ヨブ記19章25節 あなたのあがない主は生きておられる

執筆者: 
テーム・ハータヤ(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

「ヨブ記」は苦難に巻き込まれたある人物の経験した信仰の戦いを活写しています。人生の前半までヨブは輝かしい成功を収めていました。しかし彼は突然そのすべてを奪い去られました。子どもたち全員、自分の健康、親戚一同、友人たち、財産のすべてをヨブは失うことになったのです。どうして神様はあらゆる不幸がヨブの身の上に降りかかることを許されたのでしょうか。

人生の危機はヨブを信仰の危機へと陥れました。なぜ神様はあらゆる不幸が自分の身の上に起きることを許されたのかとヨブは問います。彼がこのような疑問をもったのは少しも不思議ではありません。危機の只中に放り込まれたことのある人なら誰でもヨブと同じような疑問を抱かずにはいられないでしょう。ヨブはあらゆる苦しみを受け、耐え難い痛みを覚え、数々の疑問にとらわれながらも、あたかも暗闇の中を手探りするようにして神様のほうへと向き直り、次のように信仰告白します。

「わたしは知る、
わたしをあがなう者は生きておられる、
後の日に彼は必ず地の上に立たれる。」
(「ヨブ記」19章25節、口語訳)

この節には信仰にかかわる大切な三つの視点が含まれています。

第一に、ヨブは「わたしは知る」と言っています。あなたもまたキリスト信仰者としてヨブと同じように言うことができるのです。それはなぜでしょうか。聖書が間違っていることは決してないからです。聖書の教えていることは正しく、約束していることは必ず実現します。それゆえ、あなたも聖書に全幅の信頼を寄せてよいのです。

ところでヨブは何を知っていたのでしょうか。それは彼をあがなう主は生きておられるということでした。これが上記のヨブの言葉に含まれている信仰への第二の視点です。ヨブは神様が生きておられることを知っていたのです。そしてあなたもヨブのように言うことができるのです。あなたの神様であり、あなたのあがない主であるイエス・キリストは生きておられます。イエス様は苦しみを受けて十字架で死なれました。この出来事が起きたのはあなたの罪のためであり、あなたに罪の赦しをもたらすためだったのです。死んだイエス様が埋葬された墓はその内側にイエス様を閉じ込めておくことができませんでした。イエス様は死んでから三日目によみがえられ、今も永遠に生きておられるのです!

信仰にかかわる第三の視点は、神様がヨブの人生と同じようにあなたの人生もしっかり導いてくださっていることを信頼しなさいということです。ヨブは自分のあがない主が最後の日の裁き主としてこの地の上に立たれることを知っています。神様には不可能なことは何もありません。ヨブはこのことを実際に自分で見ることができました。最終的にヨブは主の御前にへりくだり、主に対して反抗的だったそれまでの自分の態度を悔い改めました。改心したヨブが祈ると神様は彼の人生をすっかり変えてくださいました。ヨブは神様から助けをいただいたのです。

「ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブの繁栄をもとにかえし、そして主はヨブのすべての財産を二倍に増された。」
(「ヨブ記」42章10節、口語訳)

あなたの人生には喜びも苦しみもあるのではないでしょうか。しかし苦しさの最中にあっても、あなたのあがない主が生きておられ最後の日の裁き主として立たれることをどうか思い起こしてください。自分の罪深さと理解の足りなさを神様に告白し、不可能なことが何もない神様にどうか信頼してください。おそらく神様はあなたの抱えている問題のすべてを取り除いてはくださらないでしょう。私たちはまだ罪が様々な問題を引き起こし続けているこの地上で生活しているからです。ヨブも自分の死んだ子どもたちを神様に生き返らせていただくことはできませんでした。しかし神様はあなたの人生に対して裁き主として最終的な宣告を下されます。あなたが主を信じて主の御許に逃げ込むとき、主はあなたのことをしっかり受け止めて、あなたを天の御国へと導いてくださいます。


聖書の引用箇所は口語訳によるものです。
日本語版では表現に多少の編集が施されています。