マタイによる福音書9章 イエスの反対者たちが出てくる
中風患者の癒し 9章1〜8節
「さて、イエスは舟に乗って海を渡り、自分の町に帰られた。すると、人々が中風の者を床の上に寝かせたままでみもとに運んできた。イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ」と言われた。」
(「マタイによる福音書」9章1〜2節、口語訳)
ここでイエス様はゲネサレ湖の東側から新しい故郷であるカペナウムへと戻られます(1節)。
マタイはここでも出来事を非常に簡潔に語っているので、状況をよりよく理解するためにはマルコとルカの該当箇所の記述(「マルコによる福音書」2章1〜12節、「ルカによる福音書」5章17〜25節)と合わせて読むとよいでしょう。「四人の人」(「マルコによる福音書」2章3節)が友人をイエス様の御許に連れて行こうとしましたが、大勢の群衆がイエス様のおられた家の中に入るための妨げとなっていました。それで、彼らは家の屋根に登ってイエス様のおられるあたりの屋根を外して中風の者を寝かせたままその寝床をつりおろし、イエス様の前に横たわらせました。
2節の「彼らの信仰」という表現に注目してください。もちろんそれは病者自身の信仰と彼の友人たちの信仰の両方を指していました。イエス様の御許に行くことが思いのほか簡単ではない時にこそ、よりいっそう多くの信仰が必要とされたのです。
この箇所はルター派の洗礼理解にとっても重要です。ルター派の教会では、洗礼を受ける人が幼い子ども(乳幼児など)の場合には、子ども自身の口による信仰告白は要求されません。その子どもが両親や教保たち(その子の信仰者としての成長を祈りなどにより補助していく役目を引き受けた証人たち)の信仰によって、その子が洗礼を通して自分が「神様の子ども」とされたことの意味について少しずつ理解を深めていき、「神様の子ども」にふさわしい生活を送れるように成長していくことを神様に信頼して委ねつつ、その子に洗礼が授けられるのです。このようにルター派は「幼児洗礼」を(人が大人になってから初めて受ける洗礼と全く同様に)真の洗礼としてとても大切にしています。
ここでの出来事で、イエス様はその病人を癒すことからは始めずに、まず病人の罪が赦されたことを宣言なさいました(2節)。罪の赦しの宣言をイエス様からいただけることはその病人にとってもちろん癒しよりもはるかに大切なことでした。罪の赦しはこの世の人生だけでなく来るべき世での生きかたにも関わるものだったからです。
「あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。」
(「マタイによる福音書」9章5節、口語訳)
5節のイエス様の質問は「病気」というものに対する当時のユダヤ人たちの考えかたに向けられています。彼らは人が病気に罹ったのはその人自身の罪のせいであると考えたのです(「ヨハネによる福音書」9章1〜2節も参照してください)。それゆえ、病気の癒しは罪の赦しを受けた後にのみに可能とされました。そしてユダヤ教では罪の赦しはある種の「犠牲」を捧げることに関連付けられました。
ここでイエス様は「病気の癒しと罪の赦しとではどちらのほうが本当に実現したことを証明するのが簡単なのか」という質問をなさったのです。地上にいる誰ひとり罪の赦しを目で見ることはできません。しかし、ユダヤ人たちの教えによれば、もしも人が癒されたのなら、その人の罪も赦されたことになる、とされていました。
それゆえ、イエス様は結局、病気の癒しと罪の赦しの両方を行われることになりました。5節でイエス様が特に「言うこと」を強調しておられる点に注目してください。神様であられるイエス様は何事であれ同じように容易に行うことができます。しかし、ここでは聴衆や目撃者たちが目の前で起こった癒しの出来事を通して、イエス様の言われたことを理解して他の人々に証することが(そうしようと思えば)できるような状況になっていました。
「群衆はそれを見て恐れ、こんな大きな権威を人にお与えになった神をあがめた。」
(「マタイによる福音書」9章8節、口語訳)
律法学者たちは群衆とともに神様の御業に驚嘆し賛美を捧げる代わりに(8節)、「神様を冒涜している」とイエス様を非難し始めました(3節の「この人は神を汚している」という断定)。「イエスは瀆神の罪を犯した」という糾弾がここで始まります。この糾弾は最終的には聖金曜日でイエス様に死刑を宣告する際の根拠とされます(26章65〜66節)。
