エレミヤがイエス・キリストについて預言したこと
預言者エレミヤの生涯と人物像
旧約聖書の預言者である「エレミヤ」という名前は「主は高めてくださる」という意味のヘブライ語であるとも考えられます。エレミヤの出身地であるアナトテという村は、エルサレムから数キロメートルほど北方に位置し、ベニヤミン族の領域にありました。エレミヤの父はヒルキヤといい、一家は神様によってかつて呪われた祭司エリの家系に属していました(「エレミヤ書」1章1節、「サムエル記上」3章10〜14節、「列王記上」2章26〜27節)。エレミヤはユダ王国末期の数十年間、エルサレムで預言者として活動しました。紀元前626年、ユダ王ヨシヤの治世13年目に神様が彼を預言者として召されたのです(「エレミヤ書」1章2節)。エレミヤはエルサレムの滅亡(紀元前586年)に至るまでの時期およびその後もしばらくの間、合わせると40年以上にわたり主の預言者としての使命を忠実に果たしました。なお、エレミヤと同時代の他の預言者にはエゼキエル(捕囚時代にバビロニアの捕囚民の間で活動)、ハバクク、ゼパニヤ、ダニエル(捕囚時代にペルシアで活動)などがいます。
「エレミヤ書」は「詩篇」や「イザヤ書」に次いで聖書の中で最も長大な書物です。それぞれの書の節数は「詩篇」2527節、「イザヤ書」1291節、「エレミヤ書」1363節になっています。
南の王国であるユダ王国の住民たちが捕囚となる以前、「約束の御民」の行末を決定づけた激動の時代にエレミヤは預言者として活動したことになります。
「約束の御民」の行末を決定づけた時代
「エレミヤ書」の歴史的背景は「列王記下」18~25章と「歴代誌下」29~36章に記されています。この小文でこれから述べていくことは上述の二つの歴史書の記述に基づいています。なお、フィンランド語版とは異なりこの日本語版では必要に応じて具体的な聖書の引用箇所をテキストに加えていくことにします。
北王国であるイスラエル王国は紀元前721年に滅亡しました(「列王記下」17章1~23節)。アッシリア軍がその首都サマリヤを占領し、民を「二つの川の間の地」すなわちチグリス・ユーフラテス地方へと連れ去ったのです。なお、アッシリアは口語訳では「アッスリヤ」と表記されています。
南王国であるユダ王国もアッシリアの脅威にさらされました。紀元前672年の時点でアッシリアの属国だった国々を記載した名簿が後年発見されており、そこにはユダの王もアッシリアへの納税義務者として記されています。当時のユダ王国は神様を重んじる王ヒゼキヤ(紀元前715~686年)によって統治されており、神様はこの時代のユダとエルサレムをアッシリアから救ってくださいました。
ヒゼキヤ王の後を継いでマナセ(紀元前686年~641年)がユダの王となりましたが、彼は父ヒゼキヤとは正反対の「鏡像的存在」であったと言えます。彼はユダ王国の歴史上最も邪悪な王として45年もの長きにわたって統治者の地位に居続けました。この時代に神様はマナセの罪のゆえに民がこれから捕囚の苦難に陥ると宣告なさっています。
ヒゼキヤ以前の時代にあった偶像崇拝がマナセの時代に再び盛んになりました。彼はエルサレムの神殿にアスタルテの像を建て、ベンヒンノムの谷でモレクに息子を生贄として捧げ、魔術を行い、自分に反対する神様の預言者たちを殺害したのです。晩年に彼はバビロン捕囚の憂き目に遭います。バビロンで神様にへりくだった彼は祖国に帰還後ユダの地から偶像崇拝を取り除きました。
残念ながら、マナセの息子として王位を継いだアモン(紀元前641年~639年)も父と同様に治世初期には邪悪な人物でした。
民の信仰のありかたに永続的な変化をもたらすには一世代分ほどの時が必要とされるのかもしれません。同様にキリスト教会の将来も今の子どもたちの世代の信仰のありようにかかっているとも言えるのでしょう。
アモン王の後を継いだヨシヤ(紀元前640年~609年)はわずか8歳の若さで王位に就きました。彼は善良で信仰深い助言者たちに恵まれていたようです。それもあって彼はユダ王国で最後の信仰深い王となることができました。
ヨシヤ王はユダ王国から偶像崇拝を根絶するための改革に着手します。ときに紀元前621年、神殿の修復中に「ある巻物」が発見されました。見つかった巻物が何であったのかは研究者たちの間で意見が分かれています。ユダヤ教の伝承によれば「申命記」全文であったとされていますが、そうとは言い切れません。その巻物はかなり短時間で王に読み聞かせることができる長さのものだったからです。おそらく、その巻物は「申命記」かあるいはその一部だったのでしょう。
活ける神様を捨て偶像を崇拝し始めた民にはどのようなことが起こるのかについてその巻物に記されていた脅しの数々を聞いたヨシヤ王は恐れおののき、女預言者フルダに助言を求めました。彼女は王に非常に暗いメッセージを伝えました。それは、巻物に予言されている破滅は必ず到来するが、ヨシヤが主を求めたがゆえに破滅は彼の死後に起こるであろう、というものでした。ヨシヤの敬虔な治世は神様の裁きの執行を遅延させることができたものの完全に阻止することはできなかったと言えるでしょう。
