マタイによる福音書20章 神様の御国はこの世の王国とは異なっている

フィンランド語原版執筆者: 
パシ・フヤネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師、宣教師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会、神学修士)

ブドウ園労働者 20章1〜16節

聖書は「天の御国」を「見える形では存在しないもの」として述べています。天の御国を見ることができた人たちは私たち人間の曖昧な言葉によってはそれを描写し表現することができませんでした。天の御国はたんにこの世界の「改良版」ではなく、私たちの想像や理解とは全く異なる遥かに壮大なものなのです。

それゆえ、神様の御王国の本質が何であるかを問うことには常に困難が伴います。きっとそれはこの世界と似ていると人は安易に決めつけがちなのです。しかし、これは正しくありません。それを示す一例がこの箇所でのイエス様の譬です。

ギリシア語原文でみると1節には「それゆえ」(ギリシア語で「ガル」)という単語がありますが、それは口語訳では訳出されていません。そのせいでこの箇所の直前の箇所とのエピソードとしてのつながりが曖昧になっています。しかし、イエス様が今ここで言っておられる内容は前章の27節にあるペテロの質問に対する答えでもあるのです。

当時の中近東における「時間」の長さは季節によって若干異なっていました。「一日」とは日の出から日没までのことであり、それは12の「時」に分けられていました。

「第三時」(3節)は私たちの時間ではおよそ「九時」に相当します(口語訳でもそう訳されています)。 例えば「第六時」はだいたい今の「十二時」に相当します。

労働者の中には12時間働く者、9時間働く者、6時間働く者、3時間働く者がおり、最後の者たち(6節)はたった1時間しか働きませんでした。

「彼は労働者たちと、一日一デナリの約束をして、彼らをぶどう園に送った。」
(「マタイによる福音書」20章2節、口語訳)

明確な給与額(報酬額)が明示されたのは最初の者たちとの契約においてのみでした。このことは注目に値します(2節)。彼らは労働者全員の中で最もお金に関心を持っていた人々でした。それに対して、後から雇われた他の労働者たちは彼らが行う仕事に対して妥当な報酬が与えられると約束されただけだったのです。

日雇い労働者の賃金はその日の夕方には必ず支払われることになっていました。それを翌日に持ち越すようなことはしてはいけませんでした(「レビ記」19章13節、「申命記」24章15節(「賃銀はその日のうちに払い、それを日の入るまで延ばしてはならない。彼は貧しい者で、その心をこれにかけているからである。そうしなければ彼はあなたを主に訴えて、あなたは罪を得るであろう。」))。雇い主は最後に働きに来た者たちを皮切りとして逆順に賃金を支払い始めました。彼らは当時の労働者とローマ兵の日給に相当する「一デナリ」を受け取りました(9節)。ちなみに当時の羊は4デナリで買うことができました。

この奇妙な給料の支払いのやりかたに不満をもらしたのは最初に働きに来た人たちだけであり、他の者たちは皆十分すぎる賃金をもらったと感じていたように見受けられます。最初に働きに来た人たちは受け取った報酬の割に働かされすぎたと感じたのです。自分のよい行いの報酬として「救い」を獲得したいと考える者は神様の御前で自分の行いの良さについて他の人々の行いと秤にかけて比べながら評価しようとするものです。

しかし「一デナリ」という明確な報酬を約束されていたのはまさしく最初に働きにきた彼らだけだったのです!

この譬は「放蕩息子の譬」と似たところがあります(「ルカによる福音書」15章11〜32節)。

この譬の教えは、神様の御国の中にとどまることは重荷などではなく大きな喜びであるべきだということです。本来ならば、最初に働きに来た人たちは神様の御国の中に長い間とどまれたことを喜ぶべきだったのです。しかし残念なことに、この譬は現代でも人間の真実を実によく表しています。おそらくその大きな理由は、神様の御国の一員となることが「重荷ではなく喜びである」という真実に対して、それとは逆の誤ったイメージ(「喜びではなく重荷である」)を抱きやすいことにあるのでしょう。

この譬が聖書による「所得分配の教え」ではなく、神様の御国、その独特の価値の秩序についての教えであることは注目に値します。十字架につけられた二人の盗賊のうちの一人はぎりぎり最後の瞬間に救われ、同じ日にはすでに楽園(「パラダイス」)に着くことができました(「ルカによる福音書」23章39〜43節)。

もしもこの譬に基づく「所得分配モデル」が教会やその他の職場でも皆に同一の賃金を支払うモデルとして適用されるようになるならば、12時間労働制度も正当化されて導入されるようになるでしょう。