ある意味で律法学者たちは正しかったとも言えます。罪を赦せるのは神様だけだからです。しかし、彼らはイエス様が神様御自身であり地上でも神様の権威を用いて行動できることをまったく理解していませんでした。彼らは真理にいったん近づきましたが、それでもやはり真理から遠すぎたのです。このような現象はさまざまな異端についても起きることです。それらは真理に近くはあるのですが近いだけにとどまり、真理そのものには決して到達できません。
ここでイエス様の行動が激しく糾弾された最大の原因が「罪の赦し」であったことに注目しましょう。イエス様による奇跡については、結局そのおかげで人々が具体的に助けられる場合が多かったので、律法学者たちはまだどうにかそれを我慢して受け入れることもできました。それに対して、「罪の赦し」は神様の専権事項であったため、イエス様がこの領域に足を踏み入れたことを彼らは問題視したのです。
4節で、イエス様が敵対者の心の奥底まで見抜いておられたことに注目してください(「なぜ、あなたがたは心の中で悪いことを考えているのか。」)。何事も神様からは隠されたままでは済みません。例えば「ヘブライの信徒への手紙」4章13節には「そして、神のみまえには、あらわでない被造物はひとつもなく、すべてのものは、神の目には裸であり、あらわにされているのである。この神に対して、わたしたちは言い開きをしなくてはならない。」とあります。
「しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と言い、中風の者にむかって、「起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。すると彼は起きあがり、家に帰って行った。」
(「マタイによる福音書」9章6〜7節、口語訳)
「床」(6節)は今でいう「ベッド」よりもむしろ「担架」のようなものでした。癒された病人はその床を丸めて小脇に抱えて家に持ち帰ったのです。私たちが聖書を読むときには、この「床」の例だけにかぎらず当時の習慣や文化が私たちの時代の習慣や文化とはかなり異なっていたことを心に留めておく必要があります。
敵対者たちはイエス様が行われた奇跡をもはや否定できなくなったため、今度は「イエスが神の敵対者と結託している」と非難し始めました(34節および12章22〜32節も参照してください)。
マタイを弟子として召される 9章9〜13節
ダマスコから地中海沿岸に至る重要な道路が通っていたカペナウムという町には税関が設けられていました。
ローマ人は関税の徴税権を競売にかけました。このやりかたには競売に勝ち徴税権を獲得した取税人が貪欲に税の不正徴収を行う機会を与えやすいという問題点がありました。取税人たちは徴収した税金からローマ帝国に一定の金額を支払わなければなりませんでした。しかし、残った税金は自分の「給料」にできたのです。それゆえ、彼らには規定以上の額の税金を人々から不正に徴収するという誘惑が生じました。
取税人は次の三つの理由でユダヤ人たちからひどく嫌われていました。
1)彼らはユダヤ人の土地の占領者であるローマ軍の手先になっている
2)彼らは安息日の律法規定に明らかに従っていない
3)彼らの仕事はさまざまな(律法的に)「汚れた物」を扱わなければならなかった
この箇所には、イエス様の5番目の弟子の召命の出来事が語られています。最初の4人は漁師で、5番目の弟子であるマタイは税関職員(「取税人」)です。マルコとルカは彼について「アルパヨの子レビ」あるいは単に「レビ」という名前を用いています(「マルコによる福音書」2章14節、「ルカによる福音書」5章27節)。ところが、彼は新約聖書のどの「使徒のリスト」でも「マタイ」という名前で呼ばれています(「マタイによる福音書」10章3節、「マルコによる福音書」3章18節、「ルカによる福音書」6章15節、「使徒言行録」1章13節)。新約聖書で「シモン」、「ペテロ」、「ケパ」が同一の人物を指しているように、多くのユダヤ人は二つあるいは三つの名前を有していました。
税関職員であったマタイは少なくともアラム語とギリシア語を書くことができ、おそらくラテン語も書くことができたはずです。初期のキリスト教の伝承は彼こそが「マタイによる福音書」の著者であると考えています。
ローマ人は次の三つの種類の税金と関税を徴収しました。
1)基本税(穀物には10%、ブドウ酒と果物には20%が現金または物品として課税される)
2)所得税(1%)
3)人頭税(14~65歳の男性と12~65歳の女性に一律に課税される)