ヨシヤはエルサレムの神殿での礼拝を再開し、神様との契約を更新し、過越祭の開催を宣言しました。また、北王国イスラエルの十部族のうちの生き残りの民も祭に招待しました。
来るべき裁きは回避できないし、バビロニアがユダを征服して民を捕囚として連れ去ることになるであろう、とエレミヤは宣言しました。さらに、バビロニアに抵抗を試みる者は神様御自身に逆らうことになるが(「エレミヤ書」25章8〜11節)、バビロニアの支配に服従するならばユダの民は戦争の惨禍を免れるであろう、とエレミヤは説きました。
「彼らの主君にこの命を伝えさせなさい、『万軍の主、イスラエルの神はこう仰せられる、あなたがたは主君にこのように告げなければならない。わたしは大いなる力と伸べた腕とをもって、地と地の上にいる人と獣とをつくった者である。そして心のままに地を人に与える。いまわたしはこのすべての国を、わたしのしもべであるバビロンの王ネブカデネザルの手に与え、また野の獣をも彼に与えて彼に仕えさせた。彼の地に時がくるまで、万国民は彼とその子とその孫に仕える。その時がくるならば、多くの国と大いなる王たちとが彼を自分の奴隷にする。バビロンの王ネブカデネザルに仕えず、バビロンの王のくびきを自分の首に負わない民と国とは、わたしがつるぎと、ききんと、疫病をもって罰し、ついには彼の手によってことごとく滅ぼすと主は言われる。それで、あなたがたの預言者、占い師、夢みる者、法術師、魔法使が、「あなたがたはバビロンの王に仕えることはない」と言っても、聞いてはならない。彼らはあなたがたに偽りを預言して、あなたがたを自分の国から遠く離れさせ、わたしに、あなたがたを追い出してあなたがたを滅ぼさせるのである。しかしバビロンの王のくびきを首に負って、彼に仕える国民を、わたしはその故国に残らせ、それを耕して、そこに住まわせると主は言われる』。」
(「エレミヤ書」27章4〜11節、口語訳)
紀元前627年、アッシリア王アッシュルバニパルが死去します。この出来事はヨシヤ王による宗教改革がこのタイミングで遂行できた地政学的理由にもなっています。当時のアッシリアの国力は国内のあくなき権力闘争によって弱体化していたからです。しかし同時に、これはアッシリアとその外部勢力との争いが始まったという意味でもあり、ユダ王国も必然的にその勢力争いに巻き込まれていくことになります。
ヨシヤ王の治世にアッシリア帝国は崩壊します。メディアとバビロニアがアッシリアから独立し、紀元前614年にアッシリア帝国の首都アッシュルが、紀元前612年には最大の都市ニネベが次々と征服されていき、最後にはハランが紀元前610年に陥落しました。ユダ王国はこの機に乗じて北方に勢力を拡大し、かつてのイスラエル王国の領土にまで到達しています。
エジプトは政権内部の不協和音や内戦のせいで約100年間弱体化していましたが、アッシリアの崩壊時にファラオであったネコ(紀元前610年~594年)はこの機会をとらえてシリア征服を目論みます。しかし、ヨシヤ王はこれを望みませんでした。それが実現しようものなら、ユダ王国もエジプトの支配下に編入される可能性が高かったからです。それゆえ、ヨシヤ王はエジプト軍と交戦するために出陣したのです。しかし、紀元前609年のメギドの戦いで重傷を負った彼はエルサレムへ帰還する途上で死去します。その結果、エジプトはユダ王国も勢力下に収めることになり、ユダに銀100タラントと金1タラントの貢納を命じました。
ヨシヤ王の死後、エホアハズ(紀元前609年~608年)がユダの王となりましたが、その治世はわずか3ヶ月の短命に終わります。彼はエジプト王ネコによって廃位され、エジプトに捕囚の身として連行され、そこで死去しています。
ネコはエホアハズの兄エホヤキム(紀元前608年~598年)をユダ王国の次の王に任命します。しかし、エホヤキムは後にバビロニアに捕囚の身として連れ去られることになります。
エジプトはシリアを征服し、さらにユーフラテス川まで進軍しましたが、紀元前605年、カルケミシュの戦いにおいて、当時バビロニア王であったナボポラッサルを父にもつネブカドネザル(口語訳では「ネブカデネザル」)率いるバビロニア軍に敗れ去ります。この敗北はエジプトの覇権時代の終焉を告げることになりました。
ネブカドネザルは西方への征服を続け、紀元前604年にはペリシテ人の沿岸都市アシュケロンを陥落させます。それと関連して同じ時期にエルサレムもとうとう陥落し、住民の一部は捕囚としてバビロニアに連行されたようです。預言者ダニエルもこの時期に捕囚としてバビロニアに連れ去られたと考えることもできます。これは、バビロニアがユダ王国を70年間支配するというエレミヤの預言(次の引用箇所)とも符合します。ペルシアがバビロニアを征服したのは紀元前539年であり、前述の紀元前604年との間隔は約70年間になるからです。最初の捕囚については研究者間で意見が分かれています。とはいえ、その時点でユダがバビロニアの属国となり、バビロニアに税金を納めなければならない立場に置かれたことは少なくとも確実です。
