使徒言行録6〜7章 最初の殉教者

フィンランド語原版執筆者: 
パシ・フヤネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

ディアコニアという職種の誕生 「使徒言行録」6章1〜7節

ルカはこの章で名前が挙げられている七人の男たちをディアコニア(ギリシア語で「奉仕」という意味)専門の教会職員として紹介しているのではありません。それでもこの6章はディアコニアという教会職の誕生を告げていると断言することができます。

ルカによれば、エルサレムの教会にはその最も初期の頃から二つのグループが存在しました。ヘブライ語を話すキリスト信仰者のグループとギリシア語を話すヘレニスト・キリスト信仰者のグループです。前者はユダヤ教からキリスト教に改宗した人々であり、彼らの母国語はヘブライ語の同族語であるアラム語でした。後者もまたユダヤ教からキリスト教に改宗した人々でしたが、彼らの母国語はギリシア語だったのです。

ユダヤ人の植民都市は地中海東部に点在していました。そこに住んでいるユダヤ人は当時のローマ帝国の(とりわけその東部地域での)共通語であったギリシア語を母国語として選択する必要に迫られました。時とともに彼らの一部は父祖の地に帰還しましたが、彼らの母国語はギリシア語のままでした。エルサレムにはギリシア語で礼拝が行われるシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)さえ存在しました。これからわかるように、ギリシア語を母国語とする人々(いわゆるヘレニスト)の数はエルサレムでは決して少なくありませんでした。

エルサレムの教会に生じた問題の一部は教会員たちが話している二つの言語のちがいに由来するものだったと思われます。上記のふたつのグループは互いに異なる言葉を話していたため、別々に集まって活動していたのでしょう。

ヘレニストのグループはもう一つのグループに比べて少なめの経済援助しか受けていないと不満を感じて使徒たちに苦情を言いました。それを受けて使徒たちは教会からの経済援助をヘレニストたちに配る責任者として七人の男を選ぶように次の奨励を与えました。

「そこで、十二使徒は弟子全体を呼び集めて言った、「わたしたちが神の言をさしおいて、食卓のことに携わるのはおもしろくない。そこで、兄弟たちよ、あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判のよい人たち七人を捜し出してほしい。その人たちにこの仕事をまかせ、わたしたちは、もっぱら祈と御言のご用に当ることにしよう」。」
(「使徒言行録」6章2〜4節、口語訳)

上の箇所にある「あなたがたの中から」というのは教会全体ではなくヘレニストたちを指しているものと思われます。5節にある七人の名前をみれば彼らが皆へレニストであったことがわかります。

ディアコニアの職につく者を選ぶ基準は次の三つでした。
1)評判が良いこと
2)御霊に満ちていること
3)知恵に満ちていること

これらの基準は現代でも教会の職を希望する者を採用する試験で使えるものでしょう。また「テモテへの第一の手紙」3章8〜13節もよい参考になります。

ルカの記述で興味を惹くのは「アンテオケの改宗者ニコラオ」(6章5節)です。彼は以前は異教徒でしたが後にユダヤ教徒に改宗したのです。彼は非ユダヤ人として最も早い時期にキリスト信仰者となった人々の一人だったと思われます。とはいえ彼もユダヤ教を経由した上でキリスト教を信じるようになったのです。

ルカは彼ら七人の人物についてほとんど何も書き残していません。ただしピリポ(使徒ピリポとは別の人物)とステパノについては「使徒言行録」を読み進めるとともによりよく知る機会があります。少なくとも彼ら二人は福音伝道者としても活動していたことがまもなくわかります。

「こうして神の言は、ますますひろまり、エルサレムにおける弟子の数が、非常にふえていき、祭司たちも多数、信仰を受けいれるようになった。」
(「使徒言行録」6章7節、口語訳)

ルカはエルサレム神殿の八千人の祭司のうちの多数の者がキリスト信仰者になったと言っていることになります。キリスト教会は元祭司たちに特別な地位を与えませんでした。ユダヤ教では犠牲を捧げる神殿祭司が必要でしたが、キリスト教会ではもうその必要がなくなっていたからです。「ヘブライの信徒への手紙」には次のように書かれています。

「ところが、キリストは、ほんとうのものの模型にすぎない、手で造った聖所にはいらないで、上なる天にはいり、今やわたしたちのために神のみまえに出て下さったのである。大祭司は、年ごとに、自分以外のものの血をたずさえて聖所にはいるが、キリストは、そのように、たびたびご自身をささげられるのではなかった。もしそうだとすれば、世の初めから、たびたび苦難を受けねばならなかったであろう。しかし事実、ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、世の終りに、一度だけ現れたのである。そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである。」
(「ヘブライの信徒への手紙」9章24〜28節、口語訳)