一緒に食事をすることは当時の社会において参加者同士の深いつながりと一体感を表すものでした。それゆえ、宗教熱心なユダヤ人が(宗教的に)汚れているとみなされる罪深い者の家での食事に参加することは決してなかったでしょう。今日でも多くの文化において一緒に食事をすることが大事にされています。例えばロシアでは友情と交流のしるしとしてパンと塩が著名な客人たちのためにすでに空港に用意されていることもあります。
ファリサイ派や律法学者たちからすると、イエス様が取税人マタイの家に行くことはその行為によってイエス様が(宗教的に)汚れることを意味しました。取税人マタイはその職業のゆえに「公の罪人」とみなされており、彼の家に来る者全員を(宗教的に)汚れさせたからです。
「パリサイ人たちはこれを見て、弟子たちに言った、「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人などと食事を共にするのか」。イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、学んできなさい。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。」
(「マタイによる福音書」9章11〜13節、口語訳)
11節には、ファリサイ派とイエス様の間で起きた最初の論争が記されています。
医者と病人についてのイエス様の「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である」という教え(12節)には反駁の余地がありません。「ルカによる福音書」19章10節でイエス様は、「人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」と言っておられます。しかし、当時のユダヤ人たちにとって「わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」というイエス様の発言はありえない考えかたでした。彼らによれば、人はまず良い人間になる必要があり、それから初めて神様に近づくことができるはずだったからです。神様が助け手、浄化者、医者であるという考えかたに彼らは強い違和感を覚えました。しかし、彼らのような考えかたをする人たちは悲しいことに今日でも大勢います。しかも信仰的な指導者や教師の中にさえそういう人々がいるのです。
13節の引用元は「ホセア書」6章6節です(「わたしはいつくしみを喜び、犠牲を喜ばない。燔祭よりもむしろ神を知ることを喜ぶ。」)。興味深いことに、「あわれみ」はヘブライ語原文によれば「忠誠」とも訳すことが可能です。ギリシア語七十人訳旧約聖書(セプトゥアギンタ)ではそれを「いつくしみ」と訳しています。このことは非常に早い段階でマタイのこの箇所が「いつくしみ」について述べていると理解されたことを示唆しています。なお、前者の翻訳(「忠誠」)を採用するならば、それはイエス様の反対派の考えを支持するものともみなせます。その場合にはイエス様の意図に反する意味になってしまいます。
13節の「学んできなさい」を直訳すると「行って学びなさい」になります。これはラビたちによる聖書の教えにおいて使用された言い回しです。
「新しい救いの道」を「古い救いの道」と組み合わせることはできない」
「マタイによる福音書」9章14〜17節
ヨハネは投獄されましたが、彼の弟子たちは互いに結束を保ち続けました。実際に、彼らはキリスト教会のできた後でも独自の活動を続けたのです(「使徒言行録」18章24〜28節にはアポロのケースが記されています)。
断食は当時のユダヤ教において自らの宗教熱心さを実践するための主要な手段の一つでした。もともと律法では年に一度だけ大贖罪日(ヨム・キプール)が断食を義務付けられた日とされていましたが(「レビ記」16章)、時が経つにつれて敬虔なユダヤ人は週に 二回断食するのが慣例となりました。
「するとイエスは言われた、「婚礼の客は、花婿が一緒にいる間は、悲しんでおられようか。しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その時には断食をするであろう」。」
(「マタイによる福音書」9章15節、口語訳)
律法学者たちは断食しなくてもよい例外的なケースが一つあることを知っていました。当時の結婚式の祝宴は一週間続きましたが、その間は当然ながら客は誰も断食する必要がなかったのです(15節)。
