マタイによる福音書15章 小さな人間の大きな信仰

フィンランド語原版執筆者: 
パシ・フヤネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師、宣教師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会、神学修士)

父祖伝来の種々の掟 15章1〜9節

新しい律法教師(イエス様のこと)を調査するためにエルサレムから検査官たち(「パリサイ人と律法学者たち」)がやって来ました(1節)。律法学者の大多数はファリサイ派にも属していました(1節)。それでも、これら二つのグループはやはり互いに異なる集団であったことを覚えておくべきです。律法教師はユダヤ教の教師、すなわち旧約聖書およびそれと関連する諸伝承についての専門家でした。一方、ファリサイ派は宗教的な性格を有する「ユダヤ教信仰復興運動」の実践者たちでした。ユダヤ人たちがローマ帝国の支配に対して反乱を起こした結果(西暦66〜72年)、エルサレムは徹底的に破壊されてしまいました(西暦70年)。その後の歴史においては、ファリサイ派がユダヤ教の伝統を継承し存続した事実上唯一のユダヤ教徒のグループとなりました。その名称は「分離する」、「区別する」という意味のヘブライ語動詞「パーラシュ」に由来し、「(他の人々から自らを)分離する者たち」という意味をもっています。その主要な考えかたには罪人と敬虔な者とを明確に互いに区別することが含まれていました。こうした考えかたは今の箇所でのイエス様に対する彼らの質問にもはっきりと表れています(2節)。

「あなたの弟子たちは、なぜ昔の人々の言伝えを破るのですか。彼らは食事の時に手を洗っていません」。
(「マタイによる福音書」15章2節、口語訳)

イエス様の「道」とユダヤ教の宗教的指導者たちの「道」とが互いに異なる方向に向かうであろうことが今や徐々に明らかになり始めました。結局、ユダヤの宗教的指導者たちは自分らの行こうとする道の前からイエス様を排除するために、イエス様を十字架につけるようローマ人の総督ピラトに要求するようになります。

洗うこと(2節)は衛生上の理由からなされたのではなく、手に水を振りかけるという清めの儀式でした。

「イエスは答えて言われた、 「なぜ、あなたがたも自分たちの言伝えによって、神のいましめを破っているのか。」」
(「マタイによる福音書」15章3節、口語訳)

イエス様はユダヤ人たちの質問には答えないまま反撃を開始なさいます(3節)。

ユダヤ人たちの伝統的な数々の「言伝え」は人々の生活をさまざまなやりかたで制限するものでした。ところが実はその一方で、それらを都合よく解釈することによってほぼ何でも行うことができるようになっていました。要するに、それらの「言伝え」は人間が自分のやりたいことを行うために利用されたのです。債権者たちに対する返済義務を免れたい者には自分の財産をいわば「生前贈与」としてあらかじめ神殿に寄付するという逃げ道がありました。この場合、贈与者は自分が生きている間はその財産を個人的に使用する権利を持ち続けました。しかし、自分の両親を含むすべての債権者たちに対しては「私の財産は全部すでに神殿に寄付されているため、あなたがたには何も返済することができません」という言い逃れをすることができたのです。

このような律法の解釈に依拠し、伝統的な「言伝え」を第一戒(「出エジプト記」20章3節の「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。」という戒め)に適用することで、第四戒(「出エジプト記」20章12節の「あなたの父と母を敬え。」)が無効とされてしまいました(4〜6節)。

このような律法解釈はもちろん神殿にとっても好都合なものでした。特定の状況においては神殿に寄付をもたらすものだったからです。フィンランドでも似たようなケースがありました。ある牧師の話によれば、広大な森林を所有していた独身の農夫がまずそこにある木をすべて切り倒した後でその土地を教区に寄付したことがあるそうです。こうすることでその土地に新しい苗木を植えることは教区の責任となり、農夫は切り倒した木の販売で得た収入をすべて自分のために使うことができました。なお、現在の法律ではこのようなやりかたは許されなくなり、伐採した木々の販売を通して得た収益の一部をその土地の植樹のために取り分けておかなければならなくなっています。

これらの伝統的な種々の「言伝え」はバビロン捕囚後の時代にでき始めましたが、西暦200年代になってからようやく文書化されるようになりました。イエス様の時代にはそれらはまだ口頭でのみ伝承されており、律法学者たちが後の時代の人々に伝授する役割を担っていました。このような伝統的な種々の「言伝え」を指すギリシア語の言葉は「パラドシス」といい「与えられたもの」という意味を持っています(「コリントの信徒への第一の手紙」11章2節および15章3節、「テサロニケの信徒への第二の手紙」2章15節および3章6節も参照してください。)キリスト教信仰もそのような「伝統」(ラテン語で「traditio」)を含んでいます。

