ルツ記

フィンランド語原版執筆者: 
パシ・フヤネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木 賢 (フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

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「ルツ記」ガイドブック

内容には聖書の箇所や説明を加えるなど、変更が加えられています。
聖書の引用は口語訳によっています。 しかし、必要に応じて直接ヘブライ語原文からも訳出しています。
なお、章節の番号についてはBiblia Hebraica Stuttgartensia(1987年版)に準拠しているため、口語訳とは章節数が一致していない場合があります。


「ルツ記」を読むために

士師の時代、混迷の時代

旧約聖書の中に収められている「ルツ記」は、同じく旧約聖書の一冊である「士師記」に描かれている「士師の時代」に起きた出来事として位置付けられています(「ルツ記」1章1節)。これは時期的には紀元前1100〜1000年頃に相当します。より具体的に言えば、「士師記」6〜8章に登場するギデオンが士師を務めた時代の出来事だったのではないかとも推測されています。「士師」とは、王政に移行する前の時代にイスラエルの民を指導した裁定者のことです。

「士師記」はその最後の一節で「士師の時代」の特徴を次のように言い表しています。

「そのころ、イスラエルには王がなかったので、おのおの自分の目に正しいと見るところをおこなった。」
(「士師記」21章25節、口語訳)

「士師の時代」の後には「王の時代」が来ました。この時代は、最後の士師であり偉大な預言者でもあったサムエルがサウルに正当な王のしるしとしての油を注いだ時に始まりました。

いったい誰が「ルツ記」を記したのかを確定するのは困難です。たとえばユダヤ教の伝承では、サムエルが「ルツ記」の執筆者であったとされました。「ルツ記」の末尾(4章17〜22節)にある系図にはダヴィデに至るまでの系図が記されています。

いつ頃「ルツ記」が 書かれたのかも謎に包まれています。バビロン捕囚以後であったという見解をとる研究者もいますが、これは説得力に欠けています。「ルツ記」は偉大なダヴィデ王の母方にあたるルツが異邦人民族であるモアブ人であったことをわざわざ明記しています。しかし、捕囚時代のユダヤの民にとって、ダヴィデが血筋的に正統な王位継承者であったかどうかは非常に重要な問題だったはずです。ですから、ルツがモアブ人であったことはあまり公にしたくはなかった事実でしょう。

「ルツ記」の末尾に記されている系図にはダヴィデの後継者ソロモンの名前がありません。このことから、「ルツ記」は王の時代のごく初期、紀元前900〜800年代頃に書き記されたものではないかとも推定されています。あるいは、「ルツ記」の出来事の内容自体はこの時期に遡るものの、「書物」として実際に書き記されたのはもっと時代が下ってからであったという可能性もあります。

ヘブライ語では「語根」と呼ばれる三つのアルファベットがそれらから構成される様々な派生語に共通する基本的な意味を与えます。「ルツ記」の中心的なテーマのひとつは「贖い」(元の持ち主に買い戻すこと)です。この短い書にはこの意味の語根(ギメル・アーレフ・ラーメド)に由来する単語が23回も繰り返し登場します。具体的には「贖う」という意味の動詞(ガーアル)が13回(3章13節に4回、4章4節に6回、4章6節に3回)、「贖う権利及び義務のある親族」という意味の分詞由来の名詞(ゴーエル)が9回(2章20節、3章9節、3章12節(2回)、4章1節、4章3節、4章6節、4章8節、4章14節)、そして「贖う権利及び義務」(ゲウッラー)という意味の名詞が2回(4章6節、4章7節)出てきます。

「ルツ記」のもうひとつのテーマは「神様による導き」です。神様は苦難を通して私たち人間を導いてくださいます。人間の目にはまったく的外れに見えるような不思議な道筋さえも活用しつつ、この神様による導きは着実に実現されていきます。

「ルツ」はヘブライ語で「友」とか「友情」を意味する言葉です。この言葉もまた「ルツ記」を読み解くための重要なキーワードになっています。

「ルツ記」は「七週の祭」と呼ばれるユダヤ人の祭で朗読される旧約聖書の巻物のうちのひとつでした。この祭はキリスト教のペンテコステ(聖霊降臨祭)と同じ時期に行われます。

聖書には「ルツ記」のほかにもユダヤ人の祭で朗読される巻物が4つあります。
「エステル記」は「プリム祭」で、「コヘレトの言葉」は「仮庵の祭」で、「雅歌」は「過越の祭」で、「哀歌」は「神殿崩壊日」で朗読されます。

「七週の祭」は春の収穫祭でもあります。それゆえ、この祭のための聖書の巻物として「ルツ記」が選ばれたのは自然であったとも言えます。「ルツ記」には収穫作業の様子が具体的に描写されているからです。

レビラト婚

「ルツ記」は、ダヴィデ王の祖先にあたる、ベツレヘム人エリメレクとその妻ナオミについて語っています。この夫婦は激しい飢饉を逃れるためにカナンの地を離れて、敵対民族であるモアブ人の地へと移住しました。旧約聖書の「申命記」はモアブ人が主の会衆に加わることを次のように禁じています。

「アンモンびととモアブびとは主の会衆に加わってはならない。彼らの子孫は十代までも、いつまでも主の会衆に加わってはならない。これはあなたがたがエジプトから出てきた時に、彼らがパンと水を携えてあなたがたを道に迎えず、アラム・ナハライムのペトルからベオルの子バラムを雇って、あなたをのろわせようとしたからである。」
(「申命記」23章3〜4節、口語訳)

モアブは死海の東側に面していました。モアブの民はアブラハムの兄弟ロトの子孫でした(「創世記」19章31〜38節)。

モアブの地でエリメレクと彼の二人の息子は死去しました。しかし、やもめとなったナオミと、ナオミの息子の妻で同じくやもめとなったモアブ人ルツはベツレヘムに帰郷する決心をしました。

ベツレヘムでルツはナオミの親戚にあたるボアズに出会い、当時の慣習に従って彼に求婚しました。求婚を受けたボアズはルツと結婚し、さらに、売られたエリメレクの土地を自分の一族の土地として買い戻しました。

ルツとボアズの結婚は「レビラト婚」と呼ばれる形式のものでした。この結婚については次の聖書の箇所が参考になるでしょう。

「兄弟が一緒に住んでいて、そのうちのひとりが死んで子のない時は、その死んだ者の妻は出て、他人にとついではならない。その夫の兄弟が彼女の所にはいり、めとって妻とし、夫の兄弟としての道を彼女につくさなければならない。そしてその女が初めに産む男の子に、死んだ兄弟の名を継がせ、その名をイスラエルのうちに絶やさないようにしなければならない。しかしその人が兄弟の妻をめとるのを好まないならば、その兄弟の妻は町の門へ行って、長老たちに言わなければならない、『わたしの夫の兄弟はその兄弟の名をイスラエルのうちに残すのを拒んで、夫の兄弟としての道をつくすことを好みません』。そのとき町の長老たちは彼を呼び寄せて、さとさなければならない。もし彼が固執して、『わたしは彼女をめとることを好みません』と言うならば、その兄弟の妻は長老たちの目の前で、彼のそばに行き、その足のくつを脱がせ、その顔につばきして、答えて言わなければならない。『兄弟の家をたてない者には、このようにすべきです』。そして彼の家の名は、くつを脱がされた者の家と、イスラエルのうちで呼ばれるであろう。」
(「申命記」25章5〜10節、口語訳)

もしもイスラエル人の夫が子を得ないまま死んだ場合には、彼の兄弟か、あるいはその次に近い親戚がそのやもめを妻として受け入れなければなりませんでした。この新しい結婚を通して生まれた長男は「死んだ夫の息子」とみなされました。このようなやり方によって、死んだ夫の家系が途絶えることなく存続できるように取り計らわれたのです。

現代の私たちには馴染みのないこの慣習の背景には、先祖の土地に関するイスラエルの民特有の考え方がありました。

「地は永代には売ってはならない。地はわたしのものだからである。あなたがたはわたしと共にいる寄留者、また旅びとである。あなたがたの所有としたどのような土地でも、その土地の買いもどしに応じなければならない。あなたの兄弟が落ちぶれてその所有の地を売った時は、彼の近親者がきて、兄弟の売ったものを買いもどさなければならない。たといその人に、それを買いもどしてくれる人がいなくても、その人が富み、自分でそれを買いもどすことができるようになったならば、それを売ってからの年を数えて残りの分を買い手に返さなければならない。そうすればその人はその所有の地に帰ることができる。しかし、もしそれを買いもどすことができないならば、その売った物はヨベルの年まで買い主の手にあり、ヨベルにはもどされて、その人はその所有の地に帰ることができるであろう。」
(「レビ記」25章23〜28節、口語訳)