「それゆえ万軍の主はこう仰せられる、あなたがたがわたしの言葉に聞き従わないゆえ、見よ、わたしは北の方のすべての種族と、わたしのしもべであるバビロンの王ネブカデレザルを呼び寄せて、この地とその民と、そのまわりの国々を攻め滅ぼさせ、これを忌みきらわれるものとし、人の笑いものとし、永遠のはずかしめとすると、主は言われる。またわたしは喜びの声、楽しみの声、花婿の声、花嫁の声、ひきうすの音、ともしびの光を彼らの中に絶えさせる。この地はみな滅ぼされて荒れ地となる。そしてその国々は七十年の間バビロンの王に仕える。主は言われる、七十年の終った後に、わたしはバビロンの王と、その民と、カルデヤびとの地を、その罪のために罰し、永遠の荒れ地とする。わたしはあの地について、わたしが語ったすべての言葉をその上に臨ませる。これはエレミヤが、万国のことについて預言したものであって、みなこの書にしるされている。多くの国々と偉大な王たちとは、彼らをさえ奴隷として仕えさせる。わたしは彼らの行いと、その手のわざに従って報いる。」
(「エレミヤ書」25章8〜14節、口語訳)
ネブカドネザルは父の死の報を受けた時にはエジプト国境付近にいました。彼は自分が戦地にいる間に他の誰かが権力を簒奪するのを防ぎ自らの王位を固めるために、できうるかぎりの速やかさで首都バビロンに帰還しました。王となった彼は紀元前604年から562年までバビロニアを統治します。
エホヤキムの後を継いで王位に就いたのはその子エホヤキンです(紀元前598年~597年)。
エジプトの支持者たちはエホヤキンにバビロニアへの反乱を唆しました。彼らはエジプトがユダ王国を支援してくれることを期待していたのです。エレミヤは反乱に反対し警告しましたが、もちろん今回も無視されました。紀元前597年、カルデア軍(バビロニア軍)がエルサレムを占領し、戦利品とともに民の指導者たちなど上流階級の人々を捕囚として連れ去ります。そうすればユダの地に取り残されたいわゆる「卑しい民」だけではもう二度とバビロニアに反乱を起こせなくなるだろう、というのが彼らの算段でした。
このエホヤキンもバビロニアに捕囚として連行されることになります。その後、エホヤキンの叔父ゼデキヤが王位に就き、ユダ王国の最後の王となりました(紀元前597年~586年)。ゼデキヤは政権基盤の弱い統治者であったため、エジプトの支持者たちに抵抗できませんでした。この時にもエレミヤはエジプトの支援に頼らないように再度警告しましたが(「エレミヤ書」37章1〜10節および38章14〜28節)、やはり聞き入れられませんでした。またしてもユダはバビロニアに反乱を起こしたのです。バビロニアがエルサレムを征服するような事態になれば、それまで二度も反乱を起こした民に対して峻酷な処遇が待ち受けていることは明らかでした。それゆえ、奴隷たちも解放されるやいなや軍隊に編入されたのです。城壁を強化する資材の調達のために市内の家々は取り壊されました。エルサレムの反乱は1年半ほど続いたものの、その最終局面では市内が深刻な飢饉に陥りました。エレミヤは「いつもと同じ忠告」としてユダの王ゼデキヤに対して次のように降伏を勧告しています。
「そこでエレミヤはゼデキヤに言った、「万軍の神、イスラエルの神、主はこう仰せられる、もしあなたがバビロンの王のつかさたちに降伏するならば、あなたの命は助かり、またこの町は火で焼かれることなく、あなたも、あなたの家の者も生きながらえることができる。18しかし、もしあなたが出てバビロンの王のつかさたちに降伏しないならば、この町はカルデヤびとの手に渡される。彼らは火でこれを焼く。あなたはその手をのがれることができない」。」
(「エレミヤ書」38章17〜18節、口語訳)。
神様の御意志に服従し無益な反逆をやめるべきである、とエレミヤが繰り返し民に説き聞かせたのに対して、民の指導者たちは「エレミヤは民から戦う意志を奪っている」と非難したのです。エレミヤは投獄され、ついには泥だらけの貯水槽に投げ込まれ、あやうく死にかけましたが、ぎりぎりのところで「エチオピヤびとエベデメレク」によって救い出されます(「エレミヤ書」38章1〜13節)。その後、ゼデキヤ王はエレミヤに助言を求めたことがありました。しかし、その助言の内容に不満な王はやはり従わなかったのです(「エレミヤ書」38章14〜28節)。
紀元前586年、バビロニア軍がエルサレムを占領します。ゼデキヤ王は市から逃げ出しましたが、エリコ近郊で捕らえられ、ネブカドネザルの本陣があったシリアのリブラに連行されました。ゼデキヤの眼前で彼の息子たちは殺され、彼自身は目をつぶされて失明し、バビロニアに捕囚として連行されました。
1か月後、ネブカドネザル王の護衛隊長ネブザラダンがエルサレムに到着し、王宮と神殿から貴重品を略奪してバビロニアへと持ち去りました。エルサレム市は火を放たれて、城壁は破壊されました。
