マタイによる福音書8章 御自分の力を明示なさるイエス様

フィンランド語原版執筆者: 
パシ・フヤネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会、神学修士)

「ひとりの重い皮膚病にかかった人」を癒されるイエス様  8章1〜4節

この8章にはイエス様の奇跡が全部で6つ記述されています。おそらくマタイはここで再び自分の書いた福音書を内容的に分類し、同じ種類の出来事に関する記事を一つにまとめて収めたのでしょう。

「すると、そのとき、ひとりの重い皮膚病にかかった人がイエスのところにきて、ひれ伏して言った、「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。
(「マタイによる福音書」8章2節、口語訳)

「重い皮膚病」(2節)は当時ではまだ治療法が知られていなかった病気のことであり、この言葉から私たちが連想しがちなハンセン病だけではなく、さまざまな種類の重い皮膚病をも指していました。例えば旧約聖書のモーセの律法を扱った箇所には布地や家の中に侵入する重い皮膚病についても記されています(「レビ記」13〜14章)。

この病に対する唯一の「治療法」は罹患した人を他の人々から隔離して病気の感染の拡大を防ぐことだけでした。「重い皮膚病」の患者は自分の病気について他の人々に警告するために「汚れています」と叫ばなければなりませんでした。彼らは都市部に住むことはできなかったため、人のほとんどいない辺鄙な場所に住んでいました。

2節で、「重い皮膚病にかかった人」が「イエス様は誰でも癒せる」とは言わずに、「イエス様なら自分を癒すことができる」という意味のことをイエス様に言っていることに注目してください。イエス様や使徒たちの時代にも信仰がなければ人々は癒されなかったことを新約聖書は多くの箇所で強調しています(例えば9章2節、13章58節、「マルコによる福音書」2章5節、「使徒言行録」14章9〜10節)。そして、この病人が助けを求める心からの願いはイエス様への信仰を明らかに表していました。

この人がイエス様に呼びかけるときに用いた尊称である「主」(ギリシア語の「キュリオス」)は、イエス様の時代にはすでに存在していた七十人訳ギリシア語旧約聖書(セプトゥアギンタ)において神様に対して用いられた尊称と同じものです。

この病人は自分がきよめられることを願い求めていることにも注目してください。ユダヤ人の理解によれば、神様の御前においても「重い皮膚病」はその患者を「汚れた者」としました。この病気はそれを患っている人の罪の結果である、と考えられていたからです。

重い皮膚病に感染するのを恐れ、この病の患者に触れようとする人は誰もいませんでした(3節)。重い皮膚病を患う人に触れた人も「汚れた」とみなされたからです。しかし、どれほど重い皮膚病であろうともイエス様の力に勝つことはできません。それとは逆に、イエス様はその皮膚病に打ち勝たれたのです。

特に「マルコによる福音書」に顕著ですが、イエス様が癒された人々に対して何が起こったのかを他の誰にも話さないよう命じられたことが度々述べられています。これにはいくつもの理由が考えられます。

第一に、ユダヤ人はこの世的なメシアの到来を待望していました(「ヨハネによる福音書」6章14〜15節も参照してください)。イエス様が行われた奇跡について噂が広まってしまうと、ユダヤ人たちはイエス様を地上での(反乱の)指導者としての「メシア」に仕立て上げたいと考えるでしょう。

第二に、イエス様は単なる「奇跡を起こす人」になりたいとは思われなかったのです。奇跡について吹聴されればされるほど、人々はより多くの奇跡を行い続けることをイエス様に要求するようになるでしょう。

第三に、まだ福音書のこの段階ではイエス様は弟子たちを教えることに専念されたかったように見受けられます(上述の「山上の説教」にもそれがよく表れています)。そのためには、次々と新たな奇跡を要求してくる大勢の群衆ではなく静けさと平和な環境こそが必要とされたのです。

しかし、今回もイエス様の願いは聞き入れられなかったようです。「マルコによる福音書」の該当箇所によれば、重い皮膚病から癒された人は自分が経験した奇跡について皆に語って回りました(「マルコによる福音書」1章45節)。

