マタイによる福音書4章 イエス様の受けられた誘惑
三つの試練 1〜11節
「さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。」
(「マタイによる福音書」4章1節、口語訳)
1節は、御霊がイエス様を荒野に導いて試練に遭わせたと記しています(「コリントの信徒への第一の手紙」10章13節も参照してください)。この荒野への道はヨルダンからユダヤの荒野に上って行く道でした(この道が上りであったことはギリシア語原文からわかります)。
上節で「試みられる」と訳されているギリシア語の動詞は「ペイラゾー」といい、その名詞形に相当する 「ペイラスモス」には二つの意味があります。第一に、神様の御心から離れて罪に陥るような誘惑のことです。使徒ヤコブが書いているように、「人が誘惑に陥るのは、それぞれ、欲に引かれ、さそわれるからである。」(「ヤコブの手紙」1章14節)。 第二に、この単語は「このことから何が帰結するのかを見てみる」という「試す」という意味があります。この節のイエス様の場合には後者の意味でこの単語が用いられています。イエス様は罪がまったくないお方です。それゆえ、イエス様の「肉」が神様の御心から離れるようにイエス様に誘惑を仕掛けることはありえませんでした。とはいえ、神様の御心から離れてしまう危険性は現実にあったのです。このことについては次の「ヘブライの信徒への手紙」の箇所が参考になるでしょう。
「この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。」
(「ヘブライの信徒への手紙」4章15節、口語訳)。
信仰の戦いをせずともキリスト信仰者として生きられるかのような約束を与える宣教は聖書的なものではありません。それとは逆に、サタンが人間を常に自分の側に引き戻そうと画策しているがゆえに、キリスト信仰者の信仰の戦いは激しさを増していきます。永遠の滅び(地獄)への道を歩んでいる者たちをあえてサタンが誘惑する必要はほとんどありません。誰か一人でも天の御国への道を歩むことをサタンは望んでいないのです(「ローマの信徒への手紙」7章13〜25節、「ヨブ記」1章6〜12節を参照してください)。
「そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。」
(「マタイによる福音書」4章2節、口語訳)
「四十」(2節)は聖書の中で重要とされる(象徴的な)数です。モーセはシナイ山で四十日間飲まず食わずの状態で過ごしたときに神様から律法の板を与えられました(「出エジプト記」34章28節)。預言者エリヤは神様から与えられた食物を頼りに「四十日四十夜行って、神の山ホレブに着いた」のです(「列王記上」19章8節)。四十日間の偵察任務から担当者たちが帰還したときに「約束の地」(神様がイスラエルの民に与えることを約束なさった地域)を征服することを拒んで神様に反抗しために(「民数記」14章34節)、イスラエルの民は四十年間荒野をさまようことを余儀なくされました。
「あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを導かれたそのすべての道を覚えなければならない。それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの心のうちを知り、あなたがその命令を守るか、どうかを知るためであった。それで主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナをもって、あなたを養われた。人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに知らせるためであった。」
(「申命記」8章2〜3節、口語訳)
「もしあなたが神の子であるなら」(「マタイによる福音書」4章3、6節)というサタンの呼びかけは、イエス様が神様の御子であるかどうかを疑っているのでも、イエス様に疑いを抱かせようとしているのでもありません。むしろ、それが事実であることの追認なのであり、「あなたは神の子なのだから、何々を行いなさい」という誘いかけであるとみなすことができます。
サタンは次に述べる三つの試練によって神様の御心に従う道からイエス様を遠ざけようとしました。しかし、それらの試練はイエス様がどのようなメシア、救い主になられたいのかを結果的に明らかにすることにもなりました。
第一の試練:「お前は自分の権能を用いて私益を追求するのか。」