私(パシ・フヤネン)はニューヨークのユダヤ博物館で旧約聖書のテキストの拡大版を見たことがあります。開いていたページには11種類もの異なるテキストが記載されていました。そのうちで10種類の異なるテキストは聖書本文についての註解でした。まさしくこれらが伝統的な「言伝え」だったのです。それらの中で最も有名な「言伝え」のテキストはタルムードとミシュナです。

神殿に贈り物を寄付することは個々人による自発的な行為でしたが、両親を敬うことは十戒の一つ(第四戒)であったため義務事項でした(「出エジプト記」20章12節)。しかし、人間は私益の追求のために自分で勝手に選んだ「ひとりよがりの礼拝」である「人間の規定や教によっているもの」によって駆り立てられ、神様の御意思の成就のほうはもはや最重要事項ではなくなってしまったのです(「コロサイの信徒への手紙」2章22〜23節)。

「「偽善者たちよ、イザヤがあなたがたについて、
こういう適切な預言をしている、
『この民は、口さきではわたしを敬うが、
その心はわたしから遠く離れている。
人間のいましめを教として教え、
無意味にわたしを拝んでいる』」。」
(「マタイによる福音書」15章7〜9節、口語訳)

「偽善者」(7節)は聖書ギリシア語で「ヒュポクリーテース」(単数形)といい「俳優」という意味も持っている言葉です。彼らは「ありのままの自分」よりも「信心深い人物像」のほうを演じたがったのです。

8節と9節の引用は「イザヤ書」29章13節からのものです。

現代においても伝統的な慣習が真の信仰の妨げになってはいないかどうか常に精査していかなければなりません。マルティン・ルターは「宗教改革は決して完了することのない過程であり、信仰が今日どのように新たにされるべきか日々考えていかなければならない」と教えています。

今日でも私たちはイエス様の厳粛な教えを心に留めていなければなりません。すなわち、聖書の言葉と教えに反抗しそれを覆すような類の「改革」を行ってはならないのです。「聖書のみ」は宗教改革の開始にあたってルターを導いた主要な原則の一つでした。これは「聖書の教えを超えるものは何もあってはならない」という意味です。

人を汚すものは何か? 15章10〜20節

ここで初めてイエス様は敵対者たちの質問(2節)にお答えになります。しかし、イエス様はファリサイ派や律法学者たちだけに対してではなく民衆全体に向かっても話しかけておられるのです(10節)。

食べ物は神様が私たちの生命を維持するために与えてくださる栄養の補給です(「テモテへの第一の手紙」4章4〜5節を参照してください)。キリスト教信仰において「食べ物」とは宗教的あるいは道徳的な問題ではありません。それに対して、世界の多くの宗教における「食べ物」はまさしくそのような問題になのです。例えば、ユダヤ教とイスラム教では今日でもやはりこの問題があります。断食はキリスト教徒の生活の一部になっています。しかし、その目的は人間の罪深さの問題を断食によって解決することではなく、人が神様の御許に普段よりも近づきやすくすることにあります。

「そのとき、弟子たちが近寄ってきてイエスに言った、「パリサイ人たちが御言を聞いてつまずいたことを、ご存じですか」。イエスは答えて言われた、「わたしの天の父がお植えにならなかったものは、みな抜き取られるであろう。」。」
(「マタイによる福音書」15章12〜13節、口語訳)

ファリサイ派にとってイエス様の言われたような考えかたをするのは無理なことでした(12節)。それでもなおイエス様は彼らに対して厳しい態度を取り続けられます。神様御自身が望まれるやりかたで神様にお仕えしなければならないからです。自分で勝手に選んだ神崇拝のやりかたは神様からは拒絶され、自分には破滅を招いてしまうものです(13節)。(霊的な・信仰的な意味で)目の不自由な人は同じ問題を抱えている他の人々の導き手にはなれません(14節、これと6章22〜23節を比較してください)。

植えられたもの(13節)は「イスラエル」を「神様のぶどう園」になぞらえる旧約聖書の考えかたにつながっています(例えば「イザヤ書」5章1〜7節、「ヨハネによる福音書」15章1〜6節などが参考になります)。

「口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである」(11節より)と言われるイエス様の発言をペテロは「譬」として受け取りました(15節)。イエス様の言葉の意味は明瞭でしたが、あまりにも驚くべき内容だったため、ペテロにはそれをそのまま受け入れることが難しかったのです。これは今日でも同様です。多くの場合、聖書の教えは実現不可能なものではありませんが、それに従って生きていくことは困難だからです。