「イエスは彼に言われた、「だれにも話さないように、注意しなさい。ただ行って、自分のからだを祭司に見せ、それから、モーセが命じた供え物をささげて、人々に証明しなさい」。」
(「マタイによる福音書」8章4節、口語訳)

祭司たちは清められた人に、清めが本当に起きたという「証明書」を渡しました(4節)。しかし、実際に起きた癒しの奇跡は祭司たちに対する「証」にもなりました。癒しの奇跡は旧約聖書に記されている約束が今や成就され始めたことを示唆していたからです。実際には、祭司たちは人が清められたことについては証明書を与える権利がなく、人が重い皮膚病に罹ったことについての証明書を与えることだけが許されていました。ところが今や、メシアが本当に旧約聖書で約束された通りに到来したことを祭司たちが理解するべき時が来ていたのです。

カペナウムの百人隊長の信仰 8章5〜13節

カペナウムはイエス様の新たな「故郷」となりました(4章13節)。そのおかげで、百人隊長はどこからイエス様を探せばよいのか知っていたのです。

「主よ、わたしの僕が中風でひどく苦しんで、家に寝ています」。
(「マタイによる福音書」8章6節、口語訳)

「僕(しもべ)」(6節)はギリシア語原文では「子ども」を意味する「パイス」という単語です。もしかしたらその子は百卒長と誰か使用人との間に生まれた子どもだったのかもしれません。どのような病気だったのかは分かりませんが、僕にはひどい痛みがあり、麻痺が生じていました(6節)。

「そこで百卒長は答えて言った、「主よ、わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります。わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」。」
(「マタイによる福音書」8章8〜9節、口語訳)

ここで百卒長は自分の日常生活から具体例を挙げています(8〜9節)。彼も自分のほうからわざわざ部下たちに個別に会いに行ったり、あるいは逆に、彼らを彼のところに出頭するよう命じたりはしませんでした。彼が命令を伝達させるだけで十分だったからです。それと同じことをイエス様は実行なさることができます。諸霊と病気はイエス様に従属しており、イエス様の御声に聴き従わなければならないからです。

信仰について日常生活から適切な例を挙げることは今日でも大切です。信仰は人々の生活において他の諸事象から独立したものではなく「日常生活」の一部であるべきものだからです。

8節で、百卒長はイエス様についてギリシア語原文では「キュリオス」という尊称(七十人訳ギリシア語旧約聖書では「神様」を表す言葉)を使用しています(2節と比較してください)。

ユダヤ人が異邦人の家の中に入るという行為は、そのユダヤ人が汚れを受けることを意味します(8節)。しかし、この時に異邦人である百卒長の念頭にあったのはユダヤ人たちの清めの規則ではなく、イエス様の御前で自分がいかに無価値な存在であるかということでした。

イエス様が人々の大きな信仰に驚かれたと「マタイによる福音書」に記されているのはここと「カナン人の女」の2箇所だけです(15章28節)。したがって、そのどちらの場合でもユダヤ人ではない異邦人がそのような大きな信仰を持っていたということになります。その一方で、イエス様は人々の大きな不信仰に驚かれたとも記されています。これはイエス様の故郷であるナザレで起こりました(「マルコによる福音書」6章6節)。

大いなる信仰は自らの信仰にではなくイエス様の全能と大権とに全面的に信頼するものです。

「なお、あなたがたに言うが、多くの人が東から西からきて、天国で、アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席につくが、この国の子らは外のやみに追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう」。
(「マタイによる福音書」8章11〜12節、口語訳)

11 節は、福音がこれから全世界に広がっていく、という明確な預言です。とりわけ「東から西から」という言葉がそのことをよく表しています。

「使徒言行録」にもあるように、12節は、ユダヤ人たちが最終的にイエス様や福音をどのように拒否することになるかについて再び預言しています。

「それからイエスは百卒長に「行け、あなたの信じたとおりになるように」と言われた。すると、ちょうどその時に、僕はいやされた。」
(「マタイによる福音書」8章13節、口語訳)