歴史は繰り返す 「使徒言行録」6章8〜15節

「使徒言行録」でのステパノの逮捕と死刑宣告の叙述は福音書でのイエス様の逮捕と死刑宣告の叙述と多くの点で類似しています。誤解や偽りの証言などがその例です。

ステパノの逮捕は大半が捏造された虚偽の告発に基づくものでした。とはいえ、へレニスト・キリスト信仰者たちがエルサレム神殿や律法に対してヘブライ語を話すキリスト信仰者たちにくらべてあまりとらわれない態度をとっており、それは彼らの宣教にもあらわれていたという事実は指摘しておかなければなりません。

ステパノの敵対者は皆ヘレニスト・ユダヤ人でした。彼らに対してヘレニスト・キリスト信仰者たちは福音を宣べ伝えたからです。ステパノはユダヤ教信仰における二つの基本的なルールを破っているという告発を受けました。一つはエルサレム神殿とそこでの礼拝についてであり、もう一つはモーセの律法についてでした。こうして告発者たちは民衆と最高議会内のパリサイ派とを味方に引き込むことに成功しました。

ステパノの主張はイエス様が神殿をきよめられたときになさった次の教えに基づいていました。

「さて、ユダヤ人の過越の祭が近づいたので、イエスはエルサレムに上られた。そして牛、羊、はとを売る者や両替する者などが宮の庭にすわり込んでいるのをごらんになって、なわでむちを造り、羊も牛もみな宮から追いだし、両替人の金を散らし、その台をひっくりかえし、はとを売る人々には「これらのものを持って、ここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな」と言われた。弟子たちは、「あなたの家を思う熱心が、わたしを食いつくすであろう」と書いてあることを思い出した。そこで、ユダヤ人はイエスに言った、「こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せてくれますか」。イエスは彼らに答えて言われた、「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」。そこで、ユダヤ人たちは言った、「この神殿を建てるのには、四十六年もかかっています。それだのに、あなたは三日のうちに、それを建てるのですか」。イエスは自分のからだである神殿のことを言われたのである。それで、イエスが死人の中からよみがえったとき、弟子たちはイエスがこう言われたことを思い出して、聖書とイエスのこの言葉とを信じた。」
(「ヨハネによる福音書」2章13〜22節、口語訳)

人間の救いに関して律法と神殿の役割を無視するステパノの考え方は、ユダヤ人たちにとってはあまりにも革新的すぎたのです。

「使徒言行録」6章9節に出てくる「いわゆる「リベルテン」の会堂に属する人々」は、ポンペイウスによって紀元前60年代に奴隷としてローマに連れて行かれ、その後自由の身となったユダヤ人たちの子孫のことです。紀元前60年代にローマは地中海東部を帝国の領土に加えました。それに伴い、ユダヤ民族はその約100年前にマカバイ戦争で勝ち取った独立を失うことになりました。

イエス様においてその頂点を迎えるイスラエルの歴史 「使徒言行録」7章1〜53節

ステパノは自己弁論の機会を与えられました。しかし、このステパノの最終弁論は新約聖書における最長の説教であり、ステパノの弁論を聞いている人々を批判する内容になっています。

ステパノの説教の中心にあるのは明らかにイエス様とその贖いの御業です。ステパノは自分に向けられた告発を正面から否定することよりもむしろ告発者たちにイエス様への信仰が与えられることを望みました。

ステパノはイスラエルの歴史の大まかな流れを復習することで説教を始めました(2〜43節)。そして彼に向けられた告発と同じ種類の告発(すなわちステパノの尋問者たちこそ偽りの礼拝をして律法を破っているという告発)を逆に行うことで彼はこの長い説教を締めくくります(44〜53節)。

ステパノの説教にはイエス様についての言及がたくさん含まれていることが容易にわかります。例えばステパノが説教でとりあげた人物たち、すなわちユダヤ人の祖先アブラハム(2〜8節)、兄弟に見捨てられ異邦人の手に渡ったものの後にイスラエルの民の窮状を救うことになるヨセフ(9〜16節)、イスラエルの民から繰り返し反発を受けながらも彼らの一部を約束の地へと導いたモーセ(17〜43節)などは皆、実はイエス様とその活動の予型となっているのです。

ステパノは旧約聖書の歴史には次の三つの層があることを示したと言うことができます。
1)神様の啓示の歴史(2節)
2)救いの歴史
3)堕落の歴史

これら三つの層はそのすべてがイエス様において頂点に到達します。神様はイエス様において御自分を最も深いやりかたで啓示なさったのです。イエス様は長い間その到来が待たれていたすべての民のための救いとなられました。しかしそれと同時にイスラエルの堕落もまた最も深刻な状態に陥りました。彼らはメシアであられるイエス様を受け入れようとはしなかったからです(52節)。ユダヤ人たちは自己流に神様を礼拝しようとしたために何度となく神様の御意思を破る罪を繰り返すことになりました。

ステパノは説教の何箇所かで、あたかも聴衆を名指しするかのように、彼らは今、祖先と同じまちがいを反復しようとしていると警告します。次にイスラエルの民がこれまで繰り返してきた過誤を列挙してみます。

