神様の子どもとして生きる

4.16. 私を造ってくださったのは神様です

天地創造を信じる際の最重要ポイント

 使徒信条の第1項目(「天地の造り主、全能の父である神様を私は信じます」)についての「小教理問答書」での説明で、ルターは天地創造自体についてはあまり多くを語りません。「私は神様が私をすべてのものとともに造られたことを信じます」とこの説明は始まります。それから次に「体と魂、目と耳と体のすべての諸部分、理性とすべての感覚」という「神様が私に与えてくださったもの」について語ります。さらにルターは、神様が私を含むこれら一切を保ち、私に「生きるために必要なすべてのものを日々豊かに与え、あらゆる危害から保護し、またすべての悪から防御し救い出してくださる」と宣言します。しかも、これらすべての御業を神様は「私自身の功績や値打ちに依存するものとしてではなく、父としての純粋な善性と憐れみによって」行われるのです。「これらすべてのことについて私は(またしても「私」です!)神様に感謝し、神様を賛美し、また奉仕し、服従するのです」。

 このような説明によってルターは使徒信条の第1項目で知るべき最重要事項を扱っています。この信条は世界の成り立ちを一般的に教えているだけではありません。私が生きている目的、この世での私の立場、権利、可能性、および私が神様に対して負っている義務についての神様から私へのメッセージなのです。

 このことを私は日常生活の確実な指針として銘記するべきです。生きている私は朝目覚めます。私の命は神様からの賜物です。神様は今この瞬間も私の心臓が脈打ち、私の脳が私自身を意識するように事細かく配慮してくださっています。神様はたった今私が取り組むべき課題を私にお与えになります。神様は今日私が出会うことになる人々を私が赴こうとしているところに引率なさいます。私が今もっている知識や能力や才能は神様が私にお与えになったものです。すべては神様からの贈り物なのであり、私はそれらについて神様に感謝しつつお仕えするために責任をもって用いるべきなのです。暗闇で一瞬輝きを放っては消え失せる火花などとは異なり、私はこの世にひととき偶然に生きているのではありません。神様の不変の愛の対象として、永遠の世界への帰還を待つ神様の子どもとして私は造られたのです。私が神様の被造物世界の一部をなしていることは、これほど大きな意味をもっているのです。天地創造信仰がいかに大切で豊かな意味をもつものかがこれで少し明らかになったのではないでしょうか。