このように、本来すべての土地は主に属するものであり、イスラエルの民はその土地を借りて農耕を営む寄留者にすぎません。それゆえ、土地は人間が勝手に売買できるものではなく、主からそれを借り受けた一族が代々受け継いでいくべきものとされました。売買されてしまった土地は、50年間隔で訪れる「ヨベルの年」に本来の所有者(主から借用した一族)に返還される決まりになっていました。この特別な年には土地の返還を記念して喜びの祝祭が行われました(「レビ記」25章)。旧約聖書でこの慣習が適用された具体例としては「ゼロペハデの娘たち」のケースが記されています(「民数記」36章)。

男性だけが仕事によって安定した収入を得ることができた当時のイスラエルの世界では、やもめと未婚女性の社会的・経済的立場は極めて弱いものでした。

「ルツ記」に出てくるレビラト婚という慣習は、たんに考え方として捉えるなら、イエス様の時代のユダヤ教にも残っていました。このことはサドカイ派の人がイエス様に次のような質問をしたことからも伺えます。

「「先生、モーセは、わたしたちのためにこう書いています、『もし、ある人の兄が死んで、その残された妻に、子がない場合には、弟はこの女をめとって、兄のために子をもうけねばならない』。ここに、七人の兄弟がいました。長男は妻をめとりましたが、子がなくて死に、次男がその女をめとって、また子をもうけずに死に、三男も同様でした。こうして、七人ともみな子孫を残しませんでした。最後にその女も死にました。復活のとき、彼らが皆よみがえった場合、この女はだれの妻なのでしょうか。七人とも彼女を妻にしたのですが」。 」
(「マルコによる福音書」12章19〜23節、口語訳)

たとえば、アフリカのケニヤのマサイ族では、死んだ兄弟の妻であったやもめの世話をするという慣習が現在もあることが知られています。

愛のため?それとも金のため?

「ルツ記」では、ルツがボアズと結婚したことが賞賛されています。この結婚によってナオミの家族に、本来その一族のものだった土地が元通り返還されることになったからです。しかし、現代人の結婚にとって必須事項である「愛」については何の言及もありません。

たとえば、フィンランドでは今から100年ほど前(1900年代初頭)までは「若い当事者同士の意見は何も聞かずに、双方の一族の間で勝手に結婚を取り決める」という慣習が支配的でした。その後ようやく結婚のあり方が変化し始めたのです。しかし、それとともに離婚の数も増加の一途を辿りました。ですから、今の結婚のやり方が「より幸福なもの」になったのかというと、必ずしもそうとは言えません。これは「結婚はただ単に感情の炎が燃え盛ることではなく、その維持のためには熱心な働きかけやたゆまぬ努力が必要とされる」という基本事項を多くの人々が忘れてしまっているからなのかもしれません。

「ルツ記」には人間の救いの歴史に関わる重要なメッセージが込められています。ダヴィデの曽祖父(ボアズ)の妻(ルツ)はイスラエルの民が憎悪したモアブ民族の出身でした。(「ルツ記」4章18〜22節)。すなわち、ルツは神様の選民であるイスラエルの民には所属していない旧約聖書の登場人物のひとりです。この点で、神様の救いが異邦人たち(イスラエル以外の諸民族のこと)にも及ぶようになった後の時代の状況を、ルツは先取りしているとも言えます。

イエス・キリストの系図(「マタイによる福音書」1章1〜17節)には4人の女性の名前が記されています。彼女たちにはそれぞれなんらかの「問題」がありました。

1)タマル(「マタイによる福音書」1章3節)はユダの息子エルの妻でした。彼女は異邦人(カナン人)であった可能性があります。夫であるエルの死後やもめとなった彼女に、ユダは他の息子を将来新しい夫として与える約束をして、彼女を実家に送り返します。しかし、ユダが約束を守るつもりがないことを知った彼女は、素性を明かさずに娼婦を装い、死んだ夫の父親であるユダと床を共にして子を得ます(「創世記」38章)。

2)ラハブ(「マタイによる福音書」1章5節)は異邦人(カナン人)でした。そればかりか、娼婦でもありました。彼女は「ボアズの母」と言われていますが、「母」とか「父」という言葉は、聖書では祖母や曽祖母、あるいはさらに昔の祖先のことを意味していることもあります。

3)ルツ(「マタイによる福音書」1章5節)も前述の通り異邦人(モアブ人)でした。

4)バテシバ(「マタイによる福音書」1章6節)はウリヤの妻でしたが、ウリヤが戦地にいる間にダヴィデ王の呼び出しを受けて床を共にし、妊娠しました。ダヴィデは自分の姦淫の罪を隠蔽するため様々な策を弄しましたが失敗し、結局はウリヤを敵の手で戦死させることになりました(「サムエル記下」11章)。

人間の視点からすれば神様に受け入れていただけるはずのないきわめて罪深い人々のことを、神様は憐れみ深い御心を実現させるためにお選びになったのです。


相次ぐ不幸 「ルツ記」1章

飢餓を逃れて 「ルツ記」1章1〜7節

「ルツ記」に描かれている最初の不幸な出来事はイスラエルで起きた飢饉です。エリメレクの家族はこの飢饉を逃れるために隣国のモアブに移住しました。しかし、彼らはその地でも次々と不幸に見舞われました。それはまさに次に引用する「アモス書」にあるような「踏んだり蹴ったり」の状態だったと言えます。私たちの中にも人生のある時期に集中して様々な不幸に遭遇する経験をしたことがある人は意外に多いのではないでしょうか。

「人がししの前を逃れてもくまに出会い、 また家にはいって、手を壁につけると、 へびにかまれるようなものである。」
(「アモス書」5章19節、口語訳)

「ルツ記」は士師の時代の出来事であったことが「ルツ記」1章1節には記されています。しかし「士師記」にはこの飢饉に該当する記述がありません。この齟齬に対しては、「ルツ記」の飢饉はこの地をしばしば襲った普通の意味での飢饉ではなく、外敵ミデアン人の襲撃によって生じた土地の荒廃のことをさしている、という説明も提案されています。

「イスラエルの人々はまた主の前に悪をおこなったので、主は彼らを七年の間ミデアンびとの手にわたされた。ミデアンびとの手はイスラエルに勝った。イスラエルの人々はミデアンびとのゆえに、山にある岩屋と、ほら穴と要害とを自分たちのために造った。イスラエルびとが種をまいた時には、いつもミデアンびと、アマレクびとおよび東方の民が上ってきてイスラエルびとを襲い、イスラエルびとに向かって陣を取り、地の産物を荒してガザの附近にまで及び、イスラエルのうちに命をつなぐべき物を残さず、羊も牛もろばも残さなかった。彼らが家畜と天幕を携えて、いなごのように多く上ってきたからである。すなわち彼らとそのらくだは無数であって、彼らは国を荒すためにはいってきたのであった。こうしてイスラエルはミデアンびとのために非常に衰え、イスラエルの人々は主に呼ばわった。」
(「士師記」6章1〜6節、口語訳)

このようにミデアン人たちは何年にもわたってイスラエルの地の産物を徹底的に荒らしたのです。どうしてナオミは、おそらく10年以上も経ってからようやくモアブからベツレヘムに帰還することを決意したのか、その理由もこれによって説明がつきます。ミデアン人の襲来が「飢饉」の原因であったとすれば、「ルツ記」の出来事は士師ギデオンの時代に起きたことになります。

「ベツレヘム」はヘブライ語で「パンの家」を意味します。ベツレヘムの地域は穀物が豊かにとれる土壌を有していました。ところが、そこにも「飢饉」が起きたのです。この町はエルサレムから南方約8キロメートルのところにあり、次の引用箇所からもわかるようにダヴィデ王の故郷でもありました。

「その時、ひとりの若者がこたえた、「わたしはベツレヘムびとエッサイの子(ダヴィデのこと)を見ましたが、琴がじょうずで、勇気もあり、いくさびとで、弁舌にひいで、姿の美しい人です。また主が彼と共におられます」。」
(「サムエル記上」16章18節、口語訳)

「ルツ記」はベツレヘムとダヴィデとの関連性について貴重な情報をあたえてくれます。

聖書ではしばしば「ベツレヘム」と一緒に「エフラタ」という地名も挙げられています(「ルツ記」1章2節、「創世記」35章19節、「サムエル記上」17章12節、「ミカ書」5章1節)。「実り豊か」という意味をもつ「エフラタ」はベツレヘムの周辺地域を表す言葉であると思われます。

「しかしベツレヘム・エフラタよ、
あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、
イスラエルを治める者があなたのうちから
わたしのために出る。
その出るのは昔から、いにしえの日からである。」
(「ミカ書」5章1節、口語訳)

どうしてエリメレクが家族揃ってほかでもなくモアブの地に移住したのか、その理由は説明されていません。モアブは南東に位置する隣国でしたが、イスラエルの民からは不興を買っていました。「アンモンびととモアブびとは主の会衆に加わってはならない。彼らの子孫は十代までも、いつまでも主の会衆に加わってはならない。」(「申命記」23章4節、口語訳)と主も命じておられます。もしも飢饉の原因がミデアン人たちによる襲撃にあるとしたら、エリメレク一家の移住にも説明が付きます。ミデアン人たちはイスラエルの地を攻撃しました。しかし、モアブの地はその攻撃を免れ、平和を保つことができたのでしょう。モアブ人たちは「ケモシ」という名の偶像を礼拝していました。この偶像礼拝には子どもを生贄として捧げる儀式も含まれていたことが次の引用箇所からわかります。