16節は前章の最後の節とほぼ同じです。これら二つの物語は明らかに互いに関連し合っているのです。

受難についての第三の告知 20章17〜19節

エルサレムへの旅では最後にエリコ渓谷からエルサレムの山地まで登る箇所がありました。その距離は37キロメートルほどですが、その高低差は上りで1キロメートル以上あります。文字通り、彼らはエルサレムへ上って行ったのです(17節)。

イエス様が初めて御自分の受苦と死について語られたとき(16章21〜23節)、あろうことか、ペテロはイエス様をたしなめ始めました。二度目の受難の告知(17章22〜23節)は弟子たちを悲しませました。今回の三度目の告知での弟子たちの反応については何も記されていません。エルサレムがもうすぐ見えてくるところまで旅は進んでいたので、彼らはきっと不安を抱いていたことでしょう。

イエス様が御自分の受けることになる苦しみについて群衆全員に対してではなく十二人の使徒たちにのみ語ったことに注目してください。

ここまできてイスカリオテのユダはいったいどのようなことを考えていたのでしょうか。おそらくは受難週に「ユダに、サタンがはいった」(「ルカによる福音書」22章3節)段階でユダはイエス様を裏切ることを決意したのでしょう。

弟子たちの心の中には次のような二つの疑問が浮かんだのではないでしょうか。

1)ユダヤ人たちはなぜ自分たちのメシア(救世主)を拒絶するのか。
2)なぜ神様はこの悪い行いを制止なさらないのか。

しかし、彼らがこれらの疑問への答えをようやく得ることができたのはイエス様の死と復活の後になってからでした。

この箇所でイエス様は新たに次のことを明らかにしておられます。それは、イエス様を死に至らしめる策略を極秘に進めていたユダヤ人指導者たちによってイエス様はローマ人に引き渡されて十字架刑に処せられることになるということです。十字架刑はローマ人による死刑執行法でした。それに対して、ユダヤ人の死刑執行法は石打ちの刑でした。

三回の受難のすべての告知においてイエス様は御自分が死刑に処されてから三日目に死者の中から復活なさることを示唆しておられます。イエス様は弟子たちにこれから起こることになる驚くべき出来事について警告を与えるだけではなく、神様の偉大な御業の約束も与えようと望まれました。そうすることで、聖金曜日および復活主日(イースター)で起きることになる出来事に対して彼らの心を予め備えようとなさったのです。

イエス様の御国における名誉ある場所 20章20〜28節

ゼベダイの子らは母親を連れてイエス様の御許に行き、自分たちの代わりに母親が質問をするように仕向けました。当時のユダヤ社会においては女性に対してその要求や頼み事を拒否することは男性に対する場合よりも難しいことでした。しかし、イエス様は母親にではなくゼベダイの子らに向けて直接お答えになります(22節)。彼らの意図を見抜いておられたからです。

ゼベダイの子らの願い出た内容は彼ら自身がいずれ受けることになる苦しみに関するイエス様の予言の意図を彼らがまったく理解していなかったことを示しています。彼らはイエス様が「この世の救世主」になることをいまだに待望しており、心の中では「イエス様の地上での王国における要職の配分」についてあれこれ勝手な想像をめぐらしていたのです。かつてイエス様が「十二の位」について語ったこと(19章28節)をよく覚えていたと思われる彼らはイエス様に最も近しい人々に与えられるはずの最上の位を欲していました。とはいえ、ゼベダイの子らの願いを聞いた他の弟子たちの反応もゼベダイの子らに比べてもっと信心深いものであったとは決して言えません(24節)。

「イエス様の御許に近づき、そこにとどまっていられるように」という望みはよい願いです。ただし、この願いを「権力を手に入れたい」という渇望と混同するべきではありません。

「杯」(22節)は神様の怒りの象徴です。「イザヤ書」51章17節には「エルサレムよ、起きよ、起きよ、立て。あなたはさきに主の手から憤りの杯をうけて飲み、よろめかす大杯を、滓までも飲みほした。」とあり、「エレミヤ書」25章15節には「イスラエルの神、主はわたしにこう仰せられた、「わたしの手から、この怒りの杯を受けて、わたしがあなたをつかわす国々の民に飲ませなさい。」とあります。また「ヨハネの黙示録」14章10節および16章19節も参照してください。ゲッセマネで祈られたときのイエス様も同じ「杯」について語られました(26章39節)。

