使徒言行録3章 完全な方向転回

フィンランド語原版執筆者: 
パシ・フヤネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

聖書を読む時には「創世記」や「マタイによる福音書」などそれぞれの書物ごとに分けて読むだけではなく、より大きなまとまりとして捉えたり、さらには全聖書を一度に読み通したりすることもお勧めできる読み方です。そうすることで全体を俯瞰することができますし、異なる様々な出来事の間にある広大な関係性も見えてくるからです。このことはとりわけ旧約聖書に多数含まれている歴史書に当てはまります。しかし、この広く全体を見渡す視点は新約聖書を読む際にも有用です。

「使徒言行録」3章はユダヤ人たちが結局キリストを捨て去ってしまうまでのいきさつの一部を描いています。神様の嗣業の民であるイスラエル民族がどのようにしてメシアに対して徐々に背を向けていくようになったのかについて少しずつルカは叙述を進めていきます。この3章の出来事の舞台となったのはエルサレムの心臓とも言える神殿でした。

生まれながら足の不自由な人がイエス様の御名によって癒される 「使徒言行録」3章1〜10節

前章でペテロはペンテコステの時にイエス様が奇跡を行われたことを改めてイスラエルの民に指摘しました。ここでルカはイエス様に従った弟子たちも奇跡を行なったことを述べています。

「さて、ペテロとヨハネとが、午後三時の祈のときに宮に上ろうとしていると、生れながら足のきかない男が、かかえられてきた。この男は、宮もうでに来る人々に施しをこうため、毎日、「美しの門」と呼ばれる宮の門のところに、置かれていた者である。」
(「使徒言行録」3章1〜2節、口語訳)

ギリシア語原文では「第九時」と書かれていますが、それを私たちの時刻に換算すると「午後三時」になります。この時刻にペテロとヨハネはエルサレムの神殿に祈るために上ろうとしていました。ユダヤ人たちは神殿で日々三つの礼拝の時をもっていました。最初の礼拝は日の出の後まもなく午前六時に、二番目の礼拝は午後三時に、そして三番目の礼拝は日が沈む午後六時に行われました。

ペテロとヨハネがユダヤ人の神殿に祈りに行こうとしていたことからわかるように、はじめの頃はキリスト信仰者とユダヤ人との間には互いに超えられないほどの大きな隔たりはまだ存在しませんでした。ユダヤ人はキリスト信仰者の存在を容認しており、キリスト信仰者のほうでも自分が真のイスラエルであると考えていました。しかし時の経過とともにこの状況は大きく変化し、現在ではユダヤ教とキリスト教は互いを受け入れない別々の宗教になっています。

聖書を読む時には聖書の世界に現代の社会状況をそのまま当てはめて解釈しないように気をつけなければなりません。聖書の出来事が実際に起きた時の社会状況について現在の知見でわかっていることはきちんと把握しておくべきです。当時と現代の間に存在する時代の変遷による変化の度合いは少ない場合もあれば大きい場合もあります。変化の度合いがとても大きい場合に、事件の起きた当時の社会状況は現在と似たようなものであろうと安直に想定すると聖書の記述の意味を誤解することになります。それを避けるためにも、聖書の様々な解説書を通して聖書の時代の歴史について知見を深めることが大切なのです。

エルサレム神殿の門が「美しの門」と呼ばれていた理由はわかりません。おそらくその門は東の壁にあったいわゆるニカノルの門だったと思われます。この門は「異邦人の庭」から「女性の庭」へと通じるもので、その表面が青銅の板で覆われており、それを寄贈したエジプトのアレクサンドリアの富裕なユダヤ人ニカノルの名にちなんで名付けられた門でした。

信仰と癒しのどちらが先に起きたのか?

「美しの門」では生まれながら足の不自由な男の人が物乞いをしていました。ペテロは、物乞いが期待しているような金銀は自分にはないが、それよりもはるかに価値のあるものを自分は持っている、と彼に告げました。

ペテロは彼に健康が回復することを約束し、彼が立ち上がるために手を差し伸べました。すると、その男の人は癒されました。ここで次のような疑問をもつ人がいるかもしれません。彼は癒しの結果として信じるようになったのか、それとも彼は信じたおかげで癒されたのか、という疑問です。次に引用する「マルコによる福音書」3章1〜6節はイエス様が手の萎えた人を癒された出来事について語っています。それは今の箇所とかなり似ているところがあります。