「モアブの王は戦いがあまりに激しく、当りがたいのを見て、つるぎを抜く者七百人を率い、エドムの王の所に突き入ろうとしたが、果さなかったので、自分の位を継ぐべきその長子をとって城壁の上で燔祭としてささげた。その時イスラエルに大いなる憤りが臨んだので、彼らは彼をすてて自分の国に帰った。」
(「列王記下」3章26〜27節、口語訳)

「エリメレク」にはヘブライ語で「私の神様は王です」という意味があります。名前に基づいて判断するならば、エリメレクの家族は真面目に神様を信仰する家族だったことになります。それに対して、彼らが生きていた士師の時代は社会的にも宗教的にも混迷を極めていました。

「ナオミ」にはヘブライ語で「好ましい」とか「愛らしい」とか「幸福である」といった意味があります。「ルツ記」1章20〜21節の記述はこのことに関連しています。

彼らのふたりの息子の名前はマロンとキリオンでした。「マロン」はおそらく「病気である」という意味であり、「キリオン」は「滅亡と破滅」に結びつく言葉です。これらの名前は彼らの生まれた時代の悲惨な状況に関連しているのではないでしょうか。「士師記」には滅亡や破滅、病気や死に関わる記述がたくさんあります。古代ローマには「名前は来るべきことを予告している」という意味のラテン語の諺(Nomen est omen)がありますが、このふたりの息子にはそれが当てはまるようにも見えます(5節)。

オルパとルツはモアブ人の名前です。「オルパ」はヘブライ語の「首」や「うなじ」を意味する単語(オレフ)と同じ語根から構成されています。「名は体を表す」ということで考えると、もしかしたら彼女の襟首は特別に美しいものだったのかも知れません。「ルツ」(ルート)はヘブライ語で「女性の友だち」を意味する単語(レウート)に似た形をしています。

エリメレクの死後にナオミの生活を守ってくれるのは、その頃すでに成人していた彼女の息子たちのはずでした。彼らはまもなく結婚しました(「ルツ記」1章3〜4節)。マロンはルツを(「ルツ記」4章10節)、キリオンはオルパをそれぞれ妻として迎えました。ところが約10年後(「ルツ記」1章4節)、新たな不幸がナオミの家族を襲いました。彼女のふたりの息子たちもナオミを残して先に死んでしまったのです。

イスラエルの民の間では、後継ぎを得ないまま死んでしまうことは大きな不幸でした(「ルツ記」1章5節)。それは一族が断絶することを意味したからです。このような事態を回避するためにこそ、前述のレビラト婚は制定されました。しかし、ナオミ、ルツ、オルパはモアブの地に住んでおり、エリメレクの親戚たちはユダヤのベツレヘムに住んでいたのです。

死ぬまで変わらぬ友愛 「ルツ記」1章6〜18節

神様はイスラエルをふたたび祝福してくださり、その地にはもはや飢饉がなくなりました(「ルツ記」1章6節)。それで、ナオミは先祖の地に帰郷することに決めました。ナオミはその地に畑をもっており(「ルツ記」4章3節)、その畑のおかげでナオミにはこれからも生活していける希望がもてたのです。すでに高齢だったナオミには一人では畑を耕す力がありませんでした。しかしそれを売ることによって、というよりも人に貸すことによって(なぜなら、先祖の土地を売ったままに放置することは許されなかったからです)、彼女はどうにか生活していくのに必要なだけの収入を得ることができるはずでした。

「その時、ナオミはモアブの地で、主がその民を顧みて、すでに食物をお与えになっていることを聞いたので、その嫁と共に立って、モアブの地からふるさとへ帰ろうとした。」
(「ルツ記」1章6節、口語訳)

イスラエルの状況が好転したということではなく、神様がイスラエルの民のために働きかけて食べ物を与えてくださったということが、この節からは伝わってきます。以下の例にみるように、「ルツ記」では他の箇所でも神様の働きかけについての言及があります。神様の働きかけは人間の視点からすると常に喜ばしいものとはかぎりません。しかし、神様は、それ自体は決して好ましくない辛い事情や出来事を通してでも御心を実現なさる場合があるということを「ルツ記」は私たちに教えてくれます。

「そのためにあなたがたは、子どもの成長するまで待っているつもりなのですか。あなたがたは、そのために夫をもたずにいるつもりなのですか。娘たちよ、それはいけません。主の手がわたしに臨み、わたしを責められたことで、あなたがたのために、わたしは非常に心を痛めているのです」。
(「ルツ記」1章13節、口語訳)

「ナオミは彼らに言った、「わたしをナオミ(楽しみ)と呼ばずに、マラ(苦しみ)と呼んでください。なぜなら全能者がわたしをひどく苦しめられたからです。 わたしは出て行くときは豊かでありましたが、主はわたしをから手で帰されました。主がわたしを悩まし、全能者がわたしに災をくだされたのに、どうしてわたしをナオミと呼ぶのですか」。」
(「ルツ記」1章20〜21節、口語訳)

「ナオミは嫁に言った、「生きている者をも、死んだ者をも、顧みて、いつくしみを賜わる主が、どうぞその人を祝福されますように」。ナオミはまた彼女に言った、「その人はわたしたちの縁者で、最も近い親戚のひとりです」。」
(「ルツ記」2章20節、口語訳)

「そのとき、女たちはナオミに言った、「主はほむべきかな、主はあなたを見捨てずに、きょう、あなたにひとりの近親をお授けになりました。どうぞ、その子の名がイスラエルのうちに高く揚げられますように。彼はあなたのいのちを新たにし、あなたの老年を養う者となるでしょう。あなたを愛するあなたの嫁、七人のむすこにもまさる彼女が彼を産んだのですから」。」
(「ルツ記」4章14〜15節、口語訳)

たとえ息子の嫁たちを一緒にベツレヘムに連れ帰ったとしても、彼らにはそこでも厳しい人生が待ち受けていることを、ナオミはよく知っていました。もちろん、ナオミの親戚の誰かがナオミを引き取って一緒に住まわせてくれる可能性はありました。しかし、イスラエルの民が嫌悪するモアブ人であるふたりの嫁まで一緒に引き受けてくれる人が現れるなどとは普通ならとても考えられないことでした。

「しかしナオミは言った、「娘たちよ、帰って行きなさい。どうして、わたしと一緒に行こうというのですか。あなたがたの夫となる子がまだわたしの胎内にいると思うのですか。」
(「ルツ記」1章11節、口語訳)

この節がレビラト婚のことを指しているのは明らかです。この婚姻の慣習が当時どれほど広範に影響力をもつものだったのか、私たちは知りません。ただ、「ルツ記」3章12節から察するに、かなり遠い親戚であっても、死んだ親戚のやもめを妻として迎えることで、土地を含めたやもめの所有する一切のものを、レビラト婚を通して生まれてくる息子に引き継がせることは可能であったようです。

当時の中近東の世界において夫に先立たれた妻の「やもめ」という立場はたいへん困難なものでした。事実上、彼らには次の三つの選択肢しか残されてはいませんでした。
1)再婚する
2)自分の身の回りの世話をしてくれる親戚を見つける
3)娼婦になる

「あなたがたの夫となる子がまだわたしの胎内にいると思うのですか」という上述の11節のナオミの言葉は「ルツやオルパを妻として引き受けてくれる息子たちをナオミはもはや自分で産むことができない」という意味です。それに、たとえナオミがまだ子どもを産むことができるとしても、ルツやオルパと結婚できるようになる年齢まで息子たちが成長するためには少なくとも10年以上かかります。ルツやオルパはそれほど長く待ち続けることができるでしょうか。また、生まれてくる息子たちが仕事に就いてナオミやルツやオルパを食べさせることができるようになるまで、彼ら三人の女たちはどのようにして生計を立てていけばよいと言うのでしょうか。

「娘たちよ、帰って行きなさい。わたしは年をとっているので、夫をもつことはできません。たとい、わたしが今夜、夫をもち、また子を産む望みがあるとしても、そのためにあなたがたは、子どもの成長するまで待っているつもりなのですか。あなたがたは、そのために夫をもたずにいるつもりなのですか。娘たちよ、それはいけません。主の手がわたしに臨み、わたしを責められたことで、あなたがたのために、わたしは非常に心を痛めているのです」。」
(「ルツ記」1章12〜13節、口語訳)

ナオミには自らの希望を遠戚に託す勇気がありませんでした。事実「ルツ記」4章では、ナオミの土地を贖う権利のある近い親戚でさえ、モアブ人ルツを妻として受け入れることを拒否したのです(「ルツ記」4章6節)。

「しかしナオミはふたりの嫁に言った、「あなたがたは、それぞれ自分の母の家に帰って行きなさい。あなたがたが、死んだふたりの子とわたしに親切をつくしたように、どうぞ、主があなたがたに、いつくしみを賜わりますよう。」
(「ルツ記」1章8節、口語訳)