「「というのは、悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出てくるのであって、これらのものが人を汚すのである。しかし、洗わない手で食事することは、人を汚すのではない」。」
(「マタイによる福音書」15章19〜20節、口語訳)

19節で、イエス様がまず人間の心の中の邪悪な考えに言及なさっていることに注目してください。心の中の思考はいともたやすく実際の行動につながって行くものだからです。

19〜20節は、ユダヤ教および他の多くの宗教の抱えている問題がその「儀式主義」にあることを明らかにしています。これは人間の外面だけが重要であり内面の生活(心のありさま)はどうでもよいという考えかたです。しかし、神様はまさに人の心のありさまを注視なさっておられます。心こそが信仰の核心なのであり、そこに何があるかが決定的に重要だからです。だからこそ、旧約聖書の「箴言」は心を守ることを勧めているのです。

「油断することなく、あなたの心を守れ、
命の泉は、これから流れ出るからである。」
(「箴言」4章23節、口語訳)。

カナンの女性の大いなる信仰 15章21〜28節

イエス様は現在のレバノン南部にあたる異邦人の居住地域(「ツロとシドンとの地方」)へ移動なさいました(21節)。今までよりも落ち着ける場所を望まれたのでしょう。

「すると、そこへ、その地方出のカナンの女が出てきて、「主よ、ダビデの子よ、わたしをあわれんでください。娘が悪霊にとりつかれて苦しんでいます」と言って叫びつづけた。しかし、イエスはひと言もお答えにならなかった。そこで弟子たちがみもとにきて願って言った、「この女を追い払ってください。叫びながらついてきていますから」。」
(「マタイによる福音書」15章22〜23節、口語訳)

しかし、すでにイエス様の名声はその地域にも広まっていました。ある母親が自分の娘のために助けを求めにきたのです(22節)。イエス様は沈黙なさっていましたが、その女性を追い払うこともなさいませんでした(23節)。伝統的な解釈によれば、イエス様はこの女性の信仰を試されたのです。これは、彼女が本当はどのようなことを信じているのか、彼女はイエス様をただたんに奇跡を行う人とみなしていたのか、それともそれ以上の何か特別なお方と信じていたのかを見極めようとする意図がイエス様にあったという解釈です。

「するとイエスは答えて言われた、
「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」。」
(「マタイによる福音書」15章24節、口語訳)

イエス様はここで神様の御計画を明示されます(24節)。イエス様の使命は12人の使徒を福音伝道のために訓練することであり、使徒たちの使命はいずれ異邦人の国々に伝道のために出かけて行くことでした(28章18〜20節)。しかし、イエス様がこの世で生活しておられた間には異邦人への宣教が開始される時期はまだ来ていませんでした。

「しかし、女は近寄りイエスを拝して言った、
「主よ、わたしをお助けください」。」
(「マタイによる福音書」15章25節、口語訳)

ここで女性の信仰の内容が明らかになります。彼女は「イエス様が助けてくださる」と信じています(25節)。イエス様の助けを信じることは私たちキリスト信仰者にとって信仰の主要な特質であるはずです。これは、何よりもまず自分の救いについて、さらに私たちの人生におけるあらゆる問題についても、イエス様が私たちを助けてくださるという信仰であり信頼です。

「イエスは答えて言われた、「子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」。すると女は言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます」。そこでイエスは答えて言われた、「女よ、あなたの信仰は見あげたものである。あなたの願いどおりになるように」。その時に、娘はいやされた。」
(「マタイによる福音書」15章26〜28節、口語訳)

イエス様は「小犬」という表現で「異教徒」を指しておられます。この女性は自分が「小犬」同然の異教徒であることを素直に受け入れてへりくだり(27節)、イエス様の助けをいただくことができました。彼女は現実の自分よりも優れた存在になりたいとは少しも考えませんでした。しかし「イエス様ならば、最も些細な被造物である私のこともきっと助けてくださる」と確信していたのです。

イエス様はその女性の信仰のありかたを「見あげたものである」と宣言されます(28節)。信仰にとって最も重要なのは「信仰の対象」が何であるかです。今日でもまったく間違ったものを「信仰の対象」とする凝り固まった「信念」が数多くみられます。種々の諸宗教にもこうした例は無数に見られます。

病人たちの癒し 15章29〜31節

「イエスはそこを去って、ガリラヤの海べに行き、それから山に登ってそこにすわられた。すると大ぜいの群衆が、足、手、目や口などが不自由な人々、そのほか多くの人々を連れてきて、イエスの足もとに置いたので、彼らをおいやしになった。群衆は、口のきけなかった人が物を言い、手や足が不自由だった人がいやされ、盲人が見えるようになったのを見て驚き、そしてイスラエルの神をほめたたえた。」
(「マタイによる福音書」15章29〜31節、口語訳)

