ヨハネによる福音書13章 神様の僕として

フィンランド語原版執筆者: 
エルッキ コスケンニエミ(フィンランドルーテル福音協会、神学博士)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

13章からは受難週の重要な出来事の描写に移ります。

「ヨハネによる福音書」には、多くの点で他の三つの福音書とは異なる独自の特徴がありますが、ここではとりわけ次の二つの点に注目したいと思います。イエス様が十字架にかかった日時の問題と、聖餐式の設定についてです。

「ヨハネによる福音書」も他の三つの福音書も、イエス様は金曜日に十字架にかけられた、と報告しています(「マルコによる福音書15章42節」、「ヨハネによる福音書」19章31、42節)。それに対し、過越しの祭がいつであったかについてこれらふたつの間には違いが見られます。三つの福音書は、イエス様と弟子たちが過越しの食事をしたと伝えています(「マルコによる福音書」14章12~17節)。それに対して、「ヨハネによる福音書」は、ユダヤ人たちは過越しの食事をするための準備をしているところであった、と報告しています(「ヨハネによる福音書」18章28節)。

考えられる説明は次のとおりです。イエス様の時代のユダヤ教は、すべてにおいて一つの権威の下に画一化されたものではなく、多くの点で多様性を孕むものでした。ユダヤの祭についてのカレンダーにも様々なものがありました。イエス様が弟子たちと共に、エッセネ派の祭のカレンダーに従って、サドカイ派の人々よりも一日早く過越しの食事を取った可能性は大いにあります。また、その年には過越しの祭が安息日と重なったため、祭に参加する一部の人々は、安息日に関する律法に違反するのを避けるために、過越しの羊を他の人々よりも早めに食した可能性もあります。

「ヨハネによる福音書」は、聖餐式の設定にはまったく触れずに、イエス様が弟子たちの足を洗った様子について語り始めます。この理由については、長いこと研究がなされてきました。正しいと思われる説明は、上述のことがらとかなりの程度重なり合っています。

「ヨハネによる福音書」は読者がすでに聖餐式の設定について知っていることを前提としている、と考えるのが一番自然な説明です。この福音書の洗礼と聖餐についての語り方は個性的です。それは謎めいていると同時に明瞭でもあります。聖餐式に関しては6章(11節)で、聖餐式の設定辞とほぼ同様の言葉が用いられています。

弟子たちの足を洗うイエス様 13章1~20節

最後の食事の時に、イエス様は御自分を低めて、すべての弟子たちに仕える僕となられました。イエス様は僕の服を着て一人ずつ弟子たちの足を洗っていかれました。

この出来事には二つの大切な意味があります。最後の晩餐で弟子の足を洗うことは、イエス様が弟子たちを倦むことなく愛して面倒を見てくださることを表しています。十字架の影はすでに彼ら小さな群れの上にまで延びてきていましたが、神様の御子は弟子たちに仕えることに疲れ果てたりはなさいませんでした。御自分をこれから裏切ることになる者に対しても、他の弟子たちに対するのと同様に接してくださったのです。太初には栄光に包まれて天国の父なる神様の御許におられたイエス様にとって、他の人々の足を洗うというこの僕の仕事は取るに足らないことではなかったのです。ビザンチン帝国の偉大な詩人だった、ロマノス メロドス(Romanos Melodos)はこの箇所について独自の理解を示し、造り主御自身が被造物たちの前に四つん這いになる有様に天使たちが驚愕した、と語っています。

この出来事のもつもう一つの意味は、イエス様が12~17節に語っておられることです。神様の御子は御自分に属する者たちに対して模範を示されました。一番低い立場の者が行う奉仕の仕事をイエス様が率先して行われた、ということは、イエス様に属する者は、誰であれ、他の人たちを見下して隣り人を助ける仕事から遠ざかるようなことがあってはなりません。神様の御国の「憲法」には、誰も他の人々の主人ではない、ということがあります。重要人物であればあるほど、その人はより謙遜に他の人々に仕える僕であるべきなのです。主が弟子たちの足を洗うことに込められたこのようなメッセージは、今もなおキリストの教会へと発信されています。

「ヨハネによる福音書」は、裏切り者ユダのところで何か特別なことが起こったとは記していません。それに対して、ペテロの場合はただじっと座っていることができなかった様子がよく描かれています。彼は沈黙を破り、イエス様が彼の足を洗うことを拒みました。それに対するイエス様の意味深い言葉は、人が神様の御前でいかなる存在か、をよく示しています。たとえイエス様が自分の足を洗ってくれる行為にどれほど違和感を感じたとしても、もしもキリストがそのように仕えてくださらなければ、人間は誰も神様の御前で耐えることができないのです。この奉仕は、たんに思想や遠い世界のことではなく、実際に触れることができるほど具体的なものです。ペテロの足元で手足をついて奉仕するイエス様は、そのわずか数時間後には鞭打たれて血塗れになり、茨の冠を被せられ、十字架に釘づけになった「主の苦難の僕」と同じ方です。

ペテロは自分の立場をわきまえてはいますが、ここでもまた例によって子供じみた誤解をしてしまいます。イエス様が彼をたくさん洗ってくれればくれるほどよい、と彼は考えたのです。イエス様の言葉はキリスト教の洗礼を明確に指しています。この言葉が暗示的であり、ある特定の歴史的な状況に直接関係するものであるとはいえ、私たちはそのメッセージを理解することができます。洗礼において、人は「イエス様に結び付けられる」というプレゼントをいただきます。「ローマの信徒への手紙」6章によれば、キリストに結び付けられることは、一方では、洗礼を受けた者に守るべき義務を課すものでもあります。「ヨハネによる福音書」も同様に、キリスト信仰者に与えられる「賜物としてのキリスト」と、キリスト信仰者の「模範としてのキリスト」とを、互いに結び付けて描き出しています。 