ナオミがオルパとルツに「それぞれ自分の母の家に帰って行きなさい」と助言しているのは、彼らの父親がすでに死去しているからではないでしょう。むしろ、このような状況では母親のほうが娘のことをよりよく理解するものである、という意味がナオミの言葉には込められているのではないでしょうか。

イスラエルの地に移住することは、モアブの主神ケモシュを捨てることでもありました(15節)。ルツにはそうすることも辞さない覚悟がありました。エリメレクの家族は全能なる神様の働きかけによってモアブの地で過酷な不幸にさらされました。にもかかわらず、他ならぬこのイスラエルの神様御自身がルツにも深い影響を及ぼされたのです。前掲の1章13、20〜21節でナオミがルツに言ったことをここで思い起こしてください。

ところが、ルツはナオミに次のように答えます。

「あなたの死なれる所でわたしも死んで、そのかたわらに葬られます。もし死に別れでなく、わたしがあなたと別れるならば、主よ、どうぞわたしをいくえにも罰してください。」
(「ルツ記」1章17節、口語訳)

この節には、ナオミに対するルツの深い友愛と信頼が美しく描かれています。一切を投げ捨てて、先行きのまったく見えない未来に向かって姑と共に歩みだす決死の覚悟がルツにはありました。

イスラエル人と異国人の間のこのような深い友愛の絆は、以下に引用するダヴィデ王とガテ人イッタイの間にもありました。自分の息子アブサロムの謀反によって都落ちを強いられた時のダヴィデ王にまつわるエピソードです。

「時に王はガテびとイッタイに言った、「どうしてあなたもまた、われわれと共に行くのですか。あなたは帰って王と共にいなさい。あなたは外国人で、また自分の国から追放された者だからです。あなたは、きのう来たばかりです。わたしは自分の行く所を知らずに行くのに、どうしてきょう、あなたを、われわれと共にさまよわせてよいでしょう。あなたは帰りなさい。あなたの兄弟たちも連れて帰りなさい。どうぞ主が恵みと真実をあなたに示してくださるように」。しかしイッタイは王に答えた、「主は生きておられる。わが君、王は生きておられる。わが君、王のおられる所に、死ぬも生きるも、しもべもまたそこにおります」。ダビデはイッタイに言った、「では進んで行きなさい」。そこでガテびとイッタイは進み、また彼のすべての従者および彼と共にいた子どもたちも皆、進んだ。国中みな大声で泣いた。民はみな進んだ。王もまたキデロンの谷を渡って進み、民は皆進んで荒野の方に向かった。」
(「サムエル記下」15章19〜23節、口語訳)

最終的にオルパは自分の国に帰ることを選びました(14節)。その後彼女がどうなったのか、私たちは知りません。人間的な見地からすると、ナオミに従ってエルサレムに向かうことにしたルツの選択にくらべて、オルパの決断ははるかに理にかなったものでした。しかしながら、ルツのその後の人生には大きな意味がありました。彼女はダヴィデ王ばかりかメシアの先祖の母にもなったからです(「マタイによる福音書」1章1〜5節)。人間の理性に従った決断と神様の御心とは必ずしも常に調和するものではありません。神様は私たちが理性的な考え方を捨てるように指図されるわけではありませんが、時として理性は神様の御心に反する判断を下すケースがあるということは覚えておくべきでしょう。

辛い帰郷 「ルツ記」1章19〜22節

「ルツ記」の最初の章はナオミに焦点を当てています。ナオミの辛いベツレヘムへの帰郷でこの章は閉じられます。

「ナオミは彼らに言った、「わたしをナオミ(楽しみ)と呼ばずに、マラ(苦しみ)と呼んでください。なぜなら全能者がわたしをひどく苦しめられたからです。 わたしは出て行くときは豊かでありましたが、主はわたしをから手で帰されました。主がわたしを悩まし、全能者がわたしに災をくだされたのに、どうしてわたしをナオミと呼ぶのですか」。」
(「ルツ記」1章20〜21節、口語訳)

この箇所によると、以前エリメレクの家族は裕福であったようです。当時のベツレヘムは小さい村であり、村の住民はもちろん互いに知り合いでしたし、村から出て行った者たちのことも村人たちは知っていました。

ナオミは「自分の生き方には神様に喜ばれない側面があったせいで、自分は不幸になった」と感じていたことがこの節からは伝わってきます。しかし、「主がわたしを悩まし、全能者がわたしに災をくだされた」というナオミの自己理解はあまりにも否定的であったとも言えましょう。なぜなら、ナオミは「ルツ記」の末尾で神様の救いの歴史の中で重要な位置を占めることになるからです。

ともすると私たちも自分の人生をたやすく誤って解釈する傾向があることを、覚えておくべきでしょう。ここでタペストリ−を例にとってみます。タペストリーをまちがった面から眺めると、それはたんに不鮮明な紐の寄り集めにみえます。しかし、正しい面から眺めてみれば、タペストリー本来のもつ絵柄が鮮明に浮かび上がります。

たしかに人間的な見地からすると、ナオミ(ヘブライ語で「ノオミ」)の人生は喜ばしいものでも「幸福なもの」(ヘブライ語で「ノオミ」)でもありませんでした。むしろ、それは「苦い不幸」(ヘブライ語で「マーラー」)に満ちた人生でした(20節)。

ナオミとルツがベツレヘムに戻ってきた「大麦刈の初め」の季節は私たちのカレンダーの4月〜5月頃にあたります。そして、この時期の数週間後には「小麦刈」が始まります(「ルツ記」2章23節)。


新たな未来 「ルツ記」2章〜4章

ボアズの畑で 「ルツ記」2章1〜16節

ボアズはエリメレクの親戚でした。「ルツ記」2章の冒頭にはボアズに関する説明があります。そして、この人物こそがルツとナオミを苦境から救い出してくれる英雄であることがここですでに予告されているとも言えます。

「ボアズ」という名前にどのような意味が込められているのか、確かなことはわかりません。「力」や「速さ」などに関係する意味である可能性はあります。辞書によっては「神殿の前面にある青銅の柱」を意味する言葉ともされています。ユダヤ教のラビ文献による伝承によれば、ボアズはエリメレクの兄弟の息子とされています。しかし、これは的外れでしょう。もしそうなら、ボアズはナオミたちにとって非常に近しい親戚ということになります。ところが、ボアズはルツに「たしかにわたしは近い親戚ではありますが、わたしよりも、もっと近い親戚があります。」(「ルツ記」3章12節、口語訳)と言っています。ちなみに、ボアズの名は新約聖書に収められているイエス様の二つの系図の両方に挙げられています(「マタイによる福音書」1章5節、「ルカによる福音書」3章32節)。

「レビ記」19章9〜10節、および以下に挙げるモーセの律法の規定によれば、畑をすっかり空にするほどまで穀物を収穫し尽くすことは許されていません。寄留の他国人や孤児や寡婦たちのために穀物の一部を畑に残しておくべきであるとされていたからです。

「あなたがたの地の穀物を刈り入れるときは、その刈入れにあたって、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。またあなたの穀物の落ち穂を拾ってはならない。貧しい者と寄留者のために、それを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。」
(「レビ記」23章22節、口語訳)

「あなたが畑で穀物を刈る時、もしその一束を畑におき忘れたならば、それを取りに引き返してはならない。それは寄留の他国人と孤児と寡婦に取らせなければならない。そうすればあなたの神、主はすべてあなたがする事において、あなたを祝福されるであろう。」
(「申命記」24章19節、口語訳)

しかし実際には、畑の所有者の多くはこの規定を守りませんでした。それどころか、社会的に弱く貧しい立場にある人々が地面にこぼれ落ちた穀物の残りを拾い集めるのを妨げさえしました。

「その時ボアズは、ベツレヘムからきて、刈る者どもに言った、「主があなたがたと共におられますように」。彼らは答えた、「主があなたを祝福されますように」。」
(「ルツ記」2章4節、口語訳)

神様に対するボアズの深い信頼は、ボアズと使用人たちとが互いに神様の祝福を願い合う態度にもよくあらわれています。このことからもわかるように、ボアズは義と律法を重んじる人でした。だからこそ、ルツはボアズの畑から落ち穂を拾い集めることができたのです。ルツは貧しい異邦人でした。前述のモーセの律法の規定によれば、ルツには畑の落ち穂を拾い集める権利が二重にあったことになります。ここでもルツはナオミを助けました。もともと地元民であるナオミのほうが異邦人であるルツよりもベツレヘムの畑に出やすかったはずです。しかし、年老いたナオミには落ち穂拾いは重労働すぎたのです。

「ルツは行って、刈る人たちのあとに従い、畑で落ち穂を拾ったが、彼女ははからずもエリメレクの一族であるボアズの畑の部分にきた。」
(「ルツ記」2章3節、口語訳)