マタイがなぜこの数節の出来事を福音書に収めたのか疑問をもつ人々もいるようです。この箇所は今までの記述と比べて何も新しいことを言っていないように見えるからです。前の14章の終わりにもこれと非常によく似た一節がありました(14章34〜36節)。

この疑問を解く鍵となるのは15章31節の終わりにある「群衆は、(・・・)イスラエルの神をほめたたえた」という記述でしょう。「マルコによる福音書」での対応箇所(「マルコによる福音書」7章31節)を見ると、イエス様がデカポリス地方を通ってガリラヤ湖の岸辺まで旅をなさったと書かれていることに気づきます。イエス様はまだガリラヤではなく異邦人の地域、ガリラヤ湖の東岸部のどこかにおられたのです。このことは次の箇所で記述されることになる「食事の奇跡」がなぜこの段階で必要とされたのかについての部分的な説明にもなっています。ユダヤ人たちは異邦人たちから食べ物を購入するのを好みませんでした。その食べ物はユダヤ人の律法の規則に従って用意されたものではなかったからです。それゆえ、イエス様と弟子たちは群衆が帰途に着く前に彼らに食事を与えなければなりませんでした。

群衆の中ではユダヤ人と異邦人という二つのグループに明確に分かれていたわけではなく、両者が渾然一体になっていたようです。この状態は、イエス様を通して実現するキリスト教会におけるキリスト教徒たちの「一体性」、すなわちユダヤ人であるか異邦人であるかという区別がされない一体性(「ガラテアの信徒への手紙」3章28節)の予型あるいは前触れとみなすこともできます。この箇所でイエス様が人々を教えられ(マタイは明言していないものの、イエス様が人々を教えられたのは確実です)、また癒やされることが三日の間続きました(32節と比較してください)。

イエス様が行われた奇跡の目的が人々を癒すことだけではなく神様に栄光をもたらすことでもあったことをマタイが強調している点に注目してください(31節)。

食べ物を与えるもう一つの奇跡 15章32〜39節

「イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「この群衆がかわいそうである。もう三日間もわたしと一緒にいるのに、何も食べるものがない。しかし、彼らを空腹のままで帰らせたくはない。恐らく途中で弱り切ってしまうであろう」。」
(「マタイによる福音書」15章32節、口語訳)

信仰的・霊的な集会が特に食事の用意もないまま三日間も続きました(32節)。これはかなり長い集会だったと言えるでしょう。イエス様は集まっていた群衆を食事もせずに帰宅させることを望まれなかったので、まず食事を与える奇跡をふたたび行うことになさいました。

「イエスは弟子たちに「パンはいくつあるか」と尋ねられると、「七つあります。また小さい魚が少しあります」と答えた。そこでイエスは群衆に、地にすわるようにと命じ、七つのパンと魚とを取り、感謝してこれをさき、弟子たちにわたされ、弟子たちはこれを群衆にわけた。一同の者は食べて満腹した。そして残ったパンくずを集めると、七つのかごにいっぱいになった。」
(「マタイによる福音書」15章34〜37節、口語訳)

食事を与える奇跡は私たちに「主の聖餐」を想起させます。聖餐式のパンとブドウ酒もそれに与る全員の者に十分行き渡るだけの量があります(37節)。マタイは主の聖餐の設定辞を説明する箇所でここと同じような言い回しを用いています。(36節。これを26章26〜29節と比較してください。「感謝してこれをさき」でのギリシア語原文では「感謝して」を意味する動詞は互いに異なったものが用いられています)。

今回の奇跡でのパンは七つありましたが、魚の数は記されていません(34節)。今回の奇跡で「残ったパンくず」は「七つのかごにいっぱい」集められました(37節)。「かご」はギリシア語では「スピュリス」といい、「使徒言行録」9章25節にも出てきます。後者の箇所には、パウロの弟子たちが「夜の間に彼をかごに乗せて町の城壁づたいにつりおろした」という記述があります。とても大きなかごだったようです。

マルコ(「マルコによる福音書」8章10節)はイエス様が次に「ダルマヌタの地方」に行かれたと述べており、マタイのほうでは「マガダンの地方」という地名が記されています(39節)。どちらの場所についてもその正確な位置はわかっていません。いくつかの写本には「マグダラ」と書かれており、これはティベリアの北方約5キロメートルのところに位置していました。私たちは「マグダラ」については「マグダラのマリア」という表記から知っています。このような地名の相違が生じたことについては、意図的でない変更によるものか、あるいは意図的な変更によるものか、そのいずれかである可能性があります。写本製作者が聖書本文の中によく知られていた場所を地名として記入した可能性もあるからです。