イエス様の御言葉だけで十分でした。僕は癒されたのです。

ペテロの家で 8章14〜17節

「それから、イエスはペテロの家にはいって行かれ、そのしゅうとめが熱病で、床についているのをごらんになった。そこで、その手にさわられると、熱が引いた。そして女は起きあがってイエスをもてなした。」
(「マタイによる福音書」8章14〜15節、口語訳)

ペテロの家はイエス様と弟子たちのカペナウムでの滞在場所でもあったようです。ペテロは結婚しており、後には妻も彼の伝道旅行に同行しました(「コリントの信徒への第一の手紙」9章5節)。

ペテロの義母がすっかり病から癒されたことは、家に来た客たちに彼女がすぐに奉仕できたことからもわかります(15節)。

「夕暮になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れてきたので、イエスはみ言葉をもって霊どもを追い出し、病人をことごとくおいやしになった。」
(「マタイによる福音書」8章16節、口語訳)

マタイはペテロの家での出来事をマルコよりもはるかに簡潔に語っています。例えばマタイはそれが安息日の出来事であったとは述べていません。しかし、注意深い(ユダヤ人)読者ならば16節からそのことがわかります(「マルコによる福音書」1章29節、「ルカによる福音書」4章38節と比較してください)。なお、マタイはイエス様が人々に教えていたその会堂にイエス様も弟子たちもいたとは言っていません。

安息日は天空に二つの星が現れた時に終わりました(16節)。イスラエルはフィンランドや日本よりも赤道に近い国ですが、もちろん他の国々と同じくイスラエルでも昼の時間は夏には長く冬には短くなります。

16節での「病人」と「悪霊につかれた者」は二つの異なるグループであることに注目してください。あらゆる病気の背後には悪霊がいる、と決めつける人も見かけることがありますが、それは聖書的な考えかたではありません。

「これは、預言者イザヤによって「彼は、わたしたちのわずらいを身に受け、わたしたちの病を負うた」と言われた言葉が成就するためである。」 (「マタイによる福音書」8章17節、口語訳)

現代の神学はマタイなど福音書記者たち自身の「想像力」が福音書本文に占める割合を過剰に見積りすぎる傾向があります。福音書記者たちは自分が望んでいたような「イエス像」を提示するために、イエス様をめぐる出来事の記述に変更を加えたり、さらには「新しい物語」を捏造したりしたのだ、というのがこの神学の考えかたです。

しかし、マタイ、マルコ、ルカによる三つのいわゆる「共観福音書」を読むと、それぞれの福音書での強調点が異なっていることに気づかされます。マタイは今ここで扱っている短い箇所の中に「イザヤ書」からの引用を入れています(17節にある「イザヤ書」53章4節)。それは、イエス様こそが旧約聖書の約束の成就者であられ、ユダヤ人たちが長い間待ち望んでいたメシア(救世主)であられることをユダヤ人の読者たちに強調したかったからです。

福音書記者たちの間にある強調点の相違という現象に類似することは今日でも起きています。説教者たちや牧師たちはさまざまなやりかたでイエス様について宣べ伝えています。しかしそれでも、彼らの教えが聖書に基づくものであるかぎりは誰もが同じイエス様について話しているはずなのです。

しかし残念ながら、今日では一部の説教者たちや牧師たちは新約聖書のイエス様とは異質のまったく新しいイエス像を喧伝しています。

「まことに彼はわれわれの病を負い、
われわれの悲しみをになった。
しかるに、われわれは思った、
彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。」
(「イザヤ書」53章4節、口語訳)

マタイは上掲の「イザヤ書」の一節(「イザヤ書」53章4節)を七十人訳ギリシア語旧約聖書(セプトゥアギンタ)の形でではなくヘブライ語旧約聖書本文から直接翻訳して引用しています。これは「イザヤ書」のこの箇所がイエス様の贖いの御業についての説明として当時から度々用いられていたことを示唆しています。

「イエス様に従う」ということ 8章18〜22節

「イエスは、群衆が自分のまわりに群がっているのを見て、向こう岸に行くようにと弟子たちにお命じになった。」
(「マタイによる福音書」8章18節、口語訳)