第二の試練:「お前はメシアとしての地位と民衆の人気をしるしと奇跡をもって獲得することを望むのか。」(しるしと奇跡はイエス様が公の宣教活動をなさっている間に民衆から行うように度々要求されたことでした。)
第三の試練:「お前はサタンと契約を結ぶことを望むのか。」
イエス様はこれら三つの試練すべてに対して、旧約聖書、とりわけイスラエルの民の荒野での旅、およびその旅をすることになった原因とその結果についての箇所(「申命記」6章および8章)を引用してお答えになっています。
かりにイエス様が第一の試練に負けても、誰にも害は及ばなかったでしょう。数個の石がパンに変わることを誰が気に留めたでしょうか。しかし、それは観察可能なこの世界で起こることだけではなく、御子イエス様と御父なる神様の間で起こることにも密接に関連するような試練だったのです。イエス様のお答えは上掲の「申命記」8章3節からの引用であり、「山上の説教」の最後でも同じことについて述べておられます。その意味とは、人は神様が据えられた土台の上に自分の人生を築いていかなければならない、ということです。もしも人間の生活がこの世での一時的な生活と物事だけのためであるならば、そのような人生はうまくいきません(7章24〜27節)。イエス様が地上に来られたのは、人々に仕えられるためではなく、人々に仕えるためでした。
「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」。 (「マルコによる福音書」10章45節、口語訳)。
第二の試練は、ローマ帝国の占領下から解放されることを目的とする反乱を指揮する王という「この世的なメシア」への当時のユダヤ人たちの願望と期待に関連するものでした。ユダヤ人たちは、メシアがエルサレム神殿の頂上に現れることを期待していたのです。神殿の頂上から身を投げたイエス様が神様によって奇跡的に救い出されるとき、民衆は必ずやイエス様を信じるようになることでしょう。
しかし、やはりここでも問題になったのは、このような提案が神様の御計画には含まれていなかったということです。神様を試みることは決してしてはならないことなのです。イスラエルの民を裁き導く「士師」としてギデオンを神様が召されたとき、ギデオンには神様の御言葉を信頼するだけで十分なはずでした。ところが、ギデオンは二度も神様から「しるし」を求めたのです(「士師記」6章36〜40節)。しかも、神様はギデオンが要求した「しるし」を与えてくださいました。しかし、私たちは「しるし」を求めることには非常に慎重でなければなりません。聖書の中に明確な神様の御言葉がある場合には、いかなる「しるし」によってもその御言葉を無効にすることはできないのです。
「主なるあなたの神を試みてはならない。」(4章7節より)というイエス様のお答えは「申命記」6章16節からの引用です。
イエス様が第三の試練に負けることは神様の救いの御計画が瓦解することを意味しました。そうなった場合、イエス様はサタンの僕となってしまったでしょう。私たち人間はこの箇所に関して容易に罪の罠に陥ってしまうのではないでしょうか。例えば、「結局、些細な一つ事柄がそれほど重要なものであるはずがない。他の点で神様の御心に従っているならば、この点に関してはサタンの言いなりになっても大事には至らないだろう」というように人間は考えがちなのです。しかし、イエス様は「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。」と言っておられます(6章24節より)。今回のお答えでも(4章10節)、イエス様は「申命記」を引用なさっています(「申命記」6章13節(「主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ」))。
使徒パウロが霊的な戦いの武具を列挙している箇所で(「エフェソの信徒への手紙」6章10〜17節)、攻撃用の武具はひとつしかなく、他のすべては防御用の武具です。その攻撃用の武具は「御霊の剣」すなわち「神の言」です(「エフェソの信徒への手紙」6章17節)。この武具をイエス様はここでの試練において三度用いておられます。それゆえ、私たちもこの武具の正しい使用法を習得していかなければなりません。
この箇所では、サタンも聖書を知っているという事実に注意を向けることが大切です。新約聖書全体を通じてサタンが旧約聖書(「詩篇」91篇11〜12節)を引用しているのは4章6節だけですが、他の箇所でもサタンは「悪魔のように聖書を解釈する試み」を続けています。聖書の歪んだ解釈から教会の歴史を通じてさまざまな異端が出現し続けているということからそれがわかります。キリスト信仰者は聖書をよく習得し、その核心が世の罪を取り除くイエス様の福音であることを決して忘れてはなりません。
「するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。」
(「マタイによる福音書」4章10節、口語訳)
10節は、モーセの十戒のうち第一戒こそが他のすべての戒めに従うための前提条件となっていることを私たちに思い起こさせます。他の何にも増して神様を愛さなければ、隣り人を自分のように愛することはできないのです(「マタイによる福音書」22章34〜40節と「ルカによる福音書」18章18〜27節を参照してください)。
「そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。」
(「マタイによる福音書」4章11節、口語訳)
イエス様を誘惑することに失敗した悪魔はイエス様を離れ去りました(11節)。しかし、この信仰の試練の戦いは実にゴルゴタの十字架に至るまで続いたことを私たちはまもなく見ることになります。これ以後もサタンは様々なやりかたでイエス様を説き伏せようと試み、イエス様が天の神様の御意思に従って世の罪を帳消しにする十字架の御業を成し遂げることを阻止しようと策略を巡らすことになるからです。
キリスト信仰者も霊的な勝利を通じて信仰的に強められることがあります。サタンがその人を「過剰なまでに信仰が堅い塊のような存在」であると認めて、試みることを一時的に停止し、霊的にもっと弱っている他の信仰者たちへの攻撃に移っていく場合もあるからです。「ヤコブの手紙」には次のように書かれています。
「そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。」
(「ヤコブの手紙」4章7節)。
私たちにも次のような約束が神様から与えられていることを覚えておきましょう。
「わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない」。
(「ヨシュア記」1章9節、口語訳)
大胆に、強くありましょう。あなたの神様であられる主はあなたの行くすべての道において、あなたと共にいてくださるのですから。
新しい故郷 4章12〜17節
洗礼者ヨハネから自分の結婚の問題点を批判されたため、ヘロデ・アンティパスは彼を投獄しました(「マタイによる福音書」14章1〜12節)。ヨハネがどのように宣教したのか、そしてヨハネとイエス様の公の活動がどのように重なり合いあるいは競い合うものだったのかは知られていません。ヨハネの宣教活動は1年間ほど続いたようですが、残念ながら聖書からは何も確かなことはわかりません。
共観福音書(マタイ、マルコ、ルカによる三つの福音書の総称)は、ユダヤとエルサレムをイエス様が二度訪問なさったことだけを述べています。それに対して、「ヨハネによる福音書」はイエス様が何度もエルサレムを訪問なさったと記しています。イエス様はユダヤよりも北部にあるガリラヤ地方で主に活動しておられましたが、ユダヤ教の大きな祭りの時期には南部にあるエルサレムを訪問なさったのです。
イエス様は公に宣教活動をなさっていた間は、幼少期の故郷であるナザレではなく、そこから30キロメートルほど離れたカペナウムに住んでおられました(13節)。カペナウムはヨルダン川北部の河口近く、ガリラヤ湖畔にありました(ガリラヤ湖はナザレよりも700メートルほど低い場所でした)。カペナウムは当時3万人ほどの人が住むガリラヤで最も重要な都市でした。それは古代のゼブルン部族とナフタリ部族の境界地帯にありました。これらの部族はアッシリアによる捕囚(強制移住)がなされた時期にほとんど痕跡を残すことなく周囲の諸民族と融合してしまいました。シモン・ペテロはその地域に住んでいました(「マルコによる福音書」1章21、29節)。なお、カペナウムについて旧約聖書は一度も言及していません。
「これは預言者イザヤによって言われた言が、成就するためである。
「ゼブルンの地、ナフタリの地、
海に沿う地方、ヨルダンの向こうの地、
異邦人のガリラヤ、
暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、
死の地、死の陰に住んでいる人々に、光がのぼった」。」
(「マタイによる福音書」4章14〜16節、口語訳)