エレミヤは捕囚となってバビロニアに行くかそれともユダにとどまるか、そのどちらかを選択する機会を与えられました。彼はバビロニアが任命した総督ゲダリヤと同じくミヅパにとどまることにしました(「エレミヤ書」40章1〜6節)。3か月後、そのゲダリヤは暗殺されます(「エレミヤ書」41章1〜3節)。暗殺者たちはエレミヤと書記官バルクを強制的に一緒に連行してエジプトの「タパネス」という地へ逃亡しました。エジプトにおいてエレミヤはネブカドネザルがエジプトも征服することになるであろうと預言しました(「エレミヤ書」43章8〜13節)。
ユダヤの伝承によれば、ネブカドネザルはエジプトを征服した後、エレミヤをバビロンに連れて行き、エレミヤはそこで死亡したとされています。それに対して、キリスト教会の教父たち(テルトゥリアヌスなど)の伝えるところによると、預言者エレミヤはエジプトに連行されて約5年後にエジプトのタパネスでユダヤ人たちによって石で打ち殺されたとされています。
預言者エレミヤの人物像
「エレミヤ書」には他の預言書よりも詳細な歴史的記述が豊富に含まれているため、旧約聖書に登場する他のどの預言者と比べても、預言者エレミヤについてはより多くのことがわかっています。
エレミヤは若い頃に預言者としての召命を受けています。
「主の言葉がわたしに臨んで言う、
「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、
あなたを知り、
あなたがまだ生れないさきに、
あなたを聖別し、
あなたを立てて万国の預言者とした」。
その時わたしは言った、
「ああ、主なる神よ、わたしはただ若者にすぎず、どのように語ってよいか知りません」。しかし主はわたしに言われた、
「あなたはただ若者にすぎないと言ってはならない。
だれにでも、すべてわたしがつかわす人へ行き、
あなたに命じることをみな語らなければならない。
彼らを恐れてはならない、
わたしがあなたと共にいて、
あなたを救うからである」と主は仰せられる。
そして主はみ手を伸べて、わたしの口につけ、主はわたしに言われた、
「見よ、わたしの言葉をあなたの口に入れた。
見よ、わたしはきょう、
あなたを万民の上と、万国の上に立て、
あなたに、あるいは抜き、あるいはこわし、
あるいは滅ぼし、あるいは倒し、
あるいは建て、あるいは植えさせる」。」
(「エレミヤ書」1章4〜10節、口語訳)。
生まれる前からのエレミヤを預言者として神様は選んでおられたのです。このことは、後にエレミヤが自分の生まれた日を呪うという行為に繋がっていきます(「エレミヤ書」20章14〜18節)。この世に生まれてさえいなければ自分に与えられた重く苦しい使命を免れることができたのに、とエレミヤは考えたのでしょう。エレミヤは20歳から25歳までの間に預言者としての活動を始めたと推定されています。
上掲の箇所にあるように、エレミヤは神様の御声の代弁者にすぎませんでした(「エレミヤ書」1章7、9節)。「わたしがあなたと共にいて、あなたを救う」という神様からの約束をエレミヤは知らされていました(「エレミヤ書」1章8節)。
エレミヤは愛国者でしたが(「エレミヤ書」8章18〜21節)、来るべき破滅と裁きを自分の同胞である民に宣告しなければなりませんでした。その否定的なメッセージのゆえに、彼は国の裏切り者、国賊と見なされたのです。民の指導者たちの意向に彼が常に反対の態度をとってきたことを思えば、それも不思議ではありません。エレミヤは自ら口をつぐむことを望みましたが、かないませんでした。次の箇所のように、神様から与えられた「言うべきこと」を民に告げなければならなかったからです。
「主よ、あなたがわたしを欺かれたので、
わたしはその欺きに従いました。
あなたはわたしよりも強いので、
わたしを説き伏せられたのです。
わたしは一日中、物笑いとなり、
人はみなわたしをあざけります。
それは、わたしが語り、呼ばわるごとに、
「暴虐、滅亡」と叫ぶからです。
主の言葉が一日中、
わが身のはずかしめと、あざけりになるからです。
もしわたしが、「主のことは、重ねて言わない、
このうえその名によって語る事はしない」と言えば、
主の言葉がわたしの心にあって、燃える火の
わが骨のうちに閉じこめられているようで、
それを押えるのに疲れはてて、
耐えることができません。
多くの人のささやくのを聞くからです。
恐れが四方にあります。
「告発せよ。さあ、彼を告発しよう」と言って、
わが親しい友は皆
わたしのつまずくのを、うかがっています。
また、「彼は欺かれるだろう。
そのとき、われわれは彼に勝って、
あだを返すことができる」と言います。
しかし主は強い勇士のように
わたしと共におられる。
それゆえ、わたしに迫りくる者はつまずき、
わたしに打ち勝つことはできない。
彼らは、なし遂げることができなくて、
大いに恥をかく。
その恥は、いつまでも忘れられることはない。
正しき者を試み、
人の心と思いを見られる万軍の主よ、
あなたが彼らに、
あだを返されるのを見せてください。
わたしはあなたに、わたしの訴えを
お任せしたからです。
主に向かって歌い、主をほめたたえよ。
