天使たち、悪魔

4.10. 天使たち

神様を賛美し神様に仕える天使たちやその他の諸霊が存在します

 人間は神様の地上での創造の御業の頂点をなす存在です。しかし、この創造の御業は私たちを取り囲む宇宙のみに限定されてはいません。神様を知り賛美し神様に仕える他の生命体がいる「別の世界」が実在することを聖書は教えています。イエス様の教えの中では天使の存在は自明の前提となっています(「マタイによる福音書」18章10節、26章53節)。また、命の与え主である神様に対して跪いて崇めるおびただしい数の諸霊について使徒パウロはその名をあげて言及しています(「コロサイの信徒への手紙」1章16節)。そして、神様による人間の救いに関わる聖書の様々な出来事のうちでも特に重要な局面においては天使たちが神様のメッセージを伝える使者として登場しています。「天使」という言葉は本来「使者」という意味をもっていることを、ここで指摘しておきます。聖書は天使本人にではなく天使の伝えているメッセージの内容のほうに関心を示しています。これは聖書ならではともいえる特徴のひとつです。聖書は天使そのものについては短く言及するだけです。ですから、キリスト信仰者は天使や諸霊についての知識を闇雲に求めて深みに嵌り詮索を続けるのは神様の御意志ではないことを確認しましょう。そして、聖書に与えられている情報だけで満足することにしましょう。

 とはいえ、ひとつ確実なことがあります。神様は虚空の宇宙の遥か彼方でひとり孤独に鎮座している「イデア」のような存在とはまったく違うということです。それとは逆に、神様の世界が生き生きとした生命体、賛美、喜び、奉仕、交わりで満ち満ちていることを聖書は私たちに予感させてくれます。

4.11. 悪

悪と悪魔

 「悪」は人間の存在と理解を超えた世界に由来するものです。それゆえ、私たちはその起源についてごくわずかな知識しか有していません。

 聖書は悪の力が現実に存在することを非常に明確に語っています。この悪はたんに人間の抱えている意志や理解や能力の欠点や欠如などではなく、自らの意志と計画を持って行動する個体の力なのです。イエス様はこの力を「サタン」と名づけています。この言葉はもともとヘブライ語で「敵」や「反対者」を意味します。それに対応するギリシア語の言葉は「ディアボロス」で「責め立てる者」や「蔑む者」という意味です。

悪の起源をめぐる推測

 どのようにしてサタンが悪の存在になったのか、私たちにはわかりません。聖書に基づいて言えることは、人間が生まれる以前に、神様の造られた生き物たちの間で神様からの離脱を試みる反乱が起こったということです。イエス様が地上で生活していた当時のユダヤ世界では「イザヤ書」14章における預言はこの状況を指しているものと理解されていました。この章には神様に比肩する存在になろうとして逆に深く堕落してしまった光輝く明けの明星についての言及があります。神様の被造物の中の何者かが自分勝手に指令を出し、自らの意志によって神様の意志に反抗する行動に出た、すなわち「悪を行った」と私たちは推量することができます。同様のことを仄めかしている箇所はイエス様の御言葉の中にもあります。イエス様は「悪魔は真理に立つ者ではない」(「ヨハネによる福音書」8章44節)と言われます。悪魔は真理以外のものを選んだため「偽りの父」となり、あらゆる悪の大本になったということなのかもしれません。それにしても、「いかにして悪魔は悪魔になったのか」とか「なぜ悪魔のような存在がそもそも創造されたのか」といった疑問には明瞭な答えが見つかっていません。キリスト教は論理的に見て矛盾のない一貫した理論などではなく、真理と真理をめぐるあらゆる謎をくまなく描写するものであること、を私たちはこの問題を通して再確認することになります。

私たちの生活している世界に働きかけている二つの力

 悪魔は存在します。その意志は世界中いたるところで神様の御意志と対立しています。そのせいで、神様の御意志に反した出来事が毎日たくさん起きているのです。もしも悪魔の存在そのものを否定するならば、もともと悪魔が引き起こした出来事の責任を神様に押し付けるほかなくなります。この世では絶えざる戦いがあります。神様に敵対する者たちからの間断なき攻撃に対して、造り主なる神様が様々なやりかたで被造物世界を守り、正しくよいことを保護してくださっています。この不可視の現実を抜きにしてこの世で起きている様々な出来事を正しく理解するのは不可能です。悪の力は神様の善き創造の御業を台無しにして消去することばかりを念じています。イエス様によれば、悪魔は「初めから人殺しである」(「ヨハネによる福音書」8章44節)からです。