ここでも旧約聖書の預言が実現しています(15〜16節)。今回は「イザヤ書」8章23節〜9章1節です(口語訳では「イザヤ書」9章1〜2節)。「異邦人のガリラヤ」は、律法に熱心な南部の地方のユダヤ人たちから厳しい目を向けられていた地域でした。そこには多数の異邦人(非ユダヤ人)が住んでおり、異教の影響力がとても強かったためです。ダマスコから地中海沿岸に通じる重要な道はこのガリラヤを通過しました。
「この時からイエスは教を宣べはじめて言われた、
「悔い改めよ、天国は近づいた」。」
(「マタイによる福音書」4章17節、口語訳)
ここでイエス様は洗礼者ヨハネが用いた言葉(3章2節)と一字一句まったく同じ言葉によって宣教を開始なさっています。これはギリシア語原文でも同様です。
最初の弟子たち 4章18〜22節
ガリラヤ湖(18節)には「ゲネサレト湖」、「ガリラヤの海」、「キネレト」という三つの別名がありました。この湖はケニアからパレスチナまで伸びている広大な「大地溝帯」の一部となっており、地中海の海水面よりも208メートル低く、幅 は12キロメートル、長さは 21キロメートルの大きさでした。この湖では暑い空気と低い位置のため、水分の蒸発が激しく起こります。その影響で、南の方に行くほどに湖水の塩分濃度が増加していく傾向があります。1960年代に作られ始めた人工灌漑によって湖水が大量に消費されたため、湖の南端からヨルダン川に流れ込む水が不足するのではないかという懸念もありました。
福音書記者ヨハネは、アンデレがシモンをイエス様に紹介したと伝えています(「ヨハネによる福音書」1章31〜51節)。アンデレは洗礼者ヨハネの弟子でしたが、師の言葉に促されてイエス様に従うために師のもとを去ることにしたのです(「ヨハネによる福音書」1章35〜40節)。
他の福音書が最初の弟子たちの召命についてヨハネとはちがうやりかたで述べているのはどうしてでしょうか。おそらくこのことには幾つもの段階を経て弟子たちの召命がなされたことに関係があるものと思われます。イエス様のわずかなお声かけによって二人の漁師が自分たちの生業を捨てて見ず知らずの教師に従うことになるというのは、人間的にはとても信じられない出来事のように感じられます。もちろんこの召命の出来事は真実を伝えているものです。召命はイエス様固有の力ある御言葉と行いによるものであったからです。しかし、この時にシモンとアンデレは初めてイエス様と出会ったのではなく、それ以前のイエス様との出会いも踏まえた上で、今回、彼らは使徒としてついに召命されることになった、という説明も蓋然性が高いと思われます。
シモンとアンデレ兄弟の生まれた町はベツサイダでしたが、シモンの結婚により兄弟そろって近くのカペナウムに引っ越すことになったようです(「マルコによる福音書」1章21、29節)。
アンデレの立場は興味深い面があります。シモン・ペテロの影に隠れることが多かった彼にはシモンをイエス様の御許に連れて行くという重要な使命があったのです(「ヨハネによる福音書」1章40節)。
私たちは自分の役割を「神様からの賜物」と受け止めることができているでしょうか。 それとも、自分の役割が神様の御計画の中で今よりも人目につくような「重要な部分」を占めることを望んでいますか。
ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネの立場も互いに大きく異なっていました(21節)。ヤコブはのちに使徒として最初に殉教することになりますが(「使徒言行録」12章1〜2節)、ヨハネは使徒たちの中ではただ一人、殉教を免れることになります。
なお、イエス様に従うために特別な準備や技能は当時も必要ではなかったし、今でも必要ではありません。
「イエスは彼らに言われた、
「わたしについてきなさい。あなたがたを、
人間をとる漁師にしてあげよう」。 」
(「マタイによる福音書」4章19節、口語訳)
上節でイエス様は漁師たちが理解できるような言葉遣いで彼らを召されました(13章47〜50節も参照してください)。同じように、私たちも信仰の問題について人々に理解されるようなやりかたや言葉遣いで語りかけなければならないのです。
なぜイエス様は律法学者たちやファリサイ派ではなく無学な普通の人々を弟子として召命なさったのでしょうか。おそらくその理由の一つには、律法学者たちやファリサイ派はまちがったやりかたで学識を身につけすぎていたということがあります。彼らはたしかに聖書の本文についての知識はありましたが、父祖たちの伝統的な諸規則に惑わされて、聖書の本来の意味をまちがって解釈していました(「ヨハネによる福音書」8章31〜59節や「コリントの信徒への第一の手紙」1章28節を参照してください)。それゆえ、イエス様はまず古くて誤った教えを取り除いた上で、新しくて正しい教えを与えなければならなかったのです。そしてこれは、のちに「使徒パウロ」として召されることになるタルソ出身のサウロにも起きたことでした。