前回扱った17 節までの箇所と今回の18節との間にはある種の「不連続」があることに注意してください。イエス様はその同じ夜に湖を渡り「向こう岸に」は行かれませんでした(とはいえ、24節によればイエス様はその同じ夜に「向こう岸に」行かれたと考えることもできます)。マルコとルカは翌朝にイエス様がカペナウムで伝道を続けられたと記しています(「マルコによる福音書」1章35節、「ルカによる福音書」4章42節)。

このことは23〜27節の出来事が「マルコによる福音書」4章36節〜41節と「ルカによる福音書」8章22〜25節に語られているという事実からも明らかです。要するに、これら二つの福音書では同じ出来事が「マタイによる福音書」8章14〜17節の出来事よりも4章分遅れて記述されているのです。

イエス様は常に「大群衆」に関心を持っておられたのではないことに注目しましょう(18節)。むしろ、イエス様が大勢の群衆の目の届かないところで癒しの奇跡を行おうと望まれたことに私たちは度々気づかされてきました(「マルコによる福音書」9章25節も参照してください)。このようなイエス様の姿勢は癒しの奇跡をこれ見よがしに大群衆の前で行うために開かれる宗教的な大集会の主催者たちに対して猛省を促すものではないでしょうか。

「するとひとりの律法学者が近づいてきて言った、「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従ってまいります」。イエスはその人に言われた、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」。
(「マタイによる福音書」8章19〜20節、口語訳)

19節からは、律法学者全員がイエス様に敵対していたのではなかったことがわかります。しかし、この律法学者でさえイエス様が普通のラビであると誤解していました。「先生」はユダヤ教の教師「ラビ」に呼びかける言いかたです。しかも、イエス様はたんなる教師(ラビ)ではなく「人の子」なのです。​​20節で、イエス様は「マタイによる福音書」では初めて御自分に対してこの名称を用いられました。「ダニエル書」7章13〜14節にも記されている「人の子」とは神様がその到来を旧約聖書で約束なさってきたメシアであり「神様の御子」のことです​​。しかし表面的に見ると、イエス様の地上での生きかたは普通のラビの快適な生活環境とは程遠いものでした。

「イエス様に従う者には快適な生活環境や何か他の利点が与えられる」といった(イエス様が保証していない)無責任な口約束を与えて人々を「イエス様に従う生きかた」へと勧誘するような真似を私たちは決してするべきではありません。

「また弟子のひとりが言った、「主よ、まず、父を葬りに行かせて下さい」。イエスは彼に言われた、「わたしに従ってきなさい。そして、その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい」。」
(「マタイによる福音書」8章21〜22節、口語訳)

二番目の弟子の願い(21節)は、私たち人間には合理的な判断とも思われます。しかし、ユダヤ教では人が死んだ場合にはその死後24時間以内に埋葬を済ますことになっていました。この弟子は、もし本当に父親が亡くなっていたのなら、この時には家で父親を悼んでいたはずなのです。要するに、この弟子が言いたかったのは、「イエス様、私はあなたに従いますが、どうか父が死ぬまで待ってください」ということでした。

この弟子にイエス様は厳しい言葉を返されます(22節)。それは「(信仰的に)死んだ者たちが死者を埋葬するようにさせよ」というものでした(10章39節も参照してください)。もちろん今日でもイエス様は、両親に対する敬意を要求する律法の戒め(第四戒)に従うことを私たちにも望んでおられます。私たちは信仰を理由にして自分の両親を無視することはできません。しかしその一方で、両親を言い訳にしてイエス様からの呼びかけを拒否することもあってはならないのです。

それが何であれ、イエス様に従うことよりも大切になものになってはいけません。

嵐を鎮められるイエス様 8章23〜27節

ゲネサレ湖の水面は地中海の海面よりも200メートルほど低いです。湖畔から北のほうに目を向けると、標高2700メートルの山頂が雪に覆われたヘルモン山が見えます。湖は山に囲まれており、島は一つもありません。

この湖では突然に嵐が起こることがあります。湖上で冷気と暖気が衝突することによって嵐が急速に発生する場合があるのです。

「そこで弟子たちはみそばに寄ってきてイエスを起し、「主よ、お助けください、わたしたちは死にそうです」と言った。」
(「マタイによる福音書」8章25節、口語訳)