「イエスがまた会堂にはいられると、そこに片手のなえた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、安息日にその人をいやされるかどうかをうかがっていた。すると、イエスは片手のなえたその人に、「立って、中へ出てきなさい」と言い、人々にむかって、「安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」と言われた。彼らは黙っていた。イエスは怒りを含んで彼らを見まわし、その心のかたくななのを嘆いて、その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。そこで手を伸ばすと、その手は元どおりになった。パリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちと、なんとかしてイエスを殺そうと相談しはじめた。」
(「マルコによる福音書」3章1〜6節、口語訳)

これら二つの出来事の記述に基づいて言えることは、信仰と癒しのうちのどちらが先に起きたのかは決定できないということです。癒しは信仰を強めました。しかしその一方で、癒しは信仰を前提としていました。

私たち人間はいつでもすべてのことについて確定できるとはかぎりません。神様の働きかけは時として私たちに対して隠されたままになることもあるのです。

はたして今日でも聖書に出てくるのと同じような癒しの奇跡は起こるのでしょうか。自分が奇跡的に癒されたと確信している人もいれば、万事は理性で説明可能だと考えている人もいます。さらにまた、神様は人間に医学や薬を与えられたのだから癒しの奇跡はもう必要ではなくなっている、と主張する人もいます。

この問題を考える時に出発点とすべきなのは、天地の造り主なる神様は被造物なる私たち人間を癒すことも癒さないこともおできになる、ということです。また神様はどのように癒しが行われるべきかをも御自分で決めることができます。神様が今日も奇跡を行われることを禁じるのは人間にはできません。とはいえ、私たちが奇跡ばかりに気を取られるのもよいことではありません。キリスト教以外の様々な宗教でも奇妙な出来事や現象はしばしば起きています。大切なのは、癒しやその他の奇跡などのすべてがイエス様の御名によって起きることです。

「ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。」
(「使徒言行録」3章6節、口語訳)

ペテロが足の不自由な人に約束した尊いものは金銀よりも価値のあるものでした。それはいったい何だったのでしょうか。それは健康ではありませんでした。たしかに彼の健康も回復しました。しかし、彼がいただいた尊いものとはイエス様への信仰でした。イエス・キリストへの信仰はこの世が終わる時にもなくなりません。他のすべてはこの世に取り残されます。しかし、永遠の世界でもその価値を保ち続けるのはキリストへの信仰だけなのです。

海外で伝道している宣教師たちと話をしていると、発展途上国における共同開発事業はまるで水を井戸に運ぶようなものだという話になることがよくあります。これは、現地の人々の生き方は一向に変化しないため問題もまた相変わらずに残り続ける、という意味です。さいわいなことに、現地の人々やその考え方を変えてくれるような共同開発事業も存在します。今も世界中で継続されているキリスト教伝道がそれです。ある国々では人間に害を及ぼすような悪習がキリスト教伝道の影響によって廃れつつあります。しかしそれだけではありません。キリスト教の海外伝道活動は世界中の国の人々を天の御国に通じる唯一の道へと導くという本来の目的を実現するために今も続けられているのです。

奇跡は奇跡のために起こるのではない 「使徒言行録」3章11〜26節

「もしもこういう奇跡が起きたなら私も信じるようになるのだけれど!」などという意見を度々耳にします。しかし、このような人間の条件付き約束に対しては慎重な態度をとるべきです。仮にそのような奇跡が起きたとしても、それに何らかの合理的な説明が加えられ、人に信仰が生まれるには至らないことがしばしばあるからです。イエス様は例えば「ルカによる福音書」16章の金持とラザロの話で、たとえ死者の中から人がよみがえったとしても、不信仰な人々にとってはそれさえも決して十分な奇跡とはならないことを教えておられます(「ルカによる福音書」16章31節)。

ルカが「使徒言行録」で使徒たちの行った奇跡を描写しているのは、彼らの行いがいかに偉大なものだったのかを読者に語り聞かせるためだけではありません。ルカは奇跡が起きた際に使徒たちが行った説教の内容についても忘れることなく述べています。奇跡を通してキリスト教に関心を持った聴衆に対して、使徒たちは福音を宣べ伝えたのです。「使徒言行録」3章のこの箇所もそのような例になっています。