主は貧しい者の命を、
悪人の手から救われたからである。」
(「エレミヤ書」20章7〜13節、口語訳)。
エレミヤはユダ王国の政治に働きかけようと試みて、信仰深いヨシヤ王の治世にはある程度は成功したようです。しかし、その後のユダの王たちはエレミヤの助言に耳を傾けようとはしませんでした。
エルサレム滅亡後、ようやくエレミヤのメッセージは少しだけ明るい肯定的なものに変わります。自らの罪深さのゆえに下された裁きを民は我が身に受けることになりました。そしてようやく、神様が彼らを憐れむことが可能になったのです。エレミヤはなぜ民が「どん底」を経験しなければならなかったのかを理解しました。この「どん底」がなければ、民が神様に対してへりくだり悔い改めることは決して起こらなかったことでしょう。
エレミヤは民のために祈ることを神様に願いました。しかし、民の当面の行末はすでに定まっていたため今は彼らのために祈っても無駄である、と神様は繰り返しお告げになりました(「エレミヤ書」6章16〜21節(次の引用箇所)および7章16節および11章14節および14章11節)。民はいずれ自らの罪のもたらす結末に直面し、それを受け入れなければならなくなる時が来るからです。
「主はこう言われる、 「あなたがたはわかれ道に立って、よく見、
いにしえの道につき、
良い道がどれかを尋ねて、その道に歩み、
そしてあなたがたの魂のために、安息を得よ。
しかし彼らは答えて、
『われわれはその道に歩まない』と言った。
わたしはあなたがたの上に見張びとを立て、
『ラッパの音に気をつけよ』と言った。
しかし彼らは答えて、
『われわれは気をつけることはしない』と言った。
それゆえ国々の民よ、聞け。
会衆よ、彼らにどのようなことが起るかを知れ。
地よ、聞け。見よ、わたしはこの民に災をくだす。
それは彼らのたくらみの実である。
彼らがわたしの言葉に気をつけず、
わたしのおきてを捨てたからである。
シバから、わたしの所に乳香が来、
遠い国から、菖蒲が来るのはなんのためか。
あなたがたの燔祭はわたしには喜ばしくなく、
あなたがたの犠牲もうれしくはない。
それゆえ主はこう言われる、
『見よ、わたしはこの民の前につまずく石を置く、
人々は父も子も共にそれにつまずき、
隣り人もその友も滅びる』」。」
(「エレミヤ書」6章16〜21節、口語訳)
しかし、エレミヤにはこのことだけにとどまらず次のような深い洞察もありました。それは、神様のお定めになった期間を通して民が己の惨めな境遇とバビロニアの圧制に耐え抜く意思があるならば、いずれ今よりもよい時代が来るだろう、という洞察です。
エレミヤは妻を娶ることを許されず(「エレミヤ書」16章1〜4節)、喪の家にも婚姻の家にも入ることを許されませんでした。
「主はこう言われる、喪のある家に、はいってはならない。また行って、それを悲しみ嘆いてはならない。わたしがこの民からわたしの平安と、いつくしみと、あわれみとを取り去ったからであると、主は言われる。大いなる者も小さき者も、この地に死ぬ。彼らは葬られず、また彼らのために悲しむ者もなく、自分の身を傷つける者もなく、髪をそる者もない。悲しむ者のためにパンをさいて、死者のためにこれを慰める者はなく、また父あるいは母のために慰めの杯をこれに与えて飲ませる者もない。またあなたは宴会をする家にはいって、人々と共にすわって食い飲みしてはならない。万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、見よ、あなたの目の前で、あなたのなおこの世にいる間に、わたしは喜びの声と楽しみの声、花婿の声と花嫁の声とをこの所に絶やしてしまう。」
(「エレミヤ書」16章5〜9節、口語訳)
エレミヤは、民がしきりに聞きたがっている「よい未来」ばかりを喧伝する偽預言者たちと戦わなければなりませんでした。とりわけエレミヤとハナニヤの衝突は印象に残ります(「エレミヤ書」28章)。
祭司パシュルは神殿(口語訳では「主の宮」)に通じるベニヤミンの門の足かせにエレミヤをつなぎました(「エレミヤ書」20章2節)。その後、エレミヤはエルサレムの神殿に入ることさえ禁止されてしまいます(「エレミヤ書」36章5節)。
エレミヤは多くの苦しみを経験しました。そしてついには自分の人生は屠られる小羊のような人生であるとさえ言い表すようになりました。
「しかしわたしは、
ほふられに行く、おとなしい小羊のようで、
彼らがわたしを害しようと、
計りごとをめぐらしているのを知らなかった。
彼らは言う、「さあ、木とその実を共に滅ぼそう。
生ける者の地から彼を絶って、
その名を人に忘れさせよう」。」
(「エレミヤ書」11章19節、口語訳)