ヤコブは使徒たちの中では信仰のゆえに最初に殉教した人であり、ヘロデ・アグリッパによって処刑されました(「使徒言行録」12章1〜2節)。ヨハネは使徒たちの中ではただ一人、非常な高齢になってから自然な死を迎えた人でした。とはいえ、存命中にはパトモス島に追放されたこともあり、そこで後に「ヨハネの黙示録」に記すことになるさまざまな幻を見ています(「ヨハネの黙示録」1章1〜12節)。

ゼベダイの子らであるヤコブとヨハネもイエス様に従うことを決意し約束しましたが、ゲッセマネの園ではイエス様を捨てて逃げてしまいます(26章56節)。彼らと比べると母親のほうは「より粘り強かった」とは言えるでしょう。彼女はイエス様の十字架の下にいたとも記されているからです(27章56節、「マルコによる福音書」15章40節で彼女は「小ヤコブとヨセとの母マリヤ」と呼ばれています)。

「イエスは彼らに言われた、「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになろう。しかし、わたしの右、左にすわらせることは、わたしのすることではなく、わたしの父によって備えられている人々だけに許されることである」。」 (「マタイによる福音書」20章23節、口語訳)

イエス様は天における名誉ある地位を予め弟子たちに配分することに同意なさいません。それは天の御父のお仕事だからです(23節)。

神様の御国における優先順位はこの世のものとは異なっています。それによると、最初の者が最後となり最後の者が最初となります。しかし、これは弟子たちにとって素直に受け入れるのがなかなか難しい教訓でした。それは私たちにとっても同じです。

「それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。
(「マタイによる福音書」20章28節、口語訳)

28節での「多くの人」はユダヤ人の考えかたでは「すべての人」を意味しています。例えば「イザヤ書」53章11節の「彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。」における「多くの人」も「すべての人」という意味合いの言葉です。

28節はイエス様が御自身の受けることになる「身代わりの苦しみ」について初めて言及なさっている箇所です。この「身代わりの苦しみ」を表す神学用語はラテン語で「satisfactio vicaria」(「サティスファクティオー・ヴィカーリア」)といい、十字架上での「犠牲死」を指しています。人間は自らを救うことができないことについてはすでに旧約聖書も教えています。例えば「詩篇」49篇8〜9節には「とこしえに生きながらえて、墓を見ないためにそのいのちをあがなうには、あまりに価高くて、それを満足に払うことができないからである。」とあります。人間を救うことができるのは神様だけなのです。

最後の癒しの奇跡 20章29〜34節

​​エリコで目の不自由な人たちを癒した後でイエス様がさらに他にも癒しの奇跡をなさったかどうか、福音書には書かれていません。イエス様のエルサレムでの最後の一週間の大部分は人々を教え反対者たちと議論することに費やされたようです(22章15〜46節を参照してください)。

過越祭には大勢のユダヤ人がエルサレムに集結したので、多くの人がイエス様に同行したのも不思議ではありません。しかし、彼らの中にはエルサレム巡礼の途中でたまたまイエス様に同行した旅行者たちもいれば、すでに長期間イエス様に従ってきた人々もいたに違いありません。

「すると、ふたりの盲人が道ばたにすわっていたが、イエスがとおって行かれると聞いて、叫んで言った、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちをあわれんで下さい」。群衆は彼らをしかって黙らせようとしたが、彼らはますます叫びつづけて言った、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちをあわれんで下さい」。」
(「マタイによる福音書」20章30〜31節、口語訳)

目の不自由な人たちには大部分の人々よりも多くのことが「見えて」いました。彼らはこれが自分たちに提供された絶好の機会であることを見抜いたのです。イエス様は二度とこの同じ道を通ることにはならないでしょう。だからこそ、群衆が制止したにもかかわらず、彼らは叫び続けたのです(31節)。

イエス様は御自分が癒した人々に対して、起きた奇跡について黙っているようにとは言われませんでした。彼らはイエス様に従ってエルサレムに来ていたので、かなりの有名人になっていたことでしょう。しかし、イエス様の地上での旅の終わりは今や間近に迫っていたので、群衆がメシアにこの世的な誤った期待をいくら抱こうとも、もはや大きな妨げにはならなくなっていました。

「イエスは深くあわれんで、彼らの目にさわられた。すると彼らは、たちまち見えるようになり、イエスに従って行った。」 (「マタイによる福音書」20章34節、口語訳)

目を癒された人々が最初に自分の目で見ることができたのはイエス様でした(34節)。私たちも正しいやりかたでイエス様に目を留めることができればどれほどよいことでしょうか。