この節に出てくる「はからずも〜した」という表現は、ヘブライ語原文では、動詞「カーラー」(出くわす)と名詞「ミクレー」(出来事)という同じ語根からなる重語的表現(figura ethymologica)です。これは「偶然にも、ルツはボアズの畑で落ち穂拾いをすることになった」という意味ではありません。神様の世界にはいかなる「偶然」も存在しません。一切の出来事は神様のお許しの下に生起しているからです。神様はこれから私たちに起こる事柄についてもそのすべてをあらかじめご存知です。次の引用箇所からもわかるように、人間の目には偶然に映ることも実際には神様の導きの下にあるのです。

「しゅうとめは彼女に言った、「あなたは、きょう、どこで穂を拾いましたか。どこで働きましたか。あなたをそのように顧みてくださったかたに、どうか祝福があるように」。そこで彼女は自分がだれの所で働いたかを、しゅうとめに告げて、「わたしが、きょう働いたのはボアズという名の人の所です」と言った。ナオミは嫁に言った、「生きている者をも、死んだ者をも、顧みて、いつくしみを賜わる主が、どうぞその人を祝福されますように」。ナオミはまた彼女に言った、「その人はわたしたちの縁者で、最も近い親戚のひとりです」。」
(「ルツ記」2章19〜20節、口語訳)

ルツの履歴はベツレヘムの村の全住民に知られていました(「ルツ記」1章19節、2章6節)。当時の小規模な村の住人に関する情報や噂は瞬く間に皆に伝わったからです。しかし、はじめボアズはルツのことを、最近ベツレヘムに帰ってきたナオミが一緒に連れてきたモアブ人女性であるとは認識していなかったようです(5〜6節、11節)。

ルツが全力で仕事に打ち込む姿勢(7節)は、彼女がモアブの地でナオミを助けた時すでに発揮されていました。ボアズを含めベツレヘムの住民たちも皆このことを知っていました(11節)。彼女の熱心な仕事ぶりは、彼女に対するボアズの態度にも好ましい影響を与えたものと思われます。まもなくボアズがルツにモーセの律法規定が認めているよりも多くの権利を与えたことからも、それがわかります。

「食事の時、ボアズは彼女に言った、「ここへきて、パンを食べ、あなたの食べる物を酢に浸しなさい」。彼女が刈る人々のかたわらにすわったので、ボアズは焼麦を彼女に与えた。彼女は飽きるほど食べて残した。そして彼女がまた穂を拾おうと立ちあがったとき、ボアズは若者たちに命じて言った、「彼女には束の間でも穂を拾わせなさい。とがめてはならない。また彼女のために束からわざと抜き落しておいて拾わせなさい。しかってはならない」。」
(「ルツ記」2章14〜16節、口語訳)

「人は自分のまいたものを、刈り取ることになる」(「ガラテアの信徒への手紙」6章7節より、口語訳)という御言葉がここで実現します。ルツは姑のナオミに対して、神様の御言葉に基づく正しい態度を貫きました。そして、今度はルツがそのよき行いに相応しい正当な待遇をボアズから受けることになったのです。ボアズはルツに次のように言います。

「どうぞ、主があなたのしたことに報いられるように。どうぞ、イスラエルの神、主、すなわちあなたがその翼の下に身を寄せようとしてきた主からじゅうぶんの報いを得られるように。」
(「ルツ記」2章12節、口語訳)

いつの間にかルツはボアズの使用人の一人になっていました。ボアズはまずルツが彼の畑で落ち穂拾いをするように勧めます(8節)。それから彼はルツに身辺の保護を保証します(9節)。さらに彼はルツに飲み物を与えることを約束し(9節)、また食べ物も提供しました(14節)。

当時の収穫作業では、男たちが刈り取りをし、女たちが刈り取られたものを集めて束ねる仕事をしました(8〜9節)。

旧約聖書はある特定の民(たとえばモアブ人)が神様の民の一員となることを禁じています。それなのに、どうしてモアブ人ルツは主に選ばれた民の一人となれたのでしょうか。旧約聖書の時代におけるこの選別の基準は「自分が生まれながらに所属している民族や国民が何か」ということよりは、むしろ「自分が信仰する宗教は何か」に基づくものであったのではないでしょうか。

1990年代にイスラエル国はエチオピアに住むユダヤ人たち(ベタ・ユダヤ人とかファラシャ人とか呼ばれます)の大部分をエチオピアからイスラエルに移住させました。彼らベタ・ユダヤ人たちの皮膚の色は真っ黒でした。たんに皮膚の色に基づいて判断を下すならば、彼らがユダヤ人民族であると考える人はいないでしょう。しかし、彼らの宗教は紛れもなくユダヤ教だったのです。

これと同じように、ルツの信仰は旧約聖書の主なる神様への信仰でした。

「しかしルツは言った、「あなたを捨て、あなたを離れて帰ることをわたしに勧めないでください。わたしはあなたの行かれる所へ行き、またあなたの宿られる所に宿ります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です。」
(「ルツ記」1章16節、口語訳)

旧約聖書はイスラエルの民がそれ以外の国民と結婚することを禁じています。しかし、この禁止が守ろうとしたものは民族的な純潔性ではなく、宗教的な純潔性でした。

「また彼らと婚姻をしてはならない。あなたの娘を彼のむすこに与えてはならない。かれの娘をあなたのむすこにめとってはならない。それは彼らがあなたのむすこを惑わしてわたしに従わせず、ほかの神々に仕えさせ、そのため主はあなたがたにむかって怒りを発し、すみやかにあなたがたを滅ぼされることとなるからである。」
(「申命記」7章3〜4節、口語訳)

たとえば、ソロモン王もユダヤ教以外の宗教を信奉する妻たちの影響を被って、まちがった道へとさまよい出てしまいました(列王記上11章1〜5節)。

人種差別主義には様々なタイプがあります。しかし、その支持者も「聖書に基づいて人種や民族ごとの貴賎の違いを正当化することは決してできない」ということぐらいは知っておいてもらいたいものです。すべての人間にはアダムとエバという共通の祖先がいることを聖書は教えているからです。

「彼女は地に伏して拝し、彼に言った、「どうしてあなたは、わたしのような外国人を顧みて、親切にしてくださるのですか」。」(10節、口語訳)というルツのボアズへの質問には当時の社会の現実が映し出されています。モアブ人がイスラエルの畑で落ち穂を拾い集めることはいつも許可してもらえるとは限りませんでした。ナオミの次の言葉からもこのあたりの事情が伺えます。

「ナオミは嫁ルツに言った、「娘よ、その人のところで働く女たちと一緒に出かけるのはけっこうです。そうすればほかの畑で人にいじめられるのを免れるでしょう」。」
(「ルツ記」2章22節、口語訳)

このような当時の背景もあったために、ボアズの親切な態度に対してルツは心からの驚きを覚えたのです。

「どうぞ、主があなたのしたことに報いられるように。どうぞ、イスラエルの神、主、すなわちあなたがその翼の下に身を寄せようとしてきた主からじゅうぶんの報いを得られるように。」
(「ルツ記」2章12節、口語訳)

このようにボアズはルツのために主に祈りました。後ほど明らかになるように、実は彼の祈りの答えは他ならぬ彼自身でした。私たちの人生でもこれと似たようなことは起こりえます。たとえば、私たちが何かの実現のために祈るとき、それを実現する使命が私たち自身に与えられる、というようにです。

前掲の「あなたがその翼の下に身を寄せようとしてきた主」というボアズのルツに対する発言は、ルツのボアズに対する次の発言と呼応しています。

「わたしはあなたのはしためルツです。あなたのすそで、はしためをおおってください。あなたは最も近い親戚です。」
(「ルツ記」3章9節より、口語訳)

これと類似の表現は聖書に何度も出てきます。たとえば、イエス様は次のように言われました。

「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。」

(「マタイによる福音書」23章37節、口語訳)

次に旧約聖書の箇所を見ていきましょう。モーセはイスラエルの全会衆に向かって次のように歌いました。

「わしがその巣のひなを呼び起し、
その子の上に舞いかけり、
その羽をひろげて彼らをのせ、
そのつばさの上にこれを負うように、
主はただひとりで彼を導かれて、
ほかの神々はあずからなかった。」
(「申命記」32章11〜12節、口語訳)

次は「詩篇」の箇所です。

「神よ、あなたのいつくしみはいかに尊いことでしょう。
人の子らはあなたの翼のかげに避け所を得、
あなたの家の豊かなのによって飽き足りる。
あなたはその楽しみの川の水を彼らに飲ませられる。」
(「詩篇」36篇8〜9節、口語訳、節番号はヘブライ語原文に従っています)

「神よ、わたしをあわれんでください。
わたしをあわれんでください。
わたしの魂はあなたに寄り頼みます。
滅びのあらしの過ぎ去るまでは
あなたの翼の陰をわたしの避け所とします。」
(「詩篇」57篇2節、口語訳、節番号はヘブライ語版に従っています)

「主はその羽をもって、あなたをおおわれる。
あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。
そのまことは大盾、また小盾である。」
(「詩篇」91篇4節、口語訳)

