どうすれば、信仰に入れるのでしょうか。 どのようにすれば、自分の人生をイエス様に捧げることになりますか。

フィンランド語原版執筆者: 
シルッカリーサ・フフティネン(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

どうして自分が信じるようになったのかについてキリスト信仰者が語るさまざまなエピソードを、あなたは耳にする機会があるかもしれません。

キリスト信仰者の中には、何かがきっかけとなって突然信じるようになる人もいますし、時とともに少しずつ信仰の意味がわかってきた人もいます。
あるいは、子どもの頃からイエス様について教えられて育ってきた人もいます。
このように、イエス様を信じるようになるまでの道のりは、人によってちがいます。
そのどれかが他よりも優れているということではありません。

もちろん、人が信仰に入るすべてのケースに共通していることもあります。
ルデヤという女の人が信仰に入った理由を説明する新約聖書の箇所から、それが何かがわかります。
「主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに耳を傾けさせた」 (聖書の使徒言行録16章14節より) ので、彼女は信じるようになったのでした。
つまり、主イエス様が御言葉のメッセージを通して人の心を開いてくださったのです。

あなたは、「信じようか、どうしようか」、迷っていますか。
そんなあなたに簡単なアドヴァイスをさしあげます。
信じることに反対したり、イエス様の御許から逃げたりするのをおやめなさい。
神様の御言葉である聖書やその教えに耳を傾けてください。
とくに、「神様はあなたのために何をしてくださったか」、というメッセージに耳を傾けてください。
神様はあなたに悪いことを行おうとはなさいません。
あなたの造り主であり贖い主である神様は、あなたを愛していらっしゃるからです。

信じるかどうかを自分で決めたり、神様を賛美するために手を高く挙げるなど特定のポーズをとったり、大規模な伝道集会の最前列に進み出て信仰の決断を表明したり、周囲の人々に向かって声を張り上げて信仰の証をしたりする必要はありません。
これらの行いは、人が不信仰から信仰へと移るために絶対に越えるべき敷居であるかのようにみなされる場合があります。
しかし、信仰に入るためにはこのような行いは必要ありません。 あなたはただ信じるだけでよいのです。

「神様の御子、主イエス・キリスト様、罪深い私をどうか憐れんでください」、とあなたは祈ることができます。
「神様はこの私の祈りを必ず聴き入れてくださる」、とあなたは聖書に基づいて信じることができます。
大切なのは、「信じている感じがするかどうか」、ということではなくて、「何を信じているか」、ということです。
その信仰の内容とは、「イエス様があなたを救ってくださる」、ということです。
この救いは神様からの賜物です。
信仰とは、この救いを受け入れることなのです。

あなたがもうすでに洗礼を受けている場合には、信仰に入ることは、あなたが天の御国の我が家へと帰ることであり、救い主と一緒に生活し始めることです。
そのために、キリスト信仰者の集まりである教会を見つけて通い始めてください。
教会の礼拝で、あなたは罪の赦しの宣言を受け、他のキリスト信仰者たちと一緒に聖餐式に参加することができるでしょう。

まだ洗礼を受けていない人のことも、キリストは御許に招いておられます。
洗礼はその人を罪から洗い清めて、教会へと結びつけてくれます。
「私が洗礼を受けていない場合にはどうなりますか。」

「なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。」
(聖書のローマの信徒への手紙10章13節)

神様の御子、主イエス・キリスト様、罪深い私をどうか憐れんでください。