使徒言行録1章 「くじ」に当たったマッテヤ

フィンランド語原版執筆者: 
パシ・フヤネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

「ルカによる福音書」の続きとして 「使徒言行録」1章1〜3節

「テオピロよ、わたしは先に第一巻を著わして、イエスが行い、また教えはじめてから、お選びになった使徒たちに、聖霊によって命じたのち、天に上げられた日までのことを、ことごとくしるした。イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、四十日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた。」
(「使徒言行録」1章1〜3節、口語訳)

「ルカによる福音書」と「使徒言行録」というルカによる二つの歴史書は高位の立場にあるテオピロという人物に献呈されています。「テオピロ」という名前にはギリシア語で「神様を愛する」とか「神様に愛される」という意味があります。ちなみにそれをラテン語に直せば「アマデウス」になります。名前の意味からして「テオピロ」は本名ではなく仮名あるいは愛称だったのではないかと推測する研究者たちもいます。しかし、たとえそれが本名であろうと愛称であろうと、ルカの歴史書を献呈された人物について私たちは何も知らないことには変わりありません。

古典古代では書物を献呈された人物は著者を経済的に支援したり、多くの場合には書物の写しを作って広めたりする責任ももっていました。テオピロは「ルカによる福音書」と「使徒言行録」の出版者のような存在であったとは言えるかもしれません。

聖霊様についての約束 「使徒言行録」1章4〜5節

イエス様は弟子たちを彼ら自身の力や武器によって世界を征服するためにお遣わしになったのではありません。助け主であり導き主である聖霊様を賜ることを弟子たちに約束してくださったのです。聖霊様を待ちながら弟子たちは数日間エルサレムに滞在しなければなりませんでした。

イエス様の復活から40日間が経ち、ペンテコステまであと10日間になりました。ペンテコステにあたる時期にユダヤ人は七週の祭りを過ごします。これはユダヤ人の三大祭りのひとつです。神様による人類の救いの歴史の最終段階が今はじまろうとしていました。

天に挙げられるイエス様 「使徒言行録」1章6〜11節

「さて、弟子たちが一緒に集まったとき、イエスに問うて言った、
「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。」
(「使徒言行録」1章6節、口語訳)

イエス様の伝道活動に従ってきた弟子たちも今や新たな段階がはじまろうとしていることに気づきました。だからこそ彼らは、イエス様が王となられるのは今なのですか、とイエス様に尋ねたのです。

旧約聖書のメシア予言はしばしば「王」について言及しています(例えば「詩篇」2篇)。そういうこともあってイエス様の時代のユダヤ人たちは敵の手から彼らを解放してくれる「メシア王」を待望していたのです。次の「ヨハネによる福音書」の箇所からもそれがわかります。

「人々はイエスのなさったこのしるしを見て、「ほんとうに、この人こそ世にきたるべき預言者である」と言った。イエスは人々がきて、自分をとらえて王にしようとしていると知って、ただひとり、また山に退かれた。」
(「ヨハネによる福音書」6章14〜15節、口語訳)。

イエス様がこの地上で生活しておられた時に弟子たちもイエス様が本当に神様の約束されたメシア王なのかどうかという疑問にとらわれていました。次の「マタイによる福音書」の箇所でペテロは「メシア」(すなわちキリスト)についてまちがったイメージをもっていたことをイエス様に厳しく諌められています。

「この時から、イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた。すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめ、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません」と言った。イエスは振り向いて、ペテロに言われた、「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。」
(「マタイによる福音書」16章21〜23節、口語訳)。

棕櫚の主日にイエス様がロバに乗ってエルサレムに入城なさった時、民衆のメシア待望の機運は最高潮に達しました(「マタイによる福音書」21章1〜11節)。そのこともあって、イエス様が王座につくどころか聖金曜日にゴルゴタの丘で二人の死刑囚と共に十字架にかけられた時の弟子たちの失望は非常に大きいものでした。しかし、福音書の続編とも言える「使徒言行録」はイエス様が実際にメシア王となられたことを叙述しているという見方もできるでしょう。

いつ王となられるのか、という弟子たちの質問に対して、天の御国は終わりの時すなわち自分がふたたびこの世に来る時になってようやく実現する、とイエス様はお答えになりました。

「その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。」
(「マタイによる福音書」24章36節、口語訳)

この節からもわかるように、たとえ「自分は世の終わりの時を正確に予言できる」と主張する者が現れたとしても私たちは何も心配する必要がありません。そのような言説はすべて虚言だからです。異端教師にしばしばみられる特徴のひとつとして、神様が聖書を通して啓示なさっている事柄よりも多くのことを自分がまるで知っているかのように誇張する傾向があることを挙げることができます。

実際には、私たち人間全員の人生の日々すべては神様の御手のうちにあります。

最初期のキリスト教会の状態 「使徒言行録」1章12〜14節

「それから彼らは、オリブという山を下ってエルサレムに帰った。この山はエルサレムに近く、安息日に許されている距離のところにある。彼らは、市内に行って、その泊まっていた屋上の間にあがった。その人たちは、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党のシモンとヤコブの子ユダとであった。彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた。」
(「使徒言行録」1章12〜14節、口語訳)

「オリブという山」はエルサレムから約3キロメートルのところにありました。イエス様が天に挙げられた後、弟子たちはエルサレムに戻り、ひたすら祈りを捧げていました。

120人ほどいたイエス様の弟子たちは次の三つのグループに分けることができます。

1)11人の弟子(使徒たち)

