彼らはイエスの顔につばきをかけて、こぶしで打ち、またある人は手のひらでたたいて言った、「キリストよ、言いあててみよ、打ったのはだれか」。」
(「マタイによる福音書」26章65〜68節、口語訳)
大祭司がその衣を引き裂くことは決して許されない行為でした(65節、「レビ記」10章6節および21章10節(「その兄弟のうち、頭に注ぎ油を注がれ、職に任ぜられて、その衣服をつけ、大祭司となった者は、その髪の毛を乱してはならない。またその衣服を裂いてはならない。」))。カヤパは自分がイエス様の返答に極めて深い嫌悪感を覚えたことをこの行為によって表したかったのでしょう。しかし、内心では大いに歓喜していたに違いありません。
死刑宣告の後(66節)、告発者たちはイエス様を嘲笑し始めました(67〜68節)。イエス様の受難の歴史における「矛盾」の一つは、最初に神様への冒涜の罪で冤罪に陥れられたイエス様が、その後一転して「神様の御子」として嘲笑されたことです。「顔につばきをかけ」ること(67節)は、相手に対する最も侮蔑的な行為でした(「申命記」25章9節)。「ヨブ記」30章10節には「彼らはわたしをいとい、遠くわたしをはなれ、わたしの顔につばきすることも、ためらわない。」とあります。
68節はイエス様が一般の人々から「預言者」とみなされていたことを示しています。イエス様の目隠しについてのマルコの記述(「マルコによる福音書」14章65節)をマタイは省いています。しかし、このマルコの記述を踏まえてようやく68節の本当の意味が理解できます。それは、イエス様には目隠しをされたままの状態で御自分を打ちたたいた者が誰であるかを当てることで「神様としての力」を明示する最後の機会が提供されていたということです。しかし、イエス様は御自分が迫害者たちの手から解放されることではなく、ゴルゴタの十字架への道を歩むことを望まれました。イエス様は預言者であられるだけでなく、世の罪を取り除く小羊でもあられたからです。
イエス様を否認するペテロ 26章69〜75節
「ペテロは外で中庭にすわっていた。するとひとりの女中が彼のところにきて、「あなたもあのガリラヤ人イエスと一緒だった」と言った。」
(「マタイによる福音書」26章69節、口語訳)
「ガリラヤ人」(69節)はエルサレムでは蔑称でした。北部のガリラヤ地方の住民はいわば「未開人」と見なされていたからです。
この箇所でペテロの置かれていた状況は次第に険しくなる斜面を登り始める時によく起きることに似ていました。登ろうとすればするほど逆に状況は悪化するばかりで、斜面はますます傾斜を増して険しいものになっていくのです。ぬかるんだ斜面を転がり落ちる雪玉のように、ペテロの状況はひたすら悪化していきました。庭から出て行こうとする試みも(71節)この状況を少しも改善しませんでした。
「この人はナザレ人イエスと一緒だった」と二度目に指摘されたときに、ペテロは「そんな人は知らない」と誓いまで立てて自分がイエス様の弟子であることを否認します(72節)。
「しばらくして、そこに立っていた人々が近寄ってきて、ペテロに言った、「確かにあなたも彼らの仲間だ。言葉づかいであなたのことがわかる」。彼は「その人のことは何も知らない」と言って、激しく誓いはじめた。するとすぐ鶏が鳴いた。」
(「マタイによる福音書」26章73〜74節、口語訳)
ガリラヤ方言は容易に判別できるものでした(73節)。
ペテロは三度目にはとうとう神様まで自分の嘘のために引き合いに出してしまいます。ペテロのユダヤ人としての激しい誓いかた(74節)には、例えば「もしも自分が真実を語っていないなら、自分には天から火が降りかかってくるであろう」というように、偽証に対する神様からの罰を引き合いに出しつつ「自分は絶対に真実を語ることを誓う」という意味合いがあります。口語訳では明示されていませんが、74節のギリシア語原文には「カタテマティゼイン」(不定詞現在形)という「(自らを)呪う」という意味の表現があります。これは現代の私たちが日常会話で悪い言葉遣いをするという類の話ではなく、神様の御名を誤用するという重大な過失にかかわることです。三度もイエス様を公の場で否認した後で、ようやくペテロは自分がかつてイエス様に空約束をしていたことに気づきます(26章33〜35節)。そして、罪を犯した自分が神様から罰を受けるのは当然であることにも気づいたのです。
イエス様が中庭を横切られたとき、ペテロがイエス様を三度否認したまさにそのときに「主は振りむいてペテロを見つめられた」とルカは記しています(「ルカによる福音書」22章61節より)。ペテロに対するイエス様の視線には裁きではなく信仰と悔い改めへの呼びかけが込められていたに違いありません。ヨハネの書き記した興味深い証言によれば、三度目にペテロに質問を投げかけた者はマルコスの親族でした(「ヨハネによる福音書」18章26節の「ペテロに耳を切りおとされた人の親族の者」という記述)。ですから、剣を取ったペテロが大祭司の僕たちに恐れを抱いたのは当然でした。
福音とは「失敗した人々の福音」です。ペテロが三度イエス様を否認したことに対応するかのように、復活なさった後のイエス様は御自分への愛を告白する機会をペテロに対してやはり三度お与えになります(「ヨハネによる福音書」21章15〜19節)。