今日の教会においても、学識のあることがその人をよい教会職員にすることになるかどうかを問う必要があります。むしろ学識のあることが有害となる場合さえあるのではないでしょうか。例えば、学識のせいで信仰の問題を合理的に理解しようとするあまり、神様の啓示である御言葉を否定してしまう場合も起きるのではないでしょうか。
なお、18 節で述べられている「網」は、端におもりが取り付けられた円形の投げ網のようなもののことです。漁師はそれを水に投げ込み、湖の岸か舟の上に立って網にかかった獲物を「取り囲もう」としました。また21 節は、より深い水の場所で用いられる「網」について述べているものと思われます。
「マタイによる福音書」4章23〜25節 知れ渡る名声
ユダヤ教の会堂である「シナゴーグ」の設立の歴史については、あまりはっきりとしたことはわかっていません。エルサレムの神殿が破壊されたためにユダヤの人々が自国から離れて暮らすのを余儀なくされた紀元前500年代のバビロン捕囚の時代にシナゴーグは設立されるようになったもようです。シナゴーグは平信徒主体によって運営されていました。これは祭司たちがエルサレム神殿の祭儀で独占的な立場にあったのとは対照的です。律法教師たちが民衆に律法を教える役割を担い、ユダヤ人の男性が 10人いれば新しい「シナゴーグ」を設立することができました。この名称はギリシア語の「syn(一緒に)」と「agoo(集まる)」に由来しています。
「イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。」
(「マタイによる福音書」4章23節、口語訳)
23節は、イエス様のなさった全てのことと比較して福音書記者たちが記述している事柄がいかにわずかであるかを改めて思い起こさせます 。ヨハネは福音書を次の言葉で閉じています。
「イエスのなさったことは、このほかにまだ数多くある。もしいちいち書きつけるならば、世界もその書かれた文書を収めきれないであろうと思う。」
(「ヨハネによる福音書」21章25節、口語訳)。
「福音」とは「喜ばしい知らせ」のことですが、この言葉は今では独自の明確な意味をもつようになっています。
イエス様は宣教し、人々を癒されました(23節)。これらの癒しの御業は神様の御国が近づいてきていることの「しるし」でした(11章5節)。
「そこで、その評判はシリヤ全地にひろまり、人々があらゆる病にかかっている者、すなわち、いろいろの病気と苦しみとに悩んでいる者、悪霊につかれている者、てんかん、中風の者などをイエスのところに連れてきたので、これらの人々をおいやしになった。」
(「マタイによる福音書」4章24節、口語訳)
「てんかん」は月の満ち欠けに関連する病であると当時は考えられていました。「てんかん患者たち」はギリシア語では「セレーニアゾメヌース」と言い、その元になっている単語「セレーネー」は「月」という意味です。こうした考えかたの名残は今でも英語の「lunatic」(「精神障害の」という意味)という言葉に見ることができます。 この病気は症状が出たり消えたりします。病気の発作はそれが起きた時の空にどのような月が現れているかに関連している、と考えられていたのです。
マタイは「悪霊につかれている者」(原文では複数形)にも言及しています(24節)。現代の西欧では映画などのメディア関係者たちの中には悪魔の存在を信じる人々も一部にはいるようです。しかし、例えばアフリカでは西欧とは状況が全く異なり、大半の人々が悪魔の実在を信じています。
イエス様の名声は異邦人の居住地域であるシリアやデカポリスにも広がっていきました。イエス様の講話を聞いた人の中に異邦人がどれほどいたのかはわかりません。しかし、南部の地域であるユダヤとエルサレムからもイエス様の講話を聴くために人々がやって来たことからもわかるように(25節)、聴衆の人数は相当なものでした。
「デカポリス」はギリシア語の「デカ」(十)と「ポリス」(都市)という二つの単語から構成されており、「十の都市」という意味になります。そのうちの1つであるスティコポリスだけがヨルダン川の西岸にあり、他の9つ、ダマスコ、フィラデルフィア、ラファナ、ガダラ、ヒッポ、ディオン、ペラ、ゲラサ、カナタはヨルダン川の東岸にありました。