しかし、神様はそのようなエレミヤを説得なさったので、エレミヤは神様の御意思に服従します(「エレミヤ書」20章7節)。自分の伝えるメッセージのせいでエレミヤはあやうく殺されかけました。しかし、ユダの長老たちの何人かが歴史の教訓を人々に思い出させてくれたおかげで、エレミヤは窮地を脱することができたのです(「エレミヤ書」26章1〜19節)。その一方で、エレミヤの同時代の預言者ウリヤは逃亡先のエジプトから見つけ出されて連れ戻され、殺されてしまいます(「エレミヤ書」26章20〜23節)。エレミヤの場合には、エルサレム神殿での律法の書の発見に関わった書記官シャパンの子アヒカムが彼を保護してくれました(「エレミヤ書」26章24節、「列王記下」22章12節)。
エレミヤのメッセージの概要
エルサレムの神殿が自分たちを救ってくれるなどと信じてはならない、とエレミヤは民に告げました。当時の神殿は民にとって一種のお守りや護符のようなものに成り下がっていたのです。「神殿が建物として維持されそこで犠牲が捧げ続けられるかぎり、神様は私たちを守ってくださるはずだ」というように人々は信じていたのです。しかし、かつてシロの神殿が破壊されたのと同じように、エルサレムの神殿も破壊されることになりました。
「主からエレミヤに臨んだ言葉はこうである。「主の家の門に立ち、その所で、この言葉をのべて言え、主を拝むために、この門をはいるユダのすべての人よ、主の言葉を聞け。万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、あなたがたの道とあなたがたの行いを改めるならば、わたしはあなたがたをこの所に住まわせる。あなたがたは、『これは主の神殿だ、主の神殿だ、主の神殿だ』という偽りの言葉を頼みとしてはならない。
もしあなたがたが、まことに、その道と行いを改めて、互に公正を行い、寄留の他国人と、みなしごと、やもめをしえたげることなく、罪のない人の血をこの所に流すことなく、また、ほかの神々に従って自ら害をまねくことをしないならば、わたしはあなたがたを、わたしが昔あなたがたの先祖に与えたこの地に永遠に住まわせる。
見よ、あなたがたは偽りの言葉を頼みとしているが、それはむだである。あなたがたは盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルに香をたき、あなたがたが以前には知らなかった他の神々に従いながら、わたしの名をもって、となえられるこの家に来てわたしの前に立ち、『われわれは救われた』と言い、しかもすべてこれら憎むべきことを行うのは、どうしたことか。わたしの名をもって、となえられるこの家が、あなたがたの目には盗賊の巣と見えるのか。わたし自身、そう見たと主は言われる。わたしが初めにわたしの名を置いた場所シロへ行き、わが民イスラエルの悪のために、わたしがその場所に対して行ったことを見よ。主は言われる、今あなたがたはこれらのすべてのことを行っている。またわたしはあなたがたに、しきりに語ったけれども、あなたがたは聞かず、あなたがたを呼んだけれども答えなかった。それゆえわたしはシロに対して行ったように、わたしの名をもって、となえられるこの家にも行う。すなわちあなたがたが頼みとする所、わたしがあなたがたと、あなたがたの先祖に与えたこの所に行う。そしてわたしは、あなたがたのすべての兄弟、すなわちエフライムのすべての子孫を捨てたように、わたしの前からあなたがたをも捨てる。」
(「エレミヤ書」7章1〜15節、口語訳)
神様の御意思への心からの忠実さをエレミヤは民に求めました(「エレミヤ書」7章16〜26節)。
エレミヤは、神様をないがしろにしている邪悪な者たちがこの世で繁栄することが許されているのはなぜなのか、それとは対照的に、神様に従う者たちが彼自身と同じようにしばしば多様な困難や困難に直面するのはどうしてなのか、という疑問を提示しています(「エレミヤ書」12章1〜6節)。
エレミヤの生まれ故郷の村民たちも、彼に対して謀略をめぐらしました。エレミヤは民を苛立たせる数々の預言によって村全体の評判を台無しにした恥晒しとみなされたからです(「エレミヤ書」11章18〜23節)。中近東の人々によくみられるこのような共同体意識を正しく理解するのは、欧米の人々や日本の人々にとっても難しいのではないでしょうか。その一例として「血の復讐」をあげることができます。
エレミヤの民に対する主要なメッセージは「悔い改めへの呼びかけ」であるとまとめることができるでしょう。これは彼の説教の中で繰り返し登場するテーマです(「エレミヤ書」3章12〜13、19〜25節および18章11節)。民の心は神様から離れてしまいました(「エレミヤ書」2章13節)。にもかかわらず、神様はなおも彼らに悔い改めを呼びかけておられるのです。
「あなたは行って北にむかい、この言葉をのべて言うがよい、
『主は言われる、背信のイスラエルよ、帰れ。
わたしは怒りの顔をあなたがたに向けない、
わたしはいつくしみ深い者である。
いつまでも怒ることはしないと、主は言われる。
ただあなたは自分の罪を認め、
あなたの神、主にそむいて
すべての青木の下で異なる神々に
あなたの愛を惜しまず与えたこと、
わたしの声に聞き従わなかったことを
言いあらわせと、主は言われる。」
(「エレミヤ書」3章12〜13節、口語訳)
救済史の観点から特に重要なのは「新しい契約」についての預言です。