モアブ人はイスラエル人の僕としてさえ登用されないのが普通でした。このことからルツの次の発言の意味が理解できます。

「彼女は言った、「わが主よ、まことにありがとうございます。わたしはあなたのはしためのひとりにも及ばないのに、あなたはこんなにわたしを慰め、はしためにねんごろに語られました」。」
(「ルツ記」2章13節、口語訳)

それに続いて、食事の時の様子が描写されます。

「食事の時、ボアズは彼女に言った、「ここへきて、パンを食べ、あなたの食べる物を酢に浸しなさい」。彼女が刈る人々のかたわらにすわったので、ボアズは焼麦を彼女に与えた。彼女は飽きるほど食べて残した。」
(「ルツ記」2章14節、口語訳)

「レビ記」2章14節には、主に捧げる「初穂の素祭」として「火で穂を焼いたもの」が出てきますが、このような「焼麦」は畑の収穫を行う者たち自身の食物でもありました。ルツは自分では食べきれないほどたくさんもらった焼麦を夜にナオミにも分けることができました(18節)。ここにはボアズの気前の良さがよくあらわれています。より正確に言えば、これは神様御自身の気前の良さを証ししているのです。

「そして彼女がまた穂を拾おうと立ちあがったとき、ボアズは若者たちに命じて言った、「彼女には束の間でも穂を拾わせなさい。とがめてはならない。また彼女のために束からわざと抜き落しておいて拾わせなさい。しかってはならない」。」
(「ルツ記」2章15〜16節、口語訳)

この箇所でボアズが僕たちに与えた指示はモーセの律法をその隣人愛において内容的に超えるものです。ここにも、ルツをきめ細かく支えようとするボアズの親身な姿勢がよく表現されています。さらに、ボアズがルツを高く評価していたこと、またルツに対して僕たちも敬意を持って接するようにボアズが望んでいたことがわかります。

生まれ出づる希望 「ルツ記」2章17〜23節

ルツが夕暮れまで拾い集めた大麦は一エパほどでした(17節)。当時の度量衡は現代の基準ほど精度の高いものではありませんでしたが、「エパ」は約30〜40リットルに相当したようです。それにしても、ルツの拾い集めた大麦は1日分の収穫量としては類を見ないほど大きなものでした。ルツを出迎えたナオミの示した次のような驚きと喜びからもそれがわかります。

「しゅうとめは彼女に言った、「あなたは、きょう、どこで穂を拾いましたか。どこで働きましたか。あなたをそのように顧みてくださったかたに、どうか祝福があるように」。そこで彼女は自分がだれの所で働いたかを、しゅうとめに告げて、「わたしが、きょう働いたのはボアズという名の人の所です」と言った。」
(「ルツ記」2章19節、口語訳)

このようにナオミはまず、ボアズのためにその名も知らぬまま祝福を祈りました。そして後になってから、ルツに親切を示してくれた人物が他ならぬボアズであったことを知りました。私たちが人の行いを評価する際には、このナオミの姿勢とはまったく逆に、「どのようなことが行われたか」ではなく「誰がそれを行ったのか」を判断の基準とすることがしばしばあるのではないでしょうか。

「ナオミは嫁に言った、「生きている者をも、死んだ者をも、顧みて、いつくしみを賜わる主が、どうぞその人を祝福されますように」。ナオミはまた彼女に言った、「その人はわたしたちの縁者で、最も近い親戚のひとりです」。」
(「ルツ記」2章20節、口語訳)

この節の「死んだ者」とは、死去したエリメレクと彼の二人の息子たちのことを指しています。ナオミとルツの世話をすることは、死んだ者たちのことを敬いつつ覚えることや、彼らの子孫を助けることを意味していました。

「ルツ記」ではこの節で「縁者」(ヘブライ語で「ゴーエル」)と訳されている単語がはじめて登場します。これはヘブライ語の動詞「ガーアル」と同じ語根(三つの子音)からなる単語です。ヘブライ語では語根がそれに基づく種々の派生語に共通する基本的な意味を与えます。動詞「ガーアル」には「贖う」、「解放する」、「親戚としての義務を果たす」といった意味があります。以下に引用する旧約聖書の箇所からもわかるように、「縁者」(「ゴーエル」)には多くの果たすべき義務があります。

1) 「あなたの兄弟が落ちぶれてその所有の地を売った時は、彼の近親者がきて、兄弟の売ったものを買いもどさなければならない。たといその人に、それを買いもどしてくれる人がいなくても、その人が富み、自分でそれを買いもどすことができるようになったならば、 それを売ってからの年を数えて残りの分を買い手に返さなければならない。そうすればその人はその所有の地に帰ることができる。しかし、もしそれを買いもどすことができないならば、その売った物はヨベルの年まで買い主の手にあり、ヨベルにはもどされて、その人はその所有の地に帰ることができるであろう。」
(「レビ記」25章25〜28節、口語訳)

このように、もしもイスラエル人が資産を失い、自分の土地を売ることになった場合、その人にとって最も近い親戚がその売られた土地を買い戻さなければならない、というモーセの律法があります。

2) 「あなたと共にいる寄留者または旅びとが富み、そのかたわらにいるあなたの兄弟が落ちぶれて、あなたと共にいるその寄留者、旅びと、または寄留者の一族のひとりに身を売った場合、身を売った後でも彼を買いもどすことができる。その兄弟のひとりが彼を買いもどさなければならない。あるいは、おじ、または、おじの子が彼を買いもどさなければならない。あるいは一族の近親の者が、彼を買いもどさなければならない。あるいは自分に富ができたならば、自分で買いもどさなければならない。その時、彼は自分の身を売った年からヨベルの年までを、その買い主と共に数え、その年数によって、身の代金を決めなければならない。その年数は雇われた年数として数えなければならない。」
(「レビ記」25章47〜50節、口語訳)

このように、イスラエル人が奴隷として売られた場合には、その人にとって近しい親戚である「縁者」がその人を自由の身にするために贖い出さなければなりません。

3) 「血の復讐をする者は、自分でその故殺人を殺すことができる。すなわち彼に出会うとき、彼を殺すことができる。またもし恨みのために人を突き、あるいは故意に人に物を投げつけて死なせ、あるいは恨みによって手で人を打って死なせたならば、その打った者は必ず殺されなければならない。彼は故殺人だからである。血の復讐をする者は、その故殺人に出会うとき殺すことができる。」
(「民数記」35章19〜21節、口語訳)

このように、「縁者」(「ゴーエル」)の使命には、殺された親戚のために「血の復讐をする者」となることも含まれていました。この表現はヘブライ語では「ゴーエル(「復讐をする者」という意味)・ハッダーム(「その血の」という意味)」と言います。ここで「縁者」と「復讐をする者」とがヘブライ語では全く同じ単語であることに注目しましょう。

4) 「イスラエルの人々に告げなさい、『男または女が、もし人の犯す罪をおかして、主に罪を得、その人がとがある者となる時は、その犯した罪を告白し、その物の価にその五分の一を加えて、彼がとがを犯した相手方に渡し、そのとがをことごとく償わなければならない。しかし、もし、そのとがの償いを受け取るべき親族(「ゴーエル」)も、その人にない時は、主にそのとがの償いをして、これを祭司に帰せしめなければならない。なお、このほか、そのあがないをするために用いた贖罪の雄羊も、祭司に帰せしめなければならない。』」
(「民数記」5章6〜8節、口語訳、文章中の(「ゴーエル」)は高木による補足)

上の箇所は、損害を受けた当事者がすでに死去しており、またその人の「縁者」も存在しない場合に適用されるモーセの律法の規定です。

5)すでに引用した「申命記」25章5〜10節からもわかるように、「縁者」にはレビラト婚を遂行する権利(あるいは義務)があります。すなわち、自分の子どものいないイスラエル人の男が死んだ場合には、彼に最も近い親戚の男が、彼の妻だったやもめと結婚します。そして、そのレビラト婚を通して生まれた最初の男の子は、死んだ男の子どもとみなされ、死んだ男の遺産相続者とされます。こうすることで、死んだ男の一族がイスラエルの中で存続していけるように取りはかられたのです。

ボアズは「縁者」の使命を忠実に果たした模範的人物として旧約聖書にその名が記されているのです。

聖書はまた、キリストこそが私たちにとっての真の「縁者」であると教えてくれます。キリストは私たちの罪の負債をすべて肩代わりして返済してくださったからです。

「神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。わたしたちは、この御子によってあがない、すなわち、罪のゆるしを受けているのである。」
(「コロサイの信徒への手紙」1章13〜14節、口語訳)

上記の箇所で「あがない」という言葉はギリシア語で「アポリュトローシス」と言います。新約聖書では、この言葉には「身代金を払って奴隷状態から釈放されること」とか「キリストの死の代価によって罪が帳消しにされること」といった意味があります。

「あなたがたは、先には罪の中にあり、かつ肉の割礼がないままで死んでいた者であるが、神は、あなたがたをキリストと共に生かし、わたしたちのいっさいの罪をゆるして下さった。神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書を、その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた。そして、もろもろの支配と権威との武装を解除し、キリストにあって凱旋し、彼らをその行列に加えて、さらしものとされたのである。」
(「コロサイの信徒への手紙」2章13〜15節、口語訳)