イエス様は断食そのものを禁じたのではなく、それどころか逆に、やがて「しかるべき時」が来ればキリスト信仰者も断食するようになると予告されていることに注目してください(15節)。
「だれも、真新しい布ぎれで、古い着物につぎを当てはしない。そのつぎきれは着物を引き破り、そして、破れがもっとひどくなるから」。
(「マタイによる福音書」9章16節、口語訳)
布を繕うこと(16節)は次の二つのことを思い出させます。
1)「古い救いの道」と「新しい救いの道」を組み合わせることはできない
2)神様の御業は補完するべきではないし、そもそもそれは不可能である
パウロはいわゆる「ユダヤ主義者」たちとの論争に巻き込まれました。彼らはキリスト教をユダヤ教の一派として取り込もうとしました。それに対して、パウロはイエス様と同じように考えていました。それは、「古い救いの道」と「新しい救いの道」を組み合わせるのは不可能であるということです。律法(古い道)と福音(新しい道)とが並列的に存続していくのではなく、キリストの恵み(新しい道)か、それとも律法(古い道)か、そのどちらか一方だけが存続するのです(「ガラテアの信徒への手紙」5章1〜6節)。
「だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、その皮袋は張り裂け、酒は流れ出るし、皮袋もむだになる。だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。そうすれば両方とも長もちがするであろう」。
(「マタイによる福音書」9章17節、口語訳)
「新しい皮袋」(17節)は柔軟で伸びしろがあるので、たとえその中に注ぎ入れられた新しいぶどう酒が発酵し続けて皮袋を内側から圧迫したとしても、破れることはありません。それに対して、新しいぶどう酒を古くて硬くなった皮袋に注ぎ入れると、その皮袋は破れてしまいます。
古いものと新しいものを組み合わせようとする試みには危険が伴います。そうすることで古いものと新しいものの双方を破壊してしまうという危険です(17節)。パウロが困難を乗り越えてユダヤ主義者たちに勝利を収めたことは「大いなる祝福」をもたらしました。かりにユダヤ主義者たちがパウロに勝利していたのなら、キリスト教はおそらく西暦70年以後まもなく消滅してしまったことでしょう。実際の歴史では、西暦70年にローマ軍がエルサレムを征服し、その後ほぼ二千年にわたってユダヤ人たちは祖国を追われ続けることになりました。
ヤイロの娘の目覚めと血の病の女性の癒し 9章18〜26節
ここでもマタイはマルコ(「マルコによる福音書」5章21〜43節)やルカ (「ルカによる福音書」8章40〜56節)よりもはるかに簡潔に出来事を記述しています。マタイは会堂長の名前さえ省略しています。
シナゴーグ(会堂)の会堂長は会堂という建物を管理し、礼拝での聖句の拝読者、祈祷者、説教者を選ぶ責任を担う一般信徒でした。
「するとそのとき、十二年間も長血をわずらっている女が近寄ってきて、イエスのうしろからみ衣のふさにさわった。み衣にさわりさえすれば、なおしていただけるだろう、と心の中で思っていたからである。イエスは振り向いて、この女を見て言われた、「娘よ、しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」。するとこの女はその時に、いやされた。」 (「マタイによる福音書」9章20〜22節、口語訳)
「み衣のふさ」(20節)についてはモーセの律法(「民数記」15章37〜41節)に規定があります。
イエス様は癒しがたんなる魔法のような奇跡にとどまらないようにするために癒された女性が名乗り出て信仰を告白することを望まれました(22節)。
「それからイエスは司の家に着き、笛吹きどもや騒いでいる群衆を見て言われた。「あちらへ行っていなさい。少女は死んだのではない。眠っているだけである」。すると人々はイエスをあざ笑った。しかし、群衆を外へ出したのち、イエスは内へはいって、少女の手をお取りになると、少女は起きあがった。」
(「マタイによる福音書」9章23〜25節、口語訳)
「笛吹きどもや騒いでいる群衆」の中には死者を悼むことを専門とする「泣き女」がいたと思われます。たとえ死者が最も貧しいユダヤ人の場合であったとしても、埋葬にはそのような女性が儀式の一部を担っていました。そして、埋葬は人が死んだ当日中に行われました。