「主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。この契約はわたしが彼らの先祖をその手をとってエジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない。わたしは彼らの夫であったのだが、彼らはそのわたしの契約を破ったと主は言われる。しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない。」
(「エレミヤ書」31章31〜34節、口語訳)
イエス様は最後の晩餐の席で「主の聖餐」を制定なさいました。そしてこの時に「新しい契約」についての預言が成就したとも述べておられます。上掲の引用箇所からもわかるように、神様のほうから率先して「新しい契約」を結んでくださるというのが「エレミヤ書」のメッセージです。このことに注目してください。これは、イエス様がたんなる神様の使者ではなく神様御自身であられることを明示している聖書の箇所のうちの一つです。
「エレミヤ書」にはメシアについての預言はさほど多くは含まれていません。しかしその一方で、エレミヤ自身が「キリストの予型」として描かれている箇所は多数見つかります。エレミヤの経験した苦難もそうですし、エレミヤの伝えたメッセージが民に聞き届けられなかったこともその例です。また「エレミヤ書」には「正しい枝」についての預言があります。その枝は「主はわれわれの正義」という名であり(「エレミヤ書」23章5〜6節)、その王国は永遠の王国であるとされます(「エレミヤ書」33章14〜22節)。
「主は仰せられる、見よ、わたしがダビデのために一つの正しい枝を起す日がくる。彼は王となって世を治め、栄えて、公平と正義を世に行う。その日ユダは救を得、イスラエルは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる。」
(「エレミヤ書」23章5〜6節、口語訳)
エレミヤは様々な奇跡を行いました。例えば、亜麻布の帯と酒つぼ(「エレミヤ書」13章1〜14節)、ベンヒンノムの谷で土の壺が砕かれること(「エレミヤ書」19章1〜13節)、くびき(「エレミヤ書」28章10〜14節)などです。
エレミヤが故郷アナトテの畑を親戚から買い取ったことも一つの「しるし」です。当時のアナトテはエルサレムを包囲していたバビロニア人の支配下にありました。自らの行為を通してエレミヤは、神様が民に憐れみを賜り、畑が再び売買される時が来ることを示そうとしたのです(「エレミヤ書」32章)。
もう一つの「しるし」は、捕囚として連れ去られたイスラエルの民に宛てたエレミヤの手紙です。「エレミヤ書」29章1節には「これは預言者エレミヤがエルサレムから、かの捕え移された長老たち、およびネブカデネザルによってエルサレムからバビロンに捕え移された祭司と預言者ならびにすべての民に送った手紙に書きしるした言葉である。」とあります。偽預言者たちは捕囚民に対して、間もなく捕囚の時が終わってあなたたちは故郷に帰れるのだ、と喧伝しました。しかし、それとは正反対のことをエレミヤは宣言しています。あなたがた(イスラエルの民)が私たち(ユダの民)のところに来るのではなく、逆に私たちがやはり捕囚としてあなたがたのところに行くことになる、と予言したのです(「エレミヤ書」29章)。
エレミヤは次のように正義や公正も民に求めました。
「不義をもってその家を建て、
不法をもってその高殿を造り、
隣り人を雇って何をも与えず、
その賃金を払わない者はわざわいである。
彼は言う、『わたしは自分のために大きな家を建て、
広い高殿を造ろう』と。
そしてこれがために窓を造り、
香柏の鏡板でおおい、それを朱で塗る。
あなたは競って香柏を用いることによって、
王であると思うのか。
あなたの父は食い飲みし、
公平と正義を行って、幸を得たのではないか。
彼は貧しい人と乏しい人の訴えをただして、
さいわいを得た。
こうすることがわたしを知ることではないかと
主は言われる。
しかし、あなたは目も心も、
不正な利益のためにのみ用い、
罪なき者の血を流そうとし、
圧制と暴虐を行おうとする。」
(「エレミヤ書」22章13〜17節、口語訳)
エレミヤは神様の愛についても語っています。「エレミヤ書」31章3節で主はイスラエルに対して「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。それゆえ、わたしは絶えずあなたに真実をつくしてきた。」と明言しておられます。どのようなことが起ころうとも、神様は破壊ではなく平和のことを考えておられ、人々に未来と希望を与えてくださるのです。
「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」
(「エレミヤ書」29章11節、口語訳)
しかし何よりもまずエレミヤは「御言葉の預言者」でした。 「主の言葉がわたしに臨んで言う、」(「エレミヤ書」1章4節)、「主の言葉を聞け。」(「エレミヤ書」2章4節)、「と主は言われる。」(「エレミヤ書」3章1節)、「これをヤコブの家にのべ、