イスラエルでは穀物の収穫に約6週間かかりました。

「それで彼女はボアズのところで働く女たちのそばについていて穂を拾い、大麦刈と小麦刈の終るまでそうした。こうして彼女はしゅうとめと一緒に暮した。」
(「ルツ記」2章23節、口語訳)

この節からは、穀物の収穫の時期を通じて姑のナオミの世話をしたルツが主の信仰者として立派な生き方をしていたことや、それが周りの人々にもよく知られていた様子が伝わってきます。模範的な生活を送っていたルツに悪い評判が立たないようにボアズが細かく配慮することからも、それがわかります(「ルツ記」3章14節)。

ルツの求婚 「ルツ記」3章1〜18節

ルツと結婚することについて、ボアズは自分からは積極的に動きませんでした。その理由は12節からわかります。

ボアズはたしかにエリメレクとナオミの親戚ではありましたが、ボアズよりもさらに血縁的に近しい親戚が他にもうひとりいたのです。その人物にルツを妻として迎える意思がある場合、それに対してボアズは何もできません。おそらくこのためにボアズはルツに結婚を申し込まなかったのではないでしょうか。

ここでルツの姑が動き出します。まるで実の母親であるかのように、ナオミはルツにボアズへの求婚の仕方を教えます(1〜4節)。レビラト婚は女性の社会的・経済的な立場を保護するために定められた律法規定であり、女性の側に積極的な役割が与えられていました(「申命記」25章7〜10節)。「身を洗って油をぬり、晴れ着をまとって」(3節)というナオミがルツに与えた指示は、ルツが花嫁として婚礼を迎えるための準備に関わるものでした。ちなみに「エゼキエル書」16章9〜12節にも婚礼のための花嫁の身支度についての記述が出てきます。

実は、ボアズが本来贖い出すべき相手はルツではなくナオミでした。しかし、すでに高齢になっていたナオミではもはや子どもを生むことができなかったので、ナオミとのレビラト婚は実質上無意味でした。それでナオミはルツにその権利を移譲したのです。こうすることで、エリメレクとナオミの一族に後継が生まれる希望がまだ残ることになるからです。

麦を打ちつけて選り分けるという脱穀場での作業(2節)は丘の上で行われました。踏み固められた地面の上に麦を広く敷き、二頭の牛の引く重い「橇(そり)」を使って麦の穂を穂軸から取り分けるのです。次に麦の穂を宙に投げ上げると、軽い殻の部分は風に吹き飛ばされ、実の入った穀物だけが脱穀場に落ちてきます。日没時に海からの風が陸に吹き付けたため、風が強まるのは普通は夕方からでした。そのためもあって、脱穀作業は風が収まる夜遅くまで続けられました。ボアズが夜まで脱穀場で働いていることをナオミが知っていたのはこのためです(2節)。ボアズが「麦を積んである場所のかたわら」で眠っていたのは、穀物が盗まれるのを未然に防ぐためでした(7節)。

イスラエル人にとって脱穀はお祝いでもありました。それゆえ、脱穀の際には皆が集まって飲み食いする祝宴がもたれました(3節)。

「暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。
暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。
あなたが国民を増し、その喜びを大きくされたので、
彼らは刈入れ時に喜ぶように、
獲物を分かつ時に楽しむように、
あなたの前に喜んだ。」
(「イザヤ書」9章1〜2節、口語訳、節数はヘブライ語版に即しています)

それとは逆に、収穫を祝う宴の歓声が聞かれなくなった陰鬱な状況を描写する箇所も聖書には見出されます。たとえば「イザヤ書」9章2節、16章9〜10節、それから次に引用する箇所などです。

「喜びと楽しみは、実り多いモアブの地を去った。
わたしは、ぶどうをしぼる所にも酒をなくした。
楽しく呼ばわって、ぶどうを踏む者もなくなった。
呼ばわっても、喜んで呼ばわる声ではない。」
(「エレミヤ書」48章33節、口語訳)

村人たちは同じ脱穀場を共有して使用していました。そのため、ルツはあたりが暗くなるのを待って、寝ている男たちのうちの誰がボアズであるかをきちんと見極める必要がありました(4節)。

「ボアズは飲み食いして、心をたのしませたあとで、麦を積んである場所のかたわらへ行って寝た。そこで彼女はひそかに行き、ボアズの足の所をまくって、そこに寝た。夜中になって、その人は驚き、起きかえって見ると、ひとりの女が足のところに寝ていたので、「あなたはだれですか」と言うと、彼女は答えた、「わたしはあなたのはしためルツです。あなたのすそで、はしためをおおってください。あなたは最も近い親戚です」。」
(「ルツ記」3章7〜9節、口語訳)

ルツはこのような大胆な行動を取ることで、ボアズが彼女とナオミの将来を守るために自分を彼の嫁にしてくれるように懇請したのです。ルツがボアズの「足元」にうずくまったのは、彼女がボアズの「はしため」であることを具体的に表す行為でした。主従の関係を表現している「足台」については次に引用する聖書の箇所が有名でしょう。

「主はわが主に言われる、
「わたしがあなたのもろもろの敵を
あなたの足台とするまで、わたしの右に座せよ」と。」
(「詩篇」110篇1節、口語訳)

ボアズはルツの礼儀をわきまえた正しい求婚の仕方に深い感銘を受けました。ひどい場合だと、次のモーセの律法のケースのように、ルツがボアズを直接裁判に訴える可能性だってありえたからです。

「しかしその人が兄弟の妻をめとるのを好まないならば、その兄弟の妻は町の門へ行って、長老たちに言わなければならない、『わたしの夫の兄弟はその兄弟の名をイスラエルのうちに残すのを拒んで、夫の兄弟としての道をつくすことを好みません』。」
(「申命記」25章7節、口語訳)。

ボアズもまたルツに対して礼儀正しく答えます。

「ボアズは言った、「娘よ、どうぞ、主があなたを祝福されるように。あなたは貧富にかかわらず若い人に従い行くことはせず、あなたが最後に示したこの親切は、さきに示した親切にまさっています。」
(「ルツ記」3章10節、口語訳)

しかし、ボアズにはひとつの問題が残っていました。彼はルツを妻として迎える権利がある「最も近しい親戚」ではなかったのです(12節)。正しい順序を守るなら、まず、その最も近しい親戚に「ルツを妻とする意思があるかどうか」を尋ねるべきです。彼にルツと結婚する意思がないことを確認した上で、ようやくボアズはルツと結婚することができるのです(13節)。

ボアズはルツが今晩彼のもとを訪れたことを他の誰にも知られないように細心の注意を払いました(14節)。仮にもうひとりの「縁者」がルツを妻として迎えることになった場合には、ルツがボアズとの姦淫の罪の疑いを持たれないようにしなければならなかったからです。

また、旧約聖書に関するユダヤ教の釈義である「ミシュナー」によれば、イスラエル人の男が異邦人の女と性的関係を結んだ場合には、彼は「縁者」としての使命を果たす権利を失います。このようにボアズの立場からみても、「ボアズはルツと姦淫したかもしれない」という疑いをもたれないようにすることが不可欠でした。

「そしてボアズは言った、「あなたの着る外套を持ってきて、それを広げなさい」。彼女がそれを広げると、ボアズは大麦六オメルをはかって彼女に負わせた。」
(「ルツ記」3章15節より、口語訳)

ボアズがルツに与えた穀物の量がどれほどであったのか、私たちは知りません。ヘブライ語版では「シェーシュ(六)・セオリーム(大麦)」とだけ記されています。ラビ文献によれば、それは2エパであったとされます。それは現代の尺度で言えば約60〜80リットルに相当します。ですから、一人の女性が服に包んで運ぶにはあまりにも多すぎるし重すぎます。

おそらくボアズは脱穀場に朝までとどまり、そのもうひとりの「縁者」と会うために町の門のところに出向いたのでしょう(「ルツ記」4章1節)。

ナオミは戻ってきたルツに「娘よ、どうでしたか」と呼びかけます(4章16節)。3章18節や2章8節でもナオミは実の娘ではないルツのことを「娘」と呼んでいます。また、ボアズはナオミの亡き夫エリメレクのことを「私たちの兄弟」と呼んでいます(4章3節)。後に、ナオミはルツがボアズに生んだ男の子を引き取り、我が子として養い育てることになります。近所の女たちは「ナオミに男の子が生れた」と言って、彼に名をつけ、「オベデ」と呼びました(4章17節)。これらの例からもわかるように、中近東の地域では「息子」「娘」「父親」「母親」といった呼称は、遠い親戚にあたる人々にも当てはめられていました。

「ルツ記」はきわめて巧みに構成されています。たとえば、各章のおわりにはその次の章の出来事が予告されています。「ルツ記」の1章22節と2章、2章23節と3章、3章18節と4章、というつながりに注目してみてください。