現代のキリスト信仰者はイエス様を伝える可能性が目の前に開かれたときに、はたしてその機会を正しく利用することができているでしょうか。あるいは、私たちは自分でこのような機会をつくることができるのでしょうか。パウロは同僚のテモテに、時が良くても悪くても人々の前に出て福音を宣べ伝えるように奨励しました(「テモテの第二の手紙」4章2節)。これは福音伝道のやりかたが適切かどうかは二の次であるという意味ではもちろんありません。もしも誰かが苦難の最中にあってもなお神様を証する者として伝道する力を得たのなら、それは神様からの大いなる賜物です。

足の不自由な人が癒された出来事に人々は皆ひどく驚いて「ソロモンの廊」と呼ばれる柱廊にいたペテロとヨハネたちのところに急いで集まってきました(3章11節)。「ソロモンの廊」はエルサレム神殿の東側、異邦人の庭にあるニカノルの門の近くにありました。エルサレムに上られたイエス様はその場所で民衆に教えたことがあります(「ヨハネによる福音書」10章23節)。そこは最初の頃のキリスト信仰者たちの集まる場所でもありました。

「そのころ、多くのしるしと奇跡とが、次々に使徒たちの手により人々の中で行われた。そして、一同は心を一つにして、ソロモンの廊に集まっていた。」
(「使徒言行録」5章12節、口語訳)。

ペテロは説教でふたたび旧約聖書の箇所を多く引き合いに出しました。今回はそれによって、イエス様こそは神様が旧約聖書で約束されたメシアであることを証明するためであり、また人々がそれを信じて人生の方向転換をするように促すためでした。

今回もペテロはユダヤ人たちにとって不都合な真実について黙ることはありませんでした。それは、神様によって遣わされた救い主を捨てて十字架刑で殺すように要求したのはほかでもなく彼らだったということです。そればかりか、彼らはイエス様を殺す代わりに殺人者バラバの釈放をも要求したのです。しかし、このようなことを彼らが行ったのは、自分たちが何をしているか自覚がなかったからであり、イエス様が旧約聖書に約束されていたメシアであることを信じていなかったからでした。無知のゆえに行った彼らの罪は赦されました。しかし、その罪も帳消しにされる必要がありました。これは旧約聖書の「民数記」15章22〜24節にも記されています。また、十字架上でのイエス様の次の祈りをここで思い起こしましょう。

「さて、イエスと共に刑を受けるために、ほかにふたりの犯罪人も引かれていった。されこうべと呼ばれている所に着くと、人々はそこでイエスを十字架につけ、犯罪人たちも、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。」
(「ルカによる福音書」23章32〜34節、口語訳)

神様はユダヤ人たちがまちがっていたことをはっきりと示されました。神様がイエス様を死者の中からよみがえらせたことによって、ユダヤ人たちには復活したイエス様に対してどのような態度を取るべきかを再考する機会が与えられたのです。

「アブラハム、イサク、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕イエスに栄光を賜わったのであるが、あなたがたは、このイエスを引き渡し、ピラトがゆるすことに決めていたのに、それを彼の面前で拒んだ。」
(「使徒言行録」3章13節、口語訳)

上の節の中の「その僕イエス」の「僕」はギリシア語で「パイス」といって「息子」とも訳せる言葉です。「御子」という表現は新約聖書では広く使用されていますが、「僕」という訳語にも旧約聖書に基づく根拠があります。「主の苦難の僕」について語っている「イザヤ書」53章は旧約聖書で最大のメシア予言であるとも言えます。このことからも「僕」と「御子」という両方の訳し方が可能であり、しかもどちらの訳語も聖書の他の重要な箇所に基づいていることがわかります。

3章14節には「この聖なる正しいかた」という表現が出てきます。「聖なる」(ギリシア語で「ハギオス」)はイエス様について用いられる呼称のひとつです。例えば「聖者」という言葉を聞くと現代の私たちは頭の上に光輪を乗せて歩き回る修道僧などを連想するのではないでしょうか。このイメージはあながち的外れともいえません。聖書における「聖」とは完全に神様のために選別されていることを意味するからです。例えば、聖なる生活とは神様に完全にお捧げした生き方のことですし、聖なる動物は神様に捧げられた動物のことです。イエス様は聖なるお方です。イエス様は天の御父の御意思をことごとく成就なさったからです。

続いて起きたことは?

この章の出来事は次の章に続きます。ペテロは人々に悔い改めの奨励を与えたところでこの説教を締めくくりました。次の章でペテロの説教がどのような周囲の反応を引き起こしたのかを知ることができます。ふたたび何千人ものユダヤ人がキリスト信仰者になったのでしょうか。それとも何か他のことが起きたのでしょうか。