2)イエス様が地上で公に活動なさっていた時期にイエス様につき従い福音を広めるために尽力した女たち(「ルカによる福音書」8章1〜3節) 

3)イエス様の家族すなわちイエス様の真のお姿を自分の目で見たイエス様の母マリアや弟たちや妹たち(「ヨハネによる福音書」7章5節によれば実の兄弟たちもはじめはイエス様を信じていませんでした。)

上記の三つのグループに加えて、イエス様につき従った他の人々もイエス様の弟子のグループに含まれていました。

「使徒言行録」からは最初期のキリスト教会の状態についての貴重な情報を得ることができます。一般的な傾向として上掲の一番目のグループばかりが理想化されがちです。11弟子すなわち使徒たちの時代にはすべてが順調で何の困難もなかったなどと言われることもありますが、「使徒言行録」は御霊による大いなる御業についても「魂の敵」すなわち悪魔の数々の策略についても明確に述べています。悪魔は神様の教会に常につきまとい撹乱しようと画策するからです(例えば「使徒言行録」5章1〜11節のアナニヤとその妻サッピラなど)。

イスカリオテのユダの末路 「使徒言行録」1章15〜20節

イスカリオテのユダはわれ知らずかつてダヴィデの宣べた予言を成就してしまうことになりました。それは、メシアの近しい友人がメシアを裏切ることになるという予言です。

「わたしの信頼した親しい友、
わたしのパンを食べた親しい友さえも
わたしにそむいてくびすをあげた。」
(「詩篇」41篇10節、(口語訳では9節))。

自分の密告のせいでイエス様が殺されたことに気づいたユダは密告で得た銀貨30枚を神殿に投げ入れて返還した後で自殺しました。祭司長たちはその金によって外国人の墓地用として陶器師の畑を買い入れました(「マタイによる福音書」27章3〜10節)。こうして旧約聖書の次の予言もまた実現することになりました。

「主はわたしに言われた、
「彼らによって、わたしが値積られたその尊い価を、宮のさいせん箱に投げ入れよ」。わたしは銀三十シケルを取って、これを主の宮のさいせん箱に投げ入れた。」
(「ゼカリヤ書」11章13節、口語訳)

ユダが金を返還し自らの行いを悔いました。ユダの本来の目的はイエス様を裏切ることでイエス様を援助することにあったと推測する研究者もいます。それによると、イエス様がローマに対する反乱を起こすことができそうもなくそのせいでイエス様が王権を獲得するのも遅れることを察知したユダは反乱と王権奪取を加速するためにイエス様をあえてローマの軍隊と対峙させ、イエス様がその力を存分に発揮できる機会を設けたというのです。

たしかにこの仮説はなかなか魅力的ではあります。しかし、ユダが密告で得た金を神殿に返還したのは、彼が自分のしでかした罪のあまりの重大さに気がついて後悔の念に駆られてとった行動であったとするのが自然な解釈ではないでしょうか。

欠けた一人の使徒を補充する必要性 「使徒言行録」1章21〜26節

「使徒言行録」1章20節でペテロは「詩篇」109篇8節にある予言(「その日を少なくし、その財産をほかの人にとらせ、」)に言及し、いなくなったユダの代わりに新たな弟子を選出するべきであると言いました。しかし、そもそもなぜ12弟子のグループは「12人」でなければならなかったのでしょうか。

その理由はおそらくペンテコステの出来事にありました。その時に「新しいイスラエル」が誕生し、神様に新しく選ばれた民、すなわちイエス様こそがメシアであり神様の御子であると信じる人々が生まれたのです。旧約時代の族長イスラエル(すなわちヤコブ)には12人の息子がいました。それと対応して、神様に選ばれた御民には12の部族ができました。同様に、新約時代の始まりにあたって12人の「族長」にあたる使徒が必要とされたのです。とはいえ、この後には使徒のグループが補充されることはありませんでした。例えばエルサレム教会の指導者ヤコブが殺害された後で彼の後継者が使徒として新たに選ばれることはありませんでした(「使徒言行録」12章1〜4節)。

新しく選ばれる使徒は洗礼者ヨハネの洗礼の時以来ずっとイエス様につき従っていた弟子たちのうちの一人でなければなりませんでした。そのために二人の候補者が立てられ、祈りとくじによってマッテヤが選ばれました。

くじを引くことは神様の御心にかなう決定を見出すための方法の一つでした(「箴言」16章33節)。「くじを引く」というやりかたは他の諸宗教でも用いられているものです。しかし「使徒言行録」のケースではくじを引く前に祈りが捧げられた点に注目するべきでしょう。私たちは神様による導きをお願いするときに、くじを引くことやしるしを求めることにばかり任せることはできません。神様は御言葉を通して私たちに語りかけたり私たちと話し合ったりすることを望まれているのです。

もう一人の候補者であった「バルサバと呼ばれ、またの名をユストというヨセフ」(1章23節)は今回使徒にこそ選ばれませんでしたが、神様は彼にも何か他の大切な使命を与えてくださったことでしょう。私たちもまた「キリストの身体」すなわちキリスト教会において自分にちょうど合った場所を見つけるべきです(「ローマの信徒への手紙」12章、「コリントの信徒への第一の手紙」12章)。人は自分の場所を見つけた後では他の人のことを羨んだり妬んだりする理由もなくなるものです。また、自分がそこにいるのが本来の目的にかなっているような場所にいる人だけが真に自由であるとも言えるでしょう。