取り払われる障害 「ルツ記」4章1〜12節

イスラエル人の町の門(4章1節)は当時、モーセの律法に基づく民事・刑事上の裁判を行う場でもありました。そこで合法的な裁決を下すためには十人の長老が裁判に臨席する必要がありました(4章2節)。現代でもユダヤ教の会堂(シナゴーグ)での礼拝を行うためには最低10人の成人男子が臨席する必要があります。当時の町は城壁で囲まれていたため、門を通過しなければ町の中に入ることができませんでした。それゆえ、特定の会いたい相手を探す場合には、門の近辺でならその人を見かける可能性が高かったのです。こうしてボアズも探していた親戚の人を見つけることができました。

「ボアズは親戚の人に言った、「モアブの地から帰ってきたナオミは、われわれの親族エリメレクの地所を売ろうとしています。」」
(「ルツ記」4章3節、口語訳)

上記のボアズの発言は、今ナオミは自分の畑を売りたがっているという意味ではなく、エリメレクがモアブに出立するときに自らの畑を売ったという過去の事実に関わるものです。ベツレヘムに帰郷したナオミはその畑を自分の一族の土地として買い戻す(贖う)ことを願いました(4章4節)。それを実現するためには「ヨベルの年」までにその畑から収穫できるはずの穀物分を、現在の畑の「持ち主」に支払う必要がありました。そして、おそらく「ヨベルの年」まではまだ何年も待たなければいけない状況だったのでしょう。「ヨベルの年」とは、50年に1度すべての土地が元の所有者のもとに返還され、イスラエル人の間の貸借関係が帳消しになる大恩赦の年のことです。「レビ記」25章にはそれについて詳細な記述があります。

「あなたは安息の年を七たび、すなわち、七年を七回数えなければならない。安息の年七たびの年数は四十九年である。七月の十日にあなたはラッパの音を響き渡らせなければならない。すなわち、贖罪の日にあなたがたは全国にラッパを響き渡らせなければならない。その五十年目を聖別して、国中のすべての住民に自由をふれ示さなければならない。この年はあなたがたにはヨベルの年であって、あなたがたは、おのおのその所有の地に帰り、おのおのその家族に帰らなければならない。その五十年目はあなたがたにはヨベルの年である。種をまいてはならない。また自然に生えたものは刈り取ってはならない。手入れをしないで結んだぶどうの実は摘んではならない。この年はヨベルの年であって、あなたがたに聖であるからである。あなたがたは畑に自然にできた物を食べなければならない。このヨベルの年には、おのおのその所有の地に帰らなければならない。あなたの隣人に物を売り、また隣人から物を買うときは、互に欺いてはならない。ヨベルの後の年の数にしたがって、あなたは隣人から買い、彼もまた畑の産物の年数にしたがって、あなたに売らなければならない。年の数の多い時は、その値を増し、年の数の少ない時は、値を減らさなければならない。彼があなたに売るのは産物の数だからである。あなたがたは互に欺いてはならない。あなたの神を恐れなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。」
(「レビ記」25章8〜17節、口語訳)

「あなたの兄弟が落ちぶれてその所有の地を売った時は、彼の近親者がきて、兄弟の売ったものを買いもどさなければならない。たといその人に、それを買いもどしてくれる人がいなくても、その人が富み、自分でそれを買いもどすことができるようになったならば、それを売ってからの年を数えて残りの分を買い手に返さなければならない。そうすればその人はその所有の地に帰ることができる。しかし、もしそれを買いもどすことができないならば、その売った物はヨベルの年まで買い主の手にあり、ヨベルにはもどされて、その人はその所有の地に帰ることができるであろう。」
(「レビ記」25章25〜28節、口語訳)

どうしてナオミの一族に最も近しい「縁者」がナオミの土地を積極的に贖おうとしなかったのでしょうか。上掲の「ヨベルの年」に関する律法規定はその理由を明らかにしてくれます。彼は畑を買い戻すために自分のお金を使わなければならないし、しかも結局その畑はエリメレクの一族のものとなってしまうのです。また、ルツとの間に生まれる最初の男の子はエリメレクの息子マロンの息子とみなされることになります。この「縁者」が消極的であったもうひとつの理由は、もしもルツとの間に生まれる男の子が一人だけの場合には、畑を贖った「縁者」自身の資産もすべてマロンの一族(すなわち、ナオミの一族)の所有に帰してしまうことになるという恐れでした。しかし、この後者の事態が実際に生じる可能性はきわめて小さかったでしょう。なぜなら、大人のユダヤ人男子が普通そうであるように、その「縁者」はすでに結婚していたでしょうし、彼にはすでに自分の子どもがいたはずだからです。

畑自体を贖うことに関しては、この「縁者」は承諾しました(4章4節)。しかし「モアブ人ルツと結婚しなければならない」という条件を聞いて、彼の態度は一変しました(4章5〜6節)。彼は畑を自分の資産に加えることはできず、その畑はルツとの間に生まれてくる男の子の資産、すなわちエリメレクの一族の資産となってしまうことがわかったからです。

「むかしイスラエルでは、物をあがなう事と、権利の譲渡について、万事を決定する時のならわしはこうであった。すなわち、その人は、自分のくつを脱いで、相手の人に渡した。これがイスラエルでの証明の方法であった。」
(「ルツ記」4章7節、口語訳)

この節は、イスラエルにかつて存在した古い慣習について「ルツ記」の読者に説明しています。このことから「ルツ記」はナオミとルツをめぐる出来事の起きたすぐ後に書き記されたものではないことがわかります。

ボアズはエリメレクとナオミの一族の「縁者」としての義務を引き継ぐことを正式な手続きを経て宣言しました。

「すると門にいたすべての民と長老たちは言った、「わたしたちは証人です。どうぞ、主があなたの家にはいる女を、イスラエルの家をたてたラケルとレアのふたりのようにされますよう。どうぞ、あなたがエフラタで富を得、ベツレヘムで名を揚げられますように。どうぞ、主がこの若い女によってあなたに賜わる子供により、あなたの家が、かのタマルがユダに産んだペレヅの家のようになりますように」。」
(「ルツ記」4章11〜12節、口語訳)

ルツはベツレヘムの人々から好意的にみられていたことが、この箇所や4章15節からわかります。また、タマルはルツの比較対象として実に適切な例です。彼女もレビラト婚を通じてペレヅとゼラを生んだからです(「創世記」38章27〜30節)。

本来ならば、ボアズよりも近い親戚関係にあるもうひとりの人物が「縁者」としてエリメレクとナオミの畑を贖い、ルツを妻として迎えるべきところでした。しかし、その人物は「縁者」としての使命を引き受けませんでした。ボアズもまた彼と同じように「縁者」としての義務の履行を拒むことだってできたはずです。しかし、ボアズはそうしませんでした。ですから、ボアズが「贖い」の使命を引き受けたのは「純粋なる愛」に基づく行いであったと言えます。その意味で、ボアズとルツの結婚は「神様の愛」に基づくものでした。

引き継がれる家系 「ルツ記」4章13〜17節

もしもここに神様の祝福が欠けていたならば、一切の労苦はむだになってしまったことでしょう。しかし、神様は、ルツに祝福を与えたい、という不変の御意思に基づき、彼女に男の子を授けてくださいます(4章13節)。すると、女たちはナオミに次のように言います。

「彼はあなたのいのちを新たにし、あなたの老年を養う者となるでしょう。あなたを愛するあなたの嫁、七人のむすこにもまさる彼女が彼を産んだのですから。」
(「ルツ記」4章15節、口語訳)

上掲の箇所で「彼」とはルツが生んだ男の子、「彼女」はルツを指しています。また、「7」という数字は完全性の表現です。ですから「七人のむすこ」(4章15節)という表現は家族が大きいだけではなく完全でもあることを意味していました。ルツはベツレヘムの住民たちから大いに敬意を払われる存在になったことが、ここからわかります。ところで、この表現は旧約聖書では何度も登場しているものです。例としては「ヨブ記」1章2節、42章13節などがあり、その他にも次の箇所があります。

「飽き足りた者は食のために雇われ、
飢えたものは、もはや飢えることがない。
うまずめは七人の子を産み、
多くの子をもつ女は孤独となる。」
(「サムエル記上」2章5節、口語訳)

ルツに生まれた男の子の名前は「オベデ」と言い、ヘブライ語で「僕」という意味です。本当に、オベデは多くのやり方でナオミとルツに仕えました。とりわけエリメレクとナオミの一族に子孫を与えたことが彼の行った最大の奉仕でした。この名前はまた、イエス様が「苦しみを受ける神様の僕」(「イザヤ書53章」)であることを私たちに思い起こさせます。

ダヴィデの系図 「ルツ記」4章18〜22節

「ルツ記」の末尾を飾るペレヅの子孫の系図は、約900年もの長期間にわたるものです。にもかかわらず、そこにはわずか10名の名前しか挙げられていません。それら「選ばれた名前たち」はもれなくイエス様の系図にも載っています(「マタイによる福音書」1章3〜6節)。

終わり。