イエス様の弟子たちの中には熟練の漁師たちがいたにもかかわらず(というより、まさにそれゆえかもしれませんが)、彼らは嵐に対して力無く打ちひしがれて、「これから自分たちは溺れて死んでしまうのだ」と思い込む有様でした(25節)。

「するとイエスは彼らに言われた、「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちよ」。それから起きあがって、風と海とをおしかりになると、大なぎになった。」
(「マタイによる福音書」8章26節、口語訳)

弟子たちは、自分らがいったい誰と一緒にいるのか、そしてイエス様が以前にどのようなことをなさってきたのかを覚えていたはずです。病人たちを癒す力をお持ちのお方と一緒にいるのだから、彼らが嵐を恐れる理由はまったくないはずでした。とはいえ、私たちが信仰の薄いこの弟子たちよりも信仰が強いということではもちろんありません(26節)。

「彼らは驚いて言った、
「このかたはどういう人なのだろう。風も海も従わせるとは」。」
(「マタイによる福音書」8章27節、口語訳)

27節での弟子たちの疑問は「風や海さえも従わせるとは、イエス様はいったい「どこから来られた」のだろうか」と言い換えることもできるでしょう。天から来られた神様の御子の他にそのような御業ができるお方が存在しないことは明白です。人間は誰ひとり自然の力を克服する力を有していません。その力を有しておられるのは自然の創造者なる神様だけです。「イエス様とは本当は何者なのか」という問題について真剣に考えるよう、マタイは読者を促そうとしているのです。

異邦人の地域で 8章28〜34節

「それから、向こう岸、ガダラ人の地に着かれると、悪霊につかれたふたりの者が、墓場から出てきてイエスに出会った。彼らは手に負えない乱暴者で、だれもその辺の道を通ることができないほどであった。すると突然、彼らは叫んで言った、「神の子よ、あなたはわたしどもとなんの係わりがあるのです。まだその時ではないのに、ここにきて、わたしどもを苦しめるのですか」。」
(「マタイによる福音書」8章28〜29節、口語訳)

マタイの記述はここでもマルコ(「マルコによる福音書」5章1〜20節)やルカ(「ルカによる福音書」8章26〜39節)に比べてはるかに簡潔です。

ゲネサレ湖の東側は異邦人の居住地域でした。そこにはデカポリス(ギリシア語で「十都市」という意味)の地域がありました。マルコとルカはこの地域を例えば「ゲラサ人の地」と呼んでいます。また新約聖書の古い写本では「ゲルゲサ」という地名でも知られています。それらは「ガダラ」と同様にその地域にある10の都市の名のうちの一つでした。

マルコとルカは一人の悪霊に憑かれた者についてしか述べていません。そして、その人は自分について「レギオン」と名乗ったと書かれています。マタイによれば、悪霊に憑かれた者は二人いたようです。そのうちの一人のほうが重要だったと見え、マルコとルカは彼一人についてしか語っていないのです。

ユダヤ教には「世の終わりには悪霊に憑かれた者も裁かれる」という考えかたがありました(29節も参照してください)。悪霊たちがすでに裁きを受けたここでの出来事はイエス様を通して「世の終わり」が近づきつつあることを証しする「しるし」のひとつでした。

なお、当時の(裕福な)人々の埋葬される墓は洞窟になっており、そこには人が住むこともできなくはありませんでした。

「すると、町中の者がイエスに会いに出てきた。そして、イエスに会うと、この地方から去ってくださるようにと頼んだ。」
(「マタイによる福音書」8章34節、口語訳)

その町の人々はイエス様御自身についてではなく自分たちの所有物の安全のほうに関心を持っていました(34節)。「マモン」(富)のほうがイエス様への信仰よりも人々の関心を奪ってしまうことが今日でもしばしば見られます。

ユダヤ人たちにとって豚は宗教的に不浄な動物であるため、豚を飼育していた町の住民、おそらく悪霊にとりつかれていた人々も異邦人(非ユダヤ人)であったと思われます。