1)エジプトに住んでいたイスラエルの民はモーセを受け入れようとしなかった(35節)。

2)モーセは自分がイスラエルの民から受けたのと同じような仕打ちを来るべきメシアも受けることになるという点でメシアが自分と似ているであろうと予言した(「ヨハネによる福音書」6章1〜15節も参照のこと)。

3)神様はすでに以前からイスラエルの民をその不信仰のゆえに拒絶するほかなかった(43節)。

4)ステパノの告発者たちは父祖の悲惨な堕落と神様への反抗を続けている。彼らはたしかに外面的にはユダヤ人だが、心の内では神様の御意思に反逆する異邦人に等しい(51節)。

ステパノに向けられた告発は二つありました。エルサレム神殿とモーセの律法を侮り軽んじたという告発です。これらの告発をステパノはそのまま告発者に次のように返しています。

1)イスラエルの民はたしかに外面的には神様を礼拝してきたが、心の内では自分で勝手に選んだ偶像を礼拝してきた(39〜50節)。

2)イスラエルの民は律法も守らなかった(53節)。

3)神様に対するユダヤ人たちの叛逆はイエス様を殺したときに最悪の形であらわれた(52節、なお「使徒言行録」5章28節も参照のこと)。

このような説教をした以上、ステパノが5章での使徒たちのように無罪放免されるようなことはありえませんでした。彼が最初の血の証人、殉教者となる時が近づいてきました。

ステパノの石打ち 「使徒言行録」7章54〜60節

「人々はこれを聞いて、心の底から激しく怒り、ステパノにむかって、歯ぎしりをした。しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えた。そこで、彼は「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」と言った。」
(「使徒言行録」7章54〜56節、口語訳)

ステパノの見た幻はそれを聞いたユダヤ人たちをなおいっそう怒りに駆り立てました。ステパノの幻の中でイエス様は神様の右の座に立っておられました。このことからもわかるように、イエス様こそが旧約聖書でその到来を約束されていたメシアであり、神様が栄光の中へと高く上げてくださったお方なのです(56節)。これは新約聖書でイエス様以外の者がイエス様のことを「人の子」と呼んでいる唯一の箇所です。

ユダヤ人たちはステパノがエルサレム神殿と律法を軽んじたばかりではなく神様を侮辱する罪も犯したと断定しました。律法によれば神様を侮辱した者に対しては死の宣告というただ一つの罰しか選択肢がありませんでした(「申命記」17章1〜7節)。当時のユダヤの支配者であったローマ人はユダヤ人たちから死刑宣告を下す権利を剥奪していました(「ヨハネによる福音書」18章31節)。しかし、ステパノのケースではこれは一切無視されました。ステパノを尋問した人々は叫んで耳をふさいでステパノの「神様に対する侮辱」の言葉を聞くまいとし、彼を市外に引き出して石で打ち殺しました(56〜58節)。彼らは次の律法の規定をステパノに適用したのです。

「あの、のろいごとを言った者を宿営の外に引き出し、それを聞いた者に、みな手を彼の頭に置かせ、全会衆に彼を石で撃たせなさい。」
(「レビ記」24章14節、口語訳)

最初の証人のやるべきことは死刑の宣告を受けた者を崖から突き落とすことでした。第二の証人のやるべきことは最初の石を彼に投げつけることでした。モーセの律法によれば、死刑の宣告をするためには少なくとも二人の証人が必要とされました。

「ふたりの証人または三人の証人の証言によって殺すべき者を殺さなければならない。ただひとりの証人の証言によって殺してはならない。」
(「申命記」17章6節、口語訳)

まさに死なんとする時にステパノは十字架上のイエス様と同じように振る舞いました。ステパノの祈った言葉もゴルゴタでイエス様が祈った内容と同じものでした。ステパノの59節の祈り(「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい」)は「ルカによる福音書」23章46節のイエス様の祈り(「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」)に、また、ステパノの60節の祈り(「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」)は「ルカによる福音書」23章34節のイエス様の祈り(「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」)にそれぞれ呼応しています。

ステパノの59節の祈りは復活されたイエス様に向けられた新約聖書での最初の祈りです。キリスト教信仰の最初の頃からイエス様は信仰者たちが礼拝を捧げる主であり祈りを聴いてくださる主だったのです。

「使徒言行録」のもう一人の主人公について

59節には「使徒言行録」ではじめてタルソ人サウロが登場します。彼は後にキリスト信仰者パウロとなる人物です。ルカは巧みな叙述によってパウロをこのタイミングで読者に紹介していることになります。もっともこの時点でのルカのパウロへの言及はとても短いものでした(7章58節と8章1〜3節)。ルカは9章(1〜30節)と11章の後半(22〜30節)でふたたびタルソ人サウロの生涯の叙述に戻りますが、パウロに特化した記述は本格的には13章からはじまります。そしてそれ以後の「使徒言行録」ではまさに彼が主人公的存在となります。

ちなみにパウロのヘブライ語名サウロは旧約聖書に出てくるイスラエルの初代の王サウロと同じ名前です。