またユダに示して言え、」(「エレミヤ書」5章20節)、「主はわたしに言われた、」(「エレミヤ書」11章6節)、「主はわたしにこう言われた、」(「エレミヤ書」13章1節)などの言い回しが「エレミヤ書」の中で何度も繰り返されています。
民とその指導者たちはエレミヤのメッセージに聞き従おうとはしませんでした。
「わたしはだれに語り、だれを戒めて、聞かせようか。
見よ、彼らの耳は閉ざされて、聞くことができない。
見よ、彼らは主の言葉をあざけり、それを喜ばない。」
(「エレミヤ書」6章10節、口語訳)
エレミヤは嘘つき扱い(「エレミヤ書」43章2節に「あなたは偽りを言っている。」とあります)や、次の箇所のように国賊扱いされて非難されました。
「すると、つかさたちは王に言った、「この人を殺してください。このような言葉をのべて、この町に残っている兵士の手と、すべての民の手を弱くしているからです。この人は民の安泰を求めないで、その災を求めているのです」。」
(「エレミヤ書」38章4節、口語訳)
ユダヤ人の伝承によれば「哀歌」はエレミヤによって書かれたものです。聖書の中でこの書が「エレミヤ書」のすぐ後に置かれているのはそのためです。
ユダヤ人たちは「主の日」が来る前にエレミヤが再び彼らの目の前に現れるのを待望していました。それゆえ、イエス様を「第二のエレミヤ」であると考える人々もいました。
「イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は人の子をだれと言っているか」。彼らは言った、「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります」。」
(「マタイによる福音書」16章13〜14節、口語訳)
「エレミヤ書」における出来事の記述は時系列順に沿ってはおらず、時間軸が前後しつつ展開されています。例えば、「エレミヤ書」の最初の版を語り聞かせられた後にエホヤキム王がそれを焼き捨てたことを思い出してください(「エレミヤ書」36章)。王のこの所業に対して、エレミヤは預言書を新たに書き直しました。より正確に言えば、エレミヤは書記バルクに口述筆記させ、エホヤキム王への個人的な裁きを預言書に付け加えたのです。おそらくこの書は預言者エレミヤの死後まもなく、遅くとも紀元前520年代には最終的な形を整えたものと思われます。
「エレミヤ書」にはいくつかの同じような箇所が二度登場しています。例えば、6章22〜24節と50章41〜43節、10章12〜16節と51章15〜19節、15章13〜14節と17章3〜4節、23章19〜20節と30章23〜24節です。預言者が40年間以上にわたって活動を続け、主要な考えを何度も繰り返して宣べ伝えたことは確実ですから、これは特段驚くべきことではありません。
エレミヤの教え
エレミヤは、いわゆる「繁栄の神学」が聖書的な考えかたではないことを示します。「繁栄の神学」(英語でProsperity Theology)とは「神様への正しい信仰をもち教会への献金を続けている人々に対して、神様は経済的成功や健康などこの世的な意味での利益を与えてくださる」と教える、ある種のキリスト教徒たちの信奉する「神学」のことです。エレミヤはこの世的な意味では何度も挫折と失敗を味わう人生を送りましたが、それでもなお神様の御心に従い続けました。この世的な繁栄や成功は、私たち自身がどれほどよく神様とその御心に従っているかを測る正しい尺度ではありません。神様の御心に従うことは、時には大きな困難や不遇や大衆からの不人気をもたらすこともあるからです。
エレミヤが間違っていたように見える場合さえしばしばありました。実際、彼が予言した破滅が実現するまでには40年間もかかったのです。私たちも忍耐強くあるべきなのです。1980年代にフィンランド福音ルーテル教会のオウル教区司教に叙任されたオラヴィ・リンピライネン牧師は「教会には時がある」と言いました。この言葉の真意はしばしば誤解されてきましたが、その基本にある考えかたは決して古びることがありません。その意味するところは、人間が焦って勝手に物事を進めようとすると、かえって神様がお備えになった道から外れてしまうということです。
私たちは、まさしく神様が神様であるがゆえに神様に従わなければならないのです。そうすることが私たちに利益をもたらすからではありません。しかしその一方で、神様の御意思は「人生そのものの法則」でもあるので、それに従うことが遅かれ早かれ祝福をもたらすことも忘れるべきではないでしょう。
「イエス様の予型」としてのエレミヤ
エレミヤはヨセフやモーセと並んで、次のような意味でメシアについての重要な「予型」(雛形)になっています。
旧約聖書における大いなる苦難に耐えた者
生まれる前から神様に選ばれていた者
自分の民を愛した者
国賊と誤解された者
自分の伝えたメッセージのせいで何度も殺されかけた者
殉教者
(終わり)