「少女は死んだのではない。眠っているだけである」というイエス様の言葉(「ヨハネによる福音書」11章11〜14節も参照してください) から、「眠りについた死者」という表現が生まれました。「死」は決してすべての終わりなどではなく、この世から永遠の世への移り行きであり、神様は永遠の世においてすべての死者を復活させるのです。
ここでもイエス様は大勢の群衆の前で奇跡を行うことを避けておられます(25節)。マルコは、その場にいたのがペテロ、ヤコブ、ヨハネ、そしてその子の両親だけであったと記しています(「マルコによる福音書」5章37〜40節)。
当然、この奇跡は人々から知られないままにはなりませんでした(26節)。新約聖書はイエス様が行われた他の二つの「死者の復活」の奇跡についても書き記しています。それらは「ルカによる福音書」7章11〜15節(ナインのやもめの息子)と「ヨハネによる福音書」11章41〜44節(ラザロ)です。
目の不自由なふたりの人の癒し 9章27〜31節
イエス様が目の不自由なふたりの人をただちに癒されなかったことは、彼らからすると試練あるいは「いじめ」のようにさえ思われるものであったかもしれません。あるいは、やはりこの場合にもイエス様は群衆から離れたところで奇跡を行おうとされたのかもしれません(28節と30節を参照してください)。
「マタイによる福音書」では初めてこのふたりの人がイエス様を「ダビデの子」と呼びました(27節)。このことからは彼らがイエス様を「メシア」と認識していたことがわかります。
彼らが自分たちのためにイエス様に願い求めていたことは「公正」ではなく「あわれみ」でした(27節)。
ここで起こった奇跡が「だれにも知れないように気をつけなさい」とイエス様は厳しく命じられました。しかし、癒されたふたりの人はそれに従おうとはしませんでした(30〜31節)。自分の人生で大きな出来事を経験したとき、本人がそれについて沈黙を守り通すのは不可能ではないにしても困難なことです。
口の聞けない人を癒す 9章32〜34節
聖書はごく稀に病気と悪霊を結びつけています。これはそのような箇所の一つです。私たちも、病気はすべて悪霊によって引き起こされるものであるとか、本人の悪い生活習慣の結果である、などというように考えるべきではありません。信仰熱心な人々が病を患うケースは今までもたくさんありました。その一方では、罪深い生きかたをしていた人々が健康であり続けるケースも多く見られました。とはいえ、悪霊の仕業が人の身体の病気としてあらわれることも時にはあるのです。
「しかし、パリサイ人たちは言った、「彼は、悪霊どものかしらによって悪霊どもを追い出しているのだ」。」
(「マタイによる福音書」9章34節、口語訳)
イエス様に反対する者たちはイエス様が行った奇跡自体をなかったことにはできなかったので、その奇跡について何らかの「説明」を考えつかなければなりませんでした(34節)。「サタンが自分自身に対して戦いを仕掛けている」というファリサイ派の考えかたは愚かしいものですが、どうやらこれよりもましな説明を思いつけなかったようです(12章22〜32節も参照してください)。
働き人が少ない 9章35〜38節
「イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。」
(「マタイによる福音書」9章35節、口語訳)
35節は4章23節とよく似ています。マタイはガリラヤでのイエス様の伝道活動の説明をこの表現によって「枠付け」しているとも言えます。
イエス様は人々に神様の御国の福音について教えようとなさいました。結局のところ、神様の御国の福音のほうが奇跡よりも重要なものだったからです(35節)。
できた作物とその収穫は「終わりの時」を示唆しています(「ヨエル書」4章12〜16節、「マタイによる福音書」3章11〜12節および13章30節)。
羊飼いのいない群れを導いてくれる羊飼いを願い求めるという考えかたはモーセにもありました。神様はモーセに後継者としてヨシュア(このギリシア語での名前は「イエス」とまったく同じです)を与えました(「民数記」27章17節)。神様の御国にも指導者が必要なのです。
神様のほうでは「御自分のものたち」を伝道の働きのために派遣する用意ができています。ところが、「御自分のものたち」の多くは自分が派遣される準備ができていません。ある宣教師は「宣教活動のための最も一般的な祈りは「主よ、どうか私の隣り人を(伝道に)遣わしてください」というものです」と言いました。
もちろん、宣教活動には送り手やとりなしの祈りをする人も必要です。彼らなしでは宣教活動を行うことができないからです。