この箇所の最後の言葉は、これから起こることを予告するものです。「詩篇」41篇10節の予言が実現しつつあります。中近東の世界では一緒に食事をすることは聖なることがらです。この詩篇は、食事会を催す主人に対して「かかとをあげる」という侮辱的な振る舞いによって、今まで共に会食してきた親密な間柄をいっぺんに台無しにする裏切り者の様子を描いています。ユダはイエス様を裏切ります。しかし、このことを通して二つのことが明らかにされました。神様の聖なる御言葉(旧約聖書)の預言は成就することと、イエス様は予言の成就の前にそれをあらかじめ御自分に属する者たちに説明なさっていることです。それは、イエス様が「私がである(あるいは「存在する」)」、という方であることを彼らが知るためでした。この「私がである(あるいは「存在する」)」(ギリシア語で「エゴー エイミ」)という言葉は、神様が御自分を表すときに用いる表現です。この表現は同じ意味で、たとえば「出エジプト記」3章14節にも出てきます(ヘブライ語で「エヘイェー アシェル エヘイェー」)。

裏切り者の冷や汗 13章21~30節

イエス様が裏切りについて話を続けられるときに、ユダは他の人には想像もつかないようなすさまじい恐怖におそわれたことでしょう。そして、故意に謎めいているともとれる出来事が次に起きます。

ペテロに促されて、イエス様のすぐそばで食事をしていたある弟子が(おそらくは囁くような小さな声で)イエス様に裏切り者の名をたずねます。イエス様は、聞いている者たちがわかるようにはお答えにならず、前項で触れた「詩篇」41篇の内容を告げて実行されます。自分がパンを与える人物こそが裏切り者である、と。こう言われるとすぐ、イエス様はユダヤ人の習慣に従って、ユダにきわめて親密な友好関係を示されました。すなわち、イエス様はパンをソースに浸してユダに差し出されたのです。

イエス様から最も親密な友情を示されたユダは、ついにもはや戻ることができない境界線を越えて行くほかなくなります。サタンがユダを永久に史実に記憶されることになる仕事へと誘惑します。弟子たちはユダの突然の出立の意味をつかみあぐね、金銭を管理していたユダが食事の準備の仕上げのために最後の買い物に行ったとか、過越しの祭の慣習に従って貧しい人々に施しをするために出かけたのだ、と思い込みます。ここにも、イエス様の最後の食事が過越しの食事であったことがみてとれるでしょう。というのは、通常なら、夜には何も買い物ができなかったからです。   ユダは、神様がキリストを通してくださった光を見ることができた弟子たちの群れから離れて、外に出て行きます。「ヨハネによる福音書」がこのシーンを、「夜でした」、という言葉で結んでいるのは、たんなる偶然ではありません。

ユダが最終的に道を踏み外すシーンには、「イエス様が愛しておられた弟子」と呼ばれる謎めいた人物が登場します。イエス様が納められていたはずの空の墓に向かって走るときもそうでしたが(20章1~10節)、いつでも彼はペテロより少しばかり先を行っています。 この過越しの食事でも、彼はイエス様のすぐ隣りという光栄な席を占めています。イエス様が十字架にかかられたとき、彼にはイエス様のそばに来てその死を証する勇気がありました。また、死の直前にイエス様は御自分の母親の世話を彼にゆだねておられます(21章7節)。彼はいったい誰なのでしょうか。

この人物を特定するのは、そう難しいことではありません。最後の晩餐の時に臨席していたのは、十二弟子だけでした。彼らのうち、漁をしていて、復活したイエス様と出会う場に居合わせた弟子たちは、7人だけでした(21章)。もちろん、その中からペテロは除外できます。1章35~40節で、ヨハネの二人の弟子のうちの一人の名が記されていないことは、注目に値します(もう一人は、ペテロの兄弟のアンデレでした)。このことと、教会に古くから伝えられてきた伝承とによれば、イエス様から愛された弟子とは、ゼベダイの子、ヨハネであったと推定されます。

十字架へと続く道 13章31~38節

ユダがなすべきことを実行するために出て行ってしまうと、イエス様はもはや後戻りができなくなりました。目前に迫っているのは受難の道であり、その終点には十字架があります。この苦しみの道で、御子は御父の栄光で輝き、その光を周囲に示します。そしてその輝きを、イエス様の 愛情あふれる温かい言葉によって、御自分に属する者たちに伝えてくださいます。イエス様は弟子たちに、「子たちよ」(ギリシア語で「テクニア」)、と呼びかけられます。これは小さな子どもに対して用いられる言葉で、新約聖書では「ヨハネの第一の手紙」2章1、12、28節のみにあらわれる表現です。それは、イエス様が御自分に属する者たちに、その所属のしるしとして与えてくださる「神様の愛」を反映しています。

イエス様は、これから赴かれる道を目の前にはっきりと見据えておられます。ペテロの置かれた状況は、それとはまったく異なっていました。彼はこれから起ころうとしていることを知らず、イエス様の歩まれようとしている道のことも知らず、自分自身がどうなるかということさえ知りませんでした。このように、神様の御子は、御父から託された使命を実現なさるときには、人間の助けなどは借りずに、まったく一人でそれを行われるのです。