聖書をどのように解釈するべきでしょうか。

フィンランド語原版執筆者: 
エルッキ・コスケンニエミ(フィンランドルーテル福音協会、神学博士)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

聖書はいかようにも解釈できるものです。 しかし、恣意的な聖書解釈は解釈者にとって褒められるような行為ではありません。 適切な解釈をするためには、いくつかの基本事項を押さえておく必要があります。

私たちが読んでいる聖書は何百年も昔に生み出されたものです。 聖書の解釈に興味をもつ人がまず考えるべき問題は、聖書に含まれている一連の書物はそれを初めて聴いた当時の人々によってどのように理解されたのか、ということです。

たとえば、旧約の預言者エレミヤは当時の多くの預言者のうちでただ一人、「神様をないがしろにした罪深さのゆえに、ダヴィデの都エルサレムはいずれ崩壊することになるだろう」、と預言しました。 彼のこの厳しいメッセージを当時の人々はどのように受け止めたのでしょうか。

エルサレムの破滅が現実のものとなった後の悲惨な状況下で、当時の人々は素晴らしい未来が必ず到来することを約束するイザヤ書40章の預言を読みました。
その時、彼らはこの預言についていったい何を思ったことでしょうか。

新約聖書のヨハネの黙示録の最初の読者たちは、この書物の中の激烈な預言の数々をどのように解釈したのでしょうか。

これらの質問の答えを見つけるためには、聖書と関係文献を幅広く読む向学心をもち、信頼できる専門家に助言を仰ぐ必要が出てきます。
たしかに大変ですが、やりがいのある作業です。

聖書をそれが書かれた歴史的状況に基づいて理解することは、現代人が日常生活の中で聖書を理解する手がかりをいろいろと与えてくれます。
過去と現在の間には、依然として多くの共通点があるからです。
キリスト信仰者は聖書をひとつのまとまりとしてとらえ、キリストを聖書解釈の中心軸に据えて読んでいきます。
読めば読むほど、聖書に対する理解は少しずつ深まっていくものです。
それとともに、何百年間もかけて生み出されてきた聖書の中のそれぞれの書物は、その「本来の姿」を見せてくれるようになります。
本来聖書は全能の神様があなたに宛てて書いてくださった愛の手紙なのです。
聖書に親しむあなたはいずれこのことに気づくことになるでしょう。

「すなわち、神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。
神がわたしたちをとおして勧めをなさるのであるから、わたしたちはキリストの使者なのである。
そこで、キリストに代って願う、神の和解を受けなさい。
神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。
それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。」
(聖書のコリントの信徒への第二の手紙5章19〜21節)

親愛なる神様、御言葉を正しく教える信頼のおける教師たちを与えてくださり、感謝します。 どうか、私もそのような教師たちから聖書を学ぶことができるようにしてください。