命は偶然の産物なのでしょうか。

フィンランド語原版執筆者: 
リーサ・ロシ(神学修士)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

あなたが今この文章を読むのに使っているコンピューターやスマートフォンなどのことをしばらく考えてみてください。
そしてここに、「この機械は偶然の産物だ。しかるべき部品の集合がたまたま互いに正しく組み合わされてできたものにすぎない」、と言い張る人がいたとしましょう。
あなたはその人の言うことを信用しますか。
むしろ、誰かがこの機械をある特定の目的のために緻密に設計して製作したことにすぐに気づくのではありませんか。

今度は、私たちが住んでいる世界や、生物一般について考えてみてください。
それらは、スマートフォンなど現代技術が生み出したどの機械よりも、はるかに繊細で精確な組織体だと言えるでしょう。
人間の身体も驚異的な精巧さで構成されています。
このようなものが偶然の産物であるはずがありません。

たしかにこの世界は、混沌に満ち破壊や消滅も引き起こす大宇宙として人間の目には映るかもしれません。
しかし、それら万象の背後には、万物を造られた創造主がおられるのです。
人間にとって、この創造主は理解しがたい不思議な存在かもしれません。
実はこの方は、すべての人間を愛しておられる天の父なる神様でもあります。
そして、ご自分についてキリストを通して人間に告げ知らせてくださったのです。

私たちを取り巻く世界や私たち自身が現にこうして存在しているのは、造り主なる神様がそう望まれた結果なのです。
神様は、被造物が本来の目的に沿って活動するように働きかけてくださいます。
神様と一緒に生活するために創造された人間の本来の生き方を、ここで思い出しましょう。

何事も偶然などではありません。
森羅万象に関して神様の細心の配慮が隅々にまで行き届いているからです。
すべての人間の生命もまた偶然の産物ではありません。
あなたが今こうして存在しているのは、神様があなたについてそう望まれたからなのです。
あなたの生命は、神様の周到なご計画と偉大な愛が生み出した立派な作品です。

「はじめに神は天と地とを創造された。
(中略)神はまた言われた、
「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。 神は自分のかたちに人を創造された。 すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
(中略)神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。」
(聖書の創世記1章1、26〜27、31節)

神様、あなたの賜物を見ることができるように、私の目を開いてください。 あなたに感謝できるように、私の口を開いてください。 あなたを賛美